森の神の使い2
「いいと!?」
ヴァルファーの声が軽く裏返る。
「許容範囲だ。命令が命令した通りに遂行されないのは慣れた。私も成長したものだ」
ルキウスはどこも見ていない。大きな両眼はヴァルファーの両脇を抜けていく。
仮面だがこれは知ってる。主が準備の時、サポートを並べ、はた目には楽しそうに見える顔で不満気に「意図を認識しない」と言う、その時の顔だ。
プレイヤーと本気で戦う時、主はサポートをほとんど連れていかない、邪魔だから。
精々、離れた場所からの支援ぐらいだ。ヴァルファーは嫌なものを感じながら言葉を返した。
「ナノマシンの五百レベルまでの保護が有効か不明です」
「無かったら無かったで考える。それも含め、テストにはなった」
「彼を育てるのでは?」
「そうだ、最低でも戦闘経験値は入っている。プロプレイヤーには五百レベルで、千レベルのボスと六時間戦闘して、一気に七百にするのがいたな。《拳神/イネヴァタブルフィスト》の人だ」
拳神は世界に一人しかいない。あれの挑戦者が十五億人だから、二千万に三人の緑の古き神よりレア。転職条件は昔の軍用AIが操作するドッペルゲンガーと素手で戦い、一度の直撃も受けず、千の直撃を与えることだ。
拳神の人は武術の復興運動をしていて、メディアに出ている。
しかしヴァルファーはよく知らぬので、今をどうするべきか考えていた。
「勝っても負けても得られるものはある。それにゴンザは馬鹿だが腕は確か、技を損じたのではなく、白熱して故意に斬ったのだろう。技量の確認はできたし、死ぬなら序盤だ。馬鹿にならん復活費用が掛かるが、訓練代と考える・・・・・・死んだらどうなるんだろうな、ここの死後には興味がある」
ゴンザエモンに期待するのは間違いだ。それは正しい、しかし――
「それよりエヴィエーネが故意に見殺しにしていないか心配だ。護衛と調査は両立してもらわないと、あれの能力強化が活きる局面だし、なあ?」
ヴァルファーは確信して恐怖した。淡々と話す主は自分達を信用するのをやめたのだ。昔と同じ、それより悪いか。任されて失敗したのだ。
「どう思う? そこまで崩れると不都合だ」
「私が確認致しますので」
巨大な仮面が唇を歪め、皮肉的に笑った。
「ヴァルファー、君は命令通りにやってくれるな?」
うつむくヴァルファーは恐怖を隠しきった。森が歪んで見えるの気のせいか。
「お怒りなのでしょうか?」
「何が?」
「今の事態を招いたことを」
「はあ? そんなことか。過去はどうでもいい。次だ、振り返っても楽しい事は何も無い。事柄にかかわらず、楽しい事はいつでも未来にある」
仮面はこみ上げるものをかみ殺している。漏れあふれた陽気は重く波打つ。
「予測できない方が楽しくていい。しかし全員そうでは困る、本当に困る」
ルキウスがヴァルファーの肩にそっと手を載せた。
「そう思わないか?」
「はっ、はい」
「そもそもだ。敵が強いのか弱いのかわからんのがよくない」
蟲の話ではない。ならば、何か?
「悩むのに疲れたんだ」
「その悩みとは・・・・・・」
「何の悩みだと思う!? 何の悩みだと思う!?」
巨大な顔が膨れ上がり、次の声のトーンを落とした。
「未知の仮想敵の話だよ」
ここで当然の意見。伏龍の存在を無視できれば、武力と大魔法で強引に収拾できた。
「魔獣の跋扈する森で穴に隠れるネズミの気分だ、こそこそ動くしかない」
仮面の目が別々にグルっと回る。
「リスクの大きさを決める。敵対し得る未知のプレイヤー戦力は我々と同程度と仮定する。だから我々が全力戦闘できるだけの物資が維持できればいい。アトラス金貨で一億だ」
今は全員の手持ちを足せば五億はある。最初は十億あった。様々な施設に村を建造するための、魔法に魔道具を使うために消費され、直近は占術関係で消費された。
「頼りない額です。三回の全力戦闘で確実に零、場合によっては一回半に及びません」
「リスクを取らねば袋小路に追い込まれる。それでどこまでがいい?」
「本当に限界まで?」
「そうだ、愉快にやろう。ほら! 楽しくなってきたぞ!」
ルキウスは興奮し、逆さになって駒みたいに回転を始めた。
「・・・・・・帝国は無視するので?」
「今はどうでもいい」
駒の回転がピタリと止まった。逆さのままで明後日の方向を見ている。
確かに帝国は動く気配が無い。しかしその歴史にはプレイヤーの影がある。隠し玉があるのは明らかだ。その一つは直接見た。何が起きたか今でもわからない。
「馬鹿と斬り合える機装兵が存在しております」
「どうにかなるって」
「しかし、あの戦闘の観測結果は未知が多く!」
「ああ! 未知! 素晴らしい響き。未知と仮想、似たベクトルが重なると次元が跳ねてうんざりするが、片方なら楽しいものだ!」
ルキウスが飛び起きた。
「失敗がどうした! くたばれフェールセーフ! しくじったところで全滅するだけだ」
「だけ、と言えることでは!」
ヴァルファーが声を張った。対する返しは沈んだ声になった。
「お前にとって死は恐るべきものか?」
「感情としては恐れずとも避けるべきです」
「恐れぬならなぜ避ける?」
「不死性を無くせば、ルキウス様に付いていけません」
この世界ではまともにレベルを上げられない。死は不死性の喪失を意味する。
ルキウスに仮面を両手でつかんで、少し考えてから言う。
「単に長生きしたいとは?」
「短いより良い気がしますが・・・・・・」
ヴァルファーはどこかから来たわけではないから、どこかへ向かってはいなかった。
「私が一度死ねば、一部の神性を失う、千年は生きない。そうなれば私が先に死ぬ、後はどうする?」
「考えたこともありません」
「他もそうだと思うか?」
「大半は」
「・・・・・・暇になったら趣味ぐらいはもたせないといかんな。いや、周辺環境の問題か、社会が必要だな」
ルキウスが呟いた。
「ルキウス様は己の存続に頓着されないのですか?」
主は明らかに森の外を好むようになった。積極的に死に向かっているといえる。
「長く待てば誰か来るかもしれないが、退屈に生きるなら滅んだ方がマシだ。ここは前より刺激的でよいが、籠っていれば退屈だった。つまりそういうわけで」
ルキウスの手に力が入った。
「ガンガンいこうぜ!」
ルキウスが手足をばたつかせ闇雲に騒ぎ出した。黙るしかない。
「ほら! ガンガンいこうぜ!」
ルキウスが仮面の口をガンガン打ち鳴らした。主は部下が了承するまで、仮面を寄せて圧力をかけた。
「ガンガン行く、そうだな、ヴァルファー?」
「・・・・・・はい」
「はい、じゃないだろ。ガンガンいこうぜ!」
「・・・・・・ガンガンいこうぜ」
神は部下に言いたいことを言わせて飽きたのか、足で地面の葉っぱをめくっている。
「何か・・・・・・他にあるか」
ルキウスは仮面の目をしきりにこすった。感覚は無いはずで、視界が遮られるだけだ。
「どうした? 疲れているのか」
疲れている。肉体的には元気だが、精神が混沌としてねじれて痛む。しかし職務を放棄するわけにはいかない。やはり自分が辞めたら終わりだ。
「いえ、ザメシハの者はどう使われるので?」
「彼らは単に囮だ。蟲の目を引き、ザメシハに状況を報告してくれる。彼らが離脱する時は通せよ」
ルキウスは大きな仮面を外し、インベントリにしまった。
鋭い瞳は落ち着いているように見え、ヴァルファーを安堵させた。
「自分で得た情報は信用したくなる。人は実際の価値と無関係に、支払った労力を価値に足そうとする。時には報酬の大きさも、そしてそれを上に報告する」
「それでですか?」
「深い意味は無い、定石だ。蟲の思考など知らんし、通信が単に近所と話してるのか、指揮系統があるのかもわからん。だが処理すべき情報と問題が増えれば、困るし鈍る」
「確かにザメシハの動向は大きな負荷。しかし問題解決への手になりません」
必要なのは広域での判別と判別した対象の駆除、時間稼ぎではない。時間は蟲の味方。それに感染のリスクは増え、彼らを国境で判別する必要が生ずる。こちらの手間も増えたのだ。
「スンディが三分の一ぐらいで全て平地なら、分厚い森で包囲して、ゆっくり狩りだせたが」
「完全包囲と全域駆除を同時にやれるのは十日が限度、十日で判別と駆除は不可能と申し上げた。蟲を自動判別できる広域攻撃が無い限りは解決不可能です」
「暗いな」
「そうあるべき状況です」
「我々はまだ何の被害も受けていないというのに不安が上回るか? はげるぞ」
「はげません」
「はげたら、もっさもさの苔植えてやる」
「はげません」
「・・・・・・それは重要か?」
「はげませんので」
沈黙が流れた。ヴァルファーは時間が惜しい。夜とはいえ、港を放置できない。
「ならば・・・・・・解決策は見つかりましたか?」
「どうにもできそうにないというのが、わかってきた」
ルキウスが爽快な笑顔で言った諦めの言葉は、澄んだ鐘より前向きに響く。
主は罠に使う虫を繁殖させる穴に餌をまく時に、この顔をする。どう罠を張って、どう誘導するか、何より、掛かった獲物を想像している時にこの顔をする。
「森の外なら全力で半径五百メートル。それも大雑把で、神気を消費する」
神気無しならソワラの方が広く正確で安定している。それにしたって、極限までの無理をして、最大効率で一日に十万を判別できるかどうかだ。スンディの全員が自主的に整列して、魔法の効果範囲に入らないと無理だ。
「到底判別しきれません」
「それで奴らは体質も行動も人に近い、お手上げだ。まあ、わかったのはよい事だ。先に進める」
「やはり殲滅ですか? それも困難な状況かと」
それなら早いほどいい。そうするように進言してきた。毒の開発が間に合うとは考えにくい。
「いや、もっと観察データを集めろ。先の彼らが向かう村で、両者の動きを詳細に記録しろ」
刺激を与えての観察、先の話は殲滅の決断ではないのか、プレイヤーとの衝突を覚悟したのでは。主の考えはわからない、わかったことはない。
「人間観察はペット達では不足です。誰かやる必要があります」
「人選は任せる。UAVを消費してかまわん。国境包囲は絶対に解くな」
「承知しております」
「まあ、情報が集まるまで酒でも飲んで気楽に待とうじゃないか」
ルキウスは危機感を感じさせない口ぶりだ。このままで大丈夫なのか?
「完全遮断をやめるのであれば、大々的に手を借りるべきでは?」
主が選択的駆除にこだわるなら、他の手を借りるしかない。ただし二次感染を起こさない程度の練度はいる。
「無意味だとわかっているだろう? 騒乱になるだけだ、少数だから入れた、追い返すと何かあると言ってるに等しいからだ。お前らしくもない。少し休むか?」
「そうでした。しかし、休みは必要ありません」
ヴァルファーは先の圧力の影響が残っているのか冷静ではなかった。しかし、また主が急に何かをやると人が要る。それを考えると余力が欲しくなる。
「あのアリールという者達を復活させては? 魂の破壊は最大のペナルティですが、レベルが高ければ復活できます」
「復活できる者とそうでない者で差が出ると揉める。できれば、勇者が国をとってからにしたい。それに金も無いし、手は足りてる」
「そうですか」
最近は酒にも酔えないが、足りていないとは言えなかった。
「それにせっかくビラルウちゃんが懐いてきたのに、なあ?」
「懐く? 増えた赤子の保育を依頼した際、頭から哺乳瓶の乳をかけられたようですが」
ルキウスは追加の赤子も頼むと言うと、ビラルウが最高の笑顔でとてとて歩いてきて、眼を突こうとしたのでルキウスは簡単に腕を握って止めた。
それで「バーカバーカ」とやったら部屋中に乳をぶちまけられた。やった本人はタドバンに寄りかかって仕事放棄している。
ヴァルファーはあの子とは気が合いそうだと思った。これからルキウスが帰って、赤子の世話をするはずだ。
「子供の愛情表現だ。わからないのか? それに子供はやってはいけないと言われたことをやりたがる。 家の塩の容器に砂糖の塊を隠してみて、それで怒られれば次には、きっちり全部を混ぜてみるとか」
それは酷いクソガキだ、真面目な自分とは合わない。
「三十以上の赤子の世話を幼児にさせるのはおかしいのでは」
「タドバンは哺乳瓶を咥えるとよだれが垂れるから駄目だ」
「しかし、幼児の世話を幼児がするのは」
「物理的に可能だ。・・・・・・どうした?」
なぜ幼児をそばに置きたがるのか、ルキウスがそばに置くのはタドバンとサンティーだけ、そこに一人加わった。
サポートとペットは距離がある、これは考えるべきじゃない。
「やはり疲れているやも」
「そうか、必死で働けば疲れはとれるぞ」
そもそも休ませる気は無いらしい。それは正しい、主は冷静だ、勝負を捨てていない。
「勝負は一か月ほどだ。その間はしのげ」
「わかりました。それ以上は責任を持ちかねます」