森の神の使い
ザメシハの一団はヌンテッカ山地の間を抜け、スンディの北部の小さな森へ入り、バルムナーブ悪地のすみへ出ようとしていた。
停戦以来変化の無かったスンディの動きが妙なために、情報を収集するべく極秘裏に派遣された一団で、言い訳のためもあり民間人で組織されていた。ザメシハの諜報網は修復できておらず、スンディ自体も混乱しているのか情勢が不透明だ。
中枢戦力は砕魔の盾などのハンターで、ミコルバの自然祭司に戦士団の斥候もいる。彼らは臨時にハンターになっている。大型の浮きぞりが魔術師ギルドから貸し出されていて、荷物が積まれていた。
荷車的な役割をする浮きぞりを囲む形で彼らは進んでいた。そろそろ野営だ。
「生活圏が近いってのに、森に人の痕跡は無しね」
スミルナが言った。
「例のお方が怖いんだろう。連日、山に森は疲れる。早くきり上げてえ、森が騒がないうちに」
ザンロが言った。
「余計なことは言うもんじゃない」
斥候がたしなめた。
「呼べば道がつながると言います」
自然祭司が言った。
「つなごうと思えども、つながったことはありませんけれども」
同じ位置でも位相が違う、神は遠い、というのが定説。言ったのはグラシアだ。
「楽しみだねえ、もう二十年スンディに入ってない。ウシュパン熱水地帯も覗いて帰りたい」
眼鏡をかけた長身の妖精人が抜けた声で言った。背負った荷物から弓が見える。チェリテーラが言う。
「父さん、遊びじゃないのよ」
カラトリエル・ジウナー、チェリテーラの父で学者。さほど年齢は感じられず、若葉色の長髪には少し波がある。
「聞いてるの?」
カラトリエルは答えずに口の中で「枝葉は木に、木は森に」と呪文を唱え不可視化した。
先頭を行くザンロの前で地面がゴォンと炸裂した。土煙が視界を遮り、一行が身構えると、太い声が森に響く。
「フハハハハ!」
土煙の中から、人間大の巨大な顔が飛び出した。
ザンロは手首のスナップを利かせ、反射的に手加減無しの戦棍を振った。
「何!」
戦棍がそっと止まった。戦棍の柄が握られている。顔の横から出た顔からすれば小さな細い手が勢いをたやすく止めたのだ。
ザンロはゾッとした。
「危ないな」
顔が余裕の笑みを浮かべた。
だが盾がある。掛け声とともに盾を叩きつける。今度は小さな足が盾ごとザンロを弾き返した。
「効かん」
巨大な顔が気持ちの悪い笑みを浮かべ、何かを言おうとする。
「我こ――」
スミルナがよろけるザンロと入れ違いに視認困難な速度で斬り込む。顔は簡単に彼女の片手をつかみ、強引に投げ飛ばした。
剛力にして神速、何と凄まじい。未知の怪物だ。
「我――」
チェリテーラの魔銃から青い光弾が放たれた。巨顔は高速カニ歩き方でかわした。
さらに自然祭司が持ったヤドリギの枝から放たれた葉嵐は、丸ごと反射され自然祭司は顔を覆って耐えた。
「我こそは――」
グラシアが祈り、杖から水流を放った。顔が手先を払うと、水流は達する前に霧散した。
「やめんか!」
巨顔が口を大きく動かし怒鳴ると同時に消えた。一行は身を固くして、森に目を配った。森は静まっていた。
彼らの内側、陣形の中心から声が響く。
「我こそは森の神の使いルッキー!」
ルッキーが手足を開いたポーズで浮きぞりの上に現れた。
一同は硬直し、チェリテーラは苦い顔で既視感を覚えていた。
「やっと話を」
ルッキーがまた言いかけて止まった。
「グルルル」
うなり声を漏らすのは、獣人化したスミルナだ。
「話を・・・・・・聞いてる? 制御できないのか?」
「グアァ!」
スミルナが吠えた。これを初めて見る者達はおののいた。
「台無しだよ」
でかい顔はうつむき、すねてしまった。そこを瞬時に跳び上がったスミルナの二刀が強襲する。
ルッキーはうつむいたままで、両手の手首を簡単に握り取り押さえた。
「銃弾よりは速いが・・・・・・鎮まれ」
スミルナが一瞬で元に戻った。きょとんとした顔だ。ルッキーが手を放した。
「戻れ、君の立ち位置はそこだ」
「え?」
「戻れ」
ルッキーにきつく言われ、戸惑うスミルナは周囲の様子を見て空いた場所に下がった。
「我こそは森の神の使いルッキー!」
ルッキーが右手を空へ突き上げた。風が無いのに森の葉がそよぐ。
「お前達はザメシハのハンターだな」
「・・・・・・そうだ」
ザンロが答えた。
「我が神から依頼を行う」
「俺達は重要な依頼を受けていて――」
「知らん」
「・・・・・・あの戦場に現れた神の使いか?」
「そうだ」
植物との関連性が見えない姿だ。土着神らしいといえば、らしいが、ザンロの知る神官とは種類が違う。本物なら気を使うべき相手だがどうか。
「悪いが他を当たってくれ」
「森で森に喧嘩を売るのかね?」
ザンロが鋭い視線を送ると、全てを吊り上げた気色悪い笑顔が返ってきた。
「まず内容を聞きたい」
「今からちょっと先にあるスヒッポ村に行って、その村を皆殺しにしてくれ」
「・・・・・・理由は?」
ルッキーはスンディの状況を説明した。
新種の寄生生物が人になり代わり繁殖しているという恐るべき話だった。
「スヒッポ村はほぼやられている。感染源にしかならん。他の村にもいるから用心せよ」
「それを信じろと?」
「信じないならすぐに帰れ、感染を広げられると困る」
「帰るわけには・・・・・・」
ザンロの目はカラトリエルを探したが消えたままだ。
ルッキーの言うことが事実なら確認は必須だ。しかし積極的に交戦するのは完全に王命無視になる。
「ルッキィーーーチャーンス!」
ルッキーがいきなり両手の拳を握って考え込むサンロへ突き出した。
「何のマネだ?」
「どちらかの手に宝玉が握られている」
「それで?」
「どっちかわかるかな?」
「知らねえよ」
「当たりを選べば報酬が二倍になるよ」
ルッキーは目を張った不気味な笑顔だ。そもそも報酬を聞いてもいない。
ザンロが右手を指した。
「こっちだ」
ルッキーが右手を開くと、何か布切れがあった。上等な布で細工がある。
「残念でした。これはその女の下着です」
「なんで持ってるのよ!」
チェリテーラがわめくのを無視して、ルッキーは続ける。
「いま盗ったからだ。もう片方はあんたの」
左手を開くとザンロの猿股があった。ルッキーは下着を持ち主に投げた。
「どっちもはずれじゃねえか」
ザンロは笑ったが、知っている。鉄火場でふざけられる奴はクソ強い。圧倒され眼球運動すら頼りない周囲の人員ではこいつに対応できない。
「ルッキーはそんなけち臭いことしなーい。すでに報酬はそこにある」
ルッキーがチェリテーラの足元を指差した。
「な!」
足元に大きな箱が出現していた。
「宝石で払わせてもらおう。それなりの貴石に、魔力を持つ物に特殊な物、色相石、精霊石、時の狐石、身代わり石、凍れる銀、大海の日傘、グラウの白、勝ち桜、銀朱の星屑 紺碧の天使、霊核石、竜石、などが入っている」
チェリテーラは音速で箱を開けた。中身は確かに色とりどりの石で、光を放つものもある。
「もしも感染したら《病気除去/リムーヴ・ディジーズ》をすぐに使え。時間が経った場合は、《完治/リカバー》か《癒し/ヒーリング》。そうしないと、削られた分の脳みそがすっからかんになる。無理なら病気除去使ってから普通に回復させとけ、いつかはボケが治るかもしれん」
ルッキーがグラシアに言った。
「報酬に不服あるなら、森で不足額を叫ぶがいい、運が良ければ届こう。確かに依頼したぞ」
ルッキーは転移して消えた。
「言うだけ言いやがって、聞きたいことはクソほどにあるってのに」
ザンロが毒づいていると、不可視化していたカラトリエルが姿を現した。
「どこにいたのよ」
チェリテーラが一瞥して不満気だ。しかし一心不乱に箱の中をまさぐっている。
「潜みそこねた。森を制しているね、木々が喜んでいる」
スミルナとグラシアも箱を探り出した。
「おい、警戒しろよ」
斥候が言った。
「報酬を警戒してんのよ! 何が入ってるかわからないんだから」
「そいつはそうだが」
「放っとけ」
ザンロが言った。
「・・・・・・妖精人だね」
カラトリエルが鼻先をなでた。娘が手を止めた。
「え?」
「神の使いだよ」
「妖精人って、頭おかしいのしかいないの!?」
「僕を何だと思ってるのかな?」
「否定しようのない変わり者でしょう」
「故郷を出るのは変わり者さ。人間だってそうだが、妖精人は特にそうだ。しかし別におかしくはないとも」
「私の中の妖精人像は、日々否定されるべきものになっていくわ」
「どこでわかるんで?」
ザンロが尋ねた。
「手足だよ。細すぎるね。君の力を簡単に受け止めるんだから、鍛えてるさ。鍛えても太くならないんだな、人間や鉱人、悪鬼みたいには。君、背中かけないだろ? 背中にスライム張り付いたら死ぬねえ」
「鎧きてたら誰だって無理だ」
「棒があればできるさ、できれば専用の」
カラトリエルがにやりとした。
「背中に手が届かないって恐怖だよね。背中の筋肉に身分証明書が挟まったら大変だ」
「そんなまぬけいないわ」
娘が面倒臭そうに言った。
「そうかな、きっと背中に挟まった物をほじる職業はあると思う。特に悪鬼は怪しい」
「いないって」
「探してるものは探している途中なだけでどこかには存在しているんだよ。探し続けている限りはそうなんだ」
「はいはい」
「さっきの、まさか知り合いで?」
ザンロが尋ねた。
「故郷にあんな化け物はいないな」
「・・・・・・村に入るべきですか?」
聞いた限りでは対処できる。
「《完治/リカバー》は魔力も触媒も大変ですよ。金銭換算で二十万セメルはします」
グラシアが言った。
「そもそもさっきの情報をどう確かめる?」
ザンロが言った。カラトリエルが答える。
「気にいらない面構えの村人を捕まえて、頭を割ればいいだろう? 違いがあるって話だ、僕は中身を見ればわかる」
「本気で?」
「戦争でどれだけ殺したんだい? きれいごとを言うなよ。国の仕事ってのはそういうもんさ。そもそもの国境侵犯だよ。僕みたいな学者まで工作員狩りをやったんだ」
ザンロが沈黙した。
「まあ、冗談だがね」
「わかるか!」「ふざけんな!」
ザンロとチェリテーラが怒鳴った。
「何を怒ってるのかね?」
「こっちは真剣に悩んでるんだ」
「人心の調査は最初から仕事に入ってるんだろう? なら行けばいい、こんな辺境でまともな軍隊は出てこないさ。行って囮が滞在すれば、その生物が仕掛けてくる」
カラトリエルが言った。
「それとも成果無しで引き返すのかい? ああ、宝石はあったね。それだけ持ち帰って送り主がどうするだろうね?」
あれが敵なら死んでる。
「絶対返さないわ!」
チェリテーラが赤い輝きを宿す宝石をつかみ、さらに波模様の石を取り出し眺めた。
グラシアは使える触媒を探しているのだと思いたい、スミルナは落ちている石を集める習性があるから、金銭価値とかは考えていないはずだ。
「・・・・・・予定通りにやるぞ。警戒を上げてだ」
少し離れた森で、ヴァルファーは神妙な顔をしてルキウスを出迎えた。
「ヴァルファー、報告があると言ったな」
「ゴンザエモンがやらかしました」
「具体的に」
「マウタリを斬りました。復活の準備が必要です」
「そうか、まあいい」
ルキウスはあっさり答えた。巨大な仮面の口は流麗に動いていた。




