裏道には魔
マウタリが暗い一本道を進むとうっすら悪臭がしてきた。肉の腐敗臭に、葉に棘のある薬草をもんだ時に出る匂いが混ざった臭気だ。
さらに進むと臭気は強くなった。途中に部屋はあったが人気は無く、割れた実験装置に、汚れた日用品が散乱していた。
角を曲がると、高さ五メートルの天井の半分までうずたかく積もったゴミがあった。その上の天井には大きな穴があって、先はわずかに明るい。
「ゴミ捨て場かな」
ゴミ山が進路を塞いでる。籠った臭気は特に不快なものだ。あれに埋もれて進みたいとは思わない。
穴の上までは荷物を背負っていても、走って跳べば手が届く。
マウタリは靴を何度も床にこすった。違和感はない。
「……気のせいだ」
マウタリは前傾姿勢で加速して、綺麗な跳躍でゴミの上へ飛ぶ。右手が穴のへりをつかみ、顔を上に出した。誰もいない。
上の階によじ登り、一本道を進む。
わき道から身汚い男が出てきた。箱を持っている。
男は少し歩いてからこちらに気付いた。驚愕の表情だ。
「誰だ! てめえは!?」
マウタリはここ数日の経験で、目の前にいるのが犯罪者の類だ。不本意だが自分も街の中では同族と認識されるだろう。
「通らせてもらいますよ」
マウタリの言葉は平坦。男は箱を投げ捨て、引き返していった。中身は何かがこびり付いた透明の入れ物だった。
(落ちたから、上を目指すべきかな)
マウタリが男が消えた道まで行くと、どたどたと武装した集団が現れた。
その中の体格の大きい男が警戒した表情でわめく。
「おめえ、どこから来やがった?」
「下からですよ」
「下から! ふざけるな、何が目的だ?」
「ここを通るので放っておいてください」
「……なら、持ってるもん全部置いていきやがれ」
「嫌です」
(エヴィは最初に力を示せと言うけど、ここは多分彼らの住みかの奥だろうから、ぶん殴ってもひいてはくれない。獣なら縄張りを放棄して逃げる。でも都市には逃げる先がないから、人はどっちかが死ぬしかない。ここは息だってしにくい)
マウタリは走って跳躍、さらに壁を蹴り集団を飛び越えた。そして走る。
男たちは唖然として首をぐりんと動かし、彼の背を見ると、追えと叫び、追いかけ始めた。
外の人間は走るのが遅い、最近学習した。歩くのは速いけど、走ると遅い。彼は途中にいる人間も適当に避け、走った。男達は追ってくる。数はドンドン増えているが、距離は開いていく。
道がわからない。しかし、大勢の人が住んでるから、いつかは北の広場に出るだろうと走った。
遠くに階段を見つけ、上ろうと思っていると、階段からごろつきの集団が下ってきた。マウタリを指差している。
マウタリは階段を避け、その横を直進して加速した。少し走った先は行き止まりだ。そこにまた穴がある。先は暗いようだ。追手とは距離が空いて、誰も見えない。近くには部屋がいくつかあるが、先は無さそうだ。
彼は穴を覗いて先がありそうと判断し、穴へ降りた。
しばらくすると、追手が穴のある行き止まりまでやってきた。
「穴に入ったのか?」
「ああ、絡みつく底なしチーズパスタ通りに落ちやがったに違いねえ」
「あんなおいしい獲物はねえってのに、金目の物を山ほど持ってるに違いねえ!」
「追うか?」
「冗談じゃねえ、いかれた邪教徒に、人食い、魔道生物の住みかだ」
「あの小僧も生贄か」
「こんな穴からはさっさと離れようぜ」
「蓋して重りだ。闇の目が反応するかもしれねえ」
男達は穴に蓋をして去った。
マウタリが落ちた先は真っ暗だった。きっと完全に壊れている区画だ。それでもマウタリは暗いまま駆けた。追手がぞろぞろ追ってくるのを振り切るにはいい。
しばらくマウタリは走った。自分の足音がよく響いているのに気付く。
静かだ。彼は後ろを確認した。暗闇は静寂に包まれている。
(通り十個分は走った。縄張りは変わったはず)
闇を吸うように呼吸して、そろりと歩けば、何かにけつまずいた。
「うわ」
倒れて手を突いた。湿った床だ。手にぬめりを感じた。
彼は体を光らせた。手には血が付いていた。
暗闇を動く物が一つだけある。自然と意識が集中した。生首、自分がけつまずいた生首だ。転がって止まった。
そして首の無い胴体が転がっている。大きな感情の動きがある表情で、筋肉に力が入っていた。
しかし胴体の主はわからない。首も首無し死体も複数あるからだ。
死体は筋肉が発達し、全身に刺青がある。さっきのごろつきより一段上の野蛮さを感じさせる。
異様な場所。通路中に死体。
手を強く光らせ周囲を順に照らせば、人骨らしい骨が所々に転がっている。
マウタリは無言で慎重に闇の中を歩き、階段を一度上がった。暗闇のままだ。道が行き止まりになり、引き返し途中の部屋に入ると杖を持った魔術師らしい死体があった。これも首が落ちている。部屋は通り抜けでき、別の通路に出たのでさらに進む。
景色が変わった。壁には黒い血で魔法円が無数に描かれている。
さらに動物の大きな生首が落ちている。ヤギ、ヒツジ、ヘビ、ブタ、ライオン、ドラゴン、彼が知らない動物の顔がいっぱいだ。
その胴体が無いと思ったが、よく見ると、全ての顔が接続できそうな奇妙な獣の胴体が落ちていた。色の異なる毛皮に鱗がある奇妙な胴体だ。尻尾はヘビだ。
「全部死んでる」
人の死体も二十ぐらいある。なにか骨、石でできた装飾品を大量に身に着けていて、村の長老の祭事の時の姿に似ている。何かの儀式の最中だったようだ。
マウタリが表情を曇らせていると、進行方向から柔らかな足音が聞こえてきた。
音は一定の速度で近づいてくる。マウタリは闇の先を強く照らした。
草履を履いた着流しの男、顔には薄っぺらい鬼の面。
「わざわざここに来たのか。悪しい奴だな」
「……そっち、通れますか?」
「ここは地獄道、等活地獄、現世にまで出張だ。通行料は命になるぜ」
マウタリは剣を抜いた。全身に突き刺さる強烈な圧力を感じたからだ。
「殺生はよくねえ。知ってるか、虫だって潰しちゃあならねえのよ、食ってもならねえ。難儀よなあ、生きているのは」
口ぶりは黄昏ているようで、喜んでいるようでもあった。
「これをやったのはあなたですか?」
「おうよ、斬れるもんなら斬っとかねえと」
「立ち去る予定は?」
「くく、戦わなければ死ぬ。わかってるよなあ?」
マウタリは深く息を吸った。この場にふさわしい錆びた臭いがした。
「小僧、本物殺し合いを教えてやろう」
男が腰の刀を抜き、片手で持ち、散歩するように歩いてくる。
マウタリは違和感を感じ、目を凝らした。
男が光って感じる。光源は自分だけだ。
しかし男の周囲は渦巻く力に満ちていて、輪郭がはっきりと見えた。闇が逃げていくようだ。
まだ距離がある。荷物の中には自分でも起動できる魔道具がある。使う物は取り出しやすいよう上にしてある。
マウタリが後退しながら、背を気にした瞬間、男は目前にいた。マウタリは体から熱が抜け落ちるのを感じた。
「よそ見か?」
ぞんざいに刀が振るわれる。
「うわあ」
マウタリはとっさに力任せの剣を振って刀を弾いた。
「準備が遅え」
男が両手で刀を構えた。マウタリも集中して剣を強く握る。
男が刀で剣を斜めに斬りつけた。押し込まず軽く弾くような打ち込み。
「錆骨」
左手の指先から肘まで痺れが走った。左手の指から肘まで動きにくい。小指に張った感じがある。
「戦技!?」
「物理現象だ」
特に肘の骨に圧力をかけ、神経を狙う技。容易に切断までは至らずとも麻痺はする。
不自由なところを連撃が襲う。
重く、速い。体さばきの動と静が不規則に入れ替わる。
足を止めての正確で小刻みな連撃は見切れない。左右に、前後に、体を移動しながらの大振りの振り下ろしは重く、三日月の曲線を描く斬り上げが足から胴を撫でる。
剣を必死に動かしても、受けきれず、逸らしきれず、腕は消耗し、切り傷が増える。
戦いとは呼べない。
ただ削られる。前に出られない。しかし感じるのは焦りよりも
――きれい
刀が光を反射して、暗闇を背に糸を引く。
動きは一定じゃない。しかし不規則な動きでも、どことなく一定の範囲内で均衡が保たれている。
淀まず流れる渓流の装いを締めくくる打ち込みは、あまりにも重い。金属音が暗闇に明るく響いた。
「ぐ!」
握っている柄がずれて、必死に握り直す。
「剣を放せばそれまでだ」
男が面の奥から細めた目で見下ろしてくる。男は無防備に刀に付いた血を払った。
マウタリは必死で距離を離した。額からの血が鼻へ垂れた。
男が思い出したように走り、荒々しく打ち込んだ。マウタリは全力の払いで、刀を横へ流した。
「生きることを殺すことだ」
それは知ってる。ずっとそうしてきた。しかし、これは違う。彼が知る命のやりとりとは違う。狩りではない。
――闘争。
マウタリの持つ剣が震えてきた。腕は限界だ。
引いた先には死しかない。勝つには命を捨てる覚悟がいる。
「殺す」
マウタリが男の斬るべき場所だけ考えるようになった時、何かが体の中に入ってきた。エヴィの薬と似ている。体が浮いて飛びそうだ。急に体が動くようになり、出血が止まった。
何かの霊を宿すとそんなことがおきると長老に聞いたことがあるが、考える余裕は無い。
上段からの強烈な打ち込みで、男が足を止めのけ反って受けた。片足を下げている。
「ぬ!」
男が受けに回った。わずかに見えるあごは、多分笑っている。
「ああ!」
マウタリが叫び、剣が強烈に輝いた。力任せの剣が振り回され、真っ向から金属が衝突した。
技を放棄した荒れ狂う斬撃は自然と途切れず、何度も男を押し込んだ。
男はいったん下がると、身を低くして、刀を前に出し弾力を含んで踏み出した。マウタリは自分より低くなった男目掛けて、全力の剣を振り下ろした。
刀が受けようと真横になり、同時に軌道上の右半身が引かれる。
持ち手が奇妙だ。右手が逆手で、左手は柄頭をつかんでいる。
剣と衝突すると手を軸に刀が回っていく。受けてない。剣が男の右肩を浅く斬っていく。右手は回転途中引かれ、左手は器用に柄を追い逆手でつかみ直す。刀が返った。
右から片手での一閃が来る。受けられない。真っすぐに首に向かっている。
その一瞬で、耳の奥に知らない声が聞こえた。
――永遠の王国は復活から始まる。と言っても、何もかも歪んでしまったが、これが妥協的帰結だ。千年王国ぐらいなら何とかなるやもな。悪魔を滅ぼすよりは現実的、こんなことを語る日が来るとは。予定が狂っていなければ近い内に悪魔がやってくるだろう。月にぐらいは簡単に行ける、彼女を連れていってあげればいい。
「翻り椿」
男の呟きに混じって、刀が一文字に振り抜かれ、マウタリの首が飛んだ。
ゴンザエモンは鮮やかな身のこなしで刀を鞘に収めた。首がゴンと床に落ちた。
「力みすぎだ、よくやったが誘った隙でえ。返し技ってもんがある」
マウタリの体が前のめりに倒れ、ひざを突きかけたが、途中で持った剣を支えにして止まった。首から血が流れている。
それをしばし見つめて、ゴンザエモンは呟いた。
「あ、やっべ」
それから彼はひとりうなずいた。
「まあ、いいか。よええ奴が負けるのは正しい。剣にまちがいはねえからよ」