箱の中2
翌朝、平和的に目覚めた。ここは安全だ。
マウタリはシュケリーを連れて街に出た。エヴィは街を探りに行った。エヴィが目立つ荷物を嫌い、ドテンは宿で荷物を見ている。
広場ではもう露店が開かれ、商人同士の物々交換が多い。商人は天秤棒を肩に、仕入れた品を持って、通路の中へ消えていく。
太陽は見えないが、明かりは朝の優しさ。街は室内だから寒くはない。床や壁からかすかな熱を感じた。
北へ抜ける巨大な門は封鎖されている。現在地は箱の中枢の階層で、南の広場、官庁、北の広場がある。
魔法円が描かれた門の前では、鎧を着た兵士達が槍を持ち並ぶ。
門の上は、門と同じぐらいの穴が空いているので、官庁のある鼓吹の間が見える。
官庁は木を逆さに植えたような形だ。円筒型の建物の屋根部分から、ほのかに光る線が木の根のように広がり天井に接続されている。
他にも多くの建物があるはずだが、門が邪魔で見えない。
「あれは」「昨日の人ね」
門を離れて見ていた二人の目に入ったのは酒屋のデステルだ。帽子と髪の色ですぐにわかる。腰に短めの剣を差していた。
彼は兵士に詰め寄り、言い合いになった。
「朝からご苦労なこったな。誰の役にも立たねえ仕事をよ」
「封鎖中だ、近づくな!」
「使い走りが偉そうに! 人形みてえだな」
「朝から暇な奴に言われる筋合いは無い」
「誰のせいで!」
シュケリーは澄んだ顔でそれを見ていた。
「やっぱり、あれ」
「近いとわかる?」
「月明かりの冷たさを感じるの。目の奥が冷えるのよ」
言い争いは続いている。奇妙なことはしていない。
彼に触発された他の人も文句を言いだした。デステルは最後に兵士を大声で罵ると、速足で門から離れる。
二人は離れてデステルを尾行した。階段を上り、西側三階の羽狂い針通りに入っていく。
通路には多くの両開き扉があり、分かれ道、階段もある。かつては全ての区画に上から下がってくる鎧戸があったらしいが、個人で使う場所は修理されていない。
広場ほど人は歩いていない。
デステルが何かの店に入った。酒の匂いがする、彼の店だろう。
さりげなく中を見れば、建物の奥の部屋に酒樽が積まれている。奥から三、四歳の子供が走って出てきた。
「おお、今日も元気だな」
デステルは子供を抱きあげた。
兵士に怒鳴っていた人には見えない。あれにも見えない。表情は温和で、慈しみが感じられる。
子供は腕の中で機嫌良くしている。
マウタリはシュケリーに顔を寄せた。
「子供は?」
「違う、でも店の奥に一つ」
「・・・・・・子供がいるんだ。母親がいるはず、でも他は一つ?」
「そうよ」
「他にも人がいそうだけど」
店は露店よりかなり大きい。他の家族がいるんじゃないか?
降ろされた子供が走りだした。通路に出てくる。見ていては目立つ。
「行こう」「ええ」
時間が経ち、開く店が増え、人通りが増えた。商品を売り歩く人の呼び声が響いている。
マウタリは少しは慣れたはずの人混みにめまいを感じた。ここは呼吸がしにくい。本物の空がないせいだ。
二人は通路を歩いて、箱の中の雰囲気を経験した。長く歩き、角を何度も曲がり、階段を昇り降りした。自分がどこにいるのか、よくわからない。
迷宮だ。ただし案内看板がたまにある。広場行きの看板は必ず見ている。
少し明かりが弱い領域に来た。通路の所々に苔が生え、陶器の破片や、植物の切れ端などのゴミが少し落ちていて、壁に黒い染みがある。
扉は閉まっていて、店か住宅か、人の有無は知れない。
人が減ったせいか、マウタリの体調は落ち着いていた。
「抜け道って、こういうのかな?」
「そうじゃない?」
暗めの通路を行くと、そこにも露店があった。壊れた機械や部品、焼物、よくわからない切れ端が売られている。
「やあ、お二人さん。気になるなら見ていきなよ」
露天商の若い男が気さくにお声を掛けてきた。二人が言葉に引かれて見物を始めると、露天商は売り物の価値を語り、勧めた。
「そこはやめときい」
急に後ろから声を掛けたのはエヴィだった。
「エヴィ!」
「おい、商売の邪魔はやめてもらおうか」
露店商が苛立って言った。
「商売? それなんか毒みたいやけど」
エヴィが水差しを指差した。
「子供が何を根拠に!」
男がエヴィにつかみ掛かったが、簡単に腕を取られ、強く握られると、苦痛にうめくと驚愕の表情で後ずさりした。
「その器、あからさまな危険物や、暗殺の予定でもあるんか?」
「・・・・・・言いがかりは」
「どこで拾うたか知らんが、それに水入れて飲んでみいな!」
エヴィが凄むと、水差しを見て露天商はそのまま黙った。
「こんなん相手にしてもつまらん。行くで」
三人はその場を立ち去った。
「何でわかったの?」
マウタリが尋ねた。
「劇薬の匂いがした。思い当たる節があったんやろ、飲んだら面白かったのに」
エヴィが楽しそうに言った。
「ここは変な匂いが多いから、何が何だか」
「ここは魔術の街で、普通じゃないゴミが出る。由来のはっきりせん物は怖い。うちも、専門外はわからん」
「面白そうだったのに」
シュケリーは残念そうだ。
「あれは最初からぶん殴って言うこときかせんと。なめた物売ったら後でどうなるか覚えとけってやるんや」
「そういうの好きじゃないよ」
マウタリが言った。
「必要なあいさつやて。それに、よそ者に良くする奴はおらん。つまはじき者同士でも、お互いに食ってやろうと思っとる」
「人は協力するものでしょ?」
聞いたエヴィがため息をついた。
「田舎におるから常識がわからんのや」
「好きでそうしていたんじゃないよ」
マウタリが不機嫌に言った。
「今は好きにやっとる」
エヴィが言った。
「それは・・・・・・」
マウタリが詰まるとエヴィは話題を変えた。
「左の方から来たんか?」
「うん」
「うちは右に行ってから、下を移動してあそこに出た」
「全部繋がってるんだね」
「箱の構造は何となくわかった。区画は北と中枢と南に分かれてる。上や下に移動しても、北側には行けん。区画が移動する時に、中の方にいて、移動途中で繋がる部屋に移れば南北の移動ができるって噂がある」
「なら看板替えの時に通路にいればいいの?」
「それで行けたら誰でも行ける」
「じゃあ、どうするの?」
「どこかの部屋の穴があって抜けられる、という話もあるけど、壁はすぐに自動修復が働く。あっても犯罪者しか知らんやろ。それに裏道は犯罪者の巣窟でここの住民も避ける。ポータルがあるという噂は嘘臭い、ここは転移を阻害する要素が多過ぎる」
「やっぱり抜け道を探すべきだよ」
「・・・・・・まず宿に戻るで。看板替えのタイミングでの盗みが多いから気をつけてな」
エヴィは宿の自室に帰ると、自分の荷物の上に座った。
「人に化ける魔物のことを調べてきた。あれで間違いない。誰かが通行人の頭を割って殺して発覚したらしい」
「誰がそんなことするの!」
マウタリには蟲より、そんなことをやる人間が理解できない。
「さあ、魔術師の実験か、単なる強盗か。裏道の方で死体は数日放置され、通りがかった魔術師に回収されたとか」
「どうかしてる」
「当局は死体しか知らんから、あれの性質は知らんと思うけど、形から危険とわかるやろ。当分封鎖は解かれる見込みが無い」
マウタリは窓から封鎖された門を眺めた。
宿の部屋は移動してもずっと高い場所にあった。広場から行くのが大変な宿だが、風通しと景色が良いのが高い理由だ。
帽子でデステルを見つけた。昨日より多くの人が彼を取り巻いている。その集団は兵士の前に並んだ。何か話している。朝ほど揉めている感じではない。
「封鎖しとる側には蟲がおらんみたいや。やつらは通りたいやろうし」
エヴィが言った。マウタリが気になったことを尋ねる。
「街の人は、偉い人のいうことを聞かないの?」
「民衆は当局を信用してない。厳しい取り締まりには反発する」
エヴィが右手を上げた。
「当局は反発する民衆を、余計に警戒し疑う。何か悪だくみしてるとか、これにかこつけての要求があるんじゃないかとか」
さらに左手も上げる。
「奴らは適当なことを並べて、税金を上げようしているぞ!」
右手を動かした。
「邪悪な扇動者が反乱を企んでいる。話を聞かない愚かな民衆に立場を思い知らせてやらねばならない」
左手を動かした。そして両手を派手にぶつけた。
「お互いに疑心暗鬼、悪循環で関係が悪化、それでドカーンや」
「酒屋の人が扇動してるんだ! あいつらだから」
「あれは酒屋としての行動や。人として違和感は無い」
「あいつは封鎖されてると困るんでしょ、なら何か悪だくみをしてるんだよ!」
父だったものは、最初から網場を使って僕を捕まえるつもりだった。でもきっと、父ほど僕を知らなかったからしくじったんだ。
本物なら失敗なんてするはずない。
「元々の関係性と、あれの利害が一致してもおかしくないやろ。封鎖で困っとるのは大勢おる。ここにもや」
「そうだけど」
「どっちにしろ、あそこには関わったらあかんで」
「・・・・・・関わらないけどさあ」
彼は納得していなかった。
エヴィから街のあれこれを聞かされた二人はまた出かけた。抜け道を探す旅人は多いようで、それに関わる会話はよく聞こえた。今回は明るい区画から出ずに、漏れ聞こえる話に耳を澄ました。
噂話は山ほどあって、恐怖すべき話から儲け話まで、どれも彼の気を引いたが、真偽は全く判断できない。
シュケリーは「全部本当かもしれないし、違うかもしれない」と言った。
夜になり宿に戻った。ドテンは幸せそうに大口を開けて眠っている。
エヴィは顕微鏡で何かを覗き、文字がいっぱい書かれた紙をパラパラめくっていた。
「幼体の遺伝子はやはり同一や」
エヴィはたまに呟く。マウタリには意味の知れない言葉だ。
「子供の時は、全員が完全に同じ生き物、同じ血族ということや、でも脳になると人間の血筋を取り込んで変異、これをどう考えたらええのか・・・・・・」
「何を悩んでるの?」
シュケリーが帰るなり魔導書を持ち出し、エヴィを横目に見た。
「生まれた時から妊娠してるか、卵を抱えてる」
「変わってるのね」
「しかし卵細胞が・・・・・・夜か」
エヴィが黙り込む。そして顕微鏡を片付けた。
「親の性質が違うのに、産み落とす子は全員同じ、奇天烈な生き物やで。血筋を維持したまま、多様性を確保したいということかもなあ」
「それって強いの?」
マウタリが尋ねた。
「強くて弱い・・・・・・どっちとは言えん。生まれた時は兄弟でも、育つと他人という世知辛い生き物や」
「兄弟は兄弟だよ」
「兄弟ならみんな仲間や。でも、血族が違うなら、天敵以上に危険な相手に成り得る。生まれてすぐに養子に行ったとでも思ったらええ。協力も敵対もするはずや、しかしなあ・・・・・・」
「彼らは、上手くやってる」
「そう、あいつら仲がええ、本能を凌駕する思考があるのか、環境に合わせてるだけか・・・・・・」
「あの酒屋の人を見てたんだ。封鎖が長引けば酒が無くなるんだってね。でもさっきは知り合いと楽しそうに酒を飲んでた。兵士への当てつけなんだろうけど」
「うん?」
エヴィはマウタリがこれを言いだすのが奇妙に感じた。
「あれに関わる人は幸せそうだった。元々がどうだったのか知らないけど、上手くやってた」
「そもそも性格引き継いどるし、人間も演技はする。似た脳機能で区別は難しい」
エヴィは何かの本を荷物から出そうとした。
「・・・・・・僕もあれになっていれば、家族といられたのかな」
マウタリが細い声で言った。
「あれは人間やないで! 騙されたらあかん!」
エヴィがこれまでにない剣幕で怒鳴った。
「そう思わせるのも奴らの戦略や。あれはもどき、振る舞いが完全に同じでも、存在は同じにはならん。死ぬまで完全に人間として振る舞ったとしても」
「でも幸せそうだったんだ。あれの周りの人は全部」
「頭がやられたら人は死ぬ。そこにマウタリはおらん。シュケリーも。誰もおらんのや。村で中身を見たやろ?」
エヴィが鋭い口調で続けた。
「皮も骨もヒトやない。脳だけが人が人であると保証する臓器や。難しいかもしれんけど、人は絶対に脳がいる。体の中じゃなくても、どこかに脳が無いと存在しとらんのや」
マウタリはぼうっとして、広場に目をやった。
「今日は疲れたんだ。ここは人が多いから」
「疲れてるのね」
シュケリーがマウタリを後ろから抱きしめた。
「ひたすら気分が良くなる薬飲むか? 死にそうなっても楽しいで」
「ありがとう。でもいらない。もう寝るよ」
「寂しくないように、一緒に寝てあげるね」
シュケリーがマウタリの頭を撫でた。
「ありがとう」
窓の外はいっそう暗くなった。広場では夜を楽しむ人々が騒いでいた。
翌朝、マウタリが起きるとシュケリーの寝顔が目の前にあって、少しそれを見ていた。
エヴィが寝台にいない。どこかに行ってるらしい。ドテンはいびきをかいている。
窓から見える門はやはり封鎖されていた。