箱の中
幅十メートルほどのトンネルを行く。
入口の穴部分は暗かったが、中はほんのりと明るく、満遍なく照らされている。そう見えたが、進みながらよく見ると、一部はやや暗く、雨の前のようになっていた。
遠く、正面に大きな階段の始まりが見えている。真ん中は低い壁で区切られ、階段は動きません、と書かれた板が立てかけられている。
通路が途切れ、開けた空間に出た。空と見間違う高い天井。その半分ぐらいの高さまで、複雑に分流と合流を繰り返す滝のような、傾斜のきつい大階段が続く。
途中に多くある踊り場では、人や獣の彫刻が台座の上で簡単な動作を繰り返していた。戦士の彫刻は剣をゆっくり振り、オオカミは首をくねらせうなる動作をしている。
全ての踊り場の壁に動く絵があり、これも一定の動きを繰り返している。
空間を仕切る左右の断崖のごとき壁には、いくつかのトンネルと、つづら折りの坂道があり、馬車は左の斜路を上がり、右からは下ってくる。
マウタリは瞳孔を開き感嘆の声を漏らし、階段を駆け上がった。
すると、もわっとした何かが頭を右から左へ突き抜けた。濃い霧が頭にぶつかったようだ。
去った方向を見れば、薄く光る半透明の人型のもやが素早く飛んでいて、高い壁の穴に入って行った。
「何あれ!」
「幽霊とはちゃうな。人造精霊か、エーテル質の妖精、浮かれてるといたずらされるで」
エヴィに言われても、マウタリは笑顔で階段を上がった。どこを見ても珍しく、視線が定まらない。
最初の踊り場の絵には《流星/メテオ》と書かれたタイトルがあり、魔術師が魔法を発動し、飛来する石と、その石による爆発が広がる場面が繰り返されていた。
「壊れたといっても価値はありそうやね、この街。木製やし」
エヴィはしげしげと階段周りを見て、壁に触れていた。
一行が目移りしながら階段を上りきると、広場に出た。土があり、緑の木々が植わっている部屋だ。
真ん中には大きな噴水があり、周囲には服や消耗品を売る露店が出ている。噴水の水は床に張り巡らされた水路で、部屋の外へ流れている。
正面奥には先に進む大きな通路、その入り口になる門辺りに人だかりができている。
両側面の高さ百メートル以上の壁には、折りたためそうな構造の細い階段と、どこかへ通じる穴、部屋の窓、扉が無数にあった。
賑わいとは違った質の、強い声がかすかに耳に届いた。奥の人だかりの方からだ。
「なんか揉めとる、というか演説か」
小さな台の上に人が乗って、頭一つ分高くなっている。一人ではなく、十人以上が一定の距離を空けて並んで
「魔道局は腐敗している。黒波杖の専横を止めるのだ。若手に予算をよこせ!」
若い魔術師の言葉だ。何人か呼応して腕を突き上げている。それぞれが話者が様々な方向へ言葉を吐き出してている。
隣同士で罵り合っている話者もいた。
「あれは?」
マウタリが言った。
「ただの世間話や、暇なんよ。まあ、ここでゆっくりしていこ」
「宿は?」
「まずは情報や、ここは大きな街やから」
マウタリとシュケリーが大きな保護者を連れて露店を賑やかし、エヴィはお目当ての看板を探していた。
エヴィがマウタリの肩を叩いて「街に来たらまず酒場や、ほら」と言うなり駆け出した。
そして右の壁の階段を一階分上がり、扉を開けて入った。一行も続く。
こわもての中年男性がカウンターの奥にいて、その後ろには酒樽と酒瓶が並ぶ。男の腰のベルトには短杖が二本あった。
二階部分がある大きな酒場だ。さほど混んでいないが明るい喧騒で満ちていて、百人以上客がいる。若い女の給仕が机の間をすいすいと動く。
「おっちゃん! 酒」
エヴィがカウンター前の椅子に飛び乗り、マウタリ達も横に座った。戦棍は足元に置かれた。
店主はドテンに視線を送ってから、エヴィに戻した。
「飲むのかい?」
「もちろん! 飲まないとやってられへん。ええのどんどん出して」
エヴィがカウンターに銀貨を置いた。
店主がビールを樽から錫のジョッキに注いで出した。
エヴィが勢いよく飲み干し、酒の息を吐いた。
マウタリも口をつけた。森で嗅いだナラの匂いがして、口の中で泡が弾け、喉に突き刺さる感じがする。酸味があって、少しある苦みの中に甘さが包まれていた。
マウタリは何とも言えない表情で、ビールをちびちび飲んだ。シュケリーも同じようになっている。ドテンは水みたいに、ずっと飲んでいた。
「なんか面白い話ある?」
「無いことも無い」
「へえ! どんな」
「お嬢ちゃん、箱は初めてかい?」
「そや、もっと酒よこして」
「お、いいねえ」
男が世間話から始め、物価や産物の話を果実酒の滑らかな口ぶりで過ぎ、神殿産の苦いエールを口にする頃には、少々厳かで密やかに当局の話に至った。
「それじゃあ、北へは抜けられんの?」
「統治局の連中が大道路を通行止めしてんだ。御用商人に役人ぐらいしか通れねえ」
「それで揉めとるの?」
「ああ、不満のある連中が混ざってな。なんでも、人に化けた魔物が出たとか」
マウタリはエヴィを見たが、話しは全て彼女に任せた。
「どんな?」
「さあな、統治局が情報を出せねんだよ。いつもの事だ」
「慣れてるなあ」
「まあ騒ぐこたねえ、人に紛れる魔物はここじゃあたまにある。不死者、精霊、正体不明。ふんっ、魔法で頭がやられた人間の方が危険だぜ」
「不満は出んの?」
「旅人はともかく、街に住んでる人間なら半々だ。ここの酒はまだまだある」
「誰なら不満があるん?」
「酒屋のが騒いでるぜ。統制されて、北のムギが分配されねえせえだ。酒屋が騒げば、同じ通りのも騒ぐ」
エヴィはそれからも酒を飲みながら喋り続けた。そして席を立つ時が来ると、部屋の照明が明滅を始めた。
「看板替えの時間だぜ」
男が言った。マウタリが聞き返す。
「看板替え?」
「初めてなら広間で見てこいよ。終わったら 剣の魔術師像がある方の通路を探せ。それで教えた通路を行けばいい」
マウタリは意味が気になって足をとめた。
「早く出ないと挟まって潰れるぜ」
言葉に押され広場に戻ると、慌ただしく移動する人々が通路と広場を行き来して、しばらくすると途絶えた。広場の人々は壁を見ている。
ガチャ、ガチャンという音が広場中で響きだす。
階段が紙を折りたたむように圧縮され、壁と一体になった。通路の穴がシャッターで封鎖され壁になった。壁全体に縦横の青く輝く線が入り、四角で区切られ、碁盤のようだ。
突如、区画が激しく動き出した。一部はこちらに飛び出し、またはへこみ、縦横にスライドし、不規則に長距離から短距離をガチャガチャ動き続ける。
先ほどの酒場は、最も高い場所まで上がった後、大きく左へ流れると、少し下がり、右へいくらか戻り、一階まで下りると、一気に右のすみまで移動していた。
三分ほどで、区画の動きが止まる。
シャッターが空き、新たな通路が出現し、階段が展開される。音がやんだ。
看板替えの子供達が看板を床に置かれた素早く回収して、新しい看板を置いていく。
「すごい!」「面白いわ」
マウタリとシュケリーが変化に釘付けになり、人の移動が再開されるまで見ていた。エヴィはその間、周囲を窺っていた。
「目が回る」
ドテンが頭を左右に揺らした。
「・・・・・・遊びじゃなくて、何かの魔術的意味があってやっとるんやろうな」
エヴィが新しく出された通路前の看板を見ていく。
「これやな、蒸しミイラ通り」
通路を進み、中で階段を結構上がり、酒場の主人に紹介された商人向けの割と高い宿に着き、部屋を取った。四人部屋で、食事が付いてる。
干し肉がわずかに入ったカブを中心とした野菜のスープに、硬いパンだった。
食堂で食事を終え、部屋に入った。
部屋の窓からは、先の広場を見下ろせる。
夜の時間だ。箱の中の照明は暗めになっている。露店の種類が入れ替わり、食品を売る屋台が展開されていた。
先と比べると、浮かれ、羽目が外れた賑わいで、馬鹿笑いが聞こえる。
エヴィが分厚い双眼鏡を荷物から出して、それで広場を眺めた。
「やっぱりあれ? あれが何かやってるの?」
マウタリが横に並んで言った。
「全てが主体にして客体、つまり一体」
「どういう意味?」
「んん・・・・・・ここでは間柄を区別できない、集団に溶け込んで見分けがつかん、という意味かなあ」
エヴィが双眼鏡を細かく動かす。盛り上がりのある集団の中央を見ている。何を言っているかは聞こえないが、激しい勢いで意気投合している。
「あれが酒屋のデステルか」
「僕にも見せて」
エヴィから双眼鏡を受け取って覗くと、集団に重なって様々な極彩色が表示され、目まぐるしく変化している。
「何これ!」
「それは動きの視覚化、集団で違和感のある動きをすれば目立つけど、大体同じパターンや。奇妙な動きをしてる奴を探してる」
「よくわからない」
「集団にスリや間諜が混じっとると、少ない動きで周囲を見るからわかる」
エヴィが双眼鏡のボタンを押すと、普通の視界になった。
「中心の赤の丸い帽子に、髪が黄と黒に分かれた長髪の男や」
「その人、感染してると思うわ」
シュケリーが窓を覗いて言った。
「そうやな・・・・・・中におるのがギリギリ見えるような見えんような。ちょっと遠い。酒飲んでたら感染しにくいはずやけど」
エヴィが眼鏡をかけ目をしかめている。
「え! そうなの?」
「酒は毒やからな、感染させるまえに体の中で病気を倒す・・・・・・あの程度の酒精じゃ足りんのかな、十分やと思ったけど」
「じゃあ、酔っぱらっていればいいんだ」
「飲みたいなら、今のうちいっとけばええ」
「そうじゃないけど」
マウタリの頭に悲惨な酔っぱらいの姿が浮かんだ。
「都市なら感染させるのは難しくない」
エヴィが低い声で呟いた。
「そうなの?」
「すれ違いざまに、眼のとかの粘膜に接触すればええ。逃げてしまえば追えないし、誰かわからん。いちいち治療しようとも思わん。薬は高い。頭痛があるから、知り合いに僧侶でもおれば別やけど」
「来たら、《顔火/フェイスファイア》の魔法がある。顔から火が出る」
シュケリーが魔術書を開いて挿絵を示した。
「それ、勝手に練習したらあかんで、顔が燃える」
「戦闘用なの?」
マウタリが言うと、エヴィが彼を見た。
「嫌らしい男が迫ってきた時に使うんや」
「面白そうなのに」
シュケリーが退屈そうに言った。
「変化術、力術なら物体を浮かせる訓練が定番、同じ場所に留め続けるんや。浮かせ方で変化と力術に分かれる。実践は防御術からが無難やけど、壁と薬があるから、まあ攻撃系を覚えるべきやな」
「シュケリー、あの集団にはどれぐらいいるの?」
マウタリが広場を見ながら言った。
「多分二人。この距離だと誰かはっきりしないけど、少ないから見てると何となくわかるの」
「街全体の気配は?」
「多くない。チュサル村より格段に少ない」
「それは興味深い。増えやすいかと思っとったけど」
エヴィが言った。
「人は多いのにね」
「疑われてるから、大人しくしてるのか、元々の行動傾向か・・・・・・。奴らにとって、感染行動は危険がある」
「顔から触手出す人いない」
ドテンが言った。
「そんなことせんでも、口づけするだけで感染や。さっきの話も触手を出す必要はないやろ、眼を強くなめればええやから」
「十分目立つと思うけど」
村なら異常が発生しても何かわからない。ちょっとした争いを大きな問題にもできない。自分なら誰かと触れた程度なら大騒ぎにしない。
しかし知らない他人にされたら、誰かに必ず言うし、村と誰かの問題になるだろう。
知らない人同士なら大問題だ。
「娼館行ったら簡単、そこ経由で広がるはずや」
「・・・・・・そうなんだ」
マウタリは適当に相槌を打った。
「無暗には広げてないってことやな。慎重派で仲間は厳選してるか、臆病なだけか」
「魔術師が見張ってるから難しいんだよ」
「目立つといっても普通の犯罪者の挙動と大して変わらん。捨て身なら造作も無いで、あの人混みで顔から触手だして、捨て身で接触しまくったら一気に広がる」
「でも、そうはしなかった」
「ああ」
「なら、どうやってばれたんだろう?」
「それは明日調べよう。何にせよ、街を通り抜けできん」
「私はゆっくりでもいいよ」
シュケリーは街を見たいのだ。マウタリも一緒にそうしたい。
「まず街を見よう。街の人達は気にしてないみたいだし、混乱してない」
「魔法的な現象に慣れとる。とにかく、封鎖が終わるかどうかわからんのを何とかせんとな」
エヴィが言った。
「馬車でなければ、横道から抜けられるっておじさんが言ってたじゃないか、そっちを行けばいいよ」
「酒場の人も知らん複雑な道やと言ってたやろ。ウチらには道がわからん」
「探検だね!」
喜び勇むマウタリを、エヴィは半笑いで見た。
「道教えてあげるって奴にほいほい付いていったらあかんで。後ろからブスッてなる」
その日は宿の窓から広場を観察するだけで、後は眠った。




