中継
「みんなのエヴィ、状況は?」
ルキウスが軽く笑って言った。
彼は生命の木の三十五階にいた。精密機械の階層だ。
対空迎撃レーザーシステム、小屋みたいな総合加工機などがある。
下階は工業用機械、分類は大雑把だ。
発電機、何かのイベントで使った工場のラインとか、兵器の制御盤とか単独では意味を成さない物があり、アルトゥーロがよく出入りする。中身を外の工場の移しているため、空き空間が目立つようになった。
上階には、設置型の大型魔道具などが保存されている。
今いる部屋は医療・研究用の機械の部屋。
室内は持ち運びできない大型研究機器が並んでいる。アトラスでは機械・生物系の生産に使う機具だった。
ルキウスの前には、縦横四メートルの高精度生体シミュレーター。大小のモニターが十五個あり、大量の配線、管が、床へ天井へはっている。
彼は視線を落とし、小モニターに表示されるログを見ていた。そのすぐ上には大モニターがあり、ワイヤーフレームで脳憑依虫が表示され、赤や青の色点がポツポツとあった。
立体映像も出せるが、空間を消費して邪魔なので出してない。
隣の総合量子顕微鏡システムには、紙みたいにスライスされた脳憑依虫が一匹分設置され、どの面でも観察できる。
さらに隣の生体スキャナーの筒型培養器には保存液が満たされ、脳憑依虫が丸ごと保存されている。
他にも様々な光度計や増幅器が接続されている。
元々詰めて押し込められていた機器の配置換えと配線に苦労したが、科学系の総合実験環境を作り出した。
シミュレーションの結果を元に、実体標本を精密スキャンして、必要なら自動追試、データベースの更新を繰り返し、仮想計算の精度を上げつつ、脳憑依虫の性質を探っている。
プログラム調整はルキウスの仕事だった。他にできるのはアルトゥーロしかいないし、彼は工業系だ。エヴィエーネはできるに数えていない。
緑野茂は心理科学の学士、一応社会的には、心理系のデータエンジニアといえなくもない。しかし、通常は人がAIに命令して調整させたのを確認する。ここに汎用補助AIは無い。直接機器を操作するのは面倒でならない。
さらに情報量が多すぎ、どう切り取るべきなのか。生化学系の情報採掘者が欲しいが、帝国でも望めない。
彼は四苦八苦で基本設定をして、生体機能に大きな変異が出たケースを洗い出している。
ただし、赤子が泣いたらミルクをやらねばならない。それ以前にミルクを絞る必要がある。
そんなルキウスの苦境など無視して、エヴィエーネが上機嫌で応答した。
「状況は最高、順調の極み。逆立ちして、尻に乗っけた鍋で万能薬が錬成できそうや」
「彼らは血筋の力を制御できているのか?」
「血に振り回されとる印象は無い、むしろ引き出す手段を考えるべきやろ」
先天的な力は暴走しがちだ。さらにあの二人は同族から十分な教育を受けておらず、経験も不足。
しかし秩序系の力なら、ルキウス自身のように暴走しないか。
「若いんやから、もっといける。ほい」
高めのぶれた爆発音が聞こえた。
「なんだ? 戦闘か?」
「ちょっとあれに包囲されとるだけで問題ないで。蹴散らして村から出るか、全部仕留める。最上級ナノマシンだって使ってるんやから、稼ぎ所や、スーパーボーナスタイム最高。できるだけあの子らに回さんと」
「本当に大丈夫だろうな?」
「でかいのが張り切っとるし、与えた物をちゃんと使えば、普通の村人なんてあの二人だけで余裕や。薬で強化すれば一万はやれる。で、そっちでなんか進展ありました?」
「奴らの培養液を製造していた錬金術師は始末した。元より量産できる代物ではなかった。そこはお前の読み通りだ。街にある材料の在庫も潰した。しかし既に各コミュニティーへの侵入手段として使われているだろう」
「なーるほど」
爆発音が連続している。
「肝心の蟲の駆除薬だが、着想は?」
「難しいなあ、人に似すぎとる。誘導体を模索する気にもならん。一時的な予防薬が限度かな」
「予防は現実的ではない。無いよりはいいがな。魔法的性質を阻害することは?」
「感染以降は人体と同一の性質、やっぱり人に効くのは効く」
「無意味だな。健常者も殺してしまう」
「目玉がニョロニョロしとる時に効く薬なら簡単やけど、そん時はぶった切った方が早い。いっそ国中に失明薬でも噴霧して、行動力を奪って、一人一人検査するとか?」
「それだけの生産能力は無い。やはり短期では難しいか?」
最終兵器として、伝染性の呪詛や、細菌兵器なども頭にあるが、制御不能になると蟲以上に取り返しがつかないので使えない。
「生憎さんで。今も戦い慣れんはずの村人が殺到して来とるけど、これは脳内物質で普通にやれる。そもそも、人間的な振る舞い、正常な振る舞いてなんやろな。一応、あの熱心な状態の奴も捕まえて、状態が遷移するまえに中身を確認しといて欲しいけど」
「わかった。誰か送る」
「じゃあ、フィールドワークに戻るんでー」
「真面目にやってくれよ」
「ほいほい」
(愉快な調査続行のために見つからない振りをしている可能性も……流石に疑いすぎか)
エヴィエーネは〔知恵女神/メーティス〕の職業がある。薬物合成の成功率を上げ、神話級道具の製造を可能にするために五十レベルだけ取得したものだ。
ルキウスには彼女がその知恵で未熟な勇者を導いているように思える。
薬物から離せば意外とまとも。知らない一面である。
エヴィエーネとカサンドラは神格者。ルキウスより階位が低いが、同じ神である。二人が独立独歩で彼に寄ってこないのは、そこに原因があるかもしれない。
(いや、あいつは悪属性だ。楽しみを追うのに夢中だから真面目にやってるだけかも、注意しておいたほうがいいな。勇者を解剖されては困る――まあ、体が真っ二つになっても修復できるぐらいの腕はあるか)
サポート達の態度は変わらない。しかし見方が変えれば、解釈の仕方はいくらでもあった。
(面倒くせえ、面倒くせえな。書置き残して旅に出たい、探さないでください、探したら死にます、探した奴がって)
ルキウスという人は、このような微妙な緊張が持続すると、全てをぶち壊したくなって仕方がない。
葬式では爆竹をばら撒いたし、できれば棺を爆破したかった。ドミノ並べは並べ終わったところで地震が来るのが最高だと思っているし、子供の時には満員のエレベーターで、ハエの餌用のプロピオン酸液と、花の香りであるかぐわしいインドール爆弾を使い、地獄を生み出した。
職場で見渡す限りの社員が真面目に仕事をしている一瞬を目撃すると、モデルガンを乱射してみたくなる。
黙り込んだ彼が眺めていたモニターのログが止まった。
「次のグループはフェニル基。この辺は……こんなもん、普通に死ぬとわかるが……手順を抜くわけにはいかん。投与方法は限定されるにしても、組み合わせ方は無限だ! 無限より多い気がする。分量調節を荒くするか? いやいや! アミノ酸だって蓄積すれば有害だし、純物質だけでもさっさと終わらせないと。ああ、脳の変化の影響が体側に出る場合もあるな。それだと生け捕りにするべきだが……体残ってたな。内臓だけ取るか。ううん、分泌物に出る可能性も、汗やら排泄物やら集めたくないから最後にしよう。ああ、忙しい、忙しい」
「忙しい? 幼児を頭に乗せてか」
横からサンティーの声が飛んできた。彼女はバッテリー充電係だった。
そしてルキウスの頭にはビラルウだ。小さな手で彼の頭をがっちり押さえ、足は首に巻きついている。
服はサンティーの――正確にはサンティーのものではないが――服を着ている。派手な赤のゴスロリドレス。サイズは幼児でも自動調整され、完全に子供服だ。
彼女は服を着ると、鏡の前で何度も回転して、スカートをはためかせていた。
見た目的に二歳未満だが、女の子らしくヒラヒラした物が好きなのだろう。
「放っとくと武器庫に侵入して銃を持ちだすんだこの子は、ここに置いておくと一番機嫌がいい」
「ルッキー」
無邪気な赤子が、彼の顔へ手を伸ばした。
「どうした? こっちは大変なんだよ。俺はがんばってるのに誰も褒めてくれないんだ」
「アウ」
ビラルウの伸ばした手が、パンッと彼の顔をひっぱたいた。
「ガッ、痛い」
ルキウスは顔を下向きにして、遠ざけた。
「ルッキーかる」
「ルッキーは獲物じゃない」
ルキウスはビラルウの柔らかな髪を撫でた。
「ルッキーかるころす」
「将来が心配だよ」
サンティーに殴られたせいで顔面がもろくなっているのかもしれない、と彼は思った。
しかしダメージに対して痛すぎる。知覚障害を起こしている可能性もある。
「じゃあ、降ろせば?」
「将来なにかの拍子にお兄ちゃんが殺しに来るかもしれないから、この子はなんとしても懐柔しなければならない」
「マーウ!」
ビラルウが両手の親指をルキウスの目に突っ込んだ。
「ギャー!」
ルキウスはビラルウの両手をつかんで離した。
「すごい痛い!」
「意味、わかってるんじゃないか?」
「レベルが高いからな。知能が高いのだろうし、筋力もある。他の赤ちゃんのオムツ変えてたし。でもまあ、子供なんて美味いもの食わせとけばどうとでも――」
長い耳に喰いつかれた。
「ギャーー!」
歯は全部そろっていないが、十二分に痛い。耳を溶岩に浸したみたいだ。
与えたリンゴを丸かじりしていたから、元々かなりの筋力がある。
ルキウスがとっさに顔を振るも、口だけでぶら下がっている。次に髪をつかまえ登ろうとしている。
「タドバン! タドバン!」
ルキウスは初めて本気で相棒を呼んだ。光とともタドバンが現れた。ビラルウが光に興味を示した隙に、口に指を突っ込んでなんとか引きはがした。
「なんだ? 珍しい」
赤いトラが凛々しい顔で、髭をピンと張って広げた。
「重大な任務をやろう。この子と遊んでいるんだ」
ルキウスがビラルウをドッキングするようにタドバンの背中に設置した。彼女の興味は毛並みに移ったらしく、毛の奥に指を入れて混ぜている。
「重大か?」
タドバンが背中の幼児を見つめた。
「絶対にこっちに来させてはならない。壁役だぞ! しっかり頼む!」
「任せるがいい」
タドバンがビラルウを乗せて、ゆったり歩き、部屋のすみの大きなロッカーの上に上がった。ビラルウは背中に抱き着いてこちらを見下ろしている。
トラが二匹いるような気がする。
「オーバーじゃないか?」
サンティーがあきれた。
「そんなわけがあるか! 腕が千切れるのの五倍は痛い。まだ目が燃えてる、熱い! 耳は焼け落ちた!」
「どうにもなってないって」