橋の巨人
マウタリの前のめりな態勢に反応して、ゆっくり城が動く。
戦棍も塔盾も棘付き。自然体で持たれた戦棍は無造作に下がり、橋からはみ出している。
マウタリより大きな盾をゆっくり突き出されただけで、壁が迫ってくるようだ。しかも足場は狭い。
頑丈な兜の奥には、静かな目の輝きがある。
(さっき明らかに見えていなかった。視界は狭い)
マウタリが狙うのは、盾が無い側の足首。金属の隙間が見える。
全身を軽く後ろに引き、大きな踏み込みで、剣を前へ送り出す。網に掛かった獲物の心臓を一撃で仕留め得る突きだ。
低く、より低く、四足獣の足を狙うよりは易い。
ドテンに動きなし。当たる。
硬い感触、腕に大きな衝撃、剣が止まった。音はしない。腕はまだ伸びきっていない。
(触れてないのに!?)
空中で不可視の何かにぶつかっている。足まで二十センチ以上。
驚愕で止まったマウタリの顔に影が差した。太陽を遮るのは、高く上がった戦棍。
「うわ!」
彼は横に跳びながら身をひねり、橋を転がってかわす。振り下ろされた戦棍が彼の体を擦り、石橋を打ち据えた。石の破片が飛ぶ。
マウタリは橋の側面をつかんで止まった。
「やっぱり速度はいるやろう」
エヴィがふたを取った試験管を機敏に振り、中身をマウタリに飛ばした。
力が湧き上がるのを感じる。全身が中で波打ち、鼓動が速まる。
「止まるな! 全力で押せ。盾の周囲にも見えない防御範囲があるで」
盾の打撃を避け後ろに跳ぶ。大きく振るわれた戦棍避けさらに後ろへ。そこから一気に前に出る。
盾の打撃をやり過ごしつつ、何度も盾を斬りつけた。横から回り込もうと左右に動くが、下手に突っ込むと盾で打ち倒されそうで躊躇する。
(この盾、棘の先も絶対に斬れない。全力でも無理だ)
地を這う動きから、一気に上がる。盾の棘を足場にして、跳び上がった。
待っていたと横薙ぎに来る戦棍、それを剣で斬りつけ、反動でさらに上がり、下を通り過ぎる戦棍に沿って全身を回転させる。
その力で戦棍を持つ肘を斬りつけた。鎧には達している。
マウタリは落下しながら、斬った箇所を見た。かすかに傷があるだけだ。
(この鎧、隙間は無いのか?)
「効かねえ」
ドテンがゆっくり言った。マウタリが再度距離を取る。
「効けよ、関節部やぞ」
エヴィが叫んだ。ドテンの防御が一瞬揺らいだ。
「運よく、効かなかった」
「もう全力で行きます」
マウタリの剣と全身がうっすら輝く。一直線、盾目掛けて突っ込む。
ドテンの直前で輝きは強烈になった。
「まぶしい」
ドテンの顔が盾の陰に隠れた。
中央に寄った盾の側面を抜け、無防備な巨体を見つける。極限まで輝く剣が肩部分を斬りつけた。
(入った!)
削った感覚はあった。次の瞬間には、横っ腹に強烈な衝撃、鈍い音が瞬時に連続した。
「があ!」
口から吐き出されるものに血が混じった。
マウタリは戦棍の棒部分に薙ぎ払われたのだ。橋から完全に飛び出し、浮遊感が襲う。星の手招きを直接体感できる時間だ。
「あ」
ドテンが呟いた。
「マウタリ」
シュケリーが橋から跳んだ。マウタリを追って落ちていく。
「もう! なんでやねん!」
エヴィは爆薬を投げて、爆風で橋まで戻そうとしていたが、それをやめ、生命力回復薬をマウタリにぶつけた。彼はそのまま落ちて、流れに消えた。
「飛行」
シュケリーの落下が緩やかになった。しかし、空中でふらついてボチャンと流れに呑まれた。
「失敗や・・・・・・」
「落ちただ」
ドテンが橋の下を眺めて呟いた。
「何をゆっくり見とる! さっさと飛び込め!」
「おらは泳げない」
「水中で乗騎を呼べ! ボケが!」
エヴィがドテンを後ろから押したが、踏ん張られて全く進まない。
「なんで抵抗するんや!」
「やっぱり怖い」
エヴィが顔を引きつらせ、摩擦除去薬をドテンの足元にぶちまけた。
「さっさと行け!」
エヴィに後ろから蹴られたドテンが落ちていく。
「あーーー」
「相討ちになったドテンが落ちるでええ!」
エヴィが大きな声で叫んだが、荒れる水流にまかれたマウタリの姿は見えない。シュケリーの姿もやがて見えなくなった。
ドテンが落ちて大きなしぶきが上がった。
「・・・・・・うちも行くか、とんだ肉体労働や」
エヴィは水上歩行薬を飲んで飛び降りた。
マウタリはどうにか泳ごうと試みたが、荒れ狂う水流の中、水面に顔を出すことすらできず、前後不覚の事態に陥っていた。
少しばかり姿勢を安定させ、上流の方を見れば、水底の暗闇から白い点が近づいてくる。
カメだ。カメの頭。足が平べったい変なカメが遠くから向かってくる。見たこともないほど大きい。
それが彼がまともに考えられた最後で、あとは水の冷たさだけを感じた。
次に彼が目を開けた時、狭い空があった。その空を塞いだのはエヴィの顔だった。
「ようし、起きたな」
エヴィはびしょ濡れだ。自分は硬い物の上で仰向けになっている。
「いやあすごいなあ。ドテンと相討ちになって二人とも川に落ちたというのに、水中でドテンまで救助して、岩の上まで泳ぎ着くなんて。まさに英雄の所業や」
「ええ・・・・・・そんな」
全く記憶にない。
近くではエヴィの燃焼薬が燃えていて、暖かった。
「これ、お薬や」
エヴィがマウタリに口に試験管を突っ込んだ。それから、彼女が何度もいかにドテンを倒した上に、激流の中で必死で泳いだかを説明すると、なんとなくそうだったような気がしてきた。
マウタリは後ろを見てビクッとした。ドテンの巨体が横たわっていたからだ。
「おらは泳げない。ありがとうおらの負けだ」
エヴィが金属棒でドテンの兜がガンと叩いた。
「おお、奇遇にもちょうど目を覚ましたで。あと少し黙っとってもよかったのになあ」
「お腹空いた」
ドテンが体を起こし、お腹を鳴らした。
「そんな場合か!」
「どんな場合でも空いた」
「ここは谷底? シュケリー!」
マウタリが見た先ではシュケリーが眠っている。
「シュケリーも問題無い、すぐに起きる。剣も回収したから」
四人はレイシェ峡の大きな岩の上にいた。周囲は断崖だ。
「負けたから、食べ物くれるなら付いていくだ」
「話が変わっとるやろうが!」
シュケリーも目覚め、ドテンが仲間に加わった。
凄まじい圧力を放つ巨体と鎧とは裏腹に、本人は非常に温厚な性格だった。
今は急流の中に魚がいないかと、顔を突っ込んで探している。
「シュケリー、魔法が使えるんか?」
エヴィが言った。シュケリーは火に張り付ている。
「昨日覚えた」
「昨日!? 昨日だけで?」
「そうよ」
「変に魔法を発動させると、」
「さっきは触媒を用意するのを忘れてた」
「触媒が無かったら普通は発動もできんはずやけど、詠唱も無かったな」
「頭の中に魔法円を描けば問題無いって、本に書いてあった」
「それができんから、事前の準備、詠唱、身振り手振りで、発動手順を頭の中で流すはずやけどなあ」
「杖もあるよ」
シュケリーが短杖を出した。
「それは魔法制御用じゃないから、あとでちゃんとしたのを見繕ったる。魔法の誤作動は危険や」
「魚採れた、みんな食べる」
ドテンが戦棍の棘に、多くの魚を串刺しにして、水の中から引き上げた、バシャバシャ水面をかき混ぜてるだけに見えたが、採れていた。
燃焼薬が燃えている間にそれを焼いて食べた。
四人は苦労して崖をよじ登った。壁にへばりつける道具があったので、それを使った。
シュケリーが飛びたがったが、エヴィがそれで月には行けない、と言うと諦めた。
橋を越えて、北東に歩けば少し黒い乾燥した大地が続く。この辺りは少し高く、川が流れていない。背の低い草がちらほらと生えていて、大きな木は存在しない。
北にはぎりぎり山脈が見えるはずだが、黒い土が舞って視界が悪く、地平線は雲ってぼんやりしている。
人が住むには向いていない。森の方がいい。
それでも飛び飛びに農地があって、人口五十に満たない小さな集落が散在している。
くたびれた泥の家は、ひどくみすぼらしいものに見えた。
もれなく農地にするほどに農地は希少なのだろう、とエヴィが言った。
農地には奴らがいた。エヴィが全部殺すように勧めたが、マウタリには触手が出ていない顔は、敵と確信することは難しかった。
一行は村を遠目にして進んだ。
「別に人でも全員殺したら誰も知らない事になるんやから、大丈夫大丈夫。やれる時にやらないもんは、外では生きていけないで」
「向こうから襲ってこないなら、放っておいてもいいじゃないか」
彼には農作業をしている農民にしか見えない。シュケリーは近づけばよくわかると言ったが、近づきたくない。もし、何かの拍子に農民が一斉に襲い掛かってきたら、村を思い出す。
「甘ちゃんやな、シュケリーがその蟲やと言うとるのに」
「十人の内、一人は違うかもしれないだろう?」
「だから気にしたら負けやて、誤差やそんなもん」
「ドテンはどう思う?」
マウタリは巨体を見上げた。
「襲ってくるの倒す」
「ほら、まだ襲ってきてないよ。とにかく今日は疲れてるから」
今日は少し暗くなってからも歩いた。村の方角に沈む太陽は、黒いもやの中をぼんやりと広がって、気味が悪い。集落から離れた場所にあの家を出した。
食事の時間になると、エヴィは食料の管理をしっかりするように言った。
食べ過ぎだそうだ。袋の中身は魔法の果物で、少しで空腹が満たされ、長く腐らない。だからポンポン食べる必要はないらしい。
エヴィは幼いのに何でも知っている。
「まあ、街に行けばある程度補充はできる、お金はあるし、でもまずいからなあ。まあ、それも勉強かな」
マウタリとシュケリーは街というものを想像しながら、眠りに就いた。




