アルケミスト
「いやあ、助かったでええ、命の恩人や。あと三十秒遅かったら、しおしおになって、風に吹かれて海まで飛んでいってた。うちはエヴィ、《錬金術師/アルケミスト》や」
死にかけていたのが嘘のようだ。目で追えない速度で口が動く。
「親父と南の方からセテパト丘陵を越えて来たんやけど、亜人やら盗賊やらに襲われて、逃げとる間に親父やら他の商人やらが殺されてしまってなあ、そりゃあもうドカンと派手に死んだもんやで。
どうにかうちは森へ逃げたのはよかったけど、森に入ってから水だけは無くてなあ。いやー、ほんまに食料だけはいっぱいあるんやけどなあ、水だけには恵まれんで困ったで。北に行けば、どっかで川に当たるはずやと思ったのになあ。何日かわからんほど歩いとる間に意識が遠くなってきて、道らしい物が見えたと思ったら、倒れとったんや」
彼女はさらに、いかに逃げるのに苦労したかとか、亜人の人相や汚さ、森をさまよう孤独、喉の渇きからめまいの辛さを、細かく陽気に語った。
マウタリはどうにか音を追いかけ、遅れ遅れで意味をどうにか理解した。つまり彼女は想像できないほど遠方の人で、一人になって困っている。多くの知らない単語は流れ去った。
「とにかく助かったで。それで、二人はどこへ?」
エヴィはようやく相手に喋らせる気になったらしい。
「僕は悪い奴を退治にいくんだ」
「私は月に行くの」
「月?」
エヴィの疑問に、マウタリが割り込む。
「それもまず王都に行くんだ、二人とも王都だよ」
「それは奇遇やな! うちも王都に行く予定でな。南から持ってきたもんで商いしようと思ってたんや」
「王都は危険だよ、とにかく危険なんだ」
「でも二人は行くんやろ?」
「それはそうなんだけど」
「それはぜーひともご一緒に行こうやないか!」
「でも・・・・・・」
「行き先は一緒や。命の恩人には恩を返さなあかん。こう見えても役に立つ薬や魔道具がわんさかあるから戦える」
「人数は多い方がいいわ」
シュケリーが言った。
「そうやろう! さ、さ、行こう行こう」
エヴィが服の埃を払い、さっさと道を歩き出した。引っぱられるように二人も進む。
大陸の南方からやって来たエヴィは十歳だというが、小柄な血筋なので一族の中では大柄な方だという。十歳でも一人前の錬金術師だそうだ。
マウタリが村での事から、王都で待ち受けるであろう事まで説明すると「それは面白うそう」と、ぐっと眼に力を入れ輝かせた。
それを「楽しい話じゃない」とたしなめても「大丈夫大丈夫なんとかなる」と明るく返す。それを聞くマウタリも、なんとかなりそうな気がしてきた。
「それ、重くない?」
頑丈そうな背嚢はマウタリと同じく中に空間が広がっている。これは高級な品らしい。
彼女のはパンパンで、さらに外に重そうな物が鈴なり、マウタリの背にある物が空っぽにすら見えるのとは対照的だ。
「旅で鍛えとるからなあ」
エヴィがニコニコとして答えた。そして「忘れとった」と言い、青い石の付いた首飾りを荷物から出した。
「これは使ってないやつでな、余っとるからあげるわ。魔法の品でな、身を守ってくれる」
エヴィがシュケリーに首飾りを渡した。
「いいの?」
「なんならこの旅の間だけでも使ってくれればええで、うちには合わない物や」
首飾りを見るシュケリーの瞳はより大きく瞳孔が開かれている。これは気にいっている時の動作だ。彼女は素直にそれを首に着けた。
「他にも色々あるから、必要な時にはどんどん使うんや」
エヴィは色々な品を軽く見せると、自分の持ち物の話を始めた。それが終わると、彼女自身の話をする。
「薬を一瞬で毒薬にできる、その逆もな。それが錬金術師というもんや。自分の魔力を薬に入れて強化したり変質させたりとなあ」
「魔法使いなの?」
シュケリーが聞いた。
「道具を通じて、魔法的現象を起こす。細かい定義は知らん。体力回復薬や速歩薬もあるから、必要になったら言うんやで」
「それって高いんじゃないの?」
マウタリが言った。
「いくらでも作るから気にすんな、材料はあるから」
「そうなんだ」
「金には困っとらんからな。バーッと活力が湧き出る薬もあるで。効果が切れたら疲れるけど、飲み続ければずっと元気や。完璧やろ」
「いつか無くなるじゃない」
シュケリーが言った。
「無くなった時のことなんて考えずに、まず一口飲むのがお勧めやで」
「今は元気だから遠慮しとくよ」
「そりゃあ、残念やなあ」
加わったエヴィに薬を進められながら二人は歩いた。
シュケリーが月への行き方を尋ねたが「薬品の分野じゃないなあ」と言われた。空を飛べても行けないそうだ。
昼過ぎにはレイシェ峡にかかる橋に着いた。ここが第一の目標だった。外の世界への出口だ。
レイシェ峡は三十メートル以上を鋭利に切れ落ちた谷で、幅は二百メートル以上ある。
そこには大魔術師が造ったといわれる魔術師の石橋がある。
幅は三メートルぐらいで、のっぺりとして舌を引き伸ばしたような形状をしている。
大岩を細長く変形させ、両岸から伸ばして中央でくっつけたものだ。
対岸の方が高いので、傾斜から空へ向かっているように見えた。
魔術師が適当な仕事をしたのか、接合部でちょっと歪んでいる。
そこには無かったはずの物があった。
非常に大きな金属らしい物で、日光でキラキラ輝いている。
それは、全身鎧を着て、塔盾を体の前に置き、その後ろで三メートルある棘付き戦棍を真っすぐに立てていた。
武装に馴染みの無いマウタリには、よくわからない物体だ。
「棒の刺さった置物?」
「あれはドテン! 橋の騎士ドテン!」
エヴィが驚きの声を上げた。
「人なの? すごく大きいような」
装備を含めて、見上げる形になっているせいか、マウタリの二倍ぐらいに感じる。それに全く動かない。
「知らんのか! 南部では有名な男や」
「なんで?」
「橋に現れて通行を妨害するんや。一度陣取ったら一か月は動かへん」
「食べ物どうしてるのかな」
「魚でも釣るんじゃないの、橋だし」
「しかも周囲の橋は事前に壊しておくという用意周到さも持ち合わせとるんや!」
「すごく迷惑な人だね」
外には妙な人がいるものだ。
「これはあれを倒さん限り進めんなあ。ちなみに一対一で倒した者に従うという噂や」
「どうしよう?」
「そりゃあ、マウタリが倒すしかないなあ」
エヴィがニヤニヤと笑う。
「ええ!」
「他に誰がやるんや? シュケリーに戦わせるんか?」
「無理だから」
シュケリーが平坦な声で言った。
「話したらわかってもらえるかもしれい。今は大変な時だし」
「希望的観測やな、まあ試してみたら?」
三人は橋を進み、橋の騎士まで十メートルぐらいまで近づいた。途中で見た、橋の下の激流は、彼らを橋の中央に集めた。
「動かないのね」
シュケリーが不思議そうに眺めた。
「すみませーん! ここを通りたいのですが!」
マウタリが元気よく言った。橋の騎士は無言で微動だにしない。
「聞こえてますか!」
再度呼び掛けても反応は無い。
「・・・・・・ほら無理やで。話す価値も無いと思うとる。とりあえず痛みを感じなくなるお薬、いっとこか。ちょっと発狂しやすくなるけど」
「発狂したら駄目でしょ! そんなの使えないよ」
「その手の魔法を受けなければええんや。それに発狂を治す薬もある、こっちは飲み過ぎたら死にたくなるけど」
「問題を起こさない薬は?」
「本質的には毒は薬であり、薬は毒や。陰陽一体ってな。うちの薬がそれがちょっとパリッと出やすいだけで、場面に応じて使えば問題無いて」
「普通のは無いの?」
「普通の薬は効果が弱いし、持続時間も短いんや。こう、ドカンとこんやつなんて薬やないで」
「普通のにして」
「じゃあ、感覚加速薬ぐらいにしとく? 素早く反応できるようになる」
「あるなら最初から・・・・・・でもそれは、向こうは重装備だし、速度はいらないんじゃ?」
「馬鹿ゆうたらあかん。お前の十倍は速いで」
打って変わったエヴィの鋭い眼光に、彼は気圧された。
「頭が潰れてからでは後悔もできんで」
マウタリは無言で橋の騎士を見つめた。金属を着込んでいるならどう考えたって遅い。速さならきっと勝てる。それより鎧を叩き潰す力が必要ではないだろうか?
「信用できんなら試してみるか? ちょっと下がって」
エヴィが青い液の入った試験管をベルトから取り出した。その青い液が赤く変わり始める。
「ほい!」
試験管が軽い動きで騎士へと投げられた。矢のように飛んでいく。それが騎士へ届くと思った瞬間、武器と盾が同時に動く。目で追える速度ではない。動きがぶれて、騎士の巨体が横に膨らんだように見えた。
そして試験管が爆発した。マウタリが身をすくめ、シュケリーがそっと彼の後ろ回り、熱が彼の顔を焦がすほどの爆発だ。
しかし火炎は騎士にまで達していない。爆風は長い武器により大きく左に払い飛ばされ、たなびく雲のように見えた。それも一瞬の事で、目に明滅を残し爆発は爆炎は消えた。
「なんだあ? うるさいぞ」
橋の騎士の太い声、そして、わずかに兜を動かし周囲を見た。前を見ても何も見えなかったのか、しばらくして視線を落として固定した。
「・・・・・・寝とったんやな。それでも誰も通さないという意志を感じるやろ? なっ、なっ?」
エヴィがマウタリの服を引っ張って同意を求めたが、彼は金属の塊を凝視した。
盾で隠れていた体が見え、マウタリはここで初めて、金属鎧を着た人間が巨大な棒と盾を持っているとはっきり認識した。彼が知らない装備ばかりで、どういう構造なのかわからない。重々しい見た目で、歩くのも困難そうに見える。
(あの金属の塊を振り抜いた? 一瞬で? でも火はどうやって防いだの? 風に流されたように火が曲がっていたような)
「ん、んあ? おらはテスドテガッチ。この橋は誰も通さん。通りたいならおらを倒していけい!」
騎士がガチャガチャと騒々しい音を立て、盾を前に出した構えをとった。
「なんて事や! 錯乱して自分の名前もわからなくなってしまってるで! お前の名前はドテンや!」
「おらは・・・・・・ドテンだった。そうだっただ」
ドテンが弱々しい声で言った。剛勇の戦士に見える体から不釣り合いで、マウタリは奇妙に感じた。
「錯乱って?」
「ええと、ドテンはさる国の下級貴族の生まれで、その体格から将来を嘱望される騎士やった。しかし要領が悪い性格で、主君に疎まれ、その時にはもう価値が無かった僻地の橋を防衛するように命令され、長く僻地の橋で過ごした。その間に戦争が起きて国は滅んでしまい、親族も友人も全員殺されてしまった。
それからようやくドテンの橋にも敵がやってきたが、全部返り討ちにした。敵はどうにもできず橋を落としたが、ドテンが別の橋に移動して、そこを守るというのを繰り返した。その国は橋が無くなったという話や。
それ以来おかしくなってしまって、世界中の橋を守っとる。でも内心では仕えるべき主君を求めとるかもしれん。そういえば、この橋は話に聞く僻地の橋にそっくりや」
「おらは悲しい」
ドテンがさらにうつむいた。顔は見えないが、きっと昔を思い出したのだ。
「他にちょっと変なことを口走るかもしれんけど、正気に戻ればいい奴に違いないで」
「おらは倒された者に従うぞ! 倒さないと通れないぞ!」
ドテンが戦棍を高く掲げ、その状態で停止した。精神が不安定なようだ。
「そこから動かないんですか?」
マウタリが尋ねた。
「おらからは攻めない。橋を通る奴は潰す」
エヴィがマウタリを後ろから引っ張った。
「前に出たらあかんで・・・・・・やる気になるお薬使おうか? ぜひ使おう、な?」
「いや大丈夫だから、まかせてよ、エヴィ」
「つれないなあ、十分間敵を殺すことだけ考えるようになる薬が最適やろか」
「何も必要無いよ」
マウタリが強く言った。
「いやいや、戦いなれしとらんのやろ、普通に死ぬで・・・・・・寝起きで忘れとる可能性があるしな」
「エヴィだってなんとかなるって言ったじゃないか」
「うーん、こうなったら三人掛かりでやるか」
「一対一じゃないと駄目なんでしょ」
「従えるにはそうなんやが、ちょっと心配で」
「正しい行動をしろって言われたから、そうするよ。これがきっと正しい運命なんだ」
マウタリが前に出た。エヴィはそれを渋い顔で見送った。シュケリーが声援を送る。
「がんばってね、マウタリ」
「まかせてよ」
マウタリがドテンの顔を見上げた。
「ここを通してもらえませんか?」
「おらはドテン、ここは通さない。おらより強いなら従う」
「マウタリ・コイハーナ・・・・・・アリール、通してもらいます」
マウタリは剣を抜いた。相手の武器の長さを考えれば、槍を使っても意味は無い。懐に潜り込むしかない。




