旅立ち2
マウタリは森に囲まれ雑草の生えた細い道を行きながら、村人の顔を思い浮かべていた。全員いなくなってしまった。村での日々が夢だったかのように、頭がぼんやりとしている。
それでも耳は、森からの脅威に自然と備えていた。
隣からのリズムはやや不規則だ。周囲の森が彼女の気を引いている。
目線を落とせば轍がある。これが北東の橋まで続いているはずだ。
「二人になっちゃったね」
「ええ」
彼女の顔は澄んでいて、太陽の光を浴び、村より輝いて見える。
「悲しくないの?」
「悲しいわ」
「見てもわからないよ、シュケリー」
彼女の表情の読解に熟練した彼も相当に困惑した。総合的に見れば機嫌がいい。
「村を出ようと思ってたから、出るなら村があってもなくても同じかなって」
村があれば出ることはできない。彼はそれを口にしなかった。自分といて、機嫌がいいというのが、一番重要なところだ。
「橋までどれくらいかな」
橋までが村の領域だが、マウタリはほとんど行ったことが無い。日帰りするには走らなければならない距離なのは覚えている。
「東門から七十万八千四十八歩ぐらいよ」シュケリーが一歩を大きく踏み出す「これで三千二百九歩目」
「まだ遠いね」
二人はさらに二時間ほど歩き、道幅が少し広くなっている場所まで到達した。道のすみには、たき火のあとと思われる焦げた木々が転がっている。
「旅慣れするまでゆっくり慎重に行けって言われたし、次の広場まで遠いから、ここで休もう。神の加護は速く移動すると置いてけぼりだなんてね」
野営には時間が掛かると聞く。どれくらいかは知らない。
アリールの狩りは通常日帰りだが、冬には大人たちが遠征する。彼は次の冬に初めて参加するはずだった。
未経験の作業を知らない道具でやらねばならない。男の仕事であるから一人でだ。
「そうね、今日は疲れたわ」
マウタリも大いに疲れていた。どうも体が硬い感じがする。
森の茂みから魔物が飛び出してくるのは、月に一度ほどある事だ。初撃に対処できれば、返す槍で仕留める自信はある。しかし息を殺して伏せた魔物は、一メートルの距離でもまったく気づかないものだ。
「野営に使うのは――」
マウタリは背負い袋から手の平に収まるミニチュアの家を取り出した。
「これが家か」
一階建ての丸太小屋で、煙突があり、窓は十四個ある。
「木の家ね。外には無いっていうけど」
「これで・・・・・・設置」
マウタリは家を道の真ん中に置くと、説明書きを読みながら合言葉を言った。
家は急激に大きくなり、道幅いっぱいまでになり、木の枝をいくらか押しのけて停止した。
「すごい! 本当に大きくなった」
マウタリがはしゃいだ声を上げた。
「あの大きさじゃ入れないもの」
「野営って意外と簡単だね。これならもっと進んでもよかった」
「早く休みたいわ」
二人は扉を開けて中に入る。
居間らしく、一式の家具が置かれている。職人の技量を感じさせる丁寧な作りだ。
暖炉には、引っ掛けて吊るす器具や、金網、台がある。調理ができるのだろう。扉が六つあるから、部屋は複数ある。
「頂いた物の確認をしよう」
二人は同じソファに座った。柔らかい、苔を大量に重ねたぐらいに。袋を置いて、中身を机の上に並べる。袋からは際限なく出てくる、机に収まらない。
シュケリーはさっさと青い短杖と説明書きを取り出した。彼女は黙ってルッキーの説明を聴いていた。遠くと近くを同時に見ているような凝視から興味があるとマウタリは知っていた。
「魔力を込めると水が出ます・・・・・・出たわ」
短杖の先端から水が滴った。マウタリが横から説明を覗いた。
「魔法使いしか使えないってあるけど、魔力を現象に変換する型の魔道具だって」
「強い水流なら攻撃能力があります。普通の水に見えますが魔力を含む水は、大きな破壊をもたらす。人に向けてはいけません」
シュケリーが窓を開け、短杖を外の木に向けた。滝みたいな水流が、樹皮を剥がし、少し木をえぐった。彼女は握った短杖で、空中にクルクルと円を描いた。
「木を切るに向いてないね」
「この水を飲むのかしら?」
シュケリーは手に水をためた。
「飲み水が出る水筒は別にあるよ。リストにいっぱい名前があるけど、形状がわからないな」
マウタリの前にはもっぱら武器防具が並んでいる。
マウタリはいつも軽装で鎧を着たことはなく、動きやすいのを着せてもらった。この白いベストだけで、全身が頑丈になるそうだ。
二人とも矢避けの指輪をもらった。矢と見なされる物は全て外れるそうだ。どちらも実際に見てないので、あまり信用できない。
背負い袋には、見るからに頑丈な金属の鎧も入っている。他に葉っぱの鎧や盾、兜もある。
神の使いは、兵士十人ぐらいなら一人でなんとかなると言っていたが、村であの様子だったのだから、今度奴らが来たなら戦闘用の装備が必要に思える。
それなら走って逃げるべきかな? でもシュケリーが走るのを数年は見ていないな。
彼は装備の説明を見ていくが、どれも効果がどれぐらいかわからない。大きな火、小さな火はどれぐらいなんだ? 重傷、重病もだ。絵で説明して欲しかった。
「何が何だかわからないや」
マウタリは布で包まれた棒状の物体を取り出した。説明書きも張り付けてある。
「奈落甲虫製の義手。腕が無くなった場合、切断面に押し付けると自動的に結合して腕として機能する。その際、傷は修復される。一度付くと一生離れない。これが再び離れると装着者は死亡、体は爆発し死の波動をまき散らす。敵を道連れにしたい時に役に立つ」
マウタリは無言で危険物を袋の奥に突っ込んだ。入れた手で、ついでに羽根ペンを出した。
「分離のペン。これで体に線を一周引くと、線から先が安全に分離する。再びくっつけると元に戻る。普通に文字も書ける」
彼は首を傾げて、ペンをしまった。
「生活用品じゃない気がするけど、いつ使うんだろう?」
「外は危険だし、何が起こるかわからないから、きっと備えが必要なのよ」
シュケリーは魔導書を読んでいる。視線が小刻みに動き続ける。彼女が何かの物に興味を示すと、二、三日ぐらい石みたいに動かなくなる。
「食べ物も出すね」
「うん」
詰め込まれていた食料は二人を十分に満足させた。そのまま食べられる上質で柔らかい燻製肉、魚に、干しイモ、見たことのない野菜・果物類。知らない硬い食べ物、多分、粉を焼いたもの。
きっと森の神は食べ物にはうるさい。上等な物ばかりだ、最高!
果物の強烈な甘さが数日前を思い出させ、彼は複雑な気分になったが、ソファにもたれて深い安らぎを得た。
窓からの光が減ってきた。
「光る?」
シュケリーが尋ねた。
「外で光るのは駄目だって、魔物も来るし。灯りもどこかにあるよ。それに何を置くんだっけ、家の周りに何か置けって言ってたよね」
「これよ、光の結界石」
シュケリーが綺麗に四分割された白い石を持ち出した。元は楕円形だった石。
マウタリは外に出て、それを家を囲むように四辺に置いた。何かぼんやりとした力場が近くにあるのを感じる。
シュケリーにははっきり白い壁が見えているらしい。
さらに外には 大人よりも大きな人型の岩――複数の岩で胴体や腕が形どられている――が警備員として配置された。
土の精霊である。土の精霊核――魔法円の描かれた球体を地面に置くと、周囲の土を集めてこれになった。
「これで一安心、かな?」
「私、本を読むから」
シュケリーは珍しい魔法触媒、植物や動物の一部、鉱物、よくわからない小道具に強い興味を示している。
魔法のランタンを使い、彼は彼女の横で説明を読んだ。
マウタリはこうなって良かったと思っていた。
シュケリーはケイクラと婚約していて、来年には婚礼の儀の予定だった。
そうなれば、彼の部屋から向かいの左の部屋に入り、毎日をそこで過ごす。
それならそれでいいと思っていた。彼女と毎日顔を合わせて、日々が過ぎ、彼女に子供が生まれて、最後に年老いて死ぬ。
きっとよくはなかった。
ケイクラが死んだ時、胸のつかえが落ちた。願いは叶った。
自分は自由だ。生き残ったのは二人だけみたいなもの。
旅路に吸い込まれた悲しみを糧にして、明るい花が咲こうとしている。
色も大きさも不揃いな花弁が並ぶ奇抜な花、気分が悪い。
自分はゴブリンより醜悪だ。彼女はどうだろう?
村は平穏の地であり、檻だ。口に出さずとも、シュケリーとはそんな思いを共有していたのかもしれない。
でもこの問題を解決すれば、全てが許される気がする。
夢にも見てきた外は怖い。それでもきっと、今より悪くはならない。
「シュケリー、どこまで付いてきてくれるの?」
「月に行けるか、月がやって来るまで」
「どうやってやるの?」
「うーん、魔法でできたらいいなって」
シュケリーが魔導書のページをめくった。
「僕が王様になったら月に行けるかな」
「なったら、いっぱい魔法が使える」
「かなあ?」
「でも最近、月はちょっと元気になった気がする。今はわからないけど、向こうから来るかも」
「それなら、僕と二人で待たない?」
シュケリーがマウタリを見た。一瞬だけ。
「いいよ」
袋の品は二人の興味を無限に引いたが、ずっと起きてはいられない。
疲れていた彼は寝台に横たわると、三分せずに眠りの世界に旅立った。
そして気分の良い目覚め、近くで出迎えたのは、触手まみれの顔だった。
「ウワァー!」
マウタリは素早く腰の剣を抜き放った。相手が誰であろうと、もうためらいは無かった。
輝く剣が触手まみれの顔を両断する。妙だ、手応えが無い。素通りだ。
もう一度斬ろうとしたら、顔がいきなり消えた。そもそも顔だけが空中に浮いていた。
「フフフフ、ウフフ」
部屋の扉の所で、シュケリーが口を押えて笑っている。ここ一年で一番の宝石みたいな笑顔。
「シュケリー! 何か変なのを持ち出したな!」
「違うの。魔法を覚えたの、結構練習したのよ、ほら」
彼女が空中の一点を見つめると、すぐに触手まみれの顔だけが、また空中に出現した。斬っても消えない。
「もう! 最悪の目覚めだよ」
「よくできてるでしょ」
二人はまだ暗い内に朝食をとって、道具を回収して出発した。
マウタリの迷える足は、見る分には安定した動きで速くも遅くもない。
外の者達に恐れられているという森は、彼らにとっては慣れた生活の場であって、いざとなれば逃げ込める待避所でもある。
橋を越えれば、森は無くなる。森を出れば汚染地域が長く続く。
しかし荷物の中の食料は限られたもので、二人で一か月分ぐらい。
お金はいっぱいある。食料の値段ぐらいは知っている。街に入って、あの化け物と接近しないように気を付けて、王都まで行く予定だ。
とりあえず王都に行け、があの巨顔のおすすめコースで、マウタリも見てみたい場所ではあった。
遠回りする理由は無い。警戒しつつ、一定の速度で進む。森の曲がり道を曲がった。
マウタリは道の遠くに盛り上がりを見つけた。道に小山があるのだ。
「なんだろう?」
「人だと思うけど」
「え」
こんな所に人が? 彼が慎重に進むと形が見えてきた。
道端で人がうつぶせに倒れている。山は背負った巨大な荷物だ。旅慣れた者なのか、荷物の横にも、金槌、注射器、よくわからない四角の金属などがぶら下がっている。
「大丈夫ですか!」
マウタリは走りよって体を揺すった。
白い長髪はツーサイドアップになっていて、顔はあまり見えない。肌は薄い褐色で、体格は自分より小さい。
こんな人通りの無い場所になぜ子供が?
子供は苦しそうに顔を上げた。その瞬間、マウタリは少し下がった。
紫の瞳はわずかに輝いていて、アリールと少し似ている。
「・・・・・・水」
「ちょっと待って」
マウタリがそう言って、荷物をまさぐる間に、シュケリーが青い短杖を口に突っ込んで、結構な勢いで水を出した。
「アブブ」
口から水があふれ出ている。
「人に向けるなってあっただろ」
「大丈夫よ、練習したもの。それに、あれじゃないわ」
「・・・・・・そう」
「ああ! 生き返ったで」
子供は明るい声で、何事も無かったように起き上がった。身軽な動きでふらつかない。一二〇センチぐらいだ。
体に対して過剰なドクターコート。側面には多くポケットがあり、ぱんぱんに膨らみ、腰のベルトはぐるっと薬品の瓶で埋め尽くされている。




