旅立ち
「勇者って?」
マウタリが問い返した。
「この危機を解決するのは君だ。勇者よ」
「でも村はもう、どうにもならない」
「村とかいう段階の話ではない。国の話だ」
「国?」
森の外に興味はあった。外には世界があるはずだから。
父の期待に応えようとした彼は、狩人を継ぐべく努力してきた。槍、弓、剣の訓練は三歳から欠かさず続け、外の話には外面上興味を示さない。見ない聞かない。良い狩人になることだけが、彼の望みだと誰もが思っていた。
狩りよりも、詐術こそが熟練した。誰より自分を騙す詐術だ。
「蟲は外から来ただろう? 今や、この国の王族までも乗っ取られている。地方部はまだのようだが、首都近郊では相当に感染が進み、人々の頭の中身は入れ替わっている」
呆けた顔をするマウタリに、ルッキーが続けた。
「まだわからんか? これを解決できるのは君だけだ」
「言っている意味が」
「君は選ばれた勇者であり、この事態を解決できる唯一の存在なのだ。君が失敗すれば人類は滅ぶであろう」
「なぜ! どうやって解決しろと!」
マウタリが声を荒げた。
「知らん」
「知らん・・・・・・て」
「君が勇者であることだけはわかっている。様々な魔術的な儀式を行った結果な。まずは・・・・・・王都に向かうがいいだろう。国が蟲に支配されている状況は看過できない」
「王が敵なら兵隊も敵では?」
「だろうな。王都だけで常備軍が数千はいる」
「そんなの、どうにもできるわけないじゃないか!」
数千というのは、彼がどうにか想像できる数で、村に詰め込めばきっとぎゅうぎゅうになるだろうと思った。
「君が正しい行動を取るなら、君にも仲間ができるだろう、そういう運命にある。勇者であるとはそういことだ。どれだけ大変でも最後には解決する、信じろ」
自分が漠然と憧れていたものが、春の嵐みたいにやってきた。
「もしもお前がしくじったなら、永遠に世界は閉ざされるのだ。人類は死より恐ろしい虜囚となるだろう。それは無限に続く。だがお前にはそれを止める力がある」
マウタリの目の前には、奇妙な目覚めの使者。
「ルッキーさん、森の神の使いなんですよね?」
「いかにも」
「森の神が人を助けるんですか?」
森の神といえば、マウタリにとって恐怖すべき対象であった。他の村人にとってもそうだ。
「当然だろう、何かおかしいか?」
「森の神が現れる時、世界が乱れる。その時、村から旅立つ者が出る。それを邪魔してはならない。そう言われています」
「・・・・・・誰が言った?」
「言い伝えです」
「最初には誰かが言ったのだろう?」
「それは知りません。重要な話は一族の長だけが口伝で継ぐから。でもこれは成人なら知ってる。僕は父から継ぎました。この言い伝えの時が来るまで、村人は森を離れてはならないとされています」
「そうか」
「てっきりこれも森の神の仕業かと思ってました。何か戦争で暴れたとかで、街ではいろんな噂が飛び交ってるって聞いたし、不吉な事は森の神のせいだから、森を怒らせないようしないといけないって、子供の頃からよく言われました」
沈黙があってルッキーが答えた。
「・・・・・・そんなわけは無いだろう、我が神は常に人類の幸福を考えている。一見すると災厄にしか見えないものも、ダサいのも、臭いものも、怪しいものも、制御不能なものも、頑固な滑り気も、全ては人類のためだ」
「でも、あなたが直接やらないのですか? あんなに強いのに」
「やつらは非常に狡猾だ。我々の存在を知れば隠れ潜み、あるいは逃げ出すだろう。だからできるだけ秘密裏に動いている。それに別の問題もある」
「別の問題?」
「勇者を探すのに膨大な資金が費やされたのだ。我が神は金欠だ」
「神にお金があるんですか?」
「無論だ、危うく破産するところであった」
「破産するとどうなるのですか?」
破産という概念が彼にはわからない。
「そんなこともわからんのか! 愚か者めが」
巨大な仮面が、緊張感のある表情になった。
「すみません」
「よいか、神が破産するとな・・・・・・」
「・・・・・・すると」
「世界が滅ぶ」
「え」
「世界が滅ぶのだ」
「嘘・・・・・・ですよね」
「神の使いが嘘をつくか! 確実に全人類が滅ぶ」
ルッキーの仮面が目を細めて、神妙な顔になった。
「だから勇者よ、お前しかいないのだ。世界を救え」
ルッキーがマウタリの方に手を置いた。手は何かの力に満ちていた。体が内側から沸き上がる。
「僕、やります!」
「その意気だ。この子達は我が育てよう。少なくとも衣食住は保証できる。大きくなったら再開できるだろう」
「そうですね、僕にはどうにもできない。ビラルウ、お別れだ」
マウタリはビラルウを高く抱きあげた。妹は笑顔で笑っている。きっと行ってこいってことなんだ。
「マーウ」
「お嬢さんはどうする?」
ルッキーの大きな目がシュケリーの方へ寄った。
「私は昔から村を出て月に行くつもりだったから、付いていく」
彼にとっては一番大事な返事だった。彼女が絶対残ると言えば、残ったに違いない。
「そうなんだ」
「そうよ、どうやって出て行くか、一日おきに考えていたのよ」
「そっちはまあがんばれ。勇者のための準備がある」
ルッキーが仮面の裏から、皮の背負い袋を取り出した。
「これは見た目より多くの物が入る袋だ。お金に食料、生活に必要な品が入っている。説明書もな。お嬢さんは・・・・・・道中でなんとかなるだろう、神の恵みがあるからな」
マウタリは背負い袋を受け取った。
「中身の説明はおいおいするとして、まず必要な処理をする」
ルッキーがまた仮面の裏から出したのは、小さく細い透明な筒で、中には銀色に輝くものが入っている。
「それなんですか?」
「これはナノマシン・・・・・・ナノマシンの木に実る、森の恵みだ」
「知らない木です」「綺麗」
「森の奥にはある」
ルッキーは二人に腕にナノマシンを押し付けた。カチッと音がすると、銀色の中身が無くなっていき、全部なくなると離した。
「これ、何か起きているんですか」
ナノマシンとやらは、腕に押し付けられただけで彼は何も感じなかった。シュケリーは押し付けられた部分をいじっている。
「これは一番いいやつで、一か月ほど色々と良くなる。蟲程度なら感染しないはずだし、他にも効果がある。さあ準備だ。村に必要な物があるなら詰めていけ」
準備を終えたマウタリは白いレザーベストを着て、腰には白い長剣がある。使い慣れた槍も背負い袋に入っている。
シュケリーは白いローブを着た。普段とあまり印象が変わらない。
「良し、少しは様になってるな。パパッと蟲を駆除して、王にでもなればいい」
ルッキーが気軽に言った。
「僕が王に!?」
「既にスンディの正統は絶えた。このままでは化け物共を滅ぼしても、王座を巡って人による地獄が始まる。神に祝福されたお前が即位するしかないのだ」
「それは流石に無理では」
「それもまあ・・・・・・なんとかなるだろう。中央の有力者は壊滅してる」
「そんなものなのかな?」
「忘れるな、神は常に見守っていてくださる」
正午を過ぎていたが、二人は旅立っていった。
「これで正解なのか? 勝ち筋は見えん。頼んだぞ少年、本当にお前で最後なんだからな」
ルッキーことルキウスが言った。
若者の背中はもう見えない。残されたのは彼と赤子だけ。まず赤子の生活をできるようにしないといけない。どうも生命の木は、赤子がよく増える。
彼がここにやってきたのは予知の導きだった。
最初の予知はカサンドラが捕まえた。
ぶれた人影の映像だった。今はあの少年の影だったとわかるが、影だけでは性別も年齢も判別不能だった。
次はハイク、二人の旅立ち、と聞き取った。窓から聞こえる風の音が、なぜかそう聞こえたという。二度聞くことはできなかったが、状況からして今起きた事と符合する。
ハイクと結びついていると推測される神は契約の神。それが転じて商業、法、家、財、言語、権利などの神として崇められている。どれかが、この状況と関連性があったのだろう。
しかし、この段階でもなんの話か、どうするべきかはわからなかった。
他にも占いの定番である、文字盤、カード、振り子に、煙、旗、風見鶏、羅針盤のような方向を示す道具も用いたが、有意な結果は得られないかった。
知らない人間を旅立たせるのは不可能なので、関わり合いのある誰かだろうと思い、誰でも旅立たせられるように、様々な旅じたくをして、旅立つ人間を探し予知と探査を続けた。
場所を特定するには、さらに時間と費用がかかった。
様々な魔法、魔道具を使っても何も見えず、最後にどうにか方角だけが示されたので、
そして村に来たときはあの状態だ。
この村は何か秩序の力で満ちていて、森の中にもかかわらず彼には認識できなかった。それが予知に対する妨害になったと考えられる。
「ここまで来て初めて予知が成立だ。村の滅び無くして勇者は誕生しない。そういうことなんだろう」
この村のアリールと呼ばれる民族は、きっとプレイヤーの血筋だ。それで日本人だ。どこかでドウモイ酸の意味が伝わらずに、音だけが残ったのだ。
所属を正確に特定できないが、天使・天部を代表とする秩序系の魔族の血筋か。
「秩序の力は、混沌系の脳憑依虫にも有効だが、有利に戦えるだけだ。千レベルになれば話が違ってくるが、彼が育つのに十年、長ければ三十年ぐらいか。この事態を解決できるとは思えない」
つまりここからが本番で、ルキウスが何かをやらねばならない。
予知、ルキウスはその意味を考え続ける・・・・・・ことはできなかった。ビラルウにすねを蹴り飛ばされて、悶える羽目になったからだ。
「ウッ!」
腕を切断されるより痛い。焼けるのに近い感覚がある。
彼は仮面のせいで前に倒れられないもので、横方向にごろんと転がった。彼女はそこをすかさず、頭に乗っかってまたがった。
「アウッ!」
「どういう教育をしてるんだ、この子は・・・・・・肩車か?」
ビラルウがバシバシ後頭部を叩いた。
「ルッキー、ブタ」
「こんなブタいないって」
「ブタ」
「・・・・・・ブタにでも乗ってたのか?」
ルキウスは彼女を片手で支えて、起き上がった。小さな手が仮面の端を握った。
うっうと機嫌が良さそうな声を上げて、足をバタバタ動かしている。
きっとこの小さな狂戦士もその血に宿る神秘で、混沌の極致に存在するルキウスにダメージを通せるに違いない。
この村の人間は軒並み五百レベルぐらいの力があった。若い勇者だって、レベルは三百以上は確実だ。
ルキウスは余裕だと思って突撃したが、村の中では危うく死ぬところだった。
この成長速度、帝国の概念なら、ジェントリア指数が大きいと表現される。力を持つ血が濃いのだろう、外との交流を避けた結果に違いない。
「お兄ちゃんなら大丈夫だよ。さあ帰ろう。ここからが忙しい」
「マウ」
ルッキーは赤ちゃん達を詰め込んだ大きな箱を抱え上げた。
「予知には意味がある。が、意味を知るのは難しい」
彼は森へと消えていった。




