予知
ルキウスが必死でもそうでなくても、他の人々が日常であれ非日常であれ、星は気にせずに回ったもので、夜になった。
そして、闇夜の密林は寄せ植えな上に新品で、人が通れる道などありはしなかった。
それでも商人の男が、この悪路を進もうとしていた。
彼は旅装で大きな荷物を背負っていた。
息を切らし進む彼に、森のどこかから声が響いた。
「ここは通行止めだ、引き返せ。この森は魔物だらけだ。恐ろしい森の神の仕業だよ」
若い男の余裕に満ちた声だ。
「何者だ! どこにいる?」
「俺はこの森の番人だ。魔物に殺される馬鹿が出ないようにここにいる」
しかし商人は行かねばらない。彼の頭の中は、前進したいという気持ちだけが詰まっていたのだ。
「放っておいてくれ。俺は前に行く」
「荷馬車を森の手前へに放置してか? 荷を捨てて何をしにいく?」
積み荷が無ければ赤字だが儲かるし、死んでも儲かるはずで、誰かがいれば儲かるはずだ。そう、とにかく進めばいい。
彼はそう考えていた。そして木の枝を押しのけ、前へ進んだ。
「わかっているのか? これは警告だ、引き返せ」
「怪しい奴の言う事など」
「怪しい相手と思ったなら、距離がある間に引き返すべきだろうな」
「ガタガタうるさいぞ、文句があるなら掛かって来い!」
商人は剣を抜いてわめく。かすかに風が流れ、森が動く。
商人は寄ってきた影が動いたのを認識できず、首が落ちた。首は木々の間に挟まった。
そこに迷彩を解いて現れたのはルキウスである。手には長剣を持っている。
「どっちにしても、警告はした」
ルキウスは頭蓋骨を両断した。中から出て来たのは、脳に似ているが下部に小さな触手が付いた生物だ。
頭部のみの混沌反応で、蟲だとわかっているが、中身を見ないと不安になってしまう。
失敗するかもしれない。自分は追いこまれていて、奴らが増殖したなら殺されるだろう。そんな危険な状況である考えると、全身がうずき、重圧が体の動きを妨げた。
しかし彼はそこに楽しさを感じていた。アトラスでの戦闘と同じようにノッてきていたが、本人は無自覚だった。
「夜目は効かんようだな、これは寄生相手に依存か。それで敵が目の前にいては通信してくれん。逃げてもくれないし。こっちが危険だと伝えて欲しかったが」
スンディ国内では、森の神は何か恐ろしいものとして伝わっている。切迫感の無い噂話レベルだが、森の神と聞いて引き返さないのは不自然だ。
ルキウスは緊急措置として、スンディとモヌクの国境地帯に広大な密林を作り出した。
鉈で切り開かないと進めないような密度の森である。
薄っすらと草の生えているだけの軽度汚染地域が、国境のトウェイ川沿いに広がっていたので、森にするにはちょうど良かった。
「手持ちのマジックポーションが尽きたってのに。森自体を恐れないとはな」
藪をかき分け、黒い犬型のロボットが現れた。
「こいつらの整備コストも覚えておいてくださいよ」
アルトゥーロがロボット越しで言った。
「わかっている。必死に遺跡でも掘り返して、希少金属を確保するさ」
「実に整備を考えると気が滅入る。部品から製作しないとならねえ」
「総動員したからな。状況に変化は?」
「大きな動きは無く、森への侵入者がちらほらと。深く入ろうとしているのが三組」
密林の厚さは十キロ以上ある。簡単には抜けられない。
「普通に入ってきているのか?」
「一応警戒はしてますが」
「威嚇攻撃で止まらんのは、負傷させろ。それで止まらないのは全て殺せ。いきなり出現した森に立ち入り、危険を認めても逃げない奴は異常だ。特に夜に動く商人はおかしい」
「了解、誰も通しません」
犬型ロボットが藪に消えていった。自動操作に戻ったのだろう。
アルトゥーロの偵察用虫型機械や、戦闘機械が森の周囲に展開している。
ルキウスが蟲の死体を見た。
「こいつら、自分をどう認識しているんだ? 自我が発生した時点で人間の記憶を有しているなら、自分を人間だと思っているのか? 元々は召喚者の命にしたがうはず。そこの代替しているのは親の蟲と見るべきか?」
雄牛の顔でヴァルファーが転移してきた。
「ルキウス様、占術の準備が終わりました」
「瞬間移動使いの居所は知れたか?」
ルキウスはヴァルファーを見ずに言った。
「一名不明ですが、他は表面上すべて健在です。一名が感染者かは判断しかねます」
「・・・・・・特別に狙っていないという事か」
瞬間移動使いは緊急の要人避難や貴重品の輸送に使われる人員。地球の感覚なら大統領専用機といったところ。落とすには戦力が必要で、しかも一瞬で逃げる。
「警備が厚いですから。いつでも落とせる状態ある可能性も否定できませんが」
「接触以外の感染経路は?」
「不明です。それを見つけることは、反応の弱い幼体の捕捉を意味しており困難です」
(感染拡大の仕方からしてあるはずだ。しかし仕込みの最中を目撃する必要があるか)
「・・・・・・わかった。では戻る。そっちは任せるぞ」
ルキウスは生命の木に戻ると、占術部屋の前に転移した。
「そもそも予知とは、自然と見え聴こえする予兆の集積であり、啓示は常に下されているのです」
ルキウスが部屋に入ると、カサンドラがハイクに講義をしていた。ハイクはもうこの機会にと、ここに連れてきた。万が一にも感染したら困るからだ。
「戻った。続けてくれ」
ルキウスは床に描かれた魔法円の、座るべき位置に座った。
「主様、既に基礎は一通り」
「ハイクはどうか?」
「流石にまだ早いと存じます」
カサンドラが言った。
「体調はどうだ?」ルキウスがハイクに言った。
「いいです。お役に立てず、すみません」ハイクが言った。
「これも訓練のうちだと思えばいい。それについでだ、手は多い方がいいからな」
今の調子なら二年も訓練すれば、確実に呪いは解除できる。
兄のカラファンにはここを教えていない。知ると情報を抜かれる恐れがあるからだ。
「ええっと」
ハイクがルキウスの顔を見てつまった。
「フォレストでいい、間違うとややこしいからな。それに君はなんらかの神に選ばれた存在だ」
ルキウスが調べたところ、ハイクの神は商業系、特に契約の神ではないかと考えているが、定かではない。
「はい。頑張ります」
ハイクがかしこまって言った。
「まあ、ゆっくりしてればいい、外は危険だからな。もし将来、交神できたら言っておいてくれ、アトラス金貨で金くれって」
「そんな事言う勇気は無いです」
ハイクが恐れるのを見て、ルキウスは笑った。そしてカサンドラを見た。
「カサンドラ、私は予知の専門家ではないから理屈は知らない。予知のコツが聞きたい」
ハイクはカサンドラが渡した本を興味深く読み始めた。
「私の予知と、主様の予知では違うと思いますが」
「どこが違う?」
「電気はどこにでもあり、私が見る景色は定まらずにぶれています。そのぶれ方に特徴がある」
「そのぶれから何かを読む。つまり根本的に感覚が違い、それを予知に使っている」
「そうです」
「電気な・・・・・・サンティーが電気系でなければ連れてこなかったか?」
「どうでしょうか、認識しにくくはなったでしょう」
「性質の近いものの方がよくわかると」
「そうです」
電気は宇宙の根源的な力の一つだ。深い物理法則の中にありながら、古代より人に近く、見える。
そして人間だって考え方によっては電動である。体内では電位のやり取りがあり、それによって体の活動が継続できている。
直接電気を蓄え供給する器官を人間に足せば、呼吸して水を飲んでいれば生きいけるだろう。
植物が光を食べるように、微弱な電流や電波を直接食べる生物も存在する。
それほどに根源の力だから広範囲が見えるのだろう、とルキウスは思った。
「ならば共通点は?」
「自己の感覚の延長であるのは同じです。予知はどこまでいっても術者の性質に依存します」
「私の領域は植物だが、植物の意志は曖昧だからな。直接話すにも苦労する奴らの感覚を束ねても使えるか・・・・・・」
「感覚が広いに越したことはありません。まずは知りたいものを明確にしなければ。落とし物を探すぐらいなら楽です」
「知りたい事を明確に・・・・・・な。知りたいのは奴らを殲滅する方法だが」
「広すぎます」
(ここに来たときは、なんとかしてくれ、ぐらいでなんとかなったが。あれはアイアがなんとかしてくれる人だったのか?)
ルキウスは引っ掛かりを感じたが、話を前に勧める。
「なら蟲の生態が知りたい」
「それも広いですが、実際に特徴的な行動におよんだ場面なら見えるやも。場所の特定は難しいですが」
「そっちはスンディの土地勘が無いからな」
「急いではなりません。自らの感覚が通りやすい道があるものです」
「急がないのは難しい状況だが」
「意識を自由にしておれば、自然と見えるものです。ゆっくりゆっくり範囲を広げていかねばなりません。まずは明確に」
「明確なら・・・・・・奴らの中心個体、強力な個体、一番遠い個体、人を派遣するべき場所、知りたいものは尽きない。だがちょっと試しただけでは何も見えなかった。ターラレンも同じだ」
「同じ求めでも、繰り返せば結果が変わります。予知を繰り返せば、感覚は広がっています」
「膨大な金が掛かるがな」
ルキウスはカサンドラの言う予知の理屈が理解できる。
電位、風の動き、重力の変動、人の流れ、経済統計、それらを特異な感覚で一定量を認識できれば、その情報から精密に逆算することでより大きな情報を導ける。
さらにその大きな情報から知りたい事を抜き出せばいい。
困難に思えるが、本質的には、人間が見ている物体、いま一メートルの距離にあると認識するのと同じだ。これは脳に光学情報を処理する能力があるからできる。
脳がある生き物なら皆やっている何らかの感覚的理解である。
そして直接的にはAIの予測と似ている。
膨大な情報と前提条件から予想結果を導き、リストにして提示する。
つまり答えを知っている神様が、親切で教えてくれているわけではない。
だからカサンドラは元の情報を増やせと言っている。
しかし魔法としての予知は少し違う。演算能力と、感覚が判断のために参照する情報領域が、おそらく瞬間的に拡大している。
ただこの増え方、ルキウスは脳の演算能力が増えているというより、演算結果を渡されているように感じていた。もしそうなら根本的に仕組みが異なる。
そこに予知の癖、あるいは魔法やスキル全般の発動の仕方の法則が隠れているように思え、それを理解すれば予知が上手く使えそうだったが、すぐには無理だった。
「ハイク、あなたは道具を使って自分なりにやっておればよい」
ルキウスが難しい顔をしていると、カサンドラが言った。
「はい」
ハイクは渡された水晶玉と占い板を置いて、書物で使い方を調べている。
「お急ぎの様子ですし、始めますか?」
「ああ」
カサンドラがまとう空気を変えた。微妙な圧迫感を周囲へ放っている。
ルキウスも魔法を発動して、目を閉じ意識を広げた。知ろうしたのは、アトラスでは定番の次に会うべき人物だった。
しかし何も見えなかった。まぶたの裏だけが見え時が流れた。
「何も見えないな。人物を求めたが」
予知が機能している前提で裏を読むなら、会うべき人間はいないか、縁遠い人間に会うべきともとれるが、まだ判断には早い。
「こちらもです。見たいものを変えて探っていきましょう」
この夜は長くなる。
空が白み始めた頃、ジェイル・ウェリーは悪魔の森にいた。彼は帝国軍諜報部の少佐であった。
彼は戦場に現れた森の神の報を抱え、悪魔の森の南外周から少し入った辺りを帝国へ走っていた。
戦争からすぐに部下を帝国へ送ったが、雪が解けても返答が来ないからだ。
彼は戦争開始時スンディにいたので、部下を南周りで送るしかなかった。
冬という事もあったし、国境と通信が封鎖されていたからだ。
普段なら北の自由の街まで行き、車両を雇えば済む。
不慣れな道筋で部下は森の魔物にでもやられた、と彼は判断し自ら動いたのだ。
ウェリーは緊張の中、半月ほど慎重に森を移動してきた。
もう少し進めば、悪魔の森の西側に出る。そこから北上すれば、悪魔の森の西端で、監視基地まで思念での通信が届くはずだ。
彼がここまで来ればもう一息と思った時、森に異常を感じ足を止めた。そして木の根に伏せて身を隠した。
五百メートル以上先、木々の隙間に人影が見えた。
「人?」
軍なら合流して基地まで運んでもらえる。彼は森に溶けこみ、静かに人影に接近した。
確認できたのは、武装した子供が四人だった。軍人ではない。見慣れない銃を持っている気がしたが、はっきりとは見えなかった。
それほど緊張感の無い子供達を追っていくと、膜を越えたように、途中でいきなり姿が消えた。
「幻術?」
彼は前方、周囲の木々には特殊な気配を感じた。微弱な意思がある。樹木型の魔物か、罠だろう。
おそらく先に幻術で守られた領域があり、見えなくなっている。そこに入ったから消えたのだ。普通ではない。彼は非常に興味を惹かれたが接近しない。
彼は空間に溶けこみ気配を消すのに長けているが、これ以上は危険と判断して、この情報もついでに持って帰ればいいと、静かにそこから遠ざかろうとした。
「あ」
何かの違和感を感じた彼が出せた声はそれだけだった。
彼はバラバラに切断された。なんの前触れも無く、きっちりと網目状に切断され、百以上の立方体に分解された。残ったのは足だけだ。
そして重力で人型積み木が崩れ、血の一滴が地面に落ちる前に、彼だった立方体はその場より完全に消えた。そこから若干遅れて足も消えた。
森には何も残らない。
夜が明けると、師匠と並んでハーブティーを飲むのがペーネーの習慣であった。
「戦争も落ち着いたらしいですし、平和ですね、師匠」
ペーネーは口をつけた器を机に置いた。
「さあ・・・・・・どうかね?」
ミュシアが正面のドアを見て言った。
そしてドアが勢いよく開け放たれた。
風来坊のエルが帰ってきた。
地下から出て来たこの人はフラッといなくなり、フラッと帰るを繰り返している。
ペーネーにはよくわからない人間だった。
しかしいつもと異なるのは、中年の男の首根っこをつかみ、引きずっていることだった。
「見て見てミュシア! 面白いもの拾ったよ」
エルは笑顔で勢いよく引きずっている人間を机の上に上げた。
ペーネーの顔が引きつった。
「カパッと」
エルが頭の上部を鍋のふたを取るように外した。そして中身をつかんで出した。
「ギャー!」
ペーネーが絶叫した。逃れようと椅子をガタガタいわせて後ろに下がった。
エルがつかんだものは、うねうねと触手を動かしている。
「見て見て、これ生き物だよ。人の頭に住んでる。新発見だ」
「・・・・・・捨ててきな」
師匠は既に席を立っていた。椅子は一切動いていないが、ティーセットを持って椅子の後ろにいる。
「ええー、新種の魔物だよ。たぶん危険な奴」
「どこで拾ったんだい?」
「ボジトン湿原だよ。スンディ側から隠れてザメシハを窺っているのがいたから、何かと思ったらこれだった」
エルが机の上に脳っぽい生き物を置いた。
触手が動かなくなった。死んだのかもしれない。
「へえ」
「ミュシア、興味無いの?」
「机に飾りたいものじゃあない」
「外で増えてるかも」
エルが楽しそうに言った。
「外の事はもういい。呼ばれたのかい?」
「いいや」
「なら、外の事は外の誰かがやるだろう」
「大繁殖したら?」
ペーネーはエルの言う通り、ギルドの書物でも見ない危険な魔物かもしれないと思った。しかし、師はなんの興味も示さなかった。
「この森が無くなりそうなら、その時は考える。捨ててきな」
「えー」
「さっさとやんな」
「はーい」
エルが脳みそ君をつかんで出ていこうとした。
「人も捨てるんだよ」
「はーい」
エルが戻ってきて人体らしい物をつかんで引きずって出ていった。
「平和だねえ」
ミュシアが座って言った。
「あれ、大丈夫なんですか?」
ペーネーが言った。
「さあね。ただ、どういう経緯で出てきたかわからないものに、いきなり接触するのは危険だよ。今だと国家間のごたごたの可能性が高いし、色々とねえ」
「そんなものですか」