脳動く
三月九日、サンティーがまだ暗いというのにはっきりと覚醒したのは、日々、目覚まし面熊君と戦って身に付けた、鋭く脈動する電位に由来するに違いない。
まぶたを開かずとも、時刻、温度、そして、気配を感じる。
うっすら目を開けてみれば、動くもの。
人影が寝台へ――彼女の足元の方へ、一歩を踏み出したところだった。
帝国軍の軍服、将官のものだ。体格からして男性。
しかし誰かはわからなかった。
目から、耳から、口鼻から、白い触手が無数にあふれ、顔面が見えない。
目から飛び出した触手の先に眼球が付いていて、カタツムリのようだ。
触手は緩やかに中央に密集したり開いたりしながら、揺らめいている。
彼女は思った。ルキウスがまたやらかしたに違いないと。
最近は何か考え込んでいるから、ろくでもないことをやるつもりだと思っていた。
昨日は薬草園の前で落とし穴に落とされ、その勢いでモグラが掘ったような環状地下通路に入ると、三キロ以上遠心分離機に回されるように加速させられた挙句、音速で空中に撃ち出してくれたというのに、あれに飽き足らず、連日だ。
そもそも毒草だからなんだというのか、食べてみれば美味いかもしれないではないか。毒でも食べてから薬を飲めば済むことだというのに。
彼女は一瞬で怒りがよみがえり、侵入者が二歩目を踏み出す前に、彼女の全身が激しい電光に包まれた。
「喰らえ!」
彼女は手をかざし、初撃から最大出力の電撃を発射した。
部屋が白に染まり、電撃が胴体を貫通する。
電撃を受けた侵入者がガクガクとけいれんするように動く。だが倒れない。
「ウバババア」
触手が餌を見つけて興奮した感じで激しく動いた。
侵入者が前に倒れるように跳び、彼女に覆いかぶさろうとする。
彼女はとっさに布団を蹴り上げ、盾にしながら起き上がろうとしたが、布団ごと押さえられた。
「ぐう」
二人が布団を挟んで、もぞもぞともつれる。
力が強い。電気と念動力で強化した体を上回るほどに。
「ウベババベベ」
目の前に触手が迫った。
耐えながら電撃を発射するが、少し痺れさせているだけだ。
特に伸びた数本の触手が、目に触れようとした。
「何か、やばい」
彼女は全力で頭をベッドにめりこませて遠のくが、ここからどうにもできない。
ボガンという音とともに、触手の顔面が竹刀で叩き飛ばされた。侵入者が床に落ちた。
「ウビアアボ」
重りから彼女が解放される。
目覚まし面熊君だ。彼が竹刀を振ると同時に、寝台の上に降り立ったのだ。
侵入者はすぐに起き上がり、触手を激しく動かした。
「ウボボッボ」
面熊君は彼女と侵入者との間に立ちふさがる。面熊君が威嚇的に素振りをしている。
その間に彼女が起き上がる。
「エンゲージを確認しました」
彼女の側面で機械的な音声がした。
前には化け物がいるが、反射的にそちらを見た。
棚の中の人形の一つ、カメが背負っている戦艦、その砲塔が一斉にこちらへ向いた。
その少し横にある全身金属の獅子型機械生命体は、目に青い光を灯し、滑らかな動きで床に降りた。
さらに部屋中の人形が立ち上がった。
「なんだこれ!?」
サンティーが混乱する。
しかしそれに構わず、人形たちの火砲が火を噴き、矢が飛び、魔法的な光弾が飛び、色とりどりの光が目に焼き付く。
轟音と破壊が部屋に広がった。
「ぎゃああ!」
サンティーは衝撃で倒れたが、すぐに起き上がる。
床がえぐれ、侵入者はバラバラになっていた。
しかし胸をなでおろす前に、部屋の扉が開き、大勢がなだれこんできた。
侵入者は全員軍服を着ている。そして顔も同じくニョロニョロだ。
「まだいるのか!」
ここであれを着ているのは捕虜しかいない。
軍を裏切った私を恨んで、化け物になってしまったというのか!
数十人の侵入者と、前に出た身軽な人形たちが白兵戦を始めた。
人形たちは優勢に戦うが、敵も引かず決死の勢いだ。
しかし敵はどこか緩慢で、戦うというよりはひたすら彼女の方へ直進しようとしているように見えた。
彼女は這いつくばってでも進む化け物に恐怖を覚えたが、このままでなんとか勝てそうだとは思った。
しかし人形が途中で一斉に飛び退いた。
彼女が奇妙に感じた時、「エイリアンバスター」という男の叫び声が聞こえた。
同時に彼女の目の前を閃光が埋め尽くす。
部屋の入口の方の棚に配置された、異星人を討つ正義のロボ、アイアンキャッスルの胸部から放たれた重イオンビームだ。
彼女は熱風と衝撃を避け、寝台の反対側に転がり落ちた。
「あっつ、熱い!」
落ちてからもしばらく熱が続き、そして途絶えた。
彼女はゆっくりと寝台の上へと顔を出した。
部屋の半分が消え去り、壁が無くなっていた。外の森が見渡せる。
寝台の足の一本は足場が無くなっている。
穴からは冷えた風が吹き込んできた。
サンティーはしばらく途方に暮れた。
その後、ルキウスは見慣れたサンティーの怒りの表情に直面していた。
サンティーが椅子に掛けたルキウスに詰め寄った。
「あれはなんだ!」
場所は彼の執務室だ。
ソワラ、ヴァルファー、アブラヘル、エヴィエーネが立っている。
「すまないな。捕虜が脱走したようだ」
「そっちじゃない! 人形の方だ。部屋が半分無くなったぞ!」
「・・・・・・安全だったろう。警備員が多いからな、あの部屋は」
「ああなるなら先に言え!」
「知ってたら落ち着けないと思い、気を使ったのだ。・・・・・・エネルギーを補充しておかないといけないな」
「いらん」
ルキウスは慎重にサンティーの様子を探った。特に異常は感じない。
「あれと接触していないな」
「私が検査しました。問題ありません」
ソワラが言った。
ルキウスはソワラを一瞥しただけで言葉を発しなかった。
「完全に消し飛んだよ」
サンティーが言った。
「まあ、中々楽しめただろう」
「昨日の方が面白かった」
「あれは楽しむ用じゃないがな」
「速度はちょうど良かった。ピンボールの気分になったよ」
「ハハハ、次はもっと工夫しておこう。得点表示に、宝でも設置しておこうじゃないか」
笑っていたルキウスが黙り、机に両肘を突いた。
「冗談はそこらにしておこう。私の友人が死ぬところだ。ソワラ、なぜ、こうなったか説明してもらおう」
ルキウスの声は非常に険しい。そこには怒りと不満があった。
「原因は不明ですが、脳憑依虫が指示を受け付けなくなりました」
ソワラは普段見ない不安げな表情をしている。
捕虜には部屋を与えて管理していた。彼らの中の脳憑依虫は命令にしたがうので、食事だけ与えておけばよかった。
手間は掛からないし、自分で生活する便利な捕虜だ。使い時があるかと考えて置いていた。
そして部屋から出ないはずだった。
「奴らが八階から十階に動く間に捕捉できなかったのか?」
「誰とも会っておりませんし、彼らは居住者登録していますから、警報には反応しません」
ヴァルファーが答えた。
生命の木の部屋には鍵が付いていない。開けようとすれば魔法で簡単に開くので意味が無いからだ。
危険物の保管庫には扉自体が無い。
「他の部屋には入っていないのか」
「少なくとも今日は」
彼らの部屋から一番近くの勝てそうな相手を狙ったことになる。
軍人の脳みそがあって、彼女を知っているのもあるはずだ。
「確実に全員やったか?」
「ダミーを混ぜられていない限りは」
(やったはずだ。しかし、はずでしかないか)
「奴らが人体から出て単体で動く可能性は?」
「わかりません。基本的に脳なので、無理なはずですが・・・・・・」
ソワラが言いよどんだ。
「検査は続行しています」
ヴァルファーが言った。
「徹底的にやれ」
ルキウスが声を張った。そして部下達を見据えた。
「ターラレンからの報告ではスンディの中央部を中心に騒乱が発生している。それに乗じて奴らも増えているようだ。どこまで広がったかわからん。人類滅亡の危機だ」
ルキウスがコツコツと指先で机を叩いた。
「で、なぜこうなったんだ?」
「まず完全に接続が途切れまして――」
ソワラが言った。
「そうではない、お前は問題無いと言ったろう」
「問題無いと思っておりました」
「信用していたというのに」
ルキウスが失望を顔に出すと、ソワラは表情が硬くなりうつむいた。
「申し訳ございません」
こうなると彼にはどこまで信用していいものかわからない。
(まず緊急の安全確認、次に状況把握、次に駆除、でいいはずだ。しかし報告の信ぴょう性がわからない。何もわからないってことだ)
「奴らは外と通信できているそれは間違いないな、アブラヘル」
「残念ながらこちらでは検出しておりませんが、おそらく」
アブラヘルが答えた。
「おそらく――確実なことが何も無いな。どこかで支配から逃れたのは確実だが」
つまりここの情報がいくらか漏れてる。生命の木からは外に出していない。あの部屋には窓も無かった。
位置は漏れていないはずだし、接触した部下も少ないはずだ。
ルキウスは生命の木の中にはあまり注意を払っていなかった。部下のプライバシーを考慮して見ないようにしていたのもある。
つまり、確実なことは何もわからない。
彼は何度か死にかけたが、拠点に危険が発生したの初めてだ。
「あれらが生きて存在していれば、確認することもできますよ」
アブラヘルが言った。
「あとで考える」
「わかりました」
ルキウスが少し思案する。
「飼い主が結んだ紐ではなく、お互いの同意での通信網、それを絆のように偽装したのかもしれん」
「・・・・・・私にはかわいい子だったのですが」
ソワラが言った。
ルキウスはソワラがこの後におよんで、あれに愛着を持っていることに少し苛立った。
彼女はあれの専門家だ。しかし本当に任せて大丈夫なのか。
「だとすれば、奴らには自前の通信能力があり、強力なものだ。同族同士の共鳴能力なら、距離も次元も無視するのやもしれぬ」
最初からそんな習性の生物だったか、何かの不確定要素をつかみ、進化したのかは不明だ。
だが生物というものは思いのほか柔軟で、環境に応じて振る舞いを変える。
年月とともに進化を重ね、複雑な化学物質を血肉として取り込み作り出し、時に多種多様な生物の構造を丸ごと取り込む。
そうやって積み重ねた構造は多面的で分厚い。
少し観察したぐらいではわからない。
しかし生物は必ず増えようとする欲求がある。その意味では、奴らはまともな生物とも言える。
彼は普段、不思議生物を面白いと感じるが、今回は流石に深刻だ。




