世界
「敵が穴倉に引きこもってたらどうするかって?」
ルキウスはスイレンの池の淵に掛け、ヴァーラの話を聞いていた。
水面ではヨシキリザメの頼りない背びれが、静かに水を裂いている。
「ええ」
「向こうから出てきてもらうのが理想的だろう、使役系だと難しいが」
「地形を壊してかまわないなら、対処できたのですが」
この隠蔽の努力は戦場で無意味になった。
「我々が国を荒らすのはまずいからな。まず籠らせているのか、好きで籠っているのかを見分けるべきだ。出たい奴は放置すれば勝手に出てくる。籠りたい奴は無視して他の敵を討った方がいい」
「なるほど」
「そう気にしなくていいだろう。もう水中戦をやることもない」
「力量差がもう少し近ければ難しかったので、気になります」
「勤勉だな。ずっと考えていたのか?」
ここに水中戦が得意なサポートはいない。それ以外なら少し戦える者がいるが、大きな水域には近寄らないに限る。
水は目の前の池を眺めるぐらいで十分だ。
「あの敵がもう少し準備をして、最善の選択を続ければ失敗していました。失敗はできません」
「それを言うならあの戦、魔術王国の連中が最善を尽くせば私に勝てた」
「まさか! かなり加減していたように見えました」
確かに本気で暴れれば、何も考えずに勝てた。しかし永久に何も考えられなくなる可能性があった。思い返すと恐ろしい。
「奴らは火種と火薬を持っていた。魔術師も多い。全員で木の棒でも燃やし、火薬を抱えて特攻して、あとはひたすら火球だ。それが無理でも初歩的な火魔法はあるし、そこまでやられれば、魔法を使う余裕もなかっただろう」
「近づけばオーラで狂ってしまうでしょう。遠目に見ただけでも心弱き者は恐怖に呑まれます」
実際には途中で狂気を抑え込んだので、周囲への影響が小さくなっていた。
「決死の覚悟と澄んだ精神があれば、肉体は弱くとも狂いはしない。心の持ちようの問題だ」
「無理ですよ。十万人ぐらい修験者でも集めないと」
ヴァーラが珍しく笑った。それにルキウスも笑って言う。
「現実的にはそうだ。理論上の話だ」
「ですよね」
「だが人には潜在的にそれだけの力がある。そう思わないか?」
「それはそうです」
「結束した人間は強い。だが向かう方向が揃わねばあの程度だ」
ルキウスが遠くの畑を見た。ゴーレムが同じような足取りで歩いていた。顔には個性があったが、面白い進歩はしないだろうと思った。
「何を考えておられるのでしょうか?」
「人はどうあるべきなのかとな」
「ルキウス様が導かれるのが最善だと思います」
「導きな」
導きといえば、俺には戦略AIだが、それにも制限はあった。人がやるべきとされた倫理的問題と、AIが不得手な方向性の決定だ。
AIの判断は統計とシミュレーションに依存する。これらが使えない領域は苦手だ。
それに社会を構成する人の性質がばらけると、AIの予想精度は大きく下がる。
因子と因子が影響し合い、際限なく新因子を生んでしまうからだ。特異な因子は連鎖的に、AIの再コード化を誘発し負荷を掛ける。
AI進化を喜ぶ者は多いが、予想にはありがたくなかった。処理能力は有限なのだから、精度が上がっても、時間が掛かると実用的ではなくなる。
AIの予想を役立てるには――安定的な人類の発展には、相互影響する因子は減らさねばならない。
だから再構築後は、新技術の導入行程を完全に管理したりして、無軌道さを抑制した。つまりAIの限界が発展速度の限界になっていた。
ただしこれは外宇宙産資源の影響が拡大してくると無意味になっていた。
人々は未知の技術による利益を期待し、それの影響は予想困難だ。だから、最低限の安全確認で実用化されていた。
ルキウスは最新技術による犯罪のニュースが、増えていたのを思い出した。
(思えば、再構築後の時代は、安定から不安定に移行していたんだな。アトラスもその流れの中で認められたものだ。あの後、どうなったのやら)
この世界では地球以上に個人差が激しい。AIがあっても役に立たないかもしれない。
ルキウスは余裕ができ、色々と考えるようになったが、統治の問題は解決できる見込みがなかった。
そして近隣諸国の政治体制が参考にできない。
ザメシハは封建制だ。政治的にはまとまっていない。しかし開拓者であることが、上から下まで連帯感を生んでいる。いずれは無くなるものだ。
ならば帝国はどうか。
帝国は宗教でまとまっている、だから強い。それを為政者は理解しているだろう。つまり、ルキウスに敵対的な宗教を維持するしかない。
だがこの状況は宗教と皇帝の二重権力だ。どこかで均衡が崩れる。そしてどちらに偏っても不安定だ。
(結局はAIの支援を受けた人間が判断するのが現実的か、最低限の能力が保証されるからな。予知・占いはAIの代用と成りえるのか? あれも底上げの一種だが)
帝国と、帝国でいう魔道国――こちら側では諸王国が手を取り合い、ルキウスの支援を受ければ発展できるだろう。
しかし不可能だ。人はそれぞれの利益を求めて動くのだから。
仮に人の全てを完全に制御できたなら、どれほど強いだろうか? それとも弱いのか?
ルキウスはそれが気になった。
「ルキウス様のおかげで平和になりそうですね」
ヴァーラが彼の悩みをよそに言った。
「そうだな。北では帝国の大作戦が頓挫し、東で力を蓄えていたスンディは最後の力を失った。平和というか、力が無いからな。停滞するだろう」
あの戦争に自分は影響したが、遅かれ早かれの必然だったとルキウスは理解する。
ああなる流れは、大状況の中、ずっと前から決まっていたのだと。
ヴァーラは戦争が終わると、急いで戻ってきた。
嬉しそうに「同族がいました」と報告してきた。ルキウスは彼女がああも喜ぶのを始めて見た。
彼女には同族というものは重視すべき要素のようだ。
ルキウスは妖精人と会いたいとは思わない。会うならプレイヤーだ。
自分も知り合いとはいかなくとも、友好的なプレイヤーがいれば安心できるに違いない。
しかし奇妙なほど会わない。悪魔の森の東方で強大な英雄がいたのは、四百年前の戦後の混乱期だけ。帝国側でもそれは同じようだ。
そして他の地域でも明確にプレイヤーらしいのは確認できない。
この大陸の文明圏は、北西の帝国、北東の半島から悪魔の森西部の諸王国、中央南部の砂漠地帯の大三日月湖、南西の黒塩聖跡地域、南東の鮮やかな大地に分かれる。
他の三つは遠く、これまで噂話レベルの情報しか入らなかった。
新たな情報源から得た情報では、一番技術レベルが高いのは黒塩聖跡地域だ。
ここは神代で最も栄えた地域で、強力な発掘品が多いという。
過酷な環境で人口は少ないが、その分人々は屈強らしい。
しかし大陸の反対側で遠すぎる。
悪魔の森の管理もおぼつかない状況で、邪悪の森の超えてさらに先には行けない。
だからルキウスの生活に大きな変化は無く、基本はハンター稼業である。
彼らが地道に仕事をしていると、ヴァーラの帰還から一月ぐらいで伯爵と軍の半分、コフテームのハンターが帰ってきた。
かなり数を減らしての帰還となったが、歓声で迎えられた。勝利の熱狂が街を包んでいた。
しかし国も街も何も得てはいない。
伯爵が貯蓄を放出して悪影響を抑えているが、国中で人が減ったから兵士の補充は困難だろう。
スンディからは停戦の使者が送られた。ルキウスが送らせたものだ。
中枢を掌握したので、どうとでもできた。
双方に戦う余力は無く、そのまま停戦状態になっている。
国境はまだ封鎖されている。戦場では要塞の建築が続けられ、小さな村ができた。
関を管理するための街になるそうだ。
エファンはこの建築を支援している。
当然の措置だが、貿易状況の悪化は、貿易に依存したエファン堅蹄王国とモヌク紫海王国に与える影響が大きく、全諸王国の国力を低下させるだろう。
スンディでは総魔道長にトクリ・サスアウが就いた。
ターラレンをたまに彼と接触させ、献策させ、物資を供与している。
献策した策は当然通る。新総魔道長は自分の意見が通ったと気分を良くしているはずだし、ターラレンの信用も高まる。
問題は地方で、中央と地方には溝ができている。大規模な戦争で負けたのだから当然だ。
スンディ国内は不安定になってきているが、大きな暴動の話は聞かない。
あれだけ魔術師が減っても問題がないのが、彼らに不要さを証明した形になった。
王領では税を軽くさせたので、中央は安定し、農奴は機嫌をよくしている。
しかし治安を担う軍が大きく減ったのだから、いずれ何かは起きそうだ。軍の再編が急務である。
ルキウスが目つきを鋭くしていると、ドッと笑い声が聞こえた。
彼は音源の方を見た。
藤棚の下の机では、じいさんたちが元気に遊んでいた。
色とりどりの球体が空中に浮いて飛び交っている。
「無限に元気だな、年寄り相手でもするか」
ルキウスが立ち上がった。
「私は他を見てきます」
「ああ」
ヴァーラが去っていった。
ルキウスは机の方に向かう。
六爺、未だに名前を覚えていない。全員じじいだ。
黒、白、赤、青、緑、紫のローブを着せているので、ルキウスは色で認識していた。
スンディの人間で復活させたのは彼らだけだ。ヴァーラが勧めたのでそうなった。
スンディとは敵対してしまったし、他の魔術師は人格的に不安があった。
それにルキウスの吸収による死はペナルティが大きい。
魔術師は技術職、科学博士みたいなものだ。本当は少しでも欲しかったが仕方ない。
ちなみに彼らの記憶は戦争の前で止まっていて、戦争自体を知らなかった。
「もう体調は戻ったか?」
ルキウスが六爺の隣に座った。
「まずまずですなあ、しかしなんせ歳ですからな。元気だか死にそうだかもわかりませんな」
赤爺が答えた。緑爺が続ける。
「ここが死後の世界である可能性が否定できない。外に出してもらえぬのでわかりませぬ」
「確かにこうも緑の気が多いのは初めてです。砂漠は見慣れておりますが」
黒爺が言った。
爺たちは全員が色魔術師の素養を持つ。
色魔術は特定の色が起点になっていればあらゆる効果を生み出せる一方、その色の少ない場所では大きく力が下がる欠点がある。
色という普遍性の無い、いかにも人間の主観的な概念の魔法。
ルキウスには物理法則を無視する魔術の非科学性を代表する存在に思えた。
アトラスの魔術は、古代より語られてきた秘術に着想を得ているものが多い。
しかし色魔術は新しい時代を端とする、赤世界の残り香だ。
ルキウスは協会に保存されている貴重な赤の時代の出版物で、色魔法を使ったゲームを見たことがある。
目の前の景色はそれとなんとなく似ていた。
「元気なのはよくわかった」
ルキウスが言った。
「はて元気なものか。今日は寿命が来るかもしれませんな。これを逃れるにはごちそうでも出してもらわねば。がははは」
赤爺が豪快に笑った。
六爺は肝が据わっていてヴァルファーが持て余している。ゴンザエモンとは気が合うようだ。
ルキウスは狂信者にならなくて良かったと思っていた。
「色魔術か。それ、ルールがあるのか?」
六爺は喋りながらも、色の変わる玉を三つ、手で押して空中で滑らせ、誰かへ送っている。
彼らの前には、それぞれ色の違う八つの小石が、縦列で三重になって浮いている。つまり一人の前に二十四個の浮遊する柱がある。
彼らはそれを増やしたり減らしたりしている。
「色は八色、補色以外に色を変えて、すぐに球を誰かに返す。受け取った色を一つ積み、返した色を二つ減らす。相手が持っていない色は返せない。半分の四色が無くなったら勝ちです」
「一応は戦闘訓練、いまやボケ防止ですかな」
「今は三試合同時にやっとります」
「わしは負けとるので、まだ体調が戻っておらぬ模様」
「いつもの事じゃろう」
爺は長年の連携能力で、途切れず被らずに話す。誰が喋っているのかわからない。
ルキウスは色魔術のネタ元の赤世界を思い出す。この状況と近くも遠い。
彼は変化を繰り返す球を見ていると、そこに何かの真理が潜んでいそうに思えた。
「色の見方は生物によって違う。人種同士でも違う。文明によっては色の境目、分類も異なると知っているか?」
ルキウスが言った。
「存じておりますとも、動物に化ければ経験しますからな」
「しかし動物にも、命無きものにも有効か、不思議なものだ」
ルキウスが言う。
「人の観念を軸に開発された術でありましょう」
「意志は規則を曲げるものにて」
「それで神はゲームを見に参られたのですかな。それなら本気を見せて差し上げよう」
「負けとる奴が何を言うか!」
「南の話を聞きたかった。情報が少なくてな」
六爺は良い拾いものだった。彼らは大陸南東から中央部の情報を持っていた。
「はて、最近はボケてきたもので昔の事はとんと覚えておりませんな」
「まあ、飯台ぐらいは払ってやっては」
「請求されてはおらぬがなあ」
「思う事といえば、ここはいっそう夜空が暗いですな」
「南の空は明るいか」
ルキウスが言った。空の話は初めてだ。
彼らは出し渋っているのか、本当にボケているのか、同じ事を何回も話す。
「ええ、あれより綺麗なものなどありませんでな」
「北の人間はこれを言っても信じませんがな」
「気が向いたら見に行く。最大のクエーサーだからな」
ルキウスが言った。
「誰もおらぬ砂漠の南で見る星空が一番美しいでしょう」
「お前、それは遭難して死にかけた時のやつじゃろう」
「こちらの空は退屈か?」
ルキウスが言った。
「そうでもありませんぞ」
「何かあるか?」
ルキウスが聞いた。
「それはもう月ですな。緑の方の」
「南には無いと?」
「あるにはあるのですが、南では遠い」
「軌道の関係か」
ルキウスが言った。
「知りませんか」
「ああ、初耳だな」
ルキウスが言った。
「北の方には日常のこと。気にせぬのも無理はない。気の長い話ですからな」
「二つの月は複雑な軌道で接近と離反を繰り返しています。今は約二千年周期の接近の時期、ここ数年の間に最も近くなるとか。メネシアでは双月の神官が反射の儀を機を知ろうと、毎晩ピラミッドの頂上に上がっておるでしょうな」
ルキウスはその後も、色々と荒れた南部のことを尋ねた。