心機一転
情報構造の皮肉的相似とだまし絵的円環
ボレイン・クレバスは喉が詰まったような息苦しさに目を覚ました。
暗い、彼はそう感じた。横を見れば、光が差し込んでくる穴があった。窓だろう。
窓の前には何かひも状のものの塊があって、その間から光が室内を照らしている。
自分は横たわっている。何かの台に乗っているらしく、床より高い。
どこかの小屋にいる。戦場にいたはずだ。
北・南・東部のハンターと共同で突撃を掛けた。そして精鋭魔術師部隊と衝突したのだ。仲間が多く死んだ。
それからどうなった? 自分は・・・・・・火球の直撃を受けたのだ。
彼は民兵の間をすり抜けてきた小さな火球が、胸元に迫ったのを思い出した。
彼は不安を感じ、体を動かそうとした。
体が酷く重い。重い鎧を着ているような感じだ。
だが実際には簡素な布きれ、ローブ一枚を着ているようだ。
「起きたか」
部屋の方々から反響するように声が響いた。
彼はギョッとして身を縮こまらせ、周囲を確認した。
部屋中がうごめいた。ここはうごめくものに囲まれている。光はそれの隙間をぬって入っていた。
彼は危険を感じ、台の上で即座に起き上がり、この場から逃れる術を探した。しかし突破できそうな場所は見当たらない。
「感謝せよ」
「誰だ、どこにいる!?」
彼は声の元を探した。
「目の前にいるだろう。私が復活させてやったのだ」
「復活?」
喋っているのはうごめいている緑色の何かだ。
「神には簡単なことだ」
「神だと?」
「私は森の神である」
こんな化け物が神だって!? なんの冗談だってんだ。
「お前は私が復活させた。つまりどう使おうと私の自由なのだ」
自分は死んだのか? それでここにいる?
だとしたら、いったいどんな恐ろしいことが待っているというのか。
「どうしても死んだままが良かったなら殺してやるが」
「待て、俺の家族はどうなったんだ?」
彼は不意にそれを思い出した。戦場に入ってからは覚悟をしていたが、生きているなら会いたい。このままでは永久の別れになる。
「それはこの女か?」
緑のつるが白い物をつるの塊の中から引っ張り出してきた。
女性だ。目を閉じていて意識が無い。
「ユーラミア!」
妻のユーラミアだ。なぜ、ここに! そもそもここはどこなんだ?
「女は寝ている。神はなんでも知っている。前もって用意しておいた」
緑のつるが妻をつかんで、前に出してきた。
「受けとれ、疲れる」
「神なのに疲れるだと、神が疲れるものか!」
ボレインが持ち前の勢いを少し取り戻した。
こいつ実は弱いのではないか? しかし武器が無い。素手では厳しい。
「食ベ物を持っていると、自然と食ベてしまう。それを止めるのが疲れるのだ」
「ユーラは食べ物じゃねえ!」
彼は急いで台から降りて、緑のつるから妻をひったくった。
しかし体が重い。ボレインは妻を抱えてへたりこんだ。呼吸がある。妻は生きているようだ。
「ユーラしかいないのか?」
「なんだ、不倫相手でもいるのか?」
「そ、そんなものいるか! 同じ家におふくろがいたはずだ」
彼は行きつけの酒場の給仕や、売春婦が彼の頭をよぎったが、それは黙っていた。
「・・・・・・報告書によれば、姑の嫁いびりが酷いので妻のみ連れてきたとある」
「・・・・・・そんなはずない。おふくろは気が強いが、女手一つで俺を育ててくれたんだぞ」
「根拠が有るのか? ハンターなら家を空けていることが多かろう」
「おふくろがそんなことする訳ねえだろうが」
「愚か者めが、家長たるものがそのざまはなんだ。盲目な者は何も見ることはできぬと知るがよい」
「うねうね野郎が何をいいやがる。おふくろを知らない癖に」
ボレインは憤慨して言った。うねうねに人間のことがわかるはずもない。
「・・・・・・もういい。このはずれガチャ野郎め」
面倒くさそうな声が響くと、つるが伸びてきて、夫婦をつかみ、光の中へ放り込んだ。
「うおあ」
ボレインは妻を抱き寄せる。二人は地面を転がった。ドアから外に投げ出されたのだ。いた場所は小さな木の小屋だったようだ。
光がまぶしい。
「その道を進むがいい、戻ってはならぬ。横道に逸れ森に入れば、死が列を作り待ち受けるであろう。道の先には新居がある」
ドアから声がして、ドアが勢いよく閉まった。そして小屋は草木に包まれて見えなくなってしまった。
小屋の反対側、茂る木々の中に細い道が続いていた。先に何があるのかは想像もできない。
ボレインは呆然としたが、まずはユーラミアを揺すって起こした。そしていま起こったことを妻に説明した。
「今日はいつなんだ?」
「寝た時は三月七日だったわ」
妻が答えた。
「そんなに・・・・・・」
ボレインは絶句した。二か月以上経過している。言われてみれば、戦場ほど寒くはない気がする。
「もう会えないかと思った」
妻が涙を流し、彼も会えて良かったと思った。
「ああ、そうだな」
二人は抱き合った。
「森の神様に感謝しないと」
「あんなうねうね野郎が神なわけあるかよ」
「何言ってんのよ! あのお方が魔術王国を追い払ってくださったのよ」
「え! あれが?」
「そうよ。戦場を颯爽と駆け抜けて、偉大な神の奇跡で敵を消し飛ばしたって、吟遊詩人に聞いたわ」
ユーラミアが自信を持って言った。
「・・・・・・嘘だろ? あれがどう駆け抜けるんだよ」
「戦争にいったのにわからないの? そんなことだから死ぬのよ、あんた!」
ボレインは妻に二か月の話を聞きながら、森の小道を歩いていく。
「おふくろが心配だな」
「・・・・・・お母さんは大丈夫よ」
「何を言うんだ。おふくろは一人で残されたんだぞ」
「あの人は一人でいいって言ってたわ」
「そんなこと、おふくろが言う訳無いだろう! きっと困ってる違いない」
ボレインが怒鳴った。
「じゃあ、なんで私を家から追い出そうとするのよ! あんたの恩給だって、自分が育てたからって、全部取ってよ」
妻が怒鳴り返した。
「え、そりゃあ、育てたことは確かだしよ。おふくろが言うんなら仕方ねえんじゃねえの。言い出したら聞かねえしな、歳だから」
「じゃあ、私はどうなるのよ! あんた、そもそもいっつも私の話聞いてないじゃないの!」
妻が白熱してきたので彼は焦ってきた。彼はこんな時こそ、おふくろがいればいいのにと思った。
「いや、待て。お前の勘違いだって。きっと何か考えがあってだなあ」
「ふざけんな!」
ユーラミアが全力で振り回した腕が、ボレインの顔面をもろに打ちつけた。彼は勢いよく地面に倒れた。鼻先が痛い。折れたかかもしれない。
ボレインはくらくらして、倒れたまま起き上がれない。
心配になったのか、妻が顔を覗き込んだ。
「大丈夫?」
「・・・・・・お前がやったんだよ」
それからボレインは暗い気分で、ユーラミアはどこか晴れ晴れとした表情で、曲がりくねった小道を十分ほど進んでいくと、高さ十メートル以上ある木の壁が現れた。壁はどこまで続いているように感じた。
道の先には門があり、後ろには見張り台が壁から飛び出ていた。
「新入りか。早く入るんだ」
見張り台の男が言った。二人は開いた門の中に入って行った。
中にはかなり広い村があって人々が暮らしていた。
驚くべきことに、この村は悪魔の森の中にある森の神の守護する緑の村だという。
長は雷の預言者らしい。神々が協力しているというのだろうか。
帝国の貧民が多いが、最近はザメシハの人間も加わったらしい。
彼らはその後、村のルールなど説明を受け、村の一員として働いていくことになった。
「無事に村に入ったな。たまに何が何でも横道に逸れようとする奴がいるからな」
ルキウスが小屋の中で人型に戻って呟いた。
「ルキウス様のおかげで幸せな人々がまた増えました。素晴らしいことです」
ヴァーラが大きな寝台を横にずらし、下から出てきた。下には隠し部屋がある。
「幸せかどうかは審議だが、揉めていたし」
「きっと混乱しているのでしょう」
ヴァーラが慈愛に満ちた調子で言った。
「さっきの男を見ると思う。普段、家にいない家長こそいる時には、よく状況を見て指導力を発揮するべきだ。でなかれば、家庭という組織は崩壊してしまうだろう。ヴァーラもそう思わないか?」
「そうですね」
様々な家庭調査でメルメッチが熟練の家政婦みたいになってしまった。家庭内のあれこれを脚色して吹聴するので、ペットとサンティーへの悪影響が懸念される。
「まあ、あそこではカサンドラがうまくやる。村の機能はできてきている」
新しく作った村の人口は千を超えた。帝国の貧民ばかりでは何もできないが、病死、事故死した職人や、事務員を復活させて加え、少しは村の体裁が整ってきた。
装備品と農作物は供与するにしても、自前で安全保障能力を確立するまでいければ、ルキウス的には合格だ。
「カサンドラに任せておけば大丈夫でしょう」
カサンドラはいつも目を閉じていて神秘的な雰囲気があり、落ち着いて話すから説得力がある。村での争い事もうまく仲裁している。
ルキウスは見た目は大事だなと思った。
「うむ。しかしあの足取り、四つ星でもああなるか。最高位魔法でも喪失が多い」
「そうですね。レベルで百以上は減る感じですから」
「五つ星でも多分三百レベルぐらいだからな。でもまあ、戦闘技術は残っているから、死後のペナルティが完全回復すればなんとかやれる。ドニとレニも二か月でそこそこ戻ったし」
死んでも、使える魔法や、戦闘技術、知識が失われていないのは、様々な書物と調査で確認済みだ。
そもそもアトラスにおけるスキルは、リアルに考えると喪失できないものがある。
例えば、〈森育ち〉は森での敏捷力、判断力、その他に〈森林知識〉などが上がるスキルだ。これは森で育ったことで得た経験をゲームシステムに落としこんだ結果で、経験を数値で表現している。
このような知識や経験に、性格、社会的立場を示すスキルは多い。〈森走り〉のように魔法的な力や、〈神格〉のような体質を示すスキルの方が少数派になる。
現実に森で育った〈森育ち〉の人物が死んで復活したとして、記憶はあるのだから、いきなり森が苦手になる訳もない。性格だって失われる性質のものではない。
感覚が鈍っても、森を知らない人間より有利だろう。
ルキウスは魔術書を読んでみたが、強制的に理解を妨げられる感覚は無かった。
スキルとは別に知識が得られている。単純に難しいので身についていないが。
ただし、ある日を境にいきなり剣術が上達したといった経験が、戦士間では常識的にあるものとして語られている。これはどうもスキルの修得らしい。
神経細胞に急速な変化を促すような形で、何かの後押しをしているのだろう。
「しかし神様は受けが悪いな。だが、ずっとカサンドラにやらせると、彼女が忙しすぎる」
ルキウスはこれまで復活者を思い出した。卒倒された時が一番困った。三度も起こさねばならず、泣きわめくので会話にも移れなかった。仕方ないので、果物を出してやった。
「そんなことはありません。偉大な御姿です」
「ヴァーラはご苦労だったな」
「はっ、ありがとうございます」
最高位魔法を使い一日五人ぐらいのペースで復活させてきた。魔力消費的に重労働である。これがヴァーラの限界だ。
それでその後、カサンドラが説明せねばならない。彼女は村の長として人々を導いているので忙しい。しかし、ここの村人と接触させる人間は減らしたい。村は将来的に外部と接触する可能性があるからだ。
「まあいい。あいつで復活の仕事は最後だ。死亡場所と日時が確定している人員の推奨リストは消化した」
ザメシハは戦力維持のためできるだけ復活させようとしたが、実績のある人間に限っても多すぎて全ては不可能だった。
それに復活より金銭の支給を望む遺族が多かった。さっきの男もそうだ。復活した人間が稼ぐ額より、遙かに支給額の方が多いし、復活費用はさらに掛かる。
大金持ちでない限りは、命より金の方が価値がある。それが戦乱の世の常識だった。
それでルキウスが死んだままの人間を拾っている。
彼からしても過大なアトラス金貨を消費したが、村を軌道に乗せるには必要な初期出費だ。
将来、村から組織の運営に必要な人材が得られるのを期待したいところである。
「では帰るぞ」「はい」
二人は小屋を出ると、ルキウスの草木門から生命の木へ転移した。




