終戦
ルキウスは自室に転移した。
そして裸で寝台の上にうずくまった。脱ぎ捨てていた装備は回収しているが、服を着るどころではない。額には脂汗がにじみ出てくる。
彼は体がねじ切れそうな痛みで、言葉を発することもできなかった。どこが痛むのかも不正確だが、腹の内で内臓が暴れているのではないかとすら思う。
余分な緑を脱ぎ捨て人型に戻った体にも、顕著な異常が持続しているのだ。
彼はどうにか姿見の前に移動して、全身を見た。
肌の一部が青や緑に変色し、酷い所は虹色にきらめく。右足のふくらはぎは水ぶくれして、右の肘は炭化して固まっている。
あらゆる回復魔法を試しても、原因を取り除けない。
精神集中するのも困難になってきた。視界が歪んでいる揺れている。いや、自分の頭が安定していないのだ。このままでは確実に死ぬ。
彼は観念してインベントリから小さな壺を取り出した。
腕が痺れているせいで、それを床に落とした。壺が倒れ、白い液体がこぼれだす。
彼は床に倒れるように滑り込み、顔を壺に寄せてこぼれ出る白い液体を飲んだ。
体は瞬時に回復した。体は正常、急激な変化でさっきの感覚も思い出せない。床にぴったりと付いた体が、木のツルツルを感じた。彼ははあ、と息をついた。
神霊薬、最上級の回復アイテム。課金アイテムで同時所有数は一個に限られる。
アトラスなら在庫があれば日付が変わった時、自動的にインベントリに入る。しかしこれが補充されることは無かった。
「どんな原理かね、これ・・・・・・冗長性の高い体でも、火だけは駄目か。やはり火は避けないと、いや問題はあの体か。事前試験は大事だな、あれで上手くいっていればいいが」
ルキウスは服を着て、庭先に転移した。ゆっくりしたい気分だった。
庭にはタドバンが伏せていた。彼はソファに身を投げるようにトラにもたれかかった。
「疲れた・・・・・・ピリピリする」
タドバンが耳を動かし、少し頭を上げた。
「主よ、生きているのか?」
「死んでるように見えるか?」
「どうにも生きているらしい」
「多少焦げたが、それだけだ」
ルキウスはトラの髭を引っ張った。頬肉が吊り上がってまぬけな顔になった。
「ならご飯くれ」
「いま言う? いつものがあるだろ、肉の実もなってる」
ルキウスはトラの毛並みに顔を擦り付けた。やはり微妙にピリピリしていた。
「普通じゃないのがいい。主のくれる物がいい」
「食うことしか考えてないな。外に狩りに行かんのか? 獲物がいるだろう」
ルキウスはこのトラがトラらしく駆け回っているところを見たことが無い。
毛並みはどこをこすっても気持ちがいい手触りだ。体を押してみると骨を感じた。太ってはいないようだ。
「外は危険だ」
タドバンがつまらなそうに言った。
「お前より強いのはいないはずだ。何人か連れて出ればいい」
「ここに食べ物があるのに、わざわざ危険を冒す必要がどこにあるのか。万に一つでも敗れる可能性がある以上、避けられる危険は避けるのだ。過信は死を招く。主が死ぬなと言うから死なないようにしているのだ」
「・・・・・・そいつはその通りだが、お前に言われると解せん」
ルキウスは結局、手持ちの材料でチャーハンを作ってやった。作る間に少しは精神が上向きになった。
「ただ飯最高」
タドバンが米を食い散らかしているので、ルキウスは力なく地べたに座った。
彼は連絡を取ろうと思っていたのを思い出し、通信の接続を試みた。繋がった感触があった。
「あ、ヴァルファー。そっちは問題無いか?」
「今のところ順調に推移しております」
ヴァルファーが返答した。異常な様子は無かった。
「それは良かった」
「何か急ぎの御用で?」
「ちょっと連絡をな。こっちはちょっと散歩がてら、戦場のスンディ軍滅ぼしてきたから。それでも予定に変更はないから」
「は・・・・・・え!? は? それはどういう」
「とにかく気を付けてな。発掘品は危険だから舐めるなよ。それじゃあ」
ルキウスはさっさと通信を切った。説明を考えておかねばならない。緊急だったと納得してもらうしかない。
「サンティーのまぬけな顔を見たら街に行こう」
ルキウスは立ち上がった。
森の中にいると、森の神を見たか、とかを聞かれるかもしれない。それは面倒なので、彼は街に戻ることにした。
いい加減留守にして長い。役に立っているところを示さないと肩身が狭い。
ボジトン湿原には、もう戦場の熱は無かった。
スンディ軍残党は逃げ散るか、降伏した。
ザメシハ軍は自軍の勝利を認識していたが、歓声は聞こえない。
これは人の戦いから、神話の戦いに変わってしまったのだ。彼らを疎外感が襲っている。
戦場の東側で炸裂した恐るべき神の怒りは、数万人を喰いつくしたのだ。強風が吹き荒れ、枯れ葉のように人々が吸い上げられる様が人々を圧倒した。
おかげで東から中央にはあまり死体が残っていない。
所々で火がくすぶって煙が上がり、中央辺りには密林が残っている。火山の噴火は鎮静化してきていた。
戦場では戦利品を漁る者も見られ、極所的に戦闘が発生しているが、疲れ果てた人々は疲れを癒すことだけを考えていた。
そんな中、ヴァーラはうきうきと、ルキウスが脱ぎ捨てていった緑のつるの束を拾い集めていた。このつるは彼の去っていた道に、大量に残されている。元の木に構成しなおす余裕が無かったからだ。
そこに呼んでいたカラファンがやってきた。
彼は五メートルぐらいの緑の大玉を背負っている彼女を見て言った。
「薬いりますか?」
「大丈夫です。鍋を」
「鍋?」
「鍋です。あと、こすもの、器」
ヴァーラは緑の大玉を置いた。
ヴァーラはナイフでブヨブヨとした透明な粘る液体を、緑のつるの表面からこそぎ取っている。そしてそれをこして、鍋に入れて湯煎し始めた。
薪になっているのも緑のつるだ。小さく切られた欠片がシューと爆発的に火を噴き出している。
「何やってんすか?」
カラファンが困惑して尋ねた。
「水分を飛ばすと固まるので」
「・・・・・・それで?」
「食べます」
ヴァーラが魔法で水分を慎重に吸収しながら答えた。
「・・・・・・美味いんで?」
カラファンは表情を変えずに言った。
鍋の中の器の液体が白くなっている。
「味はないです」
「ない?」
「そういうものです」
「本当に大丈夫ですかね?」
「誰でも食べられる性質のものです」
ヴァーラは鍋の中の凝固した白い物をブロック状に切り分けた。
「寒いから、暖かいほうが良いでしょう」
ヴァーラは白いブロックに蜂蜜を垂らした。皿が二つ用意されている。
「俺も食べるんですか?」
「一杯あるから遠慮しなくていいです」
カラファンが器とにらめっこする間に、ヴァーラが白いブロックを口に運んだ。
蜂蜜の濃い甘さと他ではそうないキュッとした歯ごたえがした。
今日はレアな御姿も見れたし、戦争も終わる、良い日だ。神は偉大だ。
しかし少々、黒孔爆弾の爆発が近いように見えた。
主は自分の罠に掛かって死にかけるような可愛いところがあるので、目測を誤ったのかもしれない。
戦争も終わったことだし、早く帰って傍に仕えなければならない。
そこにくたびれた様子の砕魔の盾の面々が来た。
「無事でよかった。戦いは見えてました」
スミルナが言った。他の面々は数歩引いている。視線は転がっている緑のつるの塊に向かっている。
「皆の協力のおかげでなんとかなりました」
「それは何ですか?」
スミルナが緑を見て、恐る恐る言った。
「我が神です」
「ああ、あの――神ですか。なるほどですね。じゃあ、それは?」
今度は目線が食べている物にいった。
「神から出たものです」
「出るんですか・・・・・・」
「一緒にどうです。神の恵みですよ」
量は一杯あるが日持ちしない。それに自分はいつでも食べれる。
「食べます」
スミルナが即答した。
「ちょっとあんた」
チェリテーラが口を挟んだ。
「え、なに?」
「いや、それ材料・・・・・・なんとかしなさいよ。僧侶でしょ」
チェリテーラが途中でグラシアを見た。
「ノーコメント」
グラシアが言った。
「あんたなんとかしなさいよ」
「俺は予定を聞いてくる。敵の死体には近づくなよ。死んだふりがいるからな」
チェリテーラの目が向いたザンロは素早く避難した。
「これは不思議な食べ物。肉? は食べれないの?」
スミルナがもう口をつけている。
「鉄より硬い繊維ですから。よく動く木のようなものです」
「それは無理ですね」
「それは宗教行事なのでしょうか?」
グラシアが尋ねた。
「残された神の恵みを粗末にしないようにしているのです。体は薪にすればよいでしょう。よく燃えます。偉大なる緑神が人々をおもんばかり残していかれたのです」
「これなんて言うんですか」
スミルナが言った。
「ナタデココです」
主がそう呼んでいるので、彼女もそれにならった。
厳密にはセルロースゲルの一種である。酸味はない。これが主の表面を守っている。
なお〈古き緑〉の表層にはニトロセルロースの層があり、よく燃える。
主はこれを知った時、ひどく落ち込み「硝酸、窒素の貯蓄目的なのか? どうせならホウ酸を添加してくれよ、毒効かないし」と言っていたが、彼女には意味がわからなかった。
まあ、ナタデココが生産できるからいいか、とも言っていたので、主の機嫌は悪くないのだろう。
ヴァーラは少し魔力が戻ったので、負傷者の治療でもするか、と立ち上がった時、タリッサが迎えに来た。
「陛下がお呼びだ」
タリッサが娘を一瞥してから言った。
「なぜ?」
「あの神について伺いたいと」
「まあ、それは良い機会ですね!」
ヴァーラは国王にも神の意というものを理解させねばと思った。
「平和的にやってもらいたいが」
「知っての通り、我が神は平和を望まれております」
タリッサはなんともいえない顔で戦場の方を見た。
なお、タリッサが「ちょっとオオカミに変身できるように成りましたので」とティーゼ大臣に報告したが「そうか」の一言で済まされている。
砦の比較的広い部屋では国王から上級貴族が揃っていた。
王が奥に座り、大臣、騎士団長、再び呼ばれた魔法兵団長、ミコクタ・ルカバ同胞団の祭司長、貴族の順に並んでいる。
ギルヌーセン伯は、公爵、侯爵の次に並んでいた。
東側に配置されていた南部・東部の貴族が減っている。ここまで減ると政治に影響が出そうだ。
彼は自分の領の被害も大きいが、特に南部には影響力を拡大して取り込む好機だと考えていた。東部は交易圏の違いから商売敵になるので難しいか、それとも崩し時と考えるべきか。
そこに戦士団長に連れられたヴァーラ・セイントが入ってきた。兜はとっている。珍しい。
戦士団長はそのまま歩き、騎士団長の横に入った。
戦陣とはいえ、なんの勲章も持たない平民は礼式が必要なのが作法だが、赤星のおかげでそれがなくて済むのは幸運だった。
そうでなければ、あの神の代表をどう扱うか、宗教勢力を巻き込む神経質な議論が必要になるところだった。
「ヴァーラ・セイント参りました」
「国王ユグン・クエンタ・ザメシハトである。こたびの戦における活躍は見事であった。直接見ておったぞ。いずれ褒美を与える」
国王が直接名乗った。大臣を介する気がないということだ。
「ありがとうございます」
伯爵は敵を追い払うので必死で、攻撃を逸らしきれず乗騎が矢を受けるほどに追い込まれていたので、後方には気が回らなかった。
しかし聞けば、彼女の魔法で何やら陛下にまで妙な物がまとわりついたらしい。これは流石に大問題だが、それは問題にせずに評価したということだ。
「尋ねたいのは、先ほど現れた森の神についてだ。そなたが信仰する神格に相違ないか?」
「はい」
陛下は役者でいらっしゃるので顔に出さないが、当人が戦士団長より強く、その親玉まで現れたとあっては恐怖があるはずだ。そうでなければ困る。
「かの神いかなる神か?」
「略奪者を好まぬ性質ですが、通常、森の外部には干渉されぬお方」
「ならばどのような意を持って、降臨されたのか? 我の知る限り、神託も祈祷も伴わず、直接降臨された例を知らぬ。神使が使わされるも稀」
「神の意は神のみが知るところ」
「それはそうだが」
「人は神に感謝して過ごしていればよいのです」
「王に向かってその言い様はなんだ!」
横から声が聞こえた。南部のオブラ・デンヌ・クルック公爵だ。
「黙っていろ、まぬけ」
すぐに伯爵から鋭い言葉が出た。彼は最初から機会があれば口を挟むつもりだった。
それに彼女対貴族の構図になられては堪らない。
「まぬけだとう、ギルヌーセン。それにお前は伯爵だろうが!」
「だからどうした?」
伯爵が公爵を睨みつけた。
(馬鹿の三代目が! 次代がまともでなければ斬ってもよいと思えるぞ)
「どうしただと! ふざけおって。その女はお前は連れてきたハンターだろうが! ならばお前の身内、虚を用いて功をかさ増ししようとしておるのではないか。そもそもあれが神だとなぜ言い切れる。何もわからぬのをいいことに好きにしようとせいても、そうはさせんぞ!」
公爵は少し怯んだが言い返した。
伯爵からすれば、ありがたい言いがかり。
彼女が自分の駒と認識してくれる者が出れば、それこそもうけものだ
「ガタガタうるさいぞ、まぬけ。決闘がお望みなら、誰を立てても私自らが受けるが?」
伯爵の気迫に公爵が気圧された。
この状況でギルヌーセン伯に逆らう者はいない。相手が公爵であっても。
ギルヌーセン家はどの公爵家よりも金と軍事力を持ち、さらに川の最上流を押さえ、西部貴族との結束が強く、王家からの信頼も厚い。
そして敵左軍を崩壊させる武功を上げたばかり。唯一の勝利者と言ってもいい。
だが今は違う理由がある。
公に神を批判するのは、誰であっても愚劣の極致。場合によっては邪神悪神ですらそうだ。
神の怒りを買えば、定命の者などそこまで。
そして事実に関わりなく、領地で災害でもあれば、領主の不信心が原因になる。
神には触れないのが最善、それが常識。
ましてや、神が暴れて帰ったばかり。
それもかなり意思疎通に支障がある、上下左右すらわかりにくい神ときている。
「そこらにしておけ、セッター。オブラは動揺しておるだけよ。大事が起きたがゆえにな」
「陛下のお言葉とあれば」
公爵は貴族たちの険しい目つきに気が付いたのか、黙った。
「しかしどうすればわからぬのは事実、指標が欲しい。我らは偉大な神ついて何も知らぬがゆえに」
国王が言った。
「平素より神の身を伐採し恵みを受けているでしょう。偉大な神は、人に恵みを与えることを拒むものではない」
「と言うからには、かの神は木であると?」
「全ての緑は神の体、人の生活する場にあるものは全て。加工された木材であってもそうです。神の意あれば、神の身に返るもの」
「なるほど」
「しかし度が過ぎれば、怒りも当然」
「魔術師が火を点けたと聞こえた」
「しかり。正しい森の利用より逸脱していると判断なされた、と推測しますが、それも神に尋ねるべきこと」
「使うなら大事に使えということか」
「一般的な解釈ではそうなります」
「・・・・・・そなたの神に関して、国が何かするべきことはあるか?」
「そもそも森を使うなら、一言ぐらいあいさつしておくべきでは?」
「もっともよの、考えておこう。ふむ、今日はここまででよい。また尋ねるやもしれぬが」
他に現実的な問題が山積している。自陣に帰る必要がある諸将も多い。
王が話を終えようとすると、ミコクタ・ルカバ同胞団の祭司長が、少し王と言葉を交わした。そしてヴァーラに言った。
「お嬢さん、一つ問いたい」
「なんなりと」
「神はいつ頃より、悪魔の森に御座すや」
「昨年より」
いきなり具体的な数字が出たので、貴族たちの表情が少し動いた。伯爵もだ。
もしかするとあの二人は、それ知ってコフテームを訪れたのかもしれない。
「それはずいぶんと最近じゃの・・・・・・少し森の気配が変わったのはそのせいかね」
「主はどこにでもいる。しかし特に悪魔の森をご覧になっているということ。それを念頭に行動されるがよいでしょう」
「そうだねえ」
「他には?」
「ありがとう、お嬢さん。それで十分じゃ」
同胞団の老婆は色々と考えている様子だった。そしてヴァーラは退出した。
ここからは政治の時間だ。場は前例にない混沌に覆われている。国内はボロボロ、スンディはあの顛末では今後が読めない。かといって攻め込むような余裕は無い。
しかし出番の無かったエファンが、戦争したがる可能性が無いとは言えない。
王の判断で国内の権力バランスが揺れ、全ての外交関係に影響がある。
伯爵は今日は長くなるな、と思った。大臣の二、三人は倒れそうだ。