黒孔
戦場の視線が眩い光へと集まった。
火口の煙が黒い影を作り、明るい空と対照的になっている。
光は天の中心を覆ったぐらいで収束を始めた。
空が痙攣したように点滅している。見る者はその光景に息をのんだ。
しかしルキウスだけは違和感を感じていた。
集束が早過ぎる。限界まで魔力を込めた一撃、空一面が光で染まるはずだ。
輝きは急速に一点に集束し、赤い老人が姿を現した。
肌は焼け焦げ、赤いアカデミックガウンはボロボロになっている。
ルキウスは耐えられたことに驚き、同時にこれにも違和感を感じる。大魔道士にしても損傷が少ない。だが耐性があったにしては大きな損傷。
そして気が付く。
まだ光源は残っていた。赤く濃縮された光が。
老人の杖の先端、赤水晶が輝いていた。
「死ぬものか……お前を灰にするまでは死なぬ。灰になるがよい、化け物!」
赤水晶が太陽の如き火に包まれる。
(……まさか、よりにもよって太陽光吸収? 熱変換か!)
杖から赤い光線が放射状に放たれた。それは炎の器でふたを被せたように見えた。
ルキウスはかすかにジュウという音を聞く。
視界――眼球ではない全身にあるなんらかの光学センサー、そうでなければ、外部から特殊な手段で獲得しているとしか考えられない情報が炎で埋まる。
「ギガガアア」
森が熱で爆発した。木の幹が宙を舞い、水蒸気と煙が一瞬で戦場を覆う。やがて光線が細くなり途絶えた。
徐々に煙が風で流され、人々の視界が確保される。
炎を散りばめた黒い森の中には、炭化した黒い山があった。
木の燃える音だけが聞こえるている。なんらかの終息感が見る者の心を支配し始めた時、ガゴンッと黒い山が爆発、緑の針が無数に飛び出した。炭が派手に飛び散り兵達の頭の上に降り注ぐ。
巨大な緑のイソギンチャクと表現できるものが現れ、その触手がつかむものを求め、全方位へ手を伸ばしていく。
「コロスコロス、全部コロス、大地ニ居ル者ハ全テ」
数百メートル伸びた触手が暴れ回り、つかんだものを手当たり次第吸収していく。空を、密林の中を、南北の兵を求めて触手がのたうつ。
老人は高度を上げて避難しつつ、ポーションで回復した。
「この火力で足りぬというのか」
老人は悔しがったが、ルキウスは体の半分以上を失っていた。危険な状態だ。
猛烈な渇き。憎悪が心を、全身を埋め尽くす。
しかし、意外なものがルキウスを冷静にした。
憎悪そのものだ。自分が憎悪を持っている、そう認識した瞬間、明確な思考空間が確保できた。ただし体の動きは止まらない。
体が自動的に暴れる中、本能と思考が分離したのだ。
(錯覚だ、錯覚だ、錯覚だ。魂だの霊体だの糞くらえだ。宇宙は量子。空間も時間も量子。感情は電位。俺の脳はここにはない! いつもと同じだ)
彼は中枢神経を騙そうとした。ヒトでできるなら植物でもできると。
ヒトは興奮した時には呼吸が浅く速くなる。活発に活動するためだ。
しかし、意識的に深呼吸すれば、興奮状態から落ち着くことも可能だ。順序が逆だができるのである。
ルキウスは深く根を張って光合成を試みた。少し落ちついた気がした。
だがあいにくの戦闘中、火の嵐が彼の体を焼いた。
(ソーラーロケットジジイがガガガガギ! ギギギ、NOEAT、NOEAT)
落ち着くには厳しい状況だ。多数の触手を空で振り回したが、簡単にかわされた。
(俺は植物。窒素、りん、カリウム、日光、光合成、光合成、愉快な光合成)
ルキウスは心の中で陽気に歌い、なんとか精神を落ち着けようと試みる。
走している間に、北のスンディ軍が南向きに立て直し、魔法と火矢がまばらに飛んでくる。触手がその一部を薙ぎ払った。
(肥料おいしい)
「喰ラッテヤルゾオオオオォ」
ルキウスは混沌に呑まれ、精神の高揚、抑鬱が激しく変化していた。
触手が人生に迷ったように振る舞い、絡み合って不自然な動きになっている。
どうにか思考して、無理してでも空の老人を先に仕留めねばならないとの結論に至った。
彼は北からの攻撃を無視して、全力で空だけを見た。
伸びた触手で大きく見えるが質量は減少の一途だ。死が近い。ならば手を変える。
「我ガ炎、思イ知ルガイイ」
老人は炎と聞き、わずかに気が緩んだ。
しかし、火に代わって空に湧きだしたのは赤い粉塵。
老人は火の時と同じようにそれに突っ込みかけたが、急旋回して逃れた。
しかしゴホッゴホと咳き込んでいる。
「ゴホッ、これ、は」
〔赤の棘/レッドプリックル〕、カプサイシンの粉末による旋風を起こす中位魔法。
(辛さで焼かれろ)
老人の飛行がふらつく。そこを緑の鞭で狙ったが火の嵐で焼き払われた。鞭が中頃から崩れ、そこから先がどこかへ飛んでいった。
細く伸ばした体は弱い。最も細い先端は当然、中頃でも火を噴き出し一瞬で炭にされてしまう。
(あの状態でやるか。解呪は届くが通らんだろう。あの飛行も明らかに火魔法。雷雲城はコフテームでやった。普通の雷撃でやるしか、土の対属性は避けたかったが、電気を放つ植物はいる)
触手の先端から飛び出した雷撃が老人を狙う。老人の機動は激しくなったが、完全には回避できない。
〔雷撃/ライトニング〕が何度も老人を捉える。しかしダメージはない。雷に対する防壁があるからだ。
それでも雷撃を続ける。防御魔法を張り直す間は攻撃できない。火の嵐を浴びる頻度が減った。
しかし足元では攻撃が酷くなっていた。体中が発火している。
このままでは五分せずに死ぬ。
属性の相性はどうにもできない。他の問題は機動力差だ。ルキウスはダメージを軽減する手段がない。攻撃時にも深く追えない。
(この体は飛べない……がそうだ、体自体を伸ばせるんだから)
ルキウスは【古き緑】という生物を理解してきた。敵を追い回せる体ではない。自らを伸長し、射程内の敵を攻撃するようにできている。そして本来は森に溶けこんで存在するべきものだ。
ルキウスは全ての触手を同時に空を放った。最初から老人を狙っていないそれは、空を埋め尽くしてもなんにも当たらない。だがその全てが電気をまとい、全方向に雷撃を放った。
空に雷撃の網が張り巡らされ、老人は網に触れた。
「ぐあああ」
老人が苦痛に叫んだ。
高位魔法〔雷撃爆発/ライトニングバースト〕、これが一気に防壁を破りダメージを与えた。
威力は大きいが射程の短い接近戦用の電撃。体が伸びるなら攻撃に使える。
老人は煙を出しながら落ちていく。
ルキウスはとどめの一撃を叩き込もうと、触手をより合わせ太くし、太い鞭を作る。それがゴウと風を切る。
「ぐぬ、〔火の友の防衛陣/ディフェンス・バイ・ファイアバディ〕」
ボロボロになってうめく老人の体から白い煙が噴き出した。それは凄まじい量で、瞬時に広範囲に立ち込める。ルキウスのいる辺りは何も見えない。鞭が空振りした。
ルキウスは召喚術と判断し、解呪を試みて失敗。二回目で変化術と判断して成功した。
しかし煙は残っている。ルキウスは光を遮られた暗い檻にいた。
風魔法で流そうとしたが、煙はそこかしこから湧き上がって途絶えず、意志を持って彼にまとわりついた。
(再発動されたか、しぶとい。この煙は実体、周囲の物体を利用している。魔法を消しても煙は残る)
周囲の森、湿原の枯れ草は激しく燃えている。煙の供給源は潤沢だ。
(煙爺め、魔法の効果が最大になるまで待っていたな)
彼は煙を諦め、魔法で老人を探したが、熱探知、魔力探知で空振り。距離がある上に、多くのダミー反応。しかもそれは増え続けている。ダミーは他の魔術師も手伝っていそうだ。
これはルキウスがよくやる手だ。対処手段は知っている。自分も身を隠す、敵に紛れる、戦いに付き合わずに退く、視界不良の原因を除去する――どれも実行不可能。
そして老人の火の嵐が正確にルキウスを焼いた。
ルキウスは幸運に期待して、広い空をやみくもに攻撃するしかなかった。
クワの老人は熱風と清涼感のある強い芳香で目を覚ました。
竜脳が鼻孔から脳髄を貫き、記憶の奥にこびり付いた蒸し暑い日々を思い起こさせる。
爆音、そして飛び散った木々がゴロゴロと転がった。これも懐かしい音だ。
熱風と咲き誇る花々、そして黒い羽根が蓄えた、豊かな土の元となる匂いを嗅いだ。
自分の体は何かの木に引っ掛かっているらしい。
体は冷え、意識は混濁している。正しい終わりが迫っている。
下の方では大勢が騒いでいる。戦争はまだ続いているのだろう。
「今の内に逃げるんだ」「家に帰りてえ」「今どうなってるんだ?」「みーんな死んじまええ」「アヒャヒャヒャヒャ」「動いたらやべえだろ」「神の祟りがあるぞ」「あれが本当に森の神だってのか?」「じゃなかったらなんだってんだ」「北側に逃げるだよ」「勝利は目前だ、奮起せよ」「ううう」「死にたくねえ」
彼はそこから一つの単語を聞き取った。
「森の……神?」
彼がわずかに目を開いた。煙の渦巻く足元、黒い大地の上に蠢く緑のつるが見えた。
「認めん……以外には……終の備えを」
彼が遙か昔に使うまいと思い、処理に困っていた備えを使う時がきた。
彼はインベントリから、黒い球体を取り出した。そして上部を強く押す。
表面には球体を一周する赤い光点の列が現れた。
「〔古き緑/グレートオールドワン・ヴァーダント〕多しといえども、大統領をおいて……ほかには……」
老人は腕をわずかに動かして、黒球を手放した。投げた、とはいえない腕の動き。それでも球体は自前の飛行能力で煙へ向かって旅立った。
彼は投げた勢いで地面に落下した。そして二度と目を覚まさなかった。
ルキウスはこの状況を諦めかけていた。自前の目隠しを用意して、危険を覚悟で人型に戻る。全力の一矢で老人を仕留め、すぐ元に戻る。それしか手がない。
それは深刻な状況を招くかもしれないが、このままでは確実に殺される。
ルキウスが飛来物を感じとった。北の連中の飛来物とは違う物だ。
それは南側から彼の背を越えて飛んできた。だから気には止めなかった。
彼は最後の迷いの中で、老人に攻撃が当たることだけを期待し、必死で神頼みしていた。
彼が老人がいると想定している方向に、飛来物が侵入し、自然と目に入った。
黒くて丸い球体、ゆっくり回転している。赤い光の点滅が見え、気を少し引いた。表面には凹凸の印字があり、英語でコラプサーと書いてあった。
ルキウスはいったんそれを見なかったことにした。しかしすぐによく見直した。
(ノオオオオオオオォォォォォォ、携帯型の黒孔爆弾んん。どこの馬鹿だ、こんなもん発掘しやがったのは、それ以前に造るんじゃねえよ!)
彼は一瞬で正気に返った。
コストが高く滅多に生産されない最強の投擲用武器。耐性がなければ最高レベルでも即死させる威力がある。彼は酷く恨まれているので、たまに投げられることがあった。
忘れようもない凶器。それが目の前を普通に横切ったのだ。
赤のカウントは三秒。体を戻す時間は無い。全力で逆方向へ滑るように駆ける。
「待てい、また逃げるか」
老人の声が高くから聞こえた。体が焼けるがどうでもいい。ひたすら走った。そして三秒。
非常に小さな黒点が出現した。それは赤い淵で彩られている。
そこに周囲の煙が一瞬で吸い込まれ、さらに光が消えていく。暗い球体が膨らむ。
老人が凄い形相で何か叫びながら黒点に吸い込まれた。破壊的な風の音が場を満たす。
人々に、森の木々が次々に大地から剥がされ、片っ端から穴に突っ込んでいく。
ルキウスは森津波を使い、体を全力で遠くに引き伸ばし、さらに土の中に根を張っていく。
「ガギギギ」
ルキウスの体がぶちぶちとちぎれた。否、近い部分を故意に分解したのだ。
彼が残った体で必死に地面に潜り、早く終わることだけを祈っていると、黒点は消滅した。
ルキウスは警戒しながら、残った森を吸収して体を増やした。
戦場は硬直している。両軍の誰もが呆然自失だ。次の黒孔は無いらしい。
(熱い。何か……体がおかしい)
オリジナルの魔法か、知った呪文障害か、スキルの効果か不明だが、なんらかの効果、毒や呪いが発動し、体をむしばんでいる。
完全耐性があるはずだが、火を通しての異常は受けるのか。体は増やしたはたから、ポロポロと崩れている。
また意識がばやけてきていた。脳が熱されたようだ。限界だ。
彼は戦場の北中央に出ると、軍を刺激しないようにゆっくり進んだ。巨大な塊が波打ち、軍勢へ這っていく。
下の方でヴァーラがひざまずいているのが見える。人々は凍りついている。鳥に乗っている人達は何か元気に騒いでいる。武器や死体が散乱していた。
ルキウスは本陣まで来た。周囲に攻撃の動きはない。無数の目が見上げている。
砦の上には、偉そうな男と護衛らしい騎士。
ルキウスは顔的な構造を作って、そこへにゅっと伸ばした。護衛の顔が蒼白になっていた。
「森ヲ燃ヤスナ。サモナクバ国ハ森ニ沈ムデアロウ」
偉そうな男は声がでないのか、うなずいている。
森の神はそれを見ると、西の森へと去っていった。




