森の神2
ルキウスはおおいに焦っていた。ぬめった体が乾いて感じるほどに。
彼が対策を決定し、ちょっと戦場を確認に来たら、ヴァーラが本気で戦うレベル敵が召喚されたところだった。
スンディは最高レベル級の戦力を持っている! 見くびりすぎた。
この調子ではワシャ・エズナの方もどうなっていることか。ここは武力で速やかに終わらせるしかない。
彼の予定では、戦場のど真ん中に降臨して仲裁するはずだった。
適当に因縁をつけて、神としてどやしつければ停戦ぐらいはすると計算した。
それに従わないようなら憎まれ役になっても構わなかった。両軍仲良く粉砕されれば、連帯感だって生まれる。
その上で従うなら継続的に宝物を与え、神託でも下す。それなら影響力を残せる。
そこから緩やかに東の国々を導けばいい。これなら彼の仕事量も少なく済む。
手持ちの駒から考えれば、間接的支配が最適解。
皆が幸せになる幸福計画で、ルキウスは「完璧だ!」と自画自賛していた。
なんにせよ、彼は問題になるのは後始末の方だと考えていた。だというのに、その前でつまづいてしまった!
(第二計画だ。スンディは完全に崩壊させる。奴ら、力を持ちすぎている。腐敗した上層部を根こそぎ除去して改革させる。といっても、そのやり方はこれから考える予定だったのに。どうすりゃいいってんだ!)
焦ってはいても、どうにか頭は機能していた。
彼は脳がどこにあるのかをつくづく疑問に思っているが、人間同様全身に自律神経が張り巡らされているらしく、自動的に近くの栄養を吸収している。そこに意志は無い。
彼は発火しやすい神経細胞を恨みがましく思いつつ、胃腸が外部に露出して機能しているとの理解で、体を動かしていた。
この体がどこまで耐えられるかわからない。一辺でも残っていれば再生できるかもしれないが、ここでそれを試す気になるわけもない。
(体がでかくなった分、生命力は増えたが防御は紙。回復魔法が焼け石に水になった。攻撃に出るしかない。切り札の大魔法は既に使った。まずは物理で押すか)
その不思議な体は、全方向が見えていた。しかし意識していない方向が認識できないのは、探査魔法と同じ感じである。
彼は進行方向を見る。
足元では逃亡者の波が起こり、多くの後頭部が並ぶ。
少し進行方向を変え、大地を揺らす雄たけびを上げれば、後頭部が増え絶叫が連続した。
人波にぶつかれば魔法の使用に支障がある。そして戦意のある部隊は接近できない。
(完全にパニック。緑膿菌は効果を発揮している。いきなり体が緑になれば驚く。態勢が崩れている間に減らす。減らした分だけ俺は増える。この体の操縦訓練をしといてよかった)
緑の塊が人波を飲み込み走る。砲撃も魔法もまとめて飲み込まれているように見えた。
そこに数十の火球が横撃を加えた。爆発の並びが模様を描いた。
ルキウスがその衝撃と熱で止まる。焼けつく痛みが拡大する。
(くそ、圧力を掛け続けないとこれだ。根性あるのがいる、いや、むしろ戦争で狂ってるのか? 魔術師が多過ぎる)
斬られても痛みを感じない体でも、火傷は高熱が張り付いたように痛み続ける。情報の波の中から拾いきれないだけで実際に炎上している場所がありそうだ。
ルキウスは巨体というのは不便だと感じた。人間の痛覚とて、実際の損傷部とずれる。この体の感覚は当てにできない。
「火ナドオゥ、効カンワアアアアア」
ルキウスは叫び、体をいったん収縮させた。流線形の体が半球型になる。
(火を放つ者から真っ先に死ぬと学習させてやる)
緑の半球が、液体を大地に叩きつけたように爆発した。緑の濁流が低空を滑り、投網のごとく魔術師の集団に覆いかぶさった。
質量と速度が多くを押しつぶした。それにとどまらず、絡みあったつるが、猛烈な勢いでほどけ広がっていく。何もかもが押し流される。
劇的な速度で薄く伸びた緑が、軽く波打ちながら南側の軍勢の半分ほどを飲み込んだ。そこでやっと緑の拡大は止まった。
弱き者は瞬時に分解され、いくらか能力のあるものは歯ごたえを提供した。
これはレイドボス〈緑の古き神〉が使う森津波。攻撃範囲は広いが、もろくなる。
〈緑の古き神〉を倒すには、森の中を埋め尽くすこの体をかわしながら、薄く広がった緑に火魔法をどれだけ打ち込めるかが勝負を決めた。
つまり特に火に弱い形態、大きなリスクを含んでいる。
だが彼は、命よりも先に精神の限界が来る心配をしていた。
(ああ、肥料美味しい……じゃねえや)
意識していないと自然と美味い物が多い方へと体が流れる。それを何度も引き戻していた。抗いがたい強烈な本能的欲求がある。
本能は脳機能に依存するもの、人の衝動は全て人の脳に起因する。
この脳の無い体は無限に広がりたい。全てを自分にしたいという無限増殖願望を持っているらしい。
(消化できないのは、魔法金属か。歯に物が挟まったような違和感があるな)
伸びきった体は身動きが取れない。ルキウスは元の塊に戻ろうとするが体が重い。これは筋力を要する。
緑の膜が心臓の鼓動のように脈動して、少しずつ中央へと集まっていく。
敵はそこをチャンスと見たのか、火球などが体中を焼いた。
裂かれるような痛み、痺れるような痛み、周期的な痛み、痛みの種類が増えていく。
(まだ戦意がある。指揮系統が残っているのか? 全部腹に収めてやるぞ、人間どもが! いや目的は……目的はなんだったか)
体が焼かれるたびに、もりもりと練り上がっていく憎悪が、思考を奪い取っていく。
明示的な意識が焼け落ちている。狂っていくのがわかる。思考がまとまらない。考えている途中で何を考えていたのかを忘れる。
意識を縛った鎖が一度ちぎれたなら、もう戻れない気がした。
そうなったなら部下は、友は、どう思うだろうか? わからない。
彼の目にはまだまだ大地を埋め尽くすに足りる人間の群れが映る。
(多いなあ……そう多すぎる、効率的にやらないと。それに食べるほど底知らずの欲が高まる。やめたほうがいい)
「ギグギグギグギグ、調子ニ乗ルナヨ、人間ドモガ! 〔火山/ヴァルケーノ〕」
南東の大地の一角が、いぼ状にこんもりと盛り上がった。
そして大地の興奮を伝える重い破音。
赤熱した粘液による噴水が生まれた。空高くに上がった赤は、重力の導きにしたがう。
噴石が降りかかり、溶岩が流れ出た。火口からは黒い煙が空へと昇る。
異常に次ぐ異常、二つ脅威に挟まれた人々は完全に狂気の底へ落ちた。
噴石が目の前の人間を潰しても何も感じなくなり、あるいは味方同士で殺し合い、南の軍勢は麻痺してきた。
ルキウスは溶岩の流れに張り合うように、戦場の南東側へ突貫する。
赤の流れと、緑の流れが、南の戦場を染めた。
しかし魔術師なら逃げることも、恐怖に耐えることもできる。
「逃ガスカ」
ルキウスは体を高くへ伸ばし、飛行して逃げようとする魔術師の集団をラケットで打つ感覚で、溶岩流へ打ちこんだ。
ルキウスが徹底的に殺し尽くしているのは、ひたすらの善意による行動である。
この数の軍勢が統制を失えば、地域の不安定化は確実だ。後に影響がある。
彼は流れ出た溶岩流の淵まで軍勢を押し込み、赤に溺れる者達を見届けると、向きを変えようと動く。
まだ万単位の兵が四散してチョロチョロと逃げているが、全てを追ってはいられない。まだ北側に敵を残している。
(荒いが、あっちはこれでいい。だいたいはオーラの影響を受けた。背中に張り付いた恐怖に追われ、正気を保てないはず。森の中に戻らねば)
ルキウスが北へ動き出した時、頭の中で火事が起きた。視界のすべてが燃え盛る火炎で満たされ、高熱で体が溶けたような錯覚。
これまでとは別格の痛みと、消失感。意識が白と赤でチカチカ点滅する。
彼はただ前を見つめて、どうにかうめき声を抑えた。
そして理解した。体のどこかを激しく焼かれたのだと。
(火炎! どこからだ?)
彼は敵を探した。南の軍とはもう距離ができている。火球は射程外だ。
ならば森の中か、しかし探してもそれらしい者がいない。
遠距離から爆弾でも放り込まれたのか? それにしては爆発音が無かった。音は炎の踊り狂う足音だけだ。
視界がまたちらつき、意識が減る。
全身をこするような音が耳にまとわりついた。
焼かれているのは、上の――頭らしい物がある所だ。
(〔火の嵐/ファイアストーム〕! 上か! この体、聴覚に難がある。耳が多過ぎる)
高度百メートル、炎を翼のように噴出させ飛行する赤い老人がいた。
ルキウスは思い出した。総魔道長とかいうのが火魔道士であるのを。
彼の体はこの二撃で、二〇〇平方メートル以上の体を失っていた。かさぶたのようにできた黒く乾いた炭が、ガラガラと流れ落ちた。
「化け物め、我が百五十年の研鑽を見せてくれようぞ」
炎の老人が言った。ルキウスのうねり方で、意識が向いたのに気付いたのだろう。
「オ前カアア、森ヲ焼イタ、罪人ハアアア!」
ルキウスは体の一部を伸ばし、鞭のごとく振るった。
老人は火を勢いよく噴射して加速、余裕をもってかわした。
さらに空を切り裂く鞭がビュンビュンと連続したが、様々な方向に火を噴く見事な軌道で、全てがすいすいとかわされた。
「鈍いわ」
火炎がルキウスの表面で炸裂する。炭化した部位がこぼれ落ちる。
戦闘に耐えられる飛行能力があるか。
「火ナド効カン、喰ラエ」
ルキウスは〔火の嵐/ファイアストーム〕を発動。
空と老人が火の嵐に包まれた。
「こちらのせりふだ、化け物」
老人はまったく焼けていない。そしてルキウスが焼ける。
(自力の火属性無効なら、アトラス換算〔大火魔道士/アークファイアメイジ〕百以上! 六百レベルはある)
ルキウスは老人を観察した。赤いオーラでわかりにくいが、その下地に厚みのあるオーラが見えた。〔上位人間/ハイヒューマン〕であることを示していた。
百歳を超えているのは事実か、つまりそれだけレベル上げの機会があった。魔力は四〇〇〇以上あるな。完全特化型なら火では三倍以上の破壊を生み出す計算。
老人に魔力が集まる。それに合わせてルキウスも火の嵐を発動する。狙いは相殺。
魔力量はルキウスの方が上、裸でも六〇〇〇ある。魔力という燃料が、火に変わる前に直接比較する。
二人の中間で魔力波が衝突した。
ルキウスの集めた魔力が散った。同時に火炎がルキウスを焼く。
押し負けた。彼はその事実に驚愕する。老人が極限まで鍛練した火の魔術と、森への執念の成せる業か。
(あの機動、遅い攻撃は当たらん。火では押し負ける。広範囲魔法、でなければ雷撃か光が常識だが)
空への攻撃手段は魔法しかない
しかしここにはギルヌーセン伯がいる。森の神とルキウスの使う魔法が丸被りするのは、別の問題を招く。
彼が考えていると、北の戦場から大きな火球が上がった。ルキウスはそれに風をぶつけて散らす。
しかし、大火球はどんどん上がってくる。切りが無い。
(こいつが指揮官か、いや戦いながらでは無理だ。とにかく森へ、体を補充しなくては。すべてに魔法で応戦しては魔力がもたない。陸の敵は押しつぶす)
ルキウスは森へと走り、指揮所を探す。その間も火炎が襲い、肉体以上に精神が蝕まれていく。
「逃げるか! 化け物め」
(ロケットジジイが! シュットーゼの方が数段上だ。弓が使えれば一撃で殺せるというのに)
ルキウスは森の木々を取り込み、減った体をまた増やしていく。
その回復を見てか、老人は火の精霊の群れを呼び出した。
召喚された動く炎たちが、森を燃やしながら接近してきた。
「使徒タチヨ」
地面から緑のつるが巻き上がりながら生え揃う。多数の緑のつるで構成された人型、それが動き出し、火の精霊と組み合った。
〔緑の使徒/ヴァーダントディサイプル〕、緑の神に仕える者。
(相性は悪いが、一回はノーコストだ)
ルキウスは緑の使徒に火の精霊の足止めを任せ、北東側に顔を出した。
戦場がどよめく。
北東側にいくつか魔術師の集団が確認できる。東の方にあった陣は、森に撒きこまれていない。
(あれが、主力か)
ルキウスが突撃する順を模索していると、空からパラパラとクリーム色の小石が降ってきた。
老人が撒いた物だ。それはかすかにシューという音を出していた。
瞬間、ルキウスの全身が燃え上がった。森にも火がつき、燃え広がっていく。
これまでと別次元の火力だ。
(グギギギ、酸素! クソ、だが地面にいる奴が先だ)
ルキウスが火の海から逃れ、魔術師の集団に突撃すると、彼らは空へ飛びあがった。
(お前らは火が効くだろう。それに遅い)
ルキウスの火の嵐が飛行集団を直撃する。しかし無傷。
これはわかっていた。一時的に付加された火属性耐性だ。強引に押し切れる。しかし、魔術師達は空で散って逃げ始めた。
(面倒な、ザメシハ兵がどこにいるかわからん)
ルキウスが追うのを躊躇していると、魔術師がいきなり地に落ちた。さらに二人、三人と落ちていく。
体に矢が刺さっている。矢が来た方を見れば、かなり遠くから飛んでいた。
(助かる。話のわかる奴がいるらしいな。機を読めている)
射ったのは鳥騎兵。彼らは南北を往復しながら矢を射続けた。
北の停滞した戦場で、彼らだけが駆けていた。
「馬鹿なあ! 森を征服できるのだぞ! その機会を捨てるというのか」
老人がそれを見て、凄まじい形相で叫ぶ。正気には見えなかった。
(だってお前ら侵略者だし、ザメシハは森への敬意と畏怖がある)
だがルキウスも厳しい。老人の怒りが火炎となって身を焦がした。
(邪魔が入らないなら余力はある。空ごと焼いてやる。火と太陽でな)
「〔太陽面爆発/ソーラーフレア〕」
老人の至近より、強烈な光が爆発した。太陽をいくつも重ねたような、目がくらむ白だ。それが戦場のすべてを染めた。




