森の神
星空を落としたように、緑の流星が絶え間なく降り注ぐ。
地面に刺さった流星は、緑の波紋を発生させ、その広がりに合わせて草木が芽吹き、急激に成長した。人々を見下ろす円形の森が生まれ続ける。
巻き添えを食った兵は百年の時を先端で経験し、不運な者は木々に挟まれ、鈍重で根気強い筋力を知って終わった。
湧き上がった森が騒ぎを収めた頃、森の継ぎ目は無くなった。
空からは緑が去った。その引き替えに戦場の中頃には、フタバガキ、ヤシ、カカオ、サガリバナをはじめとする熱帯の木々が生え揃い、原色の花々が咲き誇った。
この密林はスンディ軍を中頃で分断した。
何が起きたのかは誰にもわからない。巻き添えにならなかった者は、呆然と背の高い密林を見つめるしかなかった。
視線が密林に集まっている隙に、タライス大岩を覆っていた緑が、皮がはがれるようにズルリと滑り落ちていく。
それは誕生した緑の中に消えた。
少なくとも砦よりは大きなものが、のっそりと密林に頭を出した。それはさらに膨張しているように見えた。
それが前へと歩み始める。
破滅と混沌のリズムで蠢く緑の塊だ。表面は濡れているのか、光沢がある。
それが何かは、近い者にも遠い者にもわからなかった。近くからは蠢くつるの密集体であったし、遠目には形状すら理解できなかった。
ただの大きな何か、それから辛うじて顔と認識できそうな突起が上部に生えた。目と認識できる漆黒の窪みが二つある。
「騒ガシイ矮小ナルモノドモォ、聞クガイイ。コノ森ノ神ノォ体ニィ、火ヲ放ッタ愚カモノガイルウウ」
低い声は大地から一斉に噴き出したようで、何重にも重なってビリビリと響いた。
全てが動きを止めた。
「誰カハワカッテイルゾオ。・・・・・・魔術師ドモオオゥ、許サァンゾオ」
大気と大地が同時に揺らいだ。スンディに緊張が走る。
「スベテノ罪アル者ニィ、緑ノ罰ヲ下スウ。罪オモキ者ハア、木々ト成リハテルデアロウ」
森の神の直上、緑の球体が現れ、炸裂した。緑の粉末が飛び散る。
「お、お前、それ」
密林の中、ある民兵が隣の兵を指差した。
「緑になってるぞ」
指差された兵は腕を見た。そこには緑色の液体が粘りついていた。彼がそれをぬぐう。しかし、さらに緑の液体が体から湧き出してくる。
「うああああぁ!」
指差した男は恐怖し、叫ぶ男から距離を置いた。しかし彼は絶望の言葉を聞く。
「お前、お前も! 目が」
視界が緑になっていることに気付いた男はうろたえる。彼が目をなでると、緑の液体が指についた。
それは顔を伝って、涙のようにこぼれだした。緑はどんどん増えていく。木になる、そうに違いない。
「そんな、俺が何したっててんだ。関係ねえ! 魔術師が何かやったにちげえねえ」
彼はこらえきれず、とにかく走ろうとした。ここではないどこかへ、今すぐ逃げないといけない。それだけは確かだ。
その時彼らは、木々がミシミシときしむ音を聞いた。音が徐々に近づく。
そして彼らは見た。蠢く緑が木々を薙ぎ倒しながら迫ってくるのを。
「ひあああ」
かすれる絶叫。彼らは木々の根に足を取られながら、逃げる。ひたすら逃げる。
しかし音は凄まじい速度で追ってきた。
男は転げそうになる体をこらえて走った。そして後ろで走る音が一つ減った。恐怖に耐えきれず、男は減った音を求めて振り返った。
緑のつるが男をつかんでいた。そして分解された。
切断されたり、引き千切られたのではない。つるに触れられた瞬間、体がひとりでに内側から開き、自主的に分解したのだ。それは即座に緑のつるに吸収され一体となった。
喉を鳴らすように、つるの一部が膨らんだのが見えた。
男は呆然として足を止めた。気力が尽きた。
狂気の緑がその質量を増やしながら前進する。
それの近くにいたものは瞬時に発狂した。ある者はただ笑い、精神が崖を飛び越えた者は自殺した。
近い者から狂気へと身を投げていく。のたうつ緑のもたらす多幸感に惹かれ、自ら身を捧げる者も多い。
密林は狂気の三角地帯となった。
森の神は少し東進すると、分断された南側へと向かった。
その体が森から外へ出たことで、全体が明らかになる。全体はナメクジのような形状で、表面は盛んに蠢き、足元では特に激しく動いていた。
巨体がもぞもぞと動いているのでわかりにくいが、ウマが駆けるより速く緑の小山が走る。
ボンッ、ボンッという音が散発的響いた。火球が放たれたのだ。
巨体の表面で火の爆発が発生する。
増援には五千以上の魔術師がいる。どうにか戦意を保った者達が、精神集中用の薬草などの力を借りて応戦していた。
爆発の大きさから、緑の怪物の大きさがよくわかる。百や二百の攻撃では止められそうにない。それでも火球が散発的に放たれ続ける。
「性懲リモオナクウゥゥ、火ヲ使ウカカカアアア! 魔術師ドモオオオ! 呪ッテヤロウゾ」
森の神が南側を駆け抜ける。全てを巻き込み肥え太りながら。
北側の者達はまだ反応が鈍い。密林がカーテンとなって、南側が見えないからだ。
恐ろしいことが起こっていることだけは誰もが確信していた。しかし彼らの意識は戦場から怪物の襲来へと切り替えられなかった。
「おお、偉大なる御姿」
ヴァーラはバイザーを上げて涙を流していた。
自らの不甲斐なさゆえに、主の手を煩わせてしまったようだ。
「おい」
ヴァーラは熱心に拝み続ける。過去最大の大きさに達しようとしている。仲間にも自慢できる大きさである。
「おいって言ってるだろうが!」
タリッサがヴァーラをつかんだ。
「なんですか、うるさいですね」
ヴァーラがやっと答えた。姿勢は変わらない。
「これは何だ! 知っているのか!?」
タリッサが鎧に付着した緑を指差した。
「体が緑になるだけです。瀕死の重病人でもなければ大丈夫ですよ」
強化した緑膿菌の広域散布。緑の膿が出るだけで大した害はない。アトラスなら固定ダメージ一。病気にした相手に効果を発揮する攻撃の下準備などに使う。そして自動で治癒する。
「神罰だと言っていただろうが!」
「ちょっとした冗談でしょう」
興奮していくタリッサに、ヴァーラがあっさりと言った。
「冗談だぁっ? あれが冗談を言う顔か!」
タリッサが声を裏返らせた
「冗談ぐらい言うでしょう?」
普段、主は愉快な人だ。
片っ端から果物を繰り抜いて顔を作ったり、それを五十メートルほど必死で積み上げる。それが途中で倒れた時は、一日気が沈んでいる。
彼女は最近それを知った。そんな時は優しくしている。
「これをよく見ろ! これが冗談か!」
タリッサが自分の体に付いた緑の膿をぬぐった。
「あなたのはほとんど返り血で繁殖してるんですよ。耐性装備があるのでは? 顔には症状が無いですね」
タリッサは自分の鎧を見た。少しは落ち着いたようだ。そしてまたヴァーラを見て、興奮してきた。
「お前が呼んだのか!?」
「呼んでません。侵略者を討つべく降臨されたに違いないのです」
「あれは安全なのか?」
「あれとはなんですか、あれとは」
ヴァーラはタリッサをつかんで激しく揺すった。
「やめんか!」
タリッサは引き剥がそうとしたがどうにもならず、最後には鎧が引き千切られ、尻もちをついた。
「・・・・・・話は通じるのか」
「さっきのお言葉を聞いていなかったのですか。不信心者を滅ぼしに降臨なされたのです。さあ、称えましょう」
タリッサはヴァーラの輝く瞳を見て、それ以上何も言わず黙って南を見つめた。
ティカルサは歓喜と怒りの混じった表現しがたい熱病にかかっていた。
蠢く緑は待ち望んだ存在か? 恐れて逃げてきた存在か? あれが神だと? あんなものが?
彼にはわからない。
これまで魔道総長として長く、魔術の復興と発展のために尽くしてきた。
この戦争も国を思ってのものだ。
幼少の頃の記憶。ただ逃げ惑う大人たちの足。石壁が崩れる音。悲鳴。
それだけが、自然の――悪魔の森の恐ろしさの記憶。
「もう充分に、国には尽くした」
火魔術の研鑽はなんのためか。
火は文明の礎にして、知神よりもたらされし武器。暗闇を照らし、金属を溶かし、薬を生み出し、麦を実らせる。
そして、人の道を阻む者を灰にせんがためのもの。
そう自然は人に征されるべきもの。森など――酸素と赤熱の奴隷でしかない。
「この歳になって、何をおびえることがあろうか」
彼は本陣の物資を急いで見繕い、懐に詰め込み、数種のポーションを飲んだ。
「ぬしらは増援の部隊をまとめよ。わしはあれを灰にする」
ティカルサは高弟に指示を出すと、足元からゴウと火を噴いて、空へ真っすぐ飛びあがった。
貴重な不死鳥の羽を触媒に使った、彼独自の魔法《爆炎飛行/フレイムフライ》だ。
空では炎の大きな翼が広がった。




