ヴァーダント
ルキウスは二人が争っていることに気づいていた。
両名から魔力の波動が交互に発生していたからだ。
ルキウスは関わりたくないので放置して話を進める。
自らの卓越した空間認識能力によって、二人から必死に目を反らし正面を見据えても、直接見る以上に見えてしまう。それでも全力で見えない振りをする。
何を話しているんだ? とでも言った日には、笑い狂う虚空の渦巻きの中で、永久の倒錯舞踏会が開催されてしまうかもしれない。
高度な情報戦、おびただしき呪詛と歓喜の波長、熾烈な死が舞い上がり大火をこね回す遊戯が続いている。
ソワラがアブラヘルの胸元に視線をやり鼻で笑った。アブラヘルが唇を噛んだ。
なんという事だ、魔界の扉は開かれ、鬼畜と、時をかける砂糖菓子の宴が始まる。
瞬間、アブラヘルの赤い瞳はどす黒い赤に変化し、その赤は血がこぼれるように眼球全体に廻った。恐ろしい赤の瞳の中央には、黒の炎が揺れながらに座す。その赤い髪は複雑にくねりながらに急伸長し、刺々しいいばらのつるに変化する。
一方のソワラは、その金の虹彩が波打つたびに、眼球全体が徐々に金色へと染まる。その瞳を覗き込めば、のたうつ黄金により隔離されし内宇宙を見出せる。
長い銀髪は湿りとぬめりを帯び集合すると、身の毛のよだつ触手を作り出す。
二人の髪は勢いよく飛び出す。いばらと触手の非角化細胞集団がルキウスの頭上でもつれ合う。
これに誰も発言しないので、ルキウスは両側は存在しないと自己洗脳して、全力で話を進めていく。
「ではそういうことだから、私が村に向かう」
ルキウスは、一通り意見を述べてから、これからの行動を宣言した。
「「え!!」」
一同から大きな驚愕の声が飛び出し、表情は抑えきれぬ感情の発露となった。
「えっ、ん、何?」
思わずルキウスは素に戻ってしまった。
ソワラとアブラヘルは完全に元に戻っている。宇宙の有り方を決定づける戦争を中断するほどのことが起こったのだ。
「森の外は危険です。ご再考を」
牛が顎先を撫でながらに口を動かす。
「そいつぁーいけませんぜ、大将」
バカ鬼が哀れみを込めて言ってくる。ルキウスは腹が立つ。
「そと、あぶない、たいへん」
と簡潔なのはテスドテガッチ。
「いや、最初から情報が必要だという話だ、私が村人と接触したのだからな。私が行くのが道理」
「私はてっきり私を含む六名でフルパーティーかと」
ソワラの言うのは、主力級のソワラ、アブラヘル、ゴンザエモン、ヴァルファー、カサンドラ、テスドテガッチ。
六名は、アトラスで行動の基本となる数だ。
「アブラヘルは幻術のために呼んだ。生命の木を隠ぺいするためだ。ほかの五名と私でフルメンバーだ」
「ソワラの仕事は雑ですものねぃー、最初からぁ、私にまぁかせてくだされば良かったですのに」
アブラヘルが笑みを浮かべた。
「ルキウス様はまずパートナーである私を呼ばれた、パートナーである」
ソワラが睨みつけ、語気を強める。
「そんなことより、ルキウス様が外に行かれる件でしょう」
生真面目に話を戻す牛。
「そうですわ、森の外は侵略者どもの地に決まっています。御身が心配です」
珍しくもやや真面目な淫魔。
「火山に行かれた時に、主様は大変勢いよく燃えてござりました。またあのようになるやも知れませぬ」
カサンドラが、閉じた目の奥で映像を見ているような口ぶりで話す。
「ああ、あったなあ、あれ、やっぱり外は危険ですぜ。大将」
危険を訴えながら笑っている鬼。腹が立つ。
「あぁ?」
しかし、ルキウスは少し考え、まぬけな声を出した。
彼が〔古き緑/グレートオールドワン・ヴァーダント〕を得て間もなくの話。
森で無敵になった彼はその万能感に酔いしれ、もはや俺に敵はいないと、森を出てダマー火山へと突撃した。
勢いに任せて慣れない火山の中腹まで進んだあたりで、お散歩中の邪悪な三つ首竜アジ・ダハーカと遭遇。
彼はノリでこれを襲撃、森の外で低下したステータスと致命的な弱点を突いた火炎の吐息で三十秒もたず灰になった。
彼にとって、誰も知らないはずの大失態。こいつらがあれを知っているのか、だとすれば全ての記憶を抹消しなければならない、などと馬鹿げたことを本気で考えてしまう。
「今から行くところは危険ではない。最悪、全部森にして対処する。万事私に任せるがいい」
ルキウスは内心で狼狽えながらも、これまで以上に強く主張した。
「ルキウス様がそこまで仰られるのであれば、我らに異存あるわけありません」
ソワラが肯定する。部下は神妙な面持ちでルキウスを見つめている。異存は出ない。
主導権は自分にあると確認できた。やはり、彼らは命令に従うと考えられる。
「私の準備ができたら出発する。お前たちも装備を確認しておけ」
どうにか乗り切ったか、とルキウスは深呼吸して、部屋から退出した。
「どういうつもりですか、アブラヘル」
「あら、何が?」
ソワラが机を叩き、アブラヘルを睨みつけたが、相手は素知らぬ顔だ。
「我々はルキウス様をお支えするために存在している。それだけ考えていればいい。余計なことをしないで」
「何が余計よ。お困りのルキウス様を慰めてさしあげようというのに。きっとお疲れなのよ。私にはわかるわ、あと一押しすれば――」
「そのような命は下っていない」
ソワラがアブラヘルの言葉が途切れる前に言った。しかしアブラヘルはひるまない。
「あなただってそのほうが……」
「この状況に対処するのが優先です。それが我らの――」
今度はアブラヘルが割り込む。
「状況が変わったなら、関係が変わってもおかしくないじゃない? これまでに無かったことなのよ。今回はルキウス様が頼ってくださっている。いつもは編成が終わったらすぐに出撃だし。この機に上手くやれば、きっと素晴らしい未来が待っているわ。きっとルキウス様もそれをお望みよ」
「わしは失礼する。変化があるなら確認すべきことが山ほどある。仕事には、いくら時間があっても足りんでな」
話に付き合う気のないゴッツが立ち上がり、部屋を出ていった。
それを見送り、争いが再開される。
「私だってルキウス様のお望みはわかっています」
「わかってるの? これはチャンスなのよ。次はないかもしれない」
アブラヘルが少し真面目に言った。
「私の考えは決まっていますから、より確実に命を理解し先回りして、目的を達成するのです」
「後悔してもしらないわよ」
「ルキウス様の命を速やかに実行することこそ最優先です」
頑固なソワラに、アブラヘルは目を細めた。
「しっかしなんで大将は今更ちまちまやろうってんだ。相手がなんでも全部殺せば勝ちだぜ」
「状況が変わったと言っている。それも大変化じゃないか。我々も対応するんだよ」
物騒なゴンザエモンに、ヴァルファーが恰好を付けたポーズで言った
「森の外で貧弱なのは変わってねえ、だから己らがいる」
「確かにルキウス様は、〔野伏/レンジャー〕と〔自然祭司/ドルイド〕が混ざった中途半端な万能型魔法寄り。森の外ではすべてが劣る」
「森の中ならなんでもできて無敵と言いなさい」
ヴァルファーにソワラが反論した。
「わかっているとも。しかし、これから行くのは外ですから」
「斬る相手はいるんだろうな、おめえはどうだ?」
「守れと言われたら、守るだ」
ゴンザエモンに問われたテスドテガッチはゆっくりだが、自信を持って答えた。
「おめえはそれだけか」
「それでよいのです」
ソワラが深くうなずいた。
「そう言ってもよ。大将は外じゃあ何もできないじゃねえか」
「わかっていないな、君は。ルキウス様は危険があれば、外も森にすると仰られた。つまり世界を森にするということ。海だって埋め立てて森にするのさ。素晴らしいじゃないか」
ヴァルファーが大袈裟にあきれた様子で言い、ゴンザエモンが驚き大いに得心が行った表情をした。
「なるほど、森で敵なしの大将も、外じゃあナメクジみてえなもんよな。安心して息だってできないはずだぜ」
「ナメクジとはなんですか、ゴンザエモン。脆弱なルキウス様とて、ギャッピーぐらいの強さはあります」
ソワラがすぐに憤慨した。
「そうかー? 踏んづけたら死にそうじゃねえか」
「お前ごときに踏まれるものか」
「世界が森になるのは楽しみだけど、そろそろ準備をしようじゃないか」
アブラヘルが立ち上がった。それにソワラも同意する。
「そうです。準備です。ルキウス様をお守りするのです」
仕事のある五人が部屋を出て行き、ネコとトラも続いた。一人残ったカサンドラが、窓から外を見てつぶやいた。
「人が使う電磁波は感じられぬ。強いて言うなら、下から湧きあがる力場、これは磁場ではない。ここの磁場は酷く薄い、方角がわからぬ。奇妙な土地よ」
「これどうするのが正しんだ? 籠手はやめとくか」
ルキウスは新たな問題に直面していた。装備の着方がわからない。
アトラスなら装備欄から装備を変更すれば済む。ここではそうもいかない。
大きな部屋で、姿見を前に彼は黒い石鎧を前に悩む。鎧の着方などは知るわけもない。何やらパーツがごちゃごちゃしているが、どうすればいいのか。
森林用の装備変更は必須。特に緑の胸当ては要交換だ。
アトラスの装備に付属する効果は癖が強い。特定条件下で能力強化、別の条件下では能力減少の、メリットデメリットが一体になった効果が付加されている。
「まあ、やっていけばわかるだろう」
胸当てを外して鎧をいじっていると、ひとりでに鎧が浮き上がり、体に装着されていく。
「おおう。これは魔法が掛かっているのか、便利で良かった」
その後、服装にしばらく悩んだが、結局は武骨な鎧ではなく、特殊なミスリル繊維で編まれた色鮮やかなマヤの民族衣装状チェインメイルを選ぶ。
これなら鎧っぽくない。平和的な接触が期待できる。
次に、ルキウスは全裸で姿見の前に立った。装備を着替えられることに安心したので、まずは全裸になったのだ。
異変から初の私的な時間であった。
「パンツを脱げる時代がやってきた。今こそ、真なる〔大全裸/グレートネイチャー〕の時代の到来だ」
あいにく、鏡をまじまじと見る彼の職業構成に〔大全裸/グレートネイチャー〕は含まれていない。全裸の時代は過ぎ去った。
「ふむ、残念だ」
ルキウスは、残念な気配を感じたので残念だと言っておいた。
「しかし俺も結構なイケメンになったもんだな」
ルキウスは幾度も角度を変え、まじまじと自分の顔を見た。
顔の造形は、キャラ作成時に用意された雛型から選択したものが基本になっている。
人工的で、現実性に欠けたマネキンみたいな顔である。
「人の顔ではないな、生きてきた痕跡がない。これでは人格が読めない。俺は愉快でおちゃめな顔なのに」
ルキウスは全力で顔の筋肉を大きく動かした。少しは人間的に見える。
これを見るに、先ほどは緊張もあり、少々威嚇的な表情ではなかっただろうか。
村に行く時はわかりやすく友好的にしよう、とルキウスは思った。
「お次は……」
ルキウスは少し体に力を入れた。すると。
ルキウスがほどけた。
最初から、そういったものであるように、するすると。まるで糸玉が瞬時にほどけるように分解された。顔、皮膚に骨、臓器などは、どこにも見つけられない。どこかに消え去ってしまった。緑っぽいつる、滅びの色を帯びた、猟奇的な無数の絡み合う紐だけが鏡に映る。
ルキウスは、鏡に映る狂気と醜悪のパズルにギョッとして、元に戻ろうとする。すると緑の湿ったつるは一瞬で集まり、ルキウスを編み上げた。
「これは……普通に戻れるな」
今度は全力で、その体を部屋中に展開する。
元の質量を無視した膨張。
ルキウスが部屋一杯に這いまわり蠢く。部屋の照明も窓からの光が遮られ、床に無秩序な影模様が描かれる。
つる状の体の表面は湿った輝きの遊色で、複雑に光を屈折反射する。粒子と波長の織りなす斑回廊は、美しくも光さえどこかに連れ去るような、秘術による潜毒幽閉装置の印象がある。
ルキウスはこの状態になるつもりはなかった。職業形態の機能を試そうとしただけだ。
アトラスの職業形態システムは、他者に自分の役割を知らせるためのものだ。
各職業の象徴的な外見、侍なら和具足を着こんで刀を持った姿、魔術師ならくたびれたローブを着た髭の生えた老人の姿などになれる。システムを使うには、各職業レベルが百必要になる。
〔古き緑/グレートオールドワン・ヴァーダント〕の職業形態は、緑のつるで編まれた藁人形のような姿。ここまで無軌道ではない。
今の姿はむしろ、同名の魔物にして邪神、グレートオールドワン・ヴァーダントに似ている。
「いかにも狂気の森の主だな。といっても、ここが狂気の森ってこともあるまいが」
かの邪神は、世界を悍ましく罪にまみれた肉腫の知性を持つ魔物の跋扈する森で覆いつくさんと熱望する。捻れと歪みを極めた自家中毒で狂う緑の主。
権能は森、無限の広がり、狂気。性質は植物、地、生命、自然、欺き、混沌など。
同名の職業に就くには、これを一対一で討伐せねばならない。五十回以上挑戦した、その邪神の姿はよく覚えている。
「木になれるなら、こうなっても。本格的に人間では、いや妖精人ではなくなった。どうにでもなれって感じ」
この声がどこから出ているのか、どこで聞いているのかわからない。感覚器官は確かにあって、部屋のすべてを認識している、魔法による認識とは違う感覚だ。
「さて、行くか。愉快な世界が待っている」
緑のうねりから放たれた音が部屋に満ちた。そしてルキウスは人型に戻った。
エントランスホールに全員が揃っている。
「では外出する前に全員の吉凶を占ってくれ、アブラヘル」
「はぁーい。お任せください、ルキウス様」
最後に占いを行う。占術は使える、というのが現時点でのルキウスの認識だ。そして敵対者の占術を警戒する必要がある。
占いの結果はウリコのみ凶、他は吉だった。
「よし、完璧な結果だな。行くぞ」
万全の結果にルキウスが出発を促す。占いの対象時間はそれほど長くない、吉が確定している間に動きたい。
「どこが完璧なのです!? ウリコの一大事なのです」
「お前は安全な生命の木に残るのだから問題にならん。さっさと行くぞ」
ルキウスは騒ぐウリコを置き去りにして、外へ出た。準備を終えた部下がそれに続く。
それから少しして、村の近くの森がにわかに騒めく。草木が伸び、互いに寄り合う。できあがったのは、様々な枝葉交じりで三メートル以上の高さを有した緑のトンネル。
草木門をくぐり、六名が歩み出てきた。




