拝観
ヴァーラの斬撃が肩、兜、盾、足元をガリッと削り、黒い剣と白い剣が金属らしくない音を響かせ、黒い盾の打撃に彼女が飛び退き、即座にまた斬りかかる。
そんなことがずっと繰り返されている。
しかし黒い鎧には新しい傷しかない。鎧についた傷は徐々に修復されていったからだ。
ベイエントの足元では黒いもやが、かすかに渦巻き、彼に吸い寄せられている。
無限の回復能力。これは環境に依存したものだ。自前の力ではなく、周囲の死の力を吸っている。召喚もそれでやっているようだ。
ヴァーラは無理を悟った。これは自分にはやれない。主に似た力だ。
膨大な死が戦場を満たし、それが形を成し、さらに死を増やそうとしている。戦場から引き離さなければどうにもならない。
どこか汚染に近いものを感じる。近い技術を用いたのかもしれない。
純粋な聖騎士なら斬り倒せた。僧侶なら距離をとって、高位魔法を連発すればやれた。しかし彼女はどちらでもない。これは獣人化しても届かない。
彼女にしては珍しい、力任せの荒い斬撃が連続する。
(硬すぎて根が張らない。戦場では本当に無敵。どうしましょうか。とりあえず、足止めだけしておきますか。しかし伯爵が・・・・・・)
彼女の知らないところで、戦場は大きく動いていた。
ティカルサはそろそろギルヌーセン伯を潰そうと、椅子から立ち上がったところで本陣壊滅の報を聞いたが、情報が錯綜しており、なぜ壊滅したのかわからず、指揮系統の修復に追われていた。
増援は状況が理解できないまま、なんとなく前進している。
中央では混乱でスンディの圧力が弱まり、乱戦から離脱できた部隊が後退している。
東の戦場では、ギルヌーセン伯がしんがりの一部となって、敵の進撃を押しとどめている。
ヴァーラはこれをちらりと見て、伯爵は問題無いだろうと考えた。
あとは、自分がこいつを止められるかどうかだ。こいつが本陣にいけば、あんな防御設備は素通りだ。その後ろの坂の壁もすぐに壊れる。
それは大敗だ。やるしかない。だがどうしようもない。
そもそも完全に他が負けている。自分の全力でも押し返せる数ではない。自分には過ぎた役目だったと考えるしかない。
ヴァーラが諦めた時、それを目撃した。果てなく絡み合う緑の啓示を。
彼女は己を恥じ、神に感謝し、全身に粘りつく感動に打ち震えた。
「おい、何をやってる!」
タリッサが叫んだのも当然だ。
ヴァーラはベイエントに背を向け、両ひざを突き、鞘に収めた剣を地面に置き、組んだ両手を高く掲げていた。
「おお偉大なる神よ。私が間違っていました。生命の理を逸脱した者は即座に滅ぼしてご覧にいれましょう」
ヴァーラの動きはベイエントすら困惑させたが、すぐに意味をなさない雄たけびを上げ、彼女の背に突進した。
「うるせえ、邪魔。《地震/アースクエイク》」
ドンッという衝撃、超局所的な揺れが発生した。
ベイエントの足元が瞬時に大きくひび割れ、開いた。吸い込まれるように彼が落下する。瞬時に開いた岩盤が閉じた。
そこにはただの大地があるだけだ。
見た者は、仕留めたのでは、潰したのでは、と思った。
しかし、閉じたと思った直後には、勢いよく岩盤が開き、真っすぐに飛びあがってきた。
ヴァーラが立ち上がり、振り向き、剣を滅ぶべき者に向けた。
「しつこい野郎だな、クソが。《石墓送り/ストーンエントゥーム》」
ヴァーラの口を突いて出た言葉に、タリッサが驚愕する。だがすぐにこれ以上に驚きの光景を見る。
ベイエントの両脇に長方形の石が現れた。それがガゴンッと彼を挟み込み閉じ込めた。さらに一回り大きな石が現れ挟む。また同じように次の石が現れ、挟むを繰り返していく。
ガゴンッガゴンッという音が連続して、石はどんどん巨大化した。二十メートル以上の巨大な石棺ができあがった。
それは完成と同時に地面へと沈み始めた。
だがその石棺は内側から四方八方へ砕け散った。石は瞬時に粉末となり、周囲を白い煙が漂い、戦士達は灰を被ったように白にまみれた。
同じく頭から白い粉末を被ったベイエントが、盾を前に出して構えた。
「無敵系の完全耐性、あったか。忌々しい」
最高位魔法で無傷。ヴァーラが深いため息をついた。
「お前は滅ぼす。一秒でも早く。我が神のために」
二人が再び斬り結ぶ。しかし戦い様はこれまで違うものとなった。
「おい、何をやってるんだ」
タリッサが恐る恐る尋ねた。ヴァーラが後ろに歩き始めたからだ。ベイエントと距離が開き勝ちになり、召喚が繰り返され、奈落兵がどんどん湧き出している。
「後退する」
「後ろは本陣だぞ、陛下がまだ」
タリッサが奈落兵を斬り倒す。
「黙ってしたがえ、下がれば勝てる。私は忙しい。祈りを邪魔する者は許さない」
有無を言わせない彼女の圧力に、タリッサは後退の命令を出した。
戦士団は交戦しながら、ヴァーラに急かされるように後退した。
そして、すぐ後ろに本陣の堀と木壁がある場所まで着いた。
本陣は砦付きの巨大な馬出しのような構造になっていて、東西からの退却者が、長い坂の壁に沿って走り、本陣後方へと狭い通路から入り、坂の上へ逃れ、あるいは坂の壁の防衛に回っていた。
国王は砦の上に立ち自ら軍を鼓舞しているが、敵が迫れば、坂の上の砦まで瞬間移動する手はずになっている。
目の前まで迫った不死者軍団に刺激され、退却者達が風であおられたように揺らぐ。
「これだけいれば、いけるでしょう」
ヴァーラは本陣からベイエントへ発射される矢を、鬱陶しいと思いながら言った。
「おい、こっちはどうすれば」
タリッサが険しい顔で黒の軍団を見据えた。
「少し離れていなさい。すぐに終わらせる」
ヴァーラが剣を大地に突きたてた。
大地に薄っすらと黒い影が広がる。そしてそれは無数の黒い触手を次々に撃ち出した。人数に対応した触手は膨大な数だ。万を超えている。
触手は服も地形もすり抜け、細長く伸びると全ての人間にまとわりついた。
「おい、なんだこれは!」
タリッサが叫ぶ。
「ちくっとするだけです。死にはしません」
「力が抜ける・・・・・・お前、これは!」
タリッサが座り込んだ。
「後で治しますから大丈夫です」
緑の根に絡みつかれた者が悲鳴を上げ振りほどこうとしたが、実体の無いそれをどうすることもできない。疲労していた者が意識を失い倒れた。
見渡す限り、黒い糸が張り巡らされた景色ができあがった。
本陣近辺が大混乱に陥り、怒号が飛ぶ。
大魔法《魂を吸い上げる根/ルート・フォア・サクリファイス》。
十分の待機時間を、飾り帯――〈早き春の訪れ〉の一日に一度の効果によって短縮した。さらにサーコート――〈生命の息吹〉の生命力を増やす魔法の射程距離を伸ばす効果を使用した。
敵味方構わず、範囲内の全ての生命体から生命力を奪い取り、奪った量に応じて自己の全能力を増加させる。
伸びた根がすっと影に戻り、魔法が終了する。全ての力は彼女に届けられた。
準備は整った。剣を大地から抜き、盾を捨てたヴァーラが突貫して叫ぶ。
「くたばれ、死人!」
防御動作は無い。攻撃だけだ。荒々しい斬撃が塔盾を強引に弾き、空いた場所を斬りつける。一撃一撃が大きなひび割れを作り出す。
ベイエントの斬撃も、奈落兵の槍も放置してその身に受けている。しかしかすり傷ひとつ無い。
蓄積した奇跡を消費して、短時間の負属性無効を発動している。聖人における戦技だ。
そしてヴァーラの連撃が盾の上部を切り落とした。防御に隙ができた。
「自慢の盾、存外もろいようですねえええ!」
「オオオォォォ、イチゾクノォカタキコロススベテェエェェ」
ベイエントの斬撃に力が入った。しかし彼女には効かない。
技術も何も無い。ただひたすらにガンガン兜を叩く全力の斬り下ろし。それが連続する。
そして八度目、兜が割れる。黒い頑丈そうな骨格が露出した。目が一層怪しく見える。
「滅びろ!」
ヴァーラが大きく振りかぶった。
ベイエントが初めて剣を受け太刀に使う。
しかし九度目の斬撃が剣など無いように、そのまま黒い頭を押し斬った。
瞬間、黒の爆発。ヴァーラの目の前が黒の噴出で埋まる。
黒い霧が周囲を包む。それが晴れた時、後には何も残っていなかった。
ヴァーラは周囲に回復魔法を撒くと、満足して再び祈りの姿勢に入った。
ヴァーラを除けば、それに最初に気が付いたのは、ミコクタ・ルカバ同胞団のシュレンザ・グードファーだった。
彼女は付き合いの長い四つこぶラクダに乗り、崖沿いに走り、崖に魔法の罠を急ぎ仕掛けていた。
下を完全に占領されれば、崖からも上がってくるのは目に見えていた。いくら仕掛けても、多過ぎることはない。
「うんざりする数じゃな」
崖の下で敵は一面を埋め尽くし、両軍の間にあったタライス大岩を越えてきている。
しかし何かがおかしい。
景色に異常があると訴える感覚がぼんやりとある。だが何かはわからない。
この感覚は魔術師なら大事なものだ。
魔法的に隠蔽されたものが近くにある時や、新たな秘術に手が届きそうな時に感じる。
これは魔術の神よりの警告であり、恵みである。これに耳を澄ましている者だけが上に行ける。
老婆は乾燥させた毒草の葉を噛み、魂と肉体の領域をあやふやにし、意識的に視界をぼやかす。我を捨てたときこそ、全てが見えるのだ。
そして戦場の右方で目を止めた。
何も感じ取れないはずの距離でもそこに目を止めたのは、彼女が熟練の自然祭司だったことと無関係ではないだろう。
タライス大岩が緑色になっていた。異様なまでに生命の躍動を感じさせる緑。この時期に無いはずの色。自然であって自然ではない何か。
意識せねば、岩そのものすらはっきり感じさせないように溶け込んでいる。
そして空の異常。完全に雲が流れ去り、太陽と青一色になっていた空に、渦巻く薄緑の雲が現れたのだ。
雲は回転を加速して、緑色を濃くし膨らんでいく。空を緑の輝きで埋めんばかりだ。そして弾けた。