死霊術
「こうなると、ここが使い時でしょう。完璧なタイミングだ」
円環の塔の塔長、テカルリ・ピルトツイ。その心は充足感で満ちていた。
前を向いていても、見えているのは未来だけだ。
「おい! 本当に大丈夫なんだろうな。後ろから増援が来ている。あっちに合流するべきでは」
ピチャ元帥が焦燥にかられ言った。そして半歩下がった。
「やれやれ、この渦巻く死の気配が感じられないとは」
「死人が山ほど出ているのは見えておるわ。失敗したら終わりだぞ」
彼らの正面では、ザメシハの義勇兵が不死者の群れを、ただ力と士気で強引に犠牲とともに突破し、さらに正規兵の壁を押し崩しつつあった。
守備陣形がねじ曲がり、折れた。
こじ開けられた隙間から、人がゆっくりとあふれる。
その目つきは人とは思えぬほどに鋭く、起伏の激しい闘志に満ちている。ボロボロになった装備、返り血と泥で、不死者のような有様だ。
獣じみた叫びで義勇兵を鼓舞する男が、前戦士長だろう。
狂った士気の爆発と疲れ切り死を迎える狭間にある塊を、どうにか軍の形に押しとどめ、集合をかけている。
彼ら本陣との間に何もない。集合が終われば、あの正気を欠いた勢いで、すぐにここまで来るに違いない。
それを見てもピルトツイの気分は変わらなかった。
死霊術は魔法の大分類の一つであり、負の力を操ったり、不死者を作り干渉したり、呪いで敵を弱らせたり、生命力を吸収したりする。
この分野で、世間から忌み嫌われる不死者の製作に手を出す者は、何か特殊な動機を持っている。
生まれつきどうしようもなく才能があったのかもしれないし、臨死体験、邪教を信仰する者、あるいは必要に駆られたのか、誇大妄想家的な大志があるのかもしれない。
彼は古の英雄と出会いたいという願望があった。そう特殊ではない。しかし、強かった、叶いえぬ願い。
それは英雄の復活を、製作を、に変わる。
自らが英雄に成れればと思いもしたが、大戦前の英雄には到底及ばぬと考え至った。
彼の結論は、英雄を不死者として復活させる。生前より強化した英雄が自分に仕えるのだ。
それは英雄を上回ることに違いない。
「運命の瞬間を目撃せよ。英雄は血溜りより生まれる。今こそ英雄の誕生にふさわしい」
ピルトツイが懐から何重にも紐が巻き付けれた包みを取り出した。それをほどき、小さな黒い金属の人形を取り出し、それを指先で弾くと、軽く飛び、地面にしっかり着地して立った。
この中央軍では莫大な人間が死んだ。
五年前から湿原に張り巡らせた術式にて、その死と怨嗟は湿原に満たされている。
ここまで作り出した不死者は呼び水に過ぎない。この地の深く、限りなく深くに眠る英雄を呼び覚ますための。
人形が徐々に黒いもやをまとい、その密度を増していく。それはある段階で一気に加速した。
周囲から黒いもやを吸い込んでいるのが、はっきりとわかった。
黒い濃密な流れが、栓を抜いたバスタブの排水溝に水が殺到するように渦巻き、黒が形を成していく。
それは普通の人間にも見えた。それほどに濃い死、万人が回避し得ぬ概念。
広い範囲に黒の濁流が起こり、両軍が混乱する。
「フハハハハ、フハハハハハッハッハハハッハ、ゴフッ」
ピルトツイは高笑いが止まらずに、最後に咳き込んだ。
魔道総長は実績の無い儀式魔術を当てにしなかった。確かに不安要因はあった。ここは研究室とは比べようもないほど雑音が多い。
だが、成功だ。
黒の嵐が瞬時に消失する。それは快晴の空のような不安を与える。
「もはや戦術などに用はない。これは一人の蘇りし英雄が一国を粉砕する物語なのです」
彼の前にずんぐりと分厚い真っ黒な人影が立っていた。身長は百五十センチぐらいだ。
悪魔的な罪と闘争を感じさせる装飾の黒い鎧に身を包み、右手に逆反刀、左手に塔盾、悪魔の顔を模した兜には曲がりくねった長い角が四本生えている。角を含めれば二メートルぐらいある。
うつむいていた兜が上向き、ピルトツイを見た。兜の奥には、不気味に光る赤と黒の渦巻く目がある。
不死者がピルトツイに向かって進んできた。
ピルトツイは笑みを浮かべたままだが、顔の筋肉は皮膚の下で乾いていた。
「テキィハ・・・・・・ヨウサイハドコダ」
低い声に高いノイズが混じった声だ。
「敵はあっち。君が砕くべき要塞はあちらだよ。ほら大きな壁があるだろう」
ピルトツイが思念を送り、坂にできた長く高い壁を、手で鋭く示した。
不死者がのっそりと向きを変え、坂へ歩き出した。
ピルトツイは忘れていた息をした。そして命令を出す。
「道を空けろ!」
本陣の兵が左右に分かれる。
そこを不死者はゆっくりと歩き出した。
「大丈夫なのか?」
「干渉はできている。心配ご無用」
稀代の英雄ともなれば、自分ごときに従わないのも道理。それでこそだと、ピルトツイは興奮を抑えきれず震えた。
ザメシハの義勇兵達は、そこまでの様子を息をのんで見ていた。
黒い異形はゆっくりと向かってくる。絶対にまともではない存在が向かってくる。
カークは迎撃の陣形を整える。
さっきの騒ぎで敵兵の動きも鈍くなった。後ろからの圧力はない。
そこに、陽気でねじくれかすれた声が大きく響いた。魔法で拡声されたものだ。
「紹介しよう! 彼こそクルガ・ベイエント、大戦最強の戦士、かの《不敗/ドレッドノート》だ。君達をきっちり滅ぼしてくれる。地の底より蘇りし英雄を体験できるとは、実にうらやましい。フアハハハハッハハハハ」
古き時代の事なれば、知らぬ者も多い。しかし、戦士ならば知る名前。
現在の帝国北西部にあった、鉱人を主体とするキルザ連合、その評議員であり、最強の戦士として必ず名前があがる男。
多くの国が国力を失い、大規模な攻撃兵器が尽きた大戦後期、彼は一人で万の軍勢を破り、スンディ地方の防御の要、ボジトン山岳要塞群に一人で攻め寄せた。
彼は落ち着いた歩みで、手練れの魔術師がこもる堅強な要塞ですら、道の石ころをのけるように、一つ一つ落としていった。
これを止められぬと悟った大魔道士が、山岳地帯を丸ごと沼と化し、全てを巻き添えに地の底に沈め、そこにあったものは永久に失われることになる。
この湿原と断崖はその時の名残でできた。
その本人かどうかなど、カークに確認する術はない。ただ敵とみなした。
まずは多数の遠距離攻撃が放たれた。
しかしベイエントは防御姿勢をとらない。散歩のように歩いている。
そして命中、火球が爆発、何度も爆発が連続した。
火はすぐに消える。ダメージは確認できない。
ベイエントはぼんやりと攻撃が来た方向を見た。
カークが第二撃の命令を出そうとした時、ベイエントはそれまでの動きが嘘のように急加速、直進してきた。
姿勢が変わらず、足の動きだけが加速した奇妙な動きだ。
前衛がただ弾き飛ばされる。誰もこれを止められない。大勢が一瞬で激しく押しのけられた。黒い塊が陣形に突き刺さった。
そして剣が振り下ろされる。魔術師が真っ二つになった。
同時、そこから半径五メートルの全員が一斉に真っ二つになった。
――何が起きたか理解できない。
異常な事態に周りの全てが硬直する。
しかし、カークだけは援護に入ろうと勢いをそのままに、大きく振りかぶり背面から斬りつける。
全力の大剣が兜を直撃、金属音を響かせた。しかし首が揺らぐことすらない。
ベイエントは前を見たままで、作業的に剣を振り上げ、下ろした。
カークが真っ二つになった。
一部の兵が即座に追撃したが、それらは三振りほどで真っ二つになった。
静寂が訪れた。そして、地面に多数の黒い渦が現れ、全ての死体が飲み込まれる。
数秒後、黒い不死者が渦から、釣り上げられたように出てくると渦は消滅する。
出たものは、《奈落兵/アビスソルジャー》。黒い枯れ枝のような体に、鎧兜を身に着け、錆びて折れそうな槍を装備している。人型だが、全身が光を吸う黒で、表情を見ることは難しい。
そして不死者は、二国を区別しなかった。奈落兵が義勇兵に襲い掛かり、義勇兵を殺した個体は、そのままスンディ軍と交戦を始めた。
これで義勇兵の先端部は壊滅した。
ベイエントは北に向かう。そこには彼が壊すべき要塞があるから。
「制御できないようだね」
穴の中でエルが言った。
「そのようで」
「不死者の耐性を無視するのが死霊術師。でも生前から別の精神耐性があったら効かないかも。あれは単に力不足な気がするけど、力を外部から用意しても、操作するのは個人だし」
「どうするんで?」
「・・・・・・災厄とは呼べないな。むやみに人を襲っていない。案外どこかに留まる可能性もある」
「あれで?」
「指向性があるよ。それに僕の友人だって顔は酷かったけど、いい奴だったさ。中身を見ないとね」
「盟主の基準じゃねえ。で、結論は?」
「両軍が全滅したら考えよう、世俗の事には干渉しない。人の行いには人が対処するべきだ。僕は便利屋じゃないし、ここにいるのは軍隊だ」
エルが考えてから答えた。
「既に手を出しているんじゃあ?」
「あれは写真撮らせてよ、て言ったら、襲い掛かってきたから、やむなく」
エルが肩をすくめた。
「酷い言い訳だ」
「・・・・・・とにかく戦争はもうごめんだよ。始まったら武力ではどうにもならない。人の争いには関わらない」
珍しいエルの静かな口調には、鉄錆びの苦みが感じられた。
ベイエントだったものは、ひたすら軍勢を増やし、進んだ。
気圧されたザメシハ軍は後退、あるいは立ち向かい奈落兵となった。
奈落兵は主と異なり、一定範囲内の生命体を無差別に襲い、空白の円が大きくなっている。
これの影響か、東から来たスンディの速度が遅くなった。ただし、中央、と西には歩兵の援軍が押し寄せており、遠景は見渡す限り人で埋め尽くされている。
「ただの宣伝かと思ってたが、実力は本物か。正気には見えんが」
ポルートがつぶやいた。
「元々、妄執的なところはあったかもね。一人で戦争を続けた男だし。でも今は不死の将軍だ。食事も睡眠も呼吸も不要。強い治癒能力は無さそうだけど、負のエネルギーで回復できるんだから、生み出した不死者が回復させてくれるかも」
「勝ち目はないと」
「神殿勢力がもっといれば違ったかもね」
「どうかねえ」
ポルートが顎をなで、意味深に言った。
「無理だよ」
エルがポルートに視線を送った。
ポルートが笑みを浮かべ、遠方を指差した。戦場を縦断するきらめきがある。
「ほら、おいでなすった」
「誰だい?」
「うちのお客、匂いのない客だ。死なれては困る。頑張ってもらわねえと、売り上げのために」
ベイエントと軍勢は進み続け、完全に中央軍の戦場を抜けた。
そこに戦場から離脱してきた戦士団三百が立ち塞がる。
中央軍は異常の元が去り、再び乱戦に突入したが、ザメシハは勢いを失い押され始めた。
「回りの奴から刈り取るぞ」
タリッサが指示を飛ばした。
戦士たちが動き出す。二者の武器が交わる。
しかし、一体一体が戦士より強い。明らかに押されている。
タリッサは〈流星剣〉で、流れるように奈落兵の首を落としていく。
戦技のおかげで、速度では圧倒している。総合的には自分より少し弱いぐらいだろうか? それが・・・・・・百近く。これ以上増えたら手に負えない。
「二人一組で当たれ。同時に二体は絶対にさけろ」
戦士たちが戦っている。二体一でどうにかつり合いがとれるぐらいだ。
(あれを止められなければ意味がない。魔術師対策は効かないだろう。通常の武器が通るのか確認する必要がある。スミルナはもう後退しただろうか? こいつを足止めできるかどうかで退却までの許容時間が動くな)
「指揮はゲオルミンが行え、私は大元と少しやる」
「それはそれは、あんなのがお気に入りですか。趣味が変わったのでは?」
戦士団では古株のゲオルミンが言った。近くの部下も続けた。
「危険では?」「無反応なら放置しては」
「ずっと放置はできんだろうが。黙って見ていろ、アホ共。本気を見せてやろう」
タリッサが全身に力を込めた。血流が早まり、鼓動の音がはっきり聴こえる。体が猛烈に熱い。
体が膨らむ。服がきつい。
獣人化に成功した。それを見た団員は口をあんぐり空けているが、戦闘中なので余裕はない。
説明している場合ではないので好都合だと、タリッサは考える。
「団長、やっぱり化け物だったんですね! そうじゃないとおかしいと思ってたんすよ」
団員が嬉しそうに言った。
余裕のある馬鹿がいたらしい。
「俺も、俺も思ってましたよ」「頭なでてあげましょうか?」「え、何がどうなったって」
「お前達、あとで殺す。特にグラスチェン」
タリッサが喋りにくそうに言った。
「なんで、俺だけ!」
嘆きがよく聞こえた。昨日と違う。意識ははっきりしている。
「やるぞ! 近づくなよ」
タリッサが奈落兵を滅ぼし、道を作り、あっという間に、ベイエントの直前まで迫った。そして最速の連撃が放たれた。
ベイエントは大きな塔盾に身を隠して斬撃を受けた。そして剣を彼女に当たりそうにない所で振る。剣速は遅い。
(それは聞いている。理屈は知らんが、斬撃が発生しているとな)
タリッサは二つの剣を交差させ、振り下ろしを受け止める姿勢をとった。
軽い衝撃。押し切るような斬撃だ。その手ごたえが両手にくる。
これなら受けられる、とタリッサは思った。
だが、力は持続した。ゆっくり、だが強く抑えられている。
猛烈な重さ、腕が震える。立っていられない。
彼女は片膝を突き、どうにか耐えた。
圧力が消えた。
「グゥゥ」
ベイエントは少し前に剣を振り終わっている。すぐに立ち上がる。
直接、剣と力場が繋がっているのではないらしい。
しかし、斬り合える筋力差ではない。自分の筋力は確実に強くなっているというのに。
これと戦える戦士はいない。
下がるべきだ。
だが横から奈落兵。戦闘中の部下を無視して、急に動きを変え、彼女へ突っ込んでくる。
同時にベイエントが、離れた場所で剣を振りかぶった。
両方は受けられない。
彼女はとっさに大きく後方へ飛んだ。しかし途中、空中で上方から押さえつけられる。重さで動きは止められた。
両手は斬撃を受けるのに使うしかない。脇目掛けて槍が来る。
「団長!」
部下が走り込み、奈落兵を斬り伏せた。
「馬鹿が!」
引き替えに、部下が分断された。
「クソ」
だが、戦えない以上後退するしかない。彼女は後ろへ走る。射程外へと。
しかし、ベイエントは前進をやめて、彼女の方を向いた。




