観戦
「あれで済んだのかと。また呼ばれるとは」
壮年に見える男が、光の差しこむ暗い空間で、どっしりと地べたに座り込んだ。
ルキウスが懇意にしている臓物の豆包店の主だ。
「応答してくれるのが君だけだから」
悪びれずに言ったのは、エル・テアイルセンス。
二人がいるのは、ザメシハ左軍と中央軍の間の断崖の中頃にある横穴。
幻術と隠蔽措置で外からは普通の断崖に偽装されていた。
この穴からは、東から中央にかけて戦場がよく見える。
「しなけりゃよかったな、てっきり出前の注文かと」
「そんなのやってないでしょ。いいじゃないか、君だって客が少ないんだろう。この戦争で」
「店はまあまあですよ。まだ仕入先が定まらねえけど、これも戦争のせいだ」
「そんなにあの街がいいのかい?」
「・・・・・・あの街、竜の匂いが結構するんで。王都でも多少あるが、あっちの方が強い」
店主が少し考えて言った。
「変わらず食材の匂いに敏感な鼻だ。確かに、彼らが好む環境かな。盛んに出入りする人々、強い民間、希少な発掘品、近くには自然、歴史上でも特異な場所だもんね」
「だから店を離れたくないんですがね。昨日だって、森に野武士が出たとかで、赤星ハンターがボコボコにされて街まで退却してきた。何が起きるかわからない」
「そんな事件より歴史に残る戦だよ。ただ鍋を見て過ごす手はないだろう?」
エルが店主を流し目で見た。
敵も味方も惹きつけてきた蠱惑的な、喜びと恐怖を同時に刺激する笑顔だ。
店主はそれを片目で見て、戦場に視線を戻した。
かつてはその表情の動きを見ているだけで、揺るがぬはずの脳髄がぶれたように感じた。今は少し警戒する。
「お友達に断られただけでしょう。俺達の知らない」
「紹介して欲しい?」
「遠慮しときます。そっち側には行きたくねえ」
戦場では動きがあった。二人の瞳孔が少し広がる。
「ようやく歩兵の到着か、十万はいるね」
「そのようで。兵より、イモの方が近そうな連中だが」
東の乱戦場を、南から押し寄せた歩兵の波が飲み込んだ。陣形と呼べるものはなく、ただ全てがゆっくり押し流されていく。
乱戦場の北から突撃した増援の騎兵も、それを追った王国騎士団も、何もかもがゆっくりと北に流れる。
さらに後方から途切れなく歩兵の波が押し寄せ。流れは中央へと分岐した。一時もあれば、激戦中の中央も飲み込まれるだろう。
「まあ、あれはどうでもいいよ」
「だろうな。ただ数だ」
「まあ、ゆっくり見ようよ」
「鍋より退屈なもんだが」
「この景色は興味を引かないのかい?」
「ああ」
興味があるのはそこか、とポルートは思った。
「ポルート、《人間料理人/ヒューマンシェフ》の腕はもう見られそうにないね」
赤と青の塔、血の調理場、そこがかつての彼の定位置。
守護十二階の六階守、守護十二階最強の男、ポルート・クルセリス。それが彼だ。
「舌が変わってもう無理でえ。若造は実にいい仕事をやった」
ポルートは自分の右耳の後ろを指先でこついて、岩の飛び出た壁にもたれた。
「世に出たのはろくでもないことに使われそうだから回収しないといけない。人に警戒されると使えないし、この国のも全て回収してきたよ。分析されたくない」
「自分で使いたいだけだな」
「備えは大切だよ」
エルが笑った。
「・・・・・・そんなに料理がいい?」
「ああ、春になったら、若葉でも使ってみようかと思ってる」
新芽というのは使えるらしい。コフテームの住人は、もう春先のことを考え世間話をしていた。
「君みたいな自然発生は野性的なのが多かった。知的に見えても、それは狩猟のための知性でしかなかった」
「あの実験の話で?」
「ああ。訴えかけるものは無かったのかい?」
「さあ。俺は普通に生きてるだけなんで」
「回想実験では誰も覚えていなかったけど、参照元はあると思うんだよ」
「前世は料理人ってことだ。それでもかまわないが」
「思えば君は創造性があったよね。戦闘中に味を気にしたの君だけさ」
エルが思いだして笑う。
「僕には、ベースがあるのか、最初から狩猟者として設計されたのかは、今でも関心事だよ、ポルート」
「他の自然発生は一様だったがねえ」
例外にしがみつかれても困る、と彼は思った。
「人は流されるものだろう。馴染んだの習性を引きずるのが楽なんだな。だからベースが無いってことにはならない」
「へえ」
「この針がどの程度人格まで変えられたか、には興味がある。後天性のと比較しないとわからないけど」
「また実験で? おお、哀れな犠牲者達」
「今は誰も追ってこないから必要無いよ。大戦のおかげで、人種とその他との境を巡る不毛で野蛮で複雑極まる争論は消滅した。そこだけは良かった」
戦場を見るエルはもっと遠くを見ているのだと、ポルートは感じた。
「まったくで」
「そもそもを言えば、僕は平和に暮らしてたのに爆撃してくるから、ああなったんだ」
「誰かの墓が消しとんで、ブチ切れたんでしょう」
ポルートは盟主の過去をそれしか知らない。他の連中も知らないはずだ。流れでなんとなく集まって増えた。そして解散した。
「そう大きな墓。世界が平和になっても土地だけは狭いってね。友が大きな墓を欲しがってね。墓が好きで死体を生み出すようになった人だけど――まあ、順序がおかしいけど、とにかく墓が好きだった」
「盟主の友人ならおかしいに決まってる」
「宇宙に墓を打ち上げるのも考えたけど、虚空には神も魔道も無いから難しかった」
「何やってるのやら。神代でも失敗したって話だ」
ポルートはあきれた。
「ああ、神々も失敗した。あるいは虚空の神との争いで防がれたか、星の守りに徹するしかなかった、と考えていた」
「そんで、真四角のでかいのをやった訳だ」
「そう、それを爆撃しやがったんだよ! 原理主義の聖騎士どもめ」
「盟主がその墓に住んでたから」
「そう居住性も完璧だった。罠も一杯仕掛けたし。ちゃんと遠き空から見えるように作ったんだ」
エルが喜々として話す。ポルートは墓の自慢をしばらく聞いていた。ずっと墓に閉じこもって生きていくつもりだったようだ。
「とにかく、よい墓だった」
エルが言い切った。郷愁の念がこもっていた。
きっとよかったのは墓以外の何かだろうと、ポルートは思った。
東の戦場にギルヌーセン伯が現れた。押し寄せる歩兵の波が多少揺らいだ。輝きが飛び交っている。
「流れは止まらないな」
ポルートが軍の動きを注視して言った。
伯爵が狙った場所は半円形に人が倒れてよくわかる。すでに千人単位で無力化している。しかし大局に影響はない。
止めているのは極一部で、それ以外はひたすら前に進んでいる。
伯爵も攻撃地点を変えて広くを狙っているようで、キラキラ輝く場所が動いている。
しかし焼け石に水だ。矢などで妨害も受けているので、坂に達するまでに一万減らせないだろう。
前列の人間の表情からすると止まりたそうだが、延々と続く後方から押されているのだから、スンディの兵もひたすら進むしかない。
このまま本陣と衝突するまで流れる。本陣はそれを留められるのか。
「それなりに戦況に影響しているけど、使えていないね」
「使えてない?」
「あれはダクレオ博物館の隔離倉庫にあったやつだよ。呪われてる。昔、あの倉庫を襲撃した連中を殲滅してあげたから知ってる」
「美談みてえに言ってるが、あの時は金銀財宝をたんまり頂戴しただろう」
「正当な護衛費用を徴収しただけだって。呪具が過激派に渡ったらどうなったことか」
「これも自分が欲しかったのだな。なんだったか、宝石の自慢が調理場まで聞こえたぜ」
「盟主として成果をアピールする必要があっただけさ」
「どうだか」
「で、それが戦場に出ちゃってる訳だ。まあ、使えていないからいいや」
エルがつまらなそうに言った。
「ちなみに使えてたらどうなるんで」
「記憶が確かなら――自分を中心に広範囲を永続的に凍らせる。今見えてる場所ぐらいは全部いくと思う」
「・・・・・・放置で?」
「僕の仕事じゃない。さてと――」
エルが亜空間袋から、ガサガサと二つの袋を取り出した。昔はよく見たスナック菓子の袋だ。フィルムにはトノサマバッタのイラストがある。
「こういうときって、料理人に料理を出してくれって、言うもんじゃあ」
ポルートがすねた風に言った。
「スポーツ観戦の時はこれを食べるんだ。昔からの決まりだけど、君達には出せなかった。いやあ、これを君と食べる時がくるとは思わなかった。デリニュー社のバッタスナック。チーズ塩コショウ味と伝説のマヨネーズ味」
「神代の残りで?」
彼が聞いたことのない社名だ。
「魔道具があるんだよ。特殊な金貨を入れれば生産される。ちゃんと一匹一匹入ってるんだ」
「創造系にしちゃあ、複雑な物を出せるんだな」
「神代の物と一緒だよ。多分だけどね。で、どっちにする?」
「貴重そうな、伝説で」
「それは独特の味わいで癖になるんだ。外国のものだってね」
「外国?」
「異界の神々にとっての外国さ」
「異界の話ってのは、半分に聴いてる。俺は悪魔だって、そこらの鍋で生まれると思ってるんで」
「往古より貴重だってわかればいいさ」
エルが袋を手渡した。ポルートは袋を開けた。手を入れて、五センチのバッタをつまんだ。脂ぎっていて、赤みを帯びた体に湿った粉末状の白いものがこびり付いていた。
彼はそれを口に入れた。
香ばしく、ほどよい歯ごたえがあってサクサクバリバリとしている。ねっとりとして経験したことのない濃い味わいだ。かすかな酸味に尖った塩味が際立った。
「どう? どう? 悪くないでしょ」
「ああ、知らない味だ。そういや、こういうのも初めてだ」
エルが顔を覗き込んでくるなか、ポルートは次を口に入れた。
「この規模の戦なら、大地の怒りが発生するかもって思っていたんだけど――しょぼいね」
エルもバッタを口に入れた。
「気軽に国が滅んじゃ困る」
「まだ衰退局面なのかな。歴史書からすれば、二百年ぐらいで大復興期だったはずだけど」
「超遺物が使えて、汚染は塩だけ、まあ、こいつも軽くはねえけど、土代えれば済むし、更地が増えてやりやすかったんじゃあ?」
それから、バッタをバリバリ食べ続けていると、少ししてエルが言った。
「他の連中の話を聞きたいんだけど」
「そいつが本題で?」
(神代の話はその前振りか、違うか?)
「そりゃあ、確認はするだろう。気になるよ、気にしすぎて死んじゃうよう」
エルが明るく嘆いてみせた。
盟主はいつも明るいが、実のところ何を考えているかわからなかった。それは今も変わりがない。
「心にも無いことを・・・・・・知ってる奴はだいたい、黒塩聖跡地方で組織を作ってますよ」
「僕の真似だ。遠いなあ」
「真似っつうか、小規模なやつです。暗殺教団とかそういうやつ」
「ふーん」
「結局、大きく組織を広げるのはよくねえって判断で、俺はそんなら普通でいいやって思ったんで」
「そう。でもポルートは組織にいたろう」
「針を貰って番人だけ受けたんで。若造は、派手にやりたかったようだが――まあ性格か」
「そう・・・・・・あっちは通信届かないんだよね、汚染のせいで。昔は大陸の東西なら、端から端でも届いたのに」
「ほどほどに距離があった方がいいってこともあるんじゃねえかな」
「君はあっちへ行かないんだね」
「豆がこっちにしか」
「なるほど。黒塩聖跡地方といえば、情爆の国は残ってるの?」
「なんです? 皆殺しですか?」
ポルートは少し緊張した。
「いや、気になっただけさ」
「都市国家になったという話だが、残ってますよ。六十年前の情報ですがね」
「相変わらずかい?」
「相変わらずで」
「この光景を見て、また彼らの歌が聞きたくなった」
「あそこがぶっ放した時には完全にブチ切れたって、後からどこかで聞いたが」
「そりゃあ、陽気に歌い踊りながら、あの戦争の一発目を発射したと聞けば怒るよ」
「一大事と来たら、そりゃあ歌うだろう。奴らの文化じゃあそうなるに決まってら」
「我こそは宝歌の雄、成敗するぞ梟雄。正義の剣は黒を滅ぼし白を呼ぶ。ガラスの麦を実らせよ。行くぞわが想い、行くぞわが想い」
エルが滑らかに口ずさむ。
「覚えちまってやがる」
「怒り過ぎて覚えたのさ。サーガ・オピラッテは天啓の如く響く荘厳なテノールでのし上がった男、歌はいい。歌だけやってりゃ、なおよかった」
エルが苦笑いした。ポルートも笑みを浮かべた。
「盟主に記憶されるなら名曲に違いない」
「行くぞわが想いが、一回ならセーフだった。もう表に出るつもりは無かったんだけどね。カチンときちゃった」
「動きがねえな」
ポルートが戦場を見て言った。
ザメシハ左軍が這う這うの体で必死に後退している。二人の前を通る流れがよく見える。
砦化された本陣では、東側に重点的に兵が配置された。
「あくまで坂で守る構えだね。大型の対魔術妨害装置や、対空兵器。発掘品だろう。作れるとは思えない。でもスンディは想定していたんだろうね。だからこの手順になってる」
エルの目が鋭くなり、中央軍の方を見て止まった。
ザメシハ中央軍が、スンディ正規兵の固い方陣をなんとかこじ開け、後方の本陣を直撃しようとしていた。
本陣を潰して、歩兵の突入前に下がる。中央軍はギリギリ間に合うかもしれない。しかし、東の戦場の流れ次第では、東からの増援に退路を遮断されるだろう。
ただし、二人の興味はそこではない。
「ほら、ついに来たよ。溜まった死の力が消費される」
「こっちは五百を過ぎれば見えないんで、何も感じないが」
「死にまつわるものなら視認距離と同じだけ見えてる。黒いオーラがゆっくりと集束してる。換気口がほこりを集めるようにね。もっとも、こっちは消費されるまで溜り続けるけど」
「何が出るやら」