細氷剣
「本軍が来ない分の仕事はせねばな」
ナリタの見る方には、戦場に突入してくる騎兵の群れがあった。三十列ぐらいになって向かってくる。数はわからないが多い。隙間が空き、乱れた隊列から練度が低いのはわかる。確認できる装備は突槍。
そして背後には、完全に乱戦となっている東の戦場がある。
重峰騎士団員が、泥と砂をかき混ぜたような方陣を突き破り、南側に姿を現した。
部下の鎧には矢が多数刺さり、鎧は焦げている。大砂漠鎧蜥蜴にも、ちらほらと槍の穂先が刺さっている。
二人の部下が乗騎から転がり落ちた。死んでいる。
ナリタはそれを軽く見ただけで、視線を正面に戻した。
戦闘可能なのは十九騎。誰もが騎兵の隊列を見ていた。
この戦場は優勢に進んでいる。敵の主力がいればこうなったかは疑問だが。
しかし、あの騎兵が来たら終わりだ。
「ティカルサは動かんか」
敵後方に、騎兵以外の動きは無い。
騎兵の隊列がどんどん大きくなる。蹄の重い合唱が響き出した。
それでも、ナリタの世界は静かだった。
あれを止められるのは我らしかいない。
「無駄にせずにすんだ」
ナリタは最後の治癒ポーションを乗騎に使った。
自分の体には、左肘と右足に深手があるが関係ない。その熱い痛みが気分を高揚させた。
「横一列だ。一騎も通すな」
ナリタが平坦な声で言った。
彼らが横と足並みを揃え、進む。速度はいらない。対向する騎兵は走っている。警戒すべきは槍の穂先のみ。敵兵が貧弱でも、まともに当たれば落とされる。
トカゲとウマが衝突した。
ボギリッと骨が折れる音が響き、熱い血が降りかかってくる。
槍が、跳ね飛ばした兵が、ウマが、乗り手にぶつかってくる。
もう戦術も何もない。ただ姿勢を低くしがみつき、衝撃と揺れに耐え、真っすぐに進むだけだ。
目の前ではウマが潰れていく。そして側面では部下が一人一人脱落していく。
それは見ていない。前もほとんど見えていない。
右肩に強烈な衝撃。何か重い物が当たった。息が詰まる。空が見えた。
「突き抜けろ、ゼスオイ!」
ナリタは風を感じながら叫んだ。
重峰騎士団は騎兵二千を道連れに全滅した。
残った騎兵は混戦に突入せず、西側を通り抜けようとした。
これにカクラク達がまとわりつく。
赤恐鳥騎士団は矢が尽き、騎兵のせいで補充もできない状態になっていた。
彼らには珍しい接近戦。しかし、やっとの調子で騎乗しているような兵など、彼らからすれば騎兵に数えられない。
「弱いな、こいつら。これでは死にそうにない。自殺では駄目だしな。羨ましいぞ、トカゲ乗り達」
カクラク達が騎兵と並走して、槍弓で騎兵を貫いた。
乗り手を失った大砂漠鎧蜥蜴が暴れ続けたおかげで、騎兵の残りは六千となった。隊列も乱れている。
カクラク達はウマを狙い、突いては離れを繰り返し、端から削っていく。
次々にウマが倒れ、その後方の騎兵もウマを踏みつけ、前のめりに転倒していく。
「だが止めるのは無理か。多すぎる」
彼らにぶち当たるような力はない。
騎兵の隊列の後方が、別部隊作り分離させた。川の流れが分かれるように広がっていく。このままでは騎兵の中州に取り残される。
「挟み込むつもりか。離れるぞ、あれの外側に回る」
カクラク達は攻撃をやめて、流れの外側に駆け抜けた。外に出た彼らは騎兵の動きをうかがう。
しかし騎兵の分隊二千は、彼らを追う素振りを見せず、南西へ向かっている。
「これは・・・・・・中央に行くつもりか?」
「どうする将軍?」
部下が言った。
「東の方が多い。あれの背を討つぞ」
騎兵四千は混戦を無視してさらに前進。後方にあった左軍の本陣は壊滅した。
この後、カクラク達は矢の補充のために中央の本陣まで後退した。
左軍を無視した騎兵二千が、中央軍の背を突こうと迫った。
レメリ率いる王国騎士団は中央軍左後方に位置していた。対処すべく動く。
「前衛は呼び戻せんか」
レメリが言った。
「間に合いません、戻すのに十分は」
敵と交戦していない騎士団員は百ほどだ。
「なら俺達でやるしかないなあ。ああ、やだねえ、でもやらないとなあ」
レメリが笑って言った。
「多すぎますよ。団長」
「そのようだ。止めるのは難しい。だがやる。あれが後ろに回っては攻撃どころじゃなくなるからなあ」
百でも戦い方によっては勝てる可能性はある。しかし正面から止めるとなると厳しい。
「正面から全力で行くぞ、王家の力を示せ。衝撃で勢いを殺すぞ」
「おお!」
加速した王国騎士団が、騎兵のど真ん中にぶち当たる。双方のウマが衝突し、何人かが空中へ飛んだ。
レメリが巧みな馬術と槍のさばきで、立て続けに敵兵を切り捨てる。部下達もどうにかそれを追う。
だが、勢いは次第に弱まり完全な包囲を受けた。
包囲下での戦闘が続く。
「死角を作るな、援護しあえ!」
兵の質は格段にこちらが上、しかし倒しても倒しても次が来る。レメリにはさばける相手だが、部下は減っていく。
部下が減り、包囲が狭まった。レメリも圧力で槍が扱いにくくなってきた。
だがなんとか時間は稼げている。引きつけには成功した。
(あの時、死んでもやむなしと思ったが、失態だったな。万全ならギリギリやれそうだったが、ここまでか。なんとか部下が戻るまで)
レメリが弱気になった時、キラキラとした小さな光の群れが、騎兵の隊列を左から右へと通り抜け、甲高い透き通った音がやかましく連続した。星の川を見るようだ。美しいきらめきが目に残像として残る。
同時、騎兵達が一斉に全身から血を出す。死んではいない。だがウマが暴れ倒れる。
「なんだ、これは!?」「暗い!」
唐突な出来事に包囲が弱まった。
「あの野郎、いいところで出てくるじゃねえか」
レメリが眼前の敵を突き抜き、光の来た方向を見た。そこには、こちらへ向かってくるギルヌーセン伯の姿があった。
「団長指示を」
部下が言った。
「後ろを破って離脱する。巻き添えを食うぞ。あれはそう精密ではないからな」
「あれが飛剣ですか」
「そうだ。細氷剣ヒスチューレ。我が国最強の剣だ」
「矢は頼むぞ」
ギルヌーセン伯が言った。部下が答える。
「弓騎兵はいないでしょう。多分、魔術師も」
「投げ槍は逸らしきれない、重装騎兵でなんとかやってくれよ」
伯爵の前を重装騎兵が固めた。
「次、行くぞ」
伯爵が剣を構えた。剣身が透き通り、湿って青く輝き、柄は不気味なまでに鮮やかな青の長剣だ。
伯爵が剣を振った瞬間、剣身が速やかに弾け、敵へと発射される。
光を受けて輝く細かな刃の群れが、騎兵を横殴りにした。
無くなった剣身は、つららが伸びるような感じで、数秒で復元される。
そしてまた降り抜けば、氷刃の群れが敵を襲う。
細氷剣ヒスチューレ、ギルヌーセン家に代々伝わる魔法剣。由来は定かではないが、先祖がエファンにいた頃から伝わる。
これは神代の武器でありながら、草原では特に評価されていなかった。
射程三百メートルの強烈な遠距離範囲攻撃を無制限に放つ強力な武器だが、草原の射手は普通に一キロ先を射抜くし、一撃の威力が低く、帝国戦車の装甲を抜けなかったからだ。
しかしその評価は開拓で激変する。
全身が硬い、樹木や鉱物、甲虫の魔物を苦手としたが、それ以外は幽霊すら遠距離から斬り捨て、森では猛威を振るった。
「俺達は左軍の救援に回るぞ!」
レメリが叫んだ。彼は後退してきた兵と合流すると、王国騎士団は中央を離れ、左軍の乱戦に後方から突入しようとする騎兵四千を目指し駆け出した。
敵騎兵二千は騎士団が退いたのを好機と、中央軍の後背を突こうと動くが、その先頭目掛けて氷の嵐が打ちつける。ウマが倒れ、兵も落ち、後方が止まる。
敵騎兵は目標を伯爵達に変え、向かってくるが、そこをまた氷の嵐が打ちつけた。
のたうつウマの群れと、うめくだけの人間の群れが形成されていく。
氷の流れを広範囲に広げれば、鎧を貫通するような威力はない。しかし、わずかな隙間から薄い氷が入り込み、刺さり、切り刻む。
即死はしにくいが、多くの者が目や首をやられ、とても戦えない。
伯爵は距離を維持して、ひたすらヒスチューレで敵を切り刻む。
「これで左軍は助かるか? 微妙だな、かなり多い」
ギルヌーセン伯は険しい表情だ。
「すでに敵歩兵部隊が接近しています。東は三十分もしない間に来ます」
「厳しいな、間に合いそうにない。民兵だけなら十万でも斬ってやるってのに」
左軍の完全な乱戦はいつ終わるかはわからないが、退却は絶対に間に合わない。後方がやられているのだ。指揮系統を再建できない。
中央軍は激戦の真っ最中。勝つか負けるかわからない。
「右軍はどうなった?」
「敵本陣をほぼ破壊。敵は崩れています、かなり優勢です」
「そいつは朗報。だが撤退を急がせろ。ズデーエフ大坂までだぞ。左軍は一刻もつまい。潰走になる」
「公爵は気を吐いていますが」
「真っ先に避難させろ」
「了解しました」
右軍の兵を坂の防御に回せれば、敵の勢いそのままに抜かれる可能性は低い。
最低限の兵は確保できる。しかし後を考えるなら足りない。
兵数の確保に中央軍を退却させる必要があるが、いま下がれば追撃される。
つまり中央軍に勝ってもらうしかない。それは騎士団が離脱した現状では困難だ。
(こいつはいよいよやばいな。剣一本でどこまでやれるか)
「まずは目の前の奴らをきっちり滅ぼすぞ、念入りにやる」
「とどめは我らが」
左軍も中央軍も完全に乱戦になっている。細氷剣ヒスチューレが使いにくい、次は新手の歩兵を相手にするのが無難かと、伯爵は考え、剣を振るった。