指導
十一日目、夜。
戦場とは思い得ぬ、明るい空気。
酒があるなら、何より酒。それがハンター達の流儀であり、グラシアですら酔っていた。今日のは一段よい酒だ。
吟遊詩人の口もよく滑るようで、いくらでも歌が湧き出している。
それでも一つの勝負が忍び寄るのを感じているのか、効果の疑わしいまじないが流行り、普段は耳に止めぬ、神官、魔術師による難解な異界の話を聞く姿もある。
その外側、二人が灯りから離れていく。
「その剣、どこから?」
スミルナが不思議そうに言った。
「落ちていたので拾いました。よいものです」
ヴァーラは神銀に不足を感じ、ギザギザのある白い長剣聖樹ヴィエンヴォールの旗魚剣を出していた。
「結局、戦場では力が必要です」
「そう言っても、急に力は増えないし、速度でなんとかするしか。おかげさまで、速い状態を続けることには慣れたけど」
「魔法を照準させないことは大事ですが、あるものを使っては?」
「あんな風に、十デコッツも人を投げられないよ」
スミルナが苦笑いで言った。
「隊列を崩さず攻撃するにはあれが一番です。中位魔法の飛来物避けでも、人は無視して抜ける。生き物ですから」
「参考にはならないや。ザンロさんは真似して、人を打って飛ばしてたし、民兵を壁に使う人は多くなったけど。私は人を片手で持って走れないし」
「まあ、私より筋力の才能はありますよ」
「才能? 筋力・・・・・・ザンロさんみたいにはなりたくないかな」
スミルナが困った顔をした。
「行きましょうか」
ヴァーラは足を止めたスミルナを置いて、さらに進む。
「どこへ? もう結構来たけど」
周囲には十分な空間がある。足を使って戦うにも余裕がある。
「人目の無い所です。すぐに強くなりたいのでしょう」
「そりゃ、もう! でも、そんな便利なことある?」
「秘奥ですから」
「秘奥! 人に見せられない技」
スミルナが目を見開いた。
「興味はあるでしょう? あなたならやれますよ」
ヴァーラは迷っていたが、とうとう獣化を教える決心をしたのだ。彼女はスンディの援軍の位置を連絡で把握している。激戦は近い。
「教えてくれるの?」
「できる人なら誰でも教えます。できない人はできないので。できる人には簡単です。気楽にやりましょう」
「そうなんだ」
ヴァーラは東を見た。陣から離れた林、遮蔽物にはなる。隙間があるが夜なら見えにくい。
「暗いと見えにくい?」
スミルナがそちらを凝視しているのを見たヴァーラが言った。
「え、多分・・・・・・普通の人よりは見えてるけど、チェリより見えないぐらい」
「見えやすくするぐらいなら、二、三日でできるかもしれませんね」
ヴァーラは、人にできないことができる発想が無いのだろうと思った。〈夜目〉は自然に発動してもいいはずだ。
「お前達、どこへ行く?」
後ろから張った声が飛んできた。
二人が振り返る。声を掛けたのはタリッサだった。
「母さん」
「母さん?」
「やはりお前か」
タリッサが歩いてくる。一人だが、離れた後方には何人か控えている。
「戦士団長だよ。知ってるよね?」
「知ってはいます」
「なんでこんな所にいるの?」
スミルナが少し勘ぐる感じで言った。
「全軍の様子を、と思ってな」
タリッサが近くまで来て、ヴァーラを見た。
「そっちは?」
「ヴァーラ・セイント」
「そうか。名前は聞いてる」
タリッサがそっけなく対応して、すぐにスミルナに言う。
「で、お前は帰るのか」
「三人を置いて、一人で帰る訳ないじゃない。何言ってるのよ」
スミルナがむくれた。
「戦場だぞ。一人減ったところで変わらん。帰ればいい」
「二十六人、魔術師を斬ったわ。知らないの?」
「知らん。ちょっと上手くいっているぐらいで調子に乗るな」
「母さんこそ調子に乗らないでよ。私、ヴァーラさんと訓練するの。母さんより強いんだから、母さんなんて要らない」
スミルナがヴァーラにくっついた。
「・・・・・・強いのか?」
「さあ、どうでしょうか」
「否定はしないのだな?」
タリッサが顔を寄せ、上から圧力を掛けてくる。
ヴァーラがそれでどうにかなるはずもない。しかし気になることがあった。
人とは少し違う油脂の匂いだ。スミルナと同じもの。
これは母親の血筋だ。
そして戦士団長、戦局に関わる人間。
「なんなら、お母さんも一緒に鍛えてあげましょう」
ヴァーラが自然な調子で言った。
「これは大口を叩いたな」
タリッサが目を鋭くした。
「それに死ぬかもしれませんので、親族はいた方がいいでしょう」
「え! 死ぬの?」
スミルナが目の色を変えた。
「なんせ秘奥なので」
「簡単って言ったのに」
「簡単です。ただちょっと急ぐので」
「危険なことは許可せんぞ」
「母さんは関係ないでしょ! 帰ってよ」
スミルナが苛立った。
「私は家長だぞ、関係無い訳があるものか!」
「私が治療するので問題ありません」
「何を言うか、聖騎士の魔法など知れている」
「とにかく、人目の無い場所に行きましょう。あれは邪魔ですね」
ヴァーラが、タリッサの部下を見て言う。
「帰れとは言えん。陣の外だ。危険はある。そもそも認めないと言ってるだろうが」
「勝手にやるってのよ」
「・・・・・・私の天幕なら許可しよう。安全だぞ」
タリッサが少し考えてから言った。
「天幕など、流石に狭いのでは?」
ヴァーラが言った。
「私は戦士団長だ。剣を振り回すぐらいできる。私専用で、ドーム状のでかいやつだ」
人目がないという意味では確実か。本陣なら、監視者の目は潰してあるだろう。それにこのまま行けば邪魔が付いてきそうだ。
「まあ、いいでしょう」
「もう、母さん。余計なことしないでよ」
三人は視線を集めながら、タリッサの天幕に入った。
途中で見た本陣は、簡易的だが、壁と堀と張り巡らされ、半ば砦となっていた。天幕は高さが五メートルぐらいあって、直径八メートルはある。
「これで筋力が上がります」
ヴァーラはガントレットを外し、右手だけを獣人化させた。
二人は驚いたが、すぐに落ち着いた。
「はい、どうぞ」
「何がどうぞだ」
当然のような流れで言ったヴァーラに、タリッサが待ったをかける。
「やりなさいという意味です」
「魔法じゃないの?」
スミルナも不思議そうな顔をした。
「魔法ではありません。気合です」
「気合でできんだろ。戦技でも体は変形できんぞ、伸びるぐらいはあるが」
タリッサが言った。それにヴァーラが適当に返す。
「じゃあ、根性でいいです」
「ふざけているのか」
「ふざけていませんよ、ほら」
ヴァーラが、鋭い爪が伸び、白い毛の生えた手をニギニギする。
「何が、ほらだ」
「はい、お母さんからどうぞ」
「なんで私がやる? スミルナの訓練ではないのか?」
「あなたの方が覚えが早いと思うので、お手本を見せてください。バァッとやってボウッて感じでやればいいです」
「はあ!? どういう意味だ」
「それじゃあ、母さんより強くなれないじゃない」
スミルナも文句を言った。
「そこは個人の努力でなんとか」
「お前が私より強くなるものか。現実を見ろ」
「今すぐなるってのよ!」
「どっちも似たようなものですから、どうでもいいです」
ヴァーラの興味が無さそうな態度は、タリッサの怒りを買った。
「そもそもお前を認めていないからな」
「では握手しましょう」
ヴァーラが右手をタリッサに伸ばした。
タリッサが不審に感じながらも、その手をとった。
「思いっきり握ってください」
タリッサがチャンスとばかりに全力で握ったが、すぐに握り返され「グッ」とうめいた。
タリッサが手を振り払った。スミルナは少し得気な顔をして、タリッサに睨まれた。
「じゃあ、先に変化できた方を個人的に強者認定します」
二人が手に力を入れ、うめいたりしてみたが一向に変化は無い。
そんな時間が続いた。
「なぜできないんですか? 真面目にやりなさい」
ヴァーラが首を傾げたが、二人から猛抗議を受けた。
ヴァーラが熱心になるあまり、失念していることがある。
キツネ系魔族は他の動物系魔族より変身能力が高い。
サポートキャラクターは最低レベルが二百一、未熟な時代が無い。できなかった経験が無い。
やはり手荒にやるしかない、とヴァーラが決心した。
「では実戦形式です。剣を抜きなさい。本気になればできます」
ヴァーラが言った。そして準備を終える。
「吠え面かきやがれ」
タリッサが得意げに〈流星剣・荒滝〉を発動、瞬時に一歩踏み込んだ。
しかし、その首元に刃が迫っていた。彼女は表情を歪め、反射的に全身を回転して避けた。
「おや、これは舐めすぎましたか」
かわされない前提で斬りつけたので、浅くなりすぎた。動脈まで達していない。
タリッサが傷を押さえた。かわさなければどうなったか、わかったのだろう。
「次は殺すつもりでやりますので」
「お前! 何を考えている」
タリッサがヴァーラを睨み付ける。
「鍛えてあげているのです。スミルナも同時に来なさい」
平然と答える騎士、異様な空気が天幕に漂い始めた。
しかし、スミルナはまだ戸惑っている。
「アレイトッ!」
タリッサが叫んだ。
「助けは来ませんよ。音を消しています。これができないようでは、どうせ死ぬ。ならいま死ねばいい。さあ、死にたくないなら頑張りましょう」
淡々と話すヴァーラに、タリッサが斬りかかった。
本気、と判断すれば動きは速い。だが、言葉ほどではない。
「狂いなさい」
瞬間的な混乱を与える〈狂気の入口〉、狂気の波動が二人をむしばむ。
ヴァーラはタリッサの剣を受け止めた。表情は強烈に歪み、攻撃性を感じさせた。
スミルナは目の焦点があっておらず、少し体がふらついている。
この隙にヴァーラは鎧の中で獣人化する。
(この子は攻撃性が低いのか? 後回しに)
自由に獣人化できるのは最終職業だけ、他は変化点を稼ぐ必要がある。
精神異常、自分・仲間の危機、敵が強く多い、などで点は増加する。危険な状況を演出すればいい。
ヴァーラは二人の間に割り込んだ。二人同士が斬り合わないようにするために。
同時に、盾のすみでスミルナを殴りつけ、弾いた。
状況がわかっているのか、タリッサが瞬時に反応、肩を狙った振り下ろし。
ヴァーラがかわして下がりながら、両足を深く斬りつけた。
タリッサが悲鳴を上げ、立っていられず倒れる。
「やあっ」
後ろから限界まで加速したスミルナ。
それを振り向きざまに貫いた。正面から入った剣が完全に下腹部を捉えている。剣は盾で受けた。
直線的に加速すると止まれないのを、ここ数日の訓練で見ているので簡単だった。
剣が抜かれ、スミルナは腹部を押さえ、倒れた。
「残念です。若いのにここまでとは」
うめき声がする。獰猛な獣のうめき声が。
タリッサが顔を上げた。その顔は灰色のオオカミ。全身が膨れ上がり、灰色の毛が生えていた。
それが瞬時に跳ね起き、ヴァーラに斬りかかった。
ヴァーラはそれを正面から剣で受け止めた。
「そう、その調子ですよ」
(やはり早い。適正に差がある)
窮地からの獣人化、傷はほとんど回復している。
スミルナは倒れ、どうにか起き上がろうとしていた。状況は見えているはず。ポーションを使おうとしているのかもしれない。
(しかし、有利、とでも思われては困る)
「変化してもこれでは足りない。無駄だったようですね。さようなら」
ヴァーラがタリッサを膝蹴りで飛ばした。同時に一閃、今度は頸動脈を捉えている。首から血が流れ出る。
タリッサはそのまま戦おうとしたが、よろよろとして膝を突き、倒れた。そして人の姿に戻った。
「母さん? 母さん!」
「良い所までいったのですが、ここまでです。制御できていない」
「治してよ!」
スミルナが悲痛な声で叫んだ。
「断ります。それより、あなたも死にますよ」
ヴァーラがタリッサのへの進路を塞いだ。
スミルナの呼吸が荒くなっていく。肩が激しく動く。それがいきなり止まった。
一気に肩幅が膨らみ、露出部が毛皮で覆われた。拳が強く握られている。
「できるじゃないですか」
「ウウウウゥゥ」
スミルナがうなり、ゆっくり立ち上がる。剣を持っていない。そのまま爪でヴァーラに襲い掛かる。
「聞こえてはいないか。《変化解除/トランスフォーメーション・キャンセル》」
スミルナが人に戻り、意識を失い倒れる。ヴァーラはそれを受け止めた。
ヴァーラはすぐに二人を治療した。
二人が目を覚まし、何かを言おうとしたが、ヴァーラは時間を与えなかった。
「甘めですが合格です。今のは特殊なので、次は変化しましょう。こっちは簡単です」
ヴァーラが瞬時に小さくなりねじれる。そして白いキツネが現れた。白い毛は大変にフワッとして高貴さがあり、暖かそうだ。
キツネがバンバンと、前足で床を叩いた。やれ、という意味だ。
「どう簡単なのよ」
スミルナが座ったままで言った。まだ、何がなんだかわかっていない。
タリッサが難しい顔をして、無言で立ち上がる。
そしてヴァーラと同じように小さくなりねじれる。灰色の獣が姿を現した。
威厳を感じさせる大きめのオオカミ。荒々しい毛の流れ、力のうねりを表現しているようだ。
「母さん! そっち側なの!?」
オオカミが誇らしそうだ。ゆっくり尻尾を振っている。
オオカミがスミルナの顔をしっかりと見た。
「いや、無理だから」
オオカミがスミルナの太ももに噛みついた。
「ギャー」
スミルナが悲鳴を上げ、オオカミを振り払った。
オオカミがうなっている。キツネがより強く床を叩く。
スミルナは泣きそうになった。
しばらくやっても変化できず、二人が人間に戻った。
「なぜ、変化しないのですか? 早くしなさい」
「早くやれ」
「いや、できる方がおかしいでしょ」
スミルナは少数派になったことに絶望した。
「獣人化の方が難しい。獣になる魔法使いは多いでしょう。変化の感覚を思いだして」
「それ、記憶が無いんだけど」
ヴァーラはタリッサに視線を送った。
「私はある。ぼんやりとだが」
「私、疲れてるの。ほら血を流したから」
「甘ったれが」
タリッサが吐き捨てた。
「仕方ありません。食事にしましょう。中央からのいてください」




