四日目3
自分の慣性に無理の無い左の黒いローブの魔術師へ、自然と足を踏み出す。
体は重力がかかったままだ。黒の男を斬れば解けるはず。
黒の男が黒い炎で包まれ、燃え上がった。そして、炎が竜巻のようにぐるりと取り巻く。黒の男はその中で平然と杖を構えている。
(カウンター系、問題にはならない)
ヴァーラが次の一歩を重く踏み込んだ。
しかし、右から大きな魔力を感じ、兜の向きを変える。
バイザーの隙間から見えるのは一番大柄な魔術師、手にしているのは緑の大きな鱗。
魔術師はその鱗に指先で何かを書き込む動作をした。鱗が手の中で消え去ると、体が急激に膨らみ、緑色の竜の姿に変わる。
中位魔法《竜化/ドラゴンフォーム》
短時間とはいえ、最強の生物の肉体を手に入れる魔法。これができるのは、ハンターなら赤星クラス。主力に違いない。
長い首の先についた竜の顔は、二・五メートルの高さにある。顎を引き、ヴァーラの反応を確かめているようだ。
顔の側面から鋭い棘が生え、針の列は首、胴体、長い尾の先端まで続いている。
顔から尾の先まで十メートルほどか。
背中では折りたたまれた翼が、ゆっくりと動いていた。
誰もが見上げる高さと、知性を感じさせる獰猛な顔。人を恐怖させるに充分な大きさと形状。
だとしても、ヴァーラを恐怖させることはない。
「ウオオォォーー」
竜が口を大きく開けて吠えた。低く重い振動が空気を揺らす。
周囲の民兵は、心臓を握りつぶされそうな感覚を味わった。より遠くまで混乱が広げる。
ヴァーラが竜と正対する。
緑竜がかすかに身を屈め、鋭い動きで彼女に突進する。
(この体格、青年竜ぐらいか。レベル六百程度と見ました)
竜が一・三メートルはある右腕を高くから振りかぶった。
重量と速度を活かした荒々しい攻撃。
ヴァーラは正面から逃れながら、腕を下から斬り上げる。
ギン、剣と爪を立てた手が交差した。二人が瞬時に行き違う。竜の手が地上を叩き、ドンッと揺らした。
剣が鱗に弾かれている。鱗に亀裂が入ったが、血を流させるにはいたらない。
古竜に比べれば薄く小さな鱗とはいえ、流石は正当な竜か。
竜は振り返らずに体を一回転。五メートル近い尾が来る。
これを低く屈んでかわす。ブンと風を切る低い音。同時に斬りつけたが鱗を削るに終わる。
「《絶望の光線/レイオブディスペアー》」
同時に黒い男も動いていた。ヴァーラは向きを変え、杖から放たれた黒い光線を盾で受ける。
それを見た竜が首を大きく引くと同時、ヴァーラは横へ飛び退いた。すぐに突き出された口が開き、若干緑がかった液体が一直線に噴出した。
ヴァーラが飛び退いた方向に十メートル以上飛ぶ。不幸にも、それを頭から被った数人の民兵が白い煙を出しながら溶け出す。
彼らは絶叫し、数歩歩いて倒れた。体からは液状化した肉が流れ出し、骨が次第に姿を現した。
しかし、当事者たちは周りの雑音など気にしない。
竜は黒い男の前へ入るように動き、黒い男は横合いから攻撃してくる。
竜とヴァーラが正面からやり合う。
竜の腕は彼女を捉えられず、彼女の剣は鱗を少し割るに留まる。首の下、腹側は鱗がやや薄いが、これも完全に切れない。
噛みつきが来ないのは、人間的な感覚で動いているからか。
魔力が切れれば変身も解ける。そうでなくとも時間で。
しかし彼女はそれを待たなかった。
(その力量に敬意を払い、本気で相手をしましょう)
「《連撃による祈祷/プレイヤー・バイ・ストレートアタック》」
ヴァーラの剣が魂を研ぎすましたような光沢をまとった。
同時に鎧の中では半獣化する。全身に白い毛が生え、顔は半ばキツネと化している。
彼女の速度が上がる。
精密な動きと視認困難な速度、動きの遅い竜を圧倒する。
竜の攻撃を軽くかわし、両腕、胴体、首に何度も斬り込んだ。
次第に深く剣が入り始めた。
神に捧げられた連撃は、剣の切れ味を増加させる。
さらに狙いを絞った攻撃。流血しているのは、竜の両腕、首の一部。
竜が「グアァ」とうめき、一層荒々しく爪を繰り出す。
だが当たりはしない。
ヴァーラはさらに斬りつけ、傷を深くしていく。
不利と見たのか。竜が翼を広げ、体を少し浮き上がらせた。そして羽ばたき始める。
空から酸のブレスを狙うつもりか。
(飛ばせるわけには!)
「《神聖剣・緑/ディヴァインソード・ヴァーダント》、《炎の斬撃/バーンスラッシュ》」
ヴァーラの剣が緑のオーラで薄っすらと包まれ、同時に火炎をまとった。
首の鱗の落ちた場所を狙う。両手で剣を持ち、腕をかいくぐった。
「《絶望の光線/レイオブディスペアー》」
竜の体が浮いたのを利用して、体の下から覗き込んで放たれた光線。ヴァーラはこれを無視した。
光線が胸部に命中した。全身を寒気が貫き、肉をえぐられたような痛みと、力が少し抜ける感じがある。
力を入れ直し剣を強く握る。
狙うは長い首の中頃、鱗が剥がれ落ち、血が流れている場所。
「はあ!」
全力の一撃。
軽い跳躍と同時、空を斬るような斬撃は完全に振り抜かれた。
長い首が燃えながら宙を舞う。
瞬時に竜は人へと戻った。
ヴァーラは止まらない。次の攻撃を浴びる前に、最後の一人を仕留めようと駆けた。
だが仲間の死まで計算の内なのか、黒の男はより濃い黒い炎をすでにまとっていた。
「《正当な復讐/レジテメットリベンジ》」
ヴァーラは斬り込みながら魔法を発動すると、そのまま首を落とした。
黒い炎は彼女に襲い掛からずに霧散していく。
自分を呪っている相手への攻撃を、一度だけ完全に通す魔法だ。
「お見事」
飛んだ首がそう言った。
(幻術ではない・・・・・・死亡遅延? しまった!)
直後、首と離れた体は、一瞬で干上がり黒くなると、急激にしぼみ砂粒ぐらいになった。
圧縮は続き、二つの黒い砂粒は消滅。
反動として負の波動が無音で爆発した。
死亡と引き換えに発動する魔術。復活を捨て、完全に命を代償にした一撃。
(最初から準備していたと!? それとも魔道具か)
「くっ!」
ヴァーラはとっさに体を小さくしながら片膝を突き、盾を構えた。
至近距離からの完全な奇襲。大きな魔法は使えない。
《死を砕く盾/シールド・オブ・クラッシュデス》
ヴァーラがギリギリで魔法を発動した。盾が白く貴い輝きを宿す。
それでも波動はいくらか盾を貫通してくる。
速く重い、負の二連続波。
「グ」
全身が内側から締め付けられる感覚。息が止まる。
だが耐えられないほどではない。波動は一瞬で突き抜けて終わる。
それでも三秒ほどは、座ったままだった。そして立ち上がる。
「秘術を追い求めし者達よ。よい戦いでした」
彼女の声はしゃがれている。喉を焼かれたからだ。
喉だけではない。皮膚は赤くなり、負属性のダメージは体の深くにおよんでいる。
ヒリヒリする感じがあり、体が熱く、それでいて寒気の残照がある。
純粋な聖騎士ならもっとダメージを受けていただろう。僧侶系だと判断していれば、違う魔法を使ってきたに違いない。
この装備でまともに戦うには危険な敵だった。
(一度も前に出てこなかったのを警戒するべきだった。他の五人が少し前に出る中、あの男だけが下がり気味に構えていた。早く死ぬとまずかったからか)
ヴァーラはどのような考えで術を磨いたのかを思いつつも、急いで回復しようとする。
しかしまだ終わらない。
ヴァーラの少し前の空中に、いきなり小さな黒い立方体が転移してきた。
視界のすみに現れたそれを、彼女は反射的に見た。
《物体瞬間移動/テレポートオブジェクト》でどこかから送り込まれたもの。
この戦闘は目立っていた。
(余計なことを)
ヴァーラは慌てない。そして先の戦いに水を差す者に苛立ちを返した。
「戻れ」
彼女が物体に剣を向けて言う。現れたものは瞬時にそこから消滅した。《物体返還/リターンオブジェクト》だ。
響く爆音。
六十メートルほど西で爆炎が高く上がっている。
「中継場所ではなかったようで。不用心なこと。それに仕掛けるなら、混戦になっている時。このように」
ヴァーラが言い終わるなり、後方へ大きく跳び、凍結している辺りに着地する。
彼女のいた位置に小さな赤い塊が落下してきた。そして接地。
視界を白く染める閃光、轟音、凄まじい爆発。火柱が五十メートル以上にまで上がった。
ヴァーラを強烈な熱風が吹きつける。構えた盾の後ろでも熱を感じた。
風がやんでみれば、さっきまでいた場所は完全に火に包まれていた。
何か特殊な液体が入っていたのだろう。爆心地から離れた場所にも、水滴がはねたように点々と火溜りができている。
おそらく粘着する火だ。
これは髭の老人が、最後に《物体瞬間移動/テレポートオブジェクト》で空に転移させた爆弾。おそらく起動後に大きな衝撃や特定属性で爆発させるタイプ。
空を見た時にかすかな落下音が聞こえた。それで気が付いた。かなり高くに飛ばしていたようだ。
別部隊からの余計な攻撃が無ければ見逃していた可能性もある。
ヴァーラはようやく落ち着き、回復魔法を発動させた。
「あれが狙いとは」
彼女にも恐れを感じさせるやり口。
(あの二人、当然知っていたのでしょうね。とすれば、はばたいたのは音を隠すため。勝てないと判断した時点で生きる気は無かったか。あの威力では死体も焼ける。復活できない。余裕があれば、全員に火耐性でも張ってやる攻撃だったのでしょうか)
ヴァーラは視線を燃え盛る火から戦場へ移す。
周囲からは民兵が逃げていくが、東の方では槍の乱れる動きが確認できた。
「急がなくては。このクラスが他にもいるなら被害は甚大になる」