二日目
そして、起き上がろうとした顔に、硬い紙きれを押し付けられた。
「なんだ! なんだ、これは」
紙で何も見えない。
「とっとと見なさいってのよ」
まくしたてるのはチェリテーラの声だ。顔を押されて起きられない。
「見えるか!」
紙を振り払った。暗く見えにくいが、目の前にはやはりチェリテーラがいた。
「敵は?」
「敵? 敵みたいなもんよ」
「完全に暗いじゃねえか、もう」
ザンロが文句を言って、半身を起こした。天幕の外は静寂に包まれている。
様子からして、緊急事態ではなさそうなので、絞り出した気力が体から抜け落ちて脱力した。
チェリテーラが天幕の中ほどにある、魔道具のランタンを点灯させた。
「ちょっと、これを見なさいよ」
チェリテーラが手にした袋の中から、絵が印刷された紙を大量にばらまいた。
紙には精巧な絵が描かれていた。凹凸がなく印刷のようだ。
ザンロが手に取った紙には、非常に精緻な調子で、暗い空間に、ほんのり光って浮かび上がる、幽霊系の魔物が描かれている。
「なんだ、これは? 魔道印刷、精神からの直接焼きつけか」
「多分だけど、撮影機に内蔵の術式で、記録情報を外部に出力した写真よ」
この騒ぎで、奥の二人も起きだした。
チェリテーラが起きたことを説明した。
彼女の枕元、つまりは砕魔の盾の全員が眠る天幕の中に、知らない袋が置かれていたと言うのだ。
「写真な。発掘品の傷なし学術本よりは劣るぐれえか」
ザンロが言った。
「これが、のっぴきならない証拠ってもんよ」
チェリテーラが自信を持って突き出した写真には、彼女自身、口を膨らませたカエルの顔、黒い仮面の三人が映っていた。
「お前が幻術で出したのは、もっとぶっ飛んでただろう。あれじゃあ、誰だって怪しむって」
チェリが幻術で作った同行者の顔は、仰々しくねじ曲がっていて、まともな生物には見えなかった。
「私のせいだって言うの?」
「まだ根に持ってたのか? 信じるって言ったんだから、納得しろよ」
「嫌々、仕方なくって具合だったじゃないの! それに、あそこからすぐに逃げ帰ったおかげで、あいつらが派手に壊した部分は見てないから、信じてるは迷宮の方だけでしょ。わかってるのよ!」
「いや、すげえ奴がいたらしいのは認識してるぜ。なんとなく」
「そのなんとなくが問題なのよ。とにかく、全部見るのよ。二人もよ」
チェリテーラが袋の中身を全部出す。
スミルナとグラシアも、興味深げに写真を手に取った。
袋にはメモ書きと、数百枚の写真が入っていた。
メモ書きにはこう書かれていた。
本当はもっと高画質で印刷したかったんだけど、触媒が揃わないので、これで妥協しちゃった。規格が合わないって面倒だよね。
なんで急いだのかといえば、この国の壊滅は確定した感じだし、下手したら全滅だからでーす。まあ、相手も勝てるかは知らないけど。
だから死ぬ前に渡さなきゃと思って、急いで印刷したのさ。
死んでも愉快に頑張ってね。
あ、そうそう、チキンのポットパイ食べたいんだけど、いい店知らない?
死ぬ前に、地面にでも書いておいてね。
「誰が・・・・・・全滅じゃい!」
チェリテーラが叫び、メモ書きを引き千切った。
「その紙から追跡できたかも」
スミルナが写真を見ながら言った。
「それは絶対に無理だからどうでもいいのよ。今だってきっと、どこかから見てやがる。ポットパイは【尾羽のあと】のがいい」
チェリテーラが天幕の入口から顔を出して、きょろきょろと周囲をうかがった。
「それ、答えるんだ。私は【生死の境】で」
スミルナが言った。
「私は【熱い流れ】です。神殿の近くの。一応、ここも警戒態勢ですから、占術妨害装置の範囲内ですよ。発掘品のですから、簡単に抜けないと思いますが」
グラシアが言った。
「それでどうにかなるレベルじゃない。今、この中にいたって気付きやしないのよ」
「ブレのねえ、高品質じゃねえか。ギルドの調査部門が使う記録装置より上かも。今でもこれぐらいはできるんだな」
ザンロの手にある写真には、大量の触手をくねらせる巨大な物体が映ってた。写真を見ただけでも、精神がたわみそうな圧と畏怖を感じさせる。
「これが、あれの親玉か」
「そうよ。それより、これを見なさいよ」
チェリテーラが出した写真には、ザンロが正面から撮られている。
坂で戦闘した時のものだ。即剛火道を振り下ろし、爆発が起こり始めた瞬間の火が映り込み、兜の奥には、次の敵を警戒する鋭い目が見える。
「俺って格好いいじゃねえか。家宝にしよう」
「そこじゃねえだろうがっ!」
チェリテーラが叫んだ。
「お、落ち着けよ。チェリ、あのゴタゴタから激しいぞ」
「誰のせいだと思ってるのよ! これは正面から撮ってるのよ」
「そうだな」
「つまり、正面にいたか、相当な遠距離から撮ったか、過去視したかよ。普通の技術じゃないの」
「言いてえことはわかるって」
ザンロが戦っている時、前にはほぼ民兵しかいなかった。紛れ込む隙間は無い。
「わかったの!?」
「わかったから、俺は寝る。朝になってから見ればいいだろう」
ザンロは再び横になった。
「今すぐ見なさいよ!」
チェリテーラが体を揺すったが、ザンロは鋼の精神で対抗し、寝てしまった。
「寝やがった」
チェリテーラが呆然した。そして、興奮がさめると、メモの文面を考察した。
「・・・・・・全滅ってどういうことよ。昨日の戦果はまずまずだと思ったけど」
「そうですね。湿原で止めきれなくても、坂での防衛に移行する予定ですから。坂の方はとりあえず下に壁が二枚ほど完成してます。矢避けぐらいにはなるでしょうから、二・三日は持つのでは。簡易的な壁でも、魔法を掛けておけば、砲撃にも耐えるらしいですし」
グラシアが写真を見ながら言った。スミルナも加わる。
「母さんも、前が完全に崩れたら、すぐに坂まで逃げろって言ってた」
「確かに逃げる時ぐらいはありそうだけど・・・・・・あれはふざけた奴だけど馬鹿じゃない。それに手練れの魔術師、根拠はあるはず」
「実はスンディの人間だとか? 魔術師でしょ」
スミルナが言った。
「そうだったら、今頃壊滅してるわ。それに杖も持たずに殴り合いしてたし。あれも、もう一人も、スンディの所属じゃあないわ。少なくとも公的な機関にはいない」
「転送でなければ、ここまで入ったということになりますしね」
グラシアが言った。
「でしょうね。あんたの寝顔もあるよ」
チェリテーラが投げた写真には、グラシアの引きつって半笑いになった寝顔が撮られていた。
「チェリ・・・・・・私はこのような顔はいたしませんが」
「疲れた時はしてる」
スミルナが言った。それにグラシアはありえない、といった感じの顔をした。
「創作物なのでは?」
「往生際が悪いよ」
「こんな物はただの絵です!」
グラシアは憤慨したが、二人に認められることはなかった。
太陽が昇り、二日目が始まった。
前日の勢いが残る中央軍の義勇兵が、動きのない敵軍に迫る。
彼らは残り五百メートルまで迫ると、カークの命令を待たずして足を緩めた。
森と対峙してきた者が持つ、野生の呼吸である。
「全軍停止」
カークが遠目にスンディ陣を見た。前日よりは戦意が感じられる顔が並んでいる。
だが動かない。
前日の結果を踏まえれば、なんらかの対策は予想された。
「前進する気配が感じられねえ。迎撃も無いし、何かあるな、バンテ!」
カークの呼びかけにバンテが前に出た。
「ああ、多分ある。魔力が干渉しあって、オーラのぶれが出ている。目を飛ばして、直接視るか?」
「いや、どうせ正確にはわからんのだろ。罠がある、それで充分だ。それなら――」
「矢が来ます!」
部下が叫び、敵陣から無数の黒い影が、空へと上がった。
「全軍防御! 盾兵を前に出せ、次に射手を、盾が無い奴は後退するか、他人の陰へ」
矢が降り注ぐ中、カークが矢を避けながら言う。
周囲が動き、隊列を変えていく。
「どうする?」
後ろに下がったバンデが言った。
「射撃戦か、そうしようと思ったところだ」
「数が違うぞ、魔法の矢も混じるだろう」
「奴らは盾が無い。それに弓もだ」
「お前もねえがな」
「うるせえ」
重装の部下達が、カークをかばうように前に出た。手には金ぴかの盾がある。昨日、入手した神金の盾だ。
義勇兵の中には、この装備をしている者が混じっている。
全身鎧をそのまま着るのは難しかったので、頭・腕・胴体だけになって、装備は分散していた。
破損部位は再加工され、かなりごつごつして不格好な大盾に姿を変えている。
「それに風の壁があるぞ」
個人で弓を持っていた者が撃ち返したが、例によって矢が舞い上がった。
「あんなもの、二時間持たんし、あれに魔力を消費するならそれで構わん。後方を狙え、敵の正規兵を狙うんだ。前の民兵はどうでもいい。こっちの魔力消費は抑えろ、盾で受けるんだ」
ザメシハの農民なら弓を使える。ただ飛ばすだけなら誰でも。弓の撃ち合いなら有利なはずだ。
「ミコクタ・ルカバ同胞団の自然祭司を呼んでこい。何回か強風で押し返してもらう」
「あれは消費が大きいと思うが」
「最初の圧力が大事だ、向こうから前進させてやる。罠を解除できるなら、解除するだろう。こっちから飛び込むことはねえや。発掘品の銃火器だけは集中して潰せ。矢に魔法を付加して抜かせろ」
ザメシハには発掘品が多くあるが、魔術師が前に出てこないために投入しにくかった。前線では、支配対策をした人間にしか持たせられないという問題もある。
「わかった」
準備の整った義勇兵側が撃ち返し、射撃戦が展開された。
左軍では、カクラクとナリタが陣形の左隅にいた。
前日と違い、様子を見ながらの慎重な前進。そして彼ら以上に、向かいのスンディは鈍重な歩みをしていた。
スンディは、真四角の大方陣を一つで陣形を組んだのだ。昨日の薄さを克服する意図なのは明白だ。
しかし、動きにくいらしく、とにかく遅い。それでも一応、前進はしている。
「あれ、突っ込むのか?」
カクラクが奇妙なものを見る目で笑い、ナリタに言った。
「無理だろう。貫通できん」
ナリタは冷静に、中の様子を思い浮かべて計算していた。
ああも密集されると五十メートルぐらいで詰まるだろう。
「さしもの大砂漠鎧蜥蜴でも無理か」
「魔術師は十中八九、内側だろう。全力で行って壁にぶつかるときつい。昨日も、障害物でかなり止められた。それでも突破できたのは、薄かったからだ。それに昨日はポーションを使いすぎたな、あの調子でずっとはやれん」
壁が分厚くなれば、魔術師が魔法を準備する時間も増える。
「我らなら横を突けるが、的が見えなくてはな」
「やめておけ。横に罠があるやも」
「地道に射るとするか、的は多い」
「向こうが動くまで、こちらも大きな動きはできん。普通にぶつかるまでだ」
特に罠が無ければ、方陣の弱点である四隅を内に入らず、削っていくのが妥当だと、ナリタは考えていた。
左軍はゆっくりと敵右軍と接触、戦闘を開始した。昨日と比べれば、穏やかな春の日を思わせる戦闘となった。
右軍のハンターと軍は、川の向こうに出現した、高さ約二メートルの鉄の壁と石の壁を警戒しながら、前進。川まで到達した。
壁は川に沿うように配置されている。ただし、いくつかの場所に分かれ、量は少なく、全部で五十メートル分ぐらいしかなかった。
相変わらず前は民兵なので、壁を避ければ、突入はできる。しかし、こうなると、空けてある部分には誘いの印象があり、心理的に圧迫した。
「侵入禁止か、右へ急ごう」
楔の一つである赤一つ星【青の連盟】は、前を塞がれ、川沿いを歩いていた。
彼らの前の対岸は、二十メートル壁が続いていたのだ。人混みの中を、矢を警戒しながら進む。
「早く切れ目に行かないと遅れちまう――がっ!」
青の連盟のリーダーが倒れた。頭を撃ち抜かれている。それをやったのは光の塊。
突然、横からきたレーザー射撃。なおも、レーザーは連射される。
「うわっ」「避けろ!」「のけ!」
いきなり、壁から噴き出した光の流星群に、ハンター達が酷い混乱に陥る。
壁の中から連射が続き、次々にハンターが倒れる。
「光線防御魔法を!」
「その壁、幻術だ! 壁へ撃ち返せ!」
ハンターが火球を、レーザーが飛び出す壁に打ち込んだ。火球は壁をすり抜け、少ししてから爆発した。
爆風の一部が壁をすり抜けて、飛び散った物と一緒に姿を現した。
《幻の壁/イルーサリィウォール》、平面の幻の映像を映しだす魔法。鉄の壁の一部は幻であった。そして壁の向こう側からは普通に見えている。
他方では、同じように幻の壁の中から放たれた矢や魔法を受け、損害を受けていた。
そしてその逆もあった。壁に幻の壁で映像を張りつけ、壁が無いように見せている状態。
「ぐあ! なんだ」
川を渡ろうと気合を入れて飛び込んだハンターが、その壁にぶち当たって、川に落下した。何が起こったのかわからないという顔で、必死に戻ってくる。
「よく見ろ、景色が動いてない。幻術だ。壁があるぞ」
「解呪しろ。これは勝手には消えない」
魔術師が解呪すると、石の壁が現れた。しかしすぐにまた幻の壁が重なって現れた。
「駄目だ、すぐ後ろに魔術師が付いてる」
「爆薬は無いぞ」
「くそっ、裏を制圧しないと駄目だな」
さらに幻術は川にも掛かっていた。わずかに川際の位置がずれて映し出されており、足を踏み外して、落っこちる者が続出した。
これらの情報が巡ると、後続は川で前で停滞し始めた。
ここまで稼働していなかった投石機で射出された錬金爆薬が、川沿いに放り込まれ、被害が出た。さらに侵攻は遅れる。
しかし、壁が少なかったことで、何も気づかず昨日と同様に進んだ者も多く、自己の純然たる力量で正しい判断を下した者もいる。
ザンロはグラシアから《水上移動/ウォータームーブ》を受け、正面から鉄の壁を破壊して普通に侵攻した。
近くには鉄の壁に偽装した幻の壁もあったが、チェリテーラが容赦なく、魔銃をそこに連射して、伏兵は全滅した。
他にも、突破能力のある者は、壁を兵力の薄い弱点と見なし突破。ヴァーラも蹴り倒した。
魔法的な才覚のある者は、地道に幻術を解除するなり、壁の向こうの様子を探るなり、敵に喋らせ情報を得るなりして、着実に進んだ。
この対処には、遺跡や犯罪組織、つまりは人間を相手にした経験の有無が、判断を分けた。人の相手をする者は、相手の意図をまず考える。
停滞を意図された場からは、速やかに離れるのが鉄則。完全に無人なら、待つ手もあるが、敵が大勢いることを考慮すれば、すぐに前に抜けるべきだ。
しかし、森で活動するハンターは、何か異常を察知すると、その場に止まって痕跡などを探す習慣がある。
慌てて進むと、妖精などに幻術で惑わされ危険地帯へ導かれる危険があるからだ。
軍も、前線で上官の指示待ちになり停滞した。
その中、順調に前線を破った者は、昨日と同様に進もうとした。
しかし、侵攻路が減り、攻め手が限られたために、集中的に足止めを受けた。
炎の壁、氷の壁に、振動でダメージを与える音の壁などで進路を阻まれ、そこに矢で攻撃を受けた。
中には強化ガラスの壁――魔法ではなく錬金技術で製作された発掘品――もあり、これは魔法で支援されていたせいもあり、ザンロでも破れなかった。
壁があれば、向こうも射線は通らないが、見えていれば多くの魔法で狙える。直接、術者から離れた空間で炸裂する部類の魔法による集中攻撃を受け、後退するしかなかった。
右軍が安定した渡河拠点を確保する頃には正午を過ぎていた。
そして無理に前に進まずに、壁の破壊を重視する戦略を取ることとなった。
二日目は、全軍で最後まで消極的な戦闘を行い、幕を閉じた。
負傷者が後退する余裕があったので、両軍の損害は非常に少ない。




