初日
盛んに揺れる影の森がその背を高く伸ばして、影を成せなくなった者を覆っていく。
緑の月が高くにうっすらと見え、戦場を監視していた。
双方の軍は、負傷者を回収して後退していく。
煙が上がる戦場には、ちらほらと石の壁や穴が残り、一部には鉄の壁もある。
戦争といえば物語の両軍の将、槍を突いて引ければ上出来の民兵、湯気たぎらせる義勇軍、研究寄りの魔術師、普段の延長の戦術のハンター、盗賊ぐらいしか戦った経験のない兵、試験的兵器、使い慣れない発掘品、互いの持ち札とその効果が不明な状況。
これらは混沌とした戦場を作った。
戦場全域において、ザメシハは未知の魔術を必要以上に恐れ、突撃による突破で魔術師を仕留められる機会の多くを逸した。
対するスンディの魔術師は、民兵がたやすく崩れるのに不安を感じて、自己防御の魔法を優先し、さらに魔力を温存。敵を討ちそこね、民兵の損害が増加した。
過信から放たれた位置的に無理な――または慌てての、味方への誤射も目立った。
ザメシハ左軍は最初の火魔法の損害と圧力で足が緩まり、接近するまでに火をはじめとする魔法攻撃で大きな被害受けたが、接敵した兵士は優勢に戦った。
ティカルサと高弟は途中から魔力の温存に入り、手数を減らした。
騎兵の全力突撃に対処できるだけの魔力を維持する必要があるからだ。
これにより、左軍は致命的な損害を免れた。
ザメシハ左軍の戦死者、四千五百。スンディ右軍は一万二千。
騎兵を半分近くに、精鋭と陣頭指揮を執っていた指揮官を失った。
スンディは初期の騎兵突撃と、赤恐鳥騎士団が休憩を繰り返しながら、強烈な矢を射かけたことにより、魔術師を三百以上失った。
ザメシハ中央軍は、終始優勢に戦闘を進め、スンディの魔術師が本格的に投入されるとすぐに後退した。魔術師の魔力を余らせ、無駄にさせる作戦だった。
スンディ側は最初の突撃の衝撃により、前の陣形は崩壊。早々に逃亡者が出るような状態、陣を組み直す練度はなく、退いた敵を追うことは不可能だった。
終盤、スンディは残った魔力で本陣へ長距離魔術を撃ったが、本陣に備え付けられた発掘品の迎撃型魔法破壊兵器により、すべてが届く前に無効化された。
ザメシハ中央軍の戦死者は千百。スンディ中央軍は五万三千。
義勇兵が完全に一陣を砕き、第二陣での戦いを控え、退いた結果、こうなった。
ザメシハ右軍は他に比べ戦闘時間が少なく、慎重かつ優勢に戦った。これを受けたスンディ左軍は防御に徹した。
ザメシハ右軍の戦死者は四百。スンディ左軍は五千。
双方とも、主力に損害はない。
ザメシハ軍は総勢五万から四万四千に、スンディ軍は総勢二十八万から二十一万になった。
単純な戦果としては、中央で優勢を得たザメシハに分がある。しかし、左軍の騎兵の損害とティカルサの存在は、東から敵を崩すという戦略を頓挫させた。
そして現場の兵の様子には変化が見られた。
到着したばかりのスンディの民兵は、圧倒的な熱を放つ苛烈な戦場に衝撃を受けたが、戦闘を終えて士気はやや上がった。
彼らの人生で初めて、腹一杯の食事を摂れた者が多かったからだ。
ここまで節約してきた食料が解放され、多くの粗末な藁混じりのパンと、新鮮なトカゲとウマの肉が入ったスープが配給されたのだ。
初めて味わう満腹の感覚は、恩寵を与える調子で、一つの未知を知らしめ、一部の者には、胃痛を与えた。
そして、人が死に、そこいらに死体が転がった景色は、貧民街の日常にすぎない。そして、どぶ川の匂いは、最も嗅ぎ慣れ、魂にまで染みついた親しんだ匂い。
彼らの精神をくじくものではなかった。
そして、普段と同じく、敵味方の死体から金銭をせしめた者は多い。
さらに自分が討った敵の戦利品の所持も認められ、高価な武器防具を装備した者が目立っている。成功者たちはそれをひけらかした。
彼らのいくらかが、明日、敵とは限らない者の刃を受けて死ぬのだとしても、功名心を刺激する役としては、花形役者に勝る仕事。
彼らにとっては、一生に一度の一攫千金の場となっている。
ここは宝の山、戦争は最高だ、もっと死ね、生き残った奴の総取りだ。すべてが変わる。俺の人生はここから始まる。
これを自覚した者は、機会をものにせんと、目をぎらつかせた。
対してザメシハは、スンディが故意に落としていった袋や包みを開き、それに仕込まれた魔法で、火だるまになったり、石化、疫病などの被害を受けた。
これも含め、陣内では治療のために薬学士が走り回り、軽症者は薬草から作った薬品で治療している。
ザメシハは薬草の入手量が多く、薬草の研究が盛んである。
ここにいる薬学士は、王都にある王立バルムント薬科大学の卒業者や所属者だ。
飲み薬から、包帯に塗り込んだ軟膏、強烈な匂いの香、握っていると効果があるパラミヤの種を炒ったものまであらゆる薬を使っている。
石化した者は、固まった奇妙な態勢で寝かされ、四方をスカセトの苗木が植わった鉢で囲まれている。鉢は温められており、温度調整で、すべての苗木の葉が同日中に、灰色から緑に変わったなら、石化を解除できる。
これは失敗してもやり直せるが、調整が難しく慣れた者の仕事である。
重傷者は神殿から派遣された僧侶が診ている。
完全に内臓がやられていなければ回復できる。ただし、体力の回復には休息が必要になる。
死者数の差は、治療体制の差も影響している。貴重なポーションは緊急回復用だ。スンディでは復帰できない民兵を回復させる余裕はなかった。
「各軍の指揮官はまだわからないのか?」
ティーゼ大臣が軍務省の部下に尋ねた。天幕には王はおらず、報告のために部下、貴族が出入りしている。
王は防御された安全な天幕で、今日の景色を詩にするのに忙しい。
詩歌王の名で知られる彼は、祖先のやってきた北の草原に思いをはせ、馬上歌を好み、己の血に潜んだ北方の枯れ草の匂いを感じる郷愁の人であった。
このような王の出現は、国の開拓が落ち着き、成熟局面に入ったことを示している。しかし周囲は、単にエファン文化ひいきの王が生まれた、と考えるに留まった。
その才能は、思いがけず、演説にスキル効果が乗るという形で発揮されたが、これに調子に乗って、また前に出ることはない。
賢明な判断で、実務をティーゼ大臣に一任した。
「東の右軍はティカルサで確定かと、中まで突撃を掛けた部隊は、他の塔長を見ていません」
「右軍はそれでいい。他は?」
「特徴的な魔力反応は検出できません。そもそもここからでは遠すぎます」
魔道兵団の分析官が答えた。
「やはり、動かないと無理か。捕虜の情報は?」
「スンディの民兵は指揮官を認識していません。直接指示する軍人だけ知っている。その軍人は、魔術師に疎い」
「上のほうを捕まえるか、魔術師を捕まえるしか」
「一人は捕まえんか、あれだけ押していただろう」
ティーゼが苛立つ。
「普段、魔術と関わらぬ者は彼らを恐怖しております。実際、意識があれば抵抗はできますし、こちらの魔術師は、魔法の効きにくい魔術師に魔法を使うのを避けています」
「ああ! 神金の集団を、皆殺しにしたのは大いなる失敗だ。そうだろう? 紋章からすると雷火魔道騎士団だったのに、向こうの都の情報を持っていたはずだというのに」
ティーゼが嘆き、ため息をついた。
「義勇兵が気を吐いていたので、止めるのは難しく」
「明日は魔術師を捕まえてくれ。これの報奨を増やせ。次、不変の塔に関する追報は?」
「トクリ・サスアウの姿はここでも、ワシャ・エズナでも確認できず」
「まったく、何もわからないときている。うんざりだ」
各塔長がどこに配置されているかは重要だが、同じぐらい何人いるかも重要だ。
ほかの二人は、それらしい姿を遠くから確認している。ただし、遠距離からでは、別人が変化しているかどうかは判別できない。それはサスアウでも同じ。
それでも、ここにいないほうがティーゼの心は休まる。
魔術師一人で劇的に戦力は変わらないが、三人塔長がいれば、各軍に一人ずつ配置できる。
ティカルサが信用できる部下に指揮を任せられるなら、本人は自由。こうなると、彼がふらっと飛んできて、各軍の本陣を爆撃するようなことが起こる可能性が高まる。
そうなると、本陣に多くの魔術師を待機させる必要がある。
それに、防御術、力術、変化術を得意とする不変の塔の魔術師は戦争向き、ここにいないと考えるは不自然なのだ。
隠しておいてどこかで出してくるか。それとも、向かっているという援軍に含まれているのか。
ティーゼが考えても無駄なことを考えていると、部下が次の報告をした。
「スンディにハンターは確認できませんでした」
「まあ、それはそうだろう。これを人類への貢献とみなすのは無理だ」
「エファンから選抜して、こちらに向かった騎馬千も疫病で停止しました」
「無理せずに休養するように連絡を。援軍への礼も忘れずに伝えろ」
無理して病をまき散らされたら、堪ったものではない。
「それと周辺の警戒範囲をさらに強化。周囲への侵入を禁止。入った者は例外なく監獄へ入れろ。従わない者は斬れ」
疫病の魔法は接近しないとできない。不可視化を用いて接近するにしても、魔力の消費を考えれば、かなり近くに待機しているはずだ。
援軍は、敵を坂で防げず平原に侵入されてからでも遅くない。エファンの騎兵二万は平原では無敵に近い。
最悪の場合、都市を囮に平原で補給線を寸断する策もある。その場合、ここの自軍は壊滅するので最終手段だが、ギリギリで国体は保てるはずだ。
そうなるのは考えたくもない。しかし、近隣の職人を総動員して坂の要塞化を加速させたが、どこまで時が稼げることか。このまま敵の援軍が来ればもたない。
そうなる前に大勝する必要があるが、全軍で突撃して勝つぐらいの策しかない。
完全に博打だ。敵が罠を張って待ち構えていれば、全軍が壊滅するだろう。そんな判断はできない。
ならば、徹底的に持久戦に持ち込むべきか。
「それとカクラク将軍から一言ありますが」
ティーゼが難しい顔になっていると、部下が困った調子で言った。
「言え」
「なぜ、真面目に戦わないのか? これは訓練か何かなのか? 違うなら最初から本気でやったほうがいい、とのことです」
「……貴軍の奮戦に感謝する。引き続きの健闘を祈る。と返しておけ」
ティーゼも今はわかる。カクラク将軍はあの鳥と同じく無遠慮で容赦がないのだ。
「森のウマは、なぜこうも遅いのか」などを、最初は嫌がらせで言ってるのかと思ったが、彼は思ったままを言っているだけだ。
我が軍は弱いので、合わせてくださいとは言えない。
言うべきか? すみやかな連携のために。いや、永久に国威が低下する。
ティーゼは夜通し色々と悩む。しかし、夢のような解決策はなかった。
二日目、まだ暗い時間、フガフガと口を開いて眠りこけていたザンロは、髭を引き千切らんばかりに引っ張られ起こされた。
「うが、なんだあ! 敵襲か!」
ザンロは目を開き、戦棍へ手を伸ばした。




