クローリン家の日常
「お父さん」
低い視界、そしてアイアの声。何よりも近くから聞こえる。
「今はまず村に帰ろう、アイア」
アイアの父親はたまに後ろを振り向き、黙々と歩く。
ルキウスはアイアに触れた時に、こっそりと魔法を仕掛けておいた。視覚と聴覚を拝借する魔法。これに集中するために樹木になったのだ、根を張るほどに集中して観察する。
二人の会話は少なく、そこからは情報を得られなかった。代わりにわかったのは二人の歩行速度が速いことだ。森の中にもかかわらず、街中を急ぐビジネスマンよりは幾分か早い。
アイアの視線はほとんど足元に向かずに歩いている。視線はほぼ父親が引っ張っている空中に浮かぶ狼に固定されている。森に慣れているに違いない
森は開けた。視界が急に明るくなるが、太陽は低くなり曇っている。それだけアイアには森が暗かったのだろう。
草がほとんど生えていない黒い大地があり、そのすぐ先には村らしきものが見える。簡素な木製の柵で囲われており、重機関銃の備え付けられたトラックのような車両が確認できる。機銃は森を向いている。
柵が途切れた門らしい所には、銃を下げた門番の男が一人いる。やはり似たような服装で、短機関銃らしき銃を持っている。
「クローリンさん! なんだいそりゃあ!?」
門番が浮いた魔物を見て声をあげる。
「ああ、ちょっとな。色々あって浮いているんだ。特に問題はない、運びやすくて結構だ」
「色々って、どうすりゃあそうなるってんだ?」
「とにかく疲れているんだ、まずは家に帰ってから長に説明する」
父親はおざなりな説明を残してさっさと門を抜ける。アイアが振り返ったが、門番はずっとこっちを見ていた。
魔法自体が相当珍しいのだろう。物を浮かせる魔法は初歩の魔術、村に魔法使いがいるなら見ていてもおかしくない。
アトラスでは、魔法使い用キャラクターを作成して、該当職業に就いてレベルを上げればどの系統の魔法も修得できる。これが設定どおりなら、魔法使い適性を持って生まれ、学習や信仰で魔法を覚える必要がある。環境が整わなければ魔法使いは発生しないと推測できる。
妙な村だ、とルキウスは思う。
黒い大地の中にあるこの村は、自動車が停まっている。借り物の視界でよく観察できないが、坂が上れない技術水準ではない気がする。
それに対し、村の中に散在する小さな木製の家はボロボロだ。柵から少し離れて、村の中心側に配置された家々は、板張りの外壁に明らかな隙間が存在している。偏りなくどの家も粗い造り。
真っ当な大工がいるのか疑わしい。素人がじっくり丁寧に作業するだけで、これよりは良くなる。掘っ建て小屋の見本市だ。
工業技術だけが発展して生産性がよいのだろうか。機関銃を生産できる技術はあるはず。食うには困るが車はある、どんな状態だろうか、想像できない。
食料は文明にとって必須、食料が充足した後に技術職が産まれる。技術職がなければ通貨も得られない。必然、外部から工業製品を買えないはず。
ルキウスが映像に集中していると、アイアはそんな粗末な家の一つに入っていく。
「……帰ったぞ」
「おかえりなさい」
「ただいま、お母さん」
父親が帰宅を告げると、また同じような服を着た女性が笑顔で父親を出迎えた。栗毛の長い髪は後ろで編まれてる、アイアと同じ髪の色だ。
村の人間がここまでに何人か視界に入ったが、皆が同じような服だ。飾り気がなく、民族性や宗教性がちらつきもせずに、単純に体を覆うことに終始している丈夫そうな布で、工夫はポケットぐらいのもの。
入ってすぐの部屋には木製の四角い机がある。手荷物は机の上だ。その周りに置かれた粗末な椅子に三人とも腰かけた。魔物は部屋の隅で浮いている、アイアの視線がそちらに向いている。この家の中は何かの布が部屋のしきりになっているようだ。
アイアが頻繁に視線をやるので母親が気付いて浮いている魔物を見た。
「森に妖精人がいてそうなった」
「まあそれは大変ですね」
父親が言うと、母親がほがらかに答えた。
「森に妖精人がいたんだ、村が滅ぼされてしまう!」
「まあまあ、それはとても大変ですね」
母親は叫ぶ父親を見て、慈愛を感じさせる表情をしている。
「妖精人さんに助けてもらったのよ、お母さん」
「まあまあ、良かったねえ、アイア」
「あんな悪魔が人を助けるわけない、絶対にお前を食べようとしたに違いない、だが気が変わったんだ。なんせ悪魔だから、すぐに気が変わるぞ。気が変わって村を滅ぼしに来るううぅ!」
父親が嘆き叫ぶ。
「助けてもらったって言ったじゃない。お父さんと違って助けてくれたのよ」
アイアは語気を強める。
「相手は悪魔だぞ。きっとこの大狼だって悪魔が呼び出したに違いない。森の魔物は全部あれが呼び出しているんだ、絶対そうだ」
「なに言ってるのよ、毒キノコからだって守ってくれたのよ、いい妖精人に違いないわ」
「いいや、残されたキノコこそ毒キノコかも知れないぞ、安心させて毒を盛ろうとしているのかも」
「私が毒キノコばっかり採ったって言うの!? ジャンストルさんが去年死んだのだってキノコに違いないわ」
「そ、それはあれだ、うまく差し替えたんだ、悪魔パワーで。恐ろしい恐ろしい」
取り乱すごつい父親から威厳を発見するのは、湖で水滴一つを探すほどに至難な状況となった。
視界が父親から逃げる、中心に手籠がくる。
「私、もらった赤っぽいの食べる」
「そんなもの食べていいわけないだろうが。外に捨てるんだ」
「私がもらったんだから、私が食べる。お父さんはいらないなら黙ってて」
アイアと父親の取っ組み合いが始まった。視界が非常にぶれている。
「そんなの絶対だめだからなー」
必死にアイアの手を押さえる父親。手籠が横転してキノコに木の実が転がる。
「散らかさないでくださいね」
口を挟むも平常通りの母親。
「ヴァ――、ウバアァァイィィ」
アイアが絶叫した。見えないが食べるのに成功したようだ。
ルキウスは耳を塞ごうとしたが、木だったので無理だった。そもそも魔法で聴いているから耳を塞いでも聞こえる。聴覚を戻すか迷ったが、情報収集ができないので思いとどまった。
「やっぱり、毒だあぁぁ、早く吐くんだ」
父親も同じぐらい絶叫した。
「お父さん、うるさい、ぷっ」
なにか黒い物が飛ぶ。至近距離の父親の顔に命中した。
「いぎゃあぁぁ」
父親が転がりまわって悶える。種を吹きつけられたようだ。
「アイア、お行儀が悪いですよ」
「ごめんなさい、お母さん。でもお父さんがうるさいの」
「お前、なにを呑気にしているんだ、アイアが悪魔に呪われてしまったぞ」
話している間にも、アイアはどんどん口に柿を突っこむ。多分入れすぎ。
「モットタベウルウゥ、モットォォー」
アイアはさらに新しい柿を口に突っ込み始めた。
「やめろー、やめるんだー」
父親は再度アイアの手をつかむ。しかし、その手をアイアが握り引きはがし、床に投げた。
「ウルサアァァァイイイイィ、お父さんなんか嫌い」
アイアが大絶叫した。響く高い声に母親は耳を押さえたが、ルキウスは回避できずうめいた。
「呪いだ、これは呪いだああぁぁぁ」
起き上がり叫ぶ父親はアイアに服の襟首をつかまれ、家の外に向けて投げ飛ばされた。飛ばされた父親は、ドアに衝突してその勢いでもって激しくドアを開け放つと、土の上で三回転して停止した。
「アイア、ドアが壊れるでしょう。ご近所に迷惑だから大きな声を出してはだめよ」
母親が軽く注意した。この母親はあまり父親に興味がないらしく、アイアだけを見ている。
ルキウスはここまで、特に両親の口元を見ていた。
(父親は英語や日本語ではない。口元の筋肉も英語系とは異なる。叫んでも発声は弱い。声調言語でもない、あれはすぐわかる)
(母親の口元はやや父親と異なる。性別で癖が異なる言語かもしれない。というか、人種違うな。門番は少し肌が黒かったし。この規模の村で多民族? しかし、アラビア語ではない、フランス語とも違う。純度の低い言語か? 巻き舌があるが、特異な発声なし。おそらく鼻濁音あり、長音が頻繁)
ルキウスは他人に化けた時のために多くの言語を部分的に理解する。自動翻訳はすぐにばれる。にしても、やはりこれは知らない。
そして彼が観察している間にも、父は叫び、娘は果実を守っている。母はほほえんでいる。
柿に害はないが異常だ。もしかして【高揚】の効果ではないか、とルキウスは疑う。
【高揚】は強化効果の一種、腕力が上昇し、睡眠耐性などが上昇する。わざわざ使わないので意識していなかったが、上位の果物系の魔法は強化効果がある。柿にも効果があるはずだ。
【高揚】が実際に精神を高揚をさせているのか。しかし、荒れすぎではないか。ストレスが溜まっていたのだろうか。
こっそり行って高揚を解除するべきか迷うが、アトラスと同じなら【高揚】は状態異常ではないから治療はできない。相殺するには【喪失】だ。ダメージなしで【喪失】だけ撃ちこむ魔法……思い出せない。
娘の変貌に恐怖する父親の歪んで強張った形相を最後に、魔法は終了、アイアの視界は消えた。
「……平和な家族のだんらんだ、不審なことはなにもないのだ」




