陣容
ザメシハ嚆矢王国、人口約四百万。
百七十年前、十万人に満たない入植者から始まった開拓は、多くの犠牲を出すも成功を収めた。
その人口は爆発的に増加したもので、若者が多い。
スンディ魔術王国、人口約千二百七十万。
大戦前に同地域で二億を超えていた人口は、凋落と呼ぶにふさわしい数値を示している。
しかし依然として大陸北西部最大の国。
国力は軍勢の差として表れた。
ザメシハ軍、総勢五万。
悪魔の森に隣接した彼らは、防衛のために置かねばならぬ兵が多い。
王都で地下に発見された不死者の巣窟や、吸血鬼を警戒するための戦力を残さねばならなかった。
さらに東部の貴族も動員が少ない。モヌク紫海王国を警戒したからだ
総指揮官は国王、その下は七公爵、七侯爵、四十三伯爵などが率いている。
さらに開拓互助協会が招集した民兵からなる義勇軍を含む。
スンディ軍、総勢二十八万
魔術師三千、正規兵三万六千、あとは徴兵された民兵だ。
この場合、魔術師とは魔術系魔法使い全般を差す。
信仰魔法の使い手も存在するが、医療は錬金薬に頼っているために少ない。
実質的な指揮官は総魔道長キリエンザ・ティカルサ、そして二人の塔長が率いる。
さらに後方で五十六万の第二陣が進軍中。
この数の差は隠しようもなく、両軍の兵士も完全に自覚している。
ただし数は参考にすらならないと、人々は知る。
単独で城塞都市を滅ぼす魔物、それを討ち取りうる英雄がいると知っている。
しかし、ここまでに少数を上手く使ったのはスンディ。ザメシハの全地域で工作が行われており、対処に兵が出動中だ。
王家は万全なら兵五千は動員できたはず。
そんなザメシハ軍内で存在感を示したのは、伯爵の身でありながら――最大の危険地帯であるコフテームを治めていながら、王家の兵二千五百に次ぐ、兵千八百にハンター四百を連れて参陣したセッター・レヌ・ギルヌーセン伯。
他には有力な公爵、侯爵が量・質ともに主力となっている。
ザメシハ右軍は西部の騎士一千、兵士七千にハンター三千、計一万一千。
対するスンディ左軍は五万。地形を利用して防御の構えだ。
そして中央に国王直下の戦士団、騎士団、魔法兵団、中央・北部軍、ミコクタ・ルカバ同胞団七百、義勇軍九千、計二万四千。
対するスンディ中央軍は十七万。
なお、ザメシハの魔法兵団長はこの場にいない。
彼は父親がスンディ出身で、いらぬ疑いを招かぬために王都の防衛を担当している。
そのため魔法兵団は副団長が指揮している。
魔法兵団長が瞬間移動による輸送を担当していたため、初戦に参戦し、戦力を無駄にせずに済んだのが救いだった。
左軍は南部・東部軍一万、選抜された騎兵部隊五千の計一万五千。騎兵の足が使いやすい東でザメシハは戦果を狙う。
対するスンディ右軍は六万。
諸王国戦役の大会戦が始まろうとしていた。
双方が初日で力を印象付けて、後の優位性を確保しようと目論む。
まだ暗い内から両軍は宿営地の前に出て陣形を組み始めた。
ただしこの戦、最初に動くのはザメシハでもスンディでもなかった。
ザメシハに援軍として派遣されたエファン堅蹄王国の二つの騎士団。
ドルド・ナリタ辺境伯の重峰騎士団六十五騎と、マツナ・カクラク将軍の赤恐鳥騎士団二百二十七騎。
エファンの中でも常時、草原と荒野で過ごし、戦いを日常とする高貴な野蛮人。
そこからさらに選りすぐった《騎兵/キャヴァリアー》。彼らは今、左軍の後方に隠れ控えている。
一番槍が彼らに与えられたのは、宗主国に対する敬意によるもの。
ただしエファンが政治的決定権を有しているとか、上納が必要であるとかの取り決めは一切ない。
この関係性はひたすらに二国間の道徳に基づくもので、初代の独立を認め、開拓を支援したエファンに対する儀礼が百七十年続いているのだ。
宣戦布告時、重峰騎士団は国境沿いの関城に詰めていた、つまりザメシハを警戒する騎士団である。
最大の特徴は乗騎のトカゲ、大砂漠鎧蜥蜴。頭から尾の付け根まで五メートル、さらに尾が五メートルと巨大な生物だ。
体色は荒れ地に馴染む黒と赤茶の混じる砂色、体つきは扁平で、上から見ると踏みつぶされたようだ。
全身を発達した強固な鱗が覆い、鼻先に小さなこぶ、襟元を外側に飛び出した大きな鱗が守っている。尾は根元から先まで大きな棘状の鱗が環状に並び威嚇的だ。
頭にはその形状に沿った兜が着けられ、目と先端の鼻孔を守っている。
体に見合った食料が必要だが、活動しない時はほとんど飲食しない。
今は体を温めるたき火に囲まれていて、戦闘時は魔道具で体温を維持する。
背に備えた大きな鞍にまたがる兵は、大砂漠鎧蜥蜴の鱗を利用した重装備で全身を包み、短弓と長い鉈を装備している。
そして赤恐鳥騎士団は草原で魔物を追って国境近くにいた。
乗騎は体高二・五メートルを超える大型鳥の赤恐鳥。
走力に優れたこの鳥は、長く頑丈な脚を持ち、翼は退化して飛べない。
全身の羽毛は茶色、体つきはがっしりとしていて、それなりに横幅がある。
顔は皮の覆いで防御され、それに手綱が付いている。
獰猛そうな顔はやや大きめで、感情の読めない丸い目がたまにギョロっと動き、くちばしは縦長で薄く、顔の半分ほどある。
顔の中央と側面に特徴的な赤い線があり、頭頂部の毛は興奮すると鶏冠のように立つ。
くちばしの先は鉤状に下を向いて尖り、この打ち下ろしは肉を裂く。
首は顔に対して細長い印象。
世話をすれば懐くが、機嫌次第で強烈なくちばしが来るので、習性を学ぶ必要があり、新兵がよく怪我をする。
兵は軽装で皮鎧を、頭には、頭頂部に赤い鶏冠左右には羽根で飾られた前後に長い帽子兜、騎乗すると遠目には鳥の頭が二つあるようだ。
三日月刀か三日月斧刀を補助武器として腰に、主武器は弓の先端に刃が付いた骨製の槍弓。
ドルド・ナリタ辺境伯とマツナ・カクラク将軍は、話しながら出撃の時を待っていた。
ナリタは四十三歳、カクラクは三十八歳だ。
それぞれが部隊の兵士と似ているが、格上の装備を身に着けている。
二人ともよく日焼けしており、くつろいでいても鍛え抜かれた印象がする。
「これは美味いぞ。歯にくっつくが」
カクラクが口をもごもごさせながら言った。
その手には円盤型の大きな焼き菓子がある。
切り分けて食べる物だが、彼は丸ごとかじりついていた。
表面の生地には勝利を意味する飛竜の、先端に棘のついた尾の模様が刻まれ、中身は水飴と蜂蜜から作ったヌガー、マツの実が入っている。
高級品だが保存食でもあり、市場にあったものは国が今回の戦役に投入した。
「昨日も三つ食べただろう。カクラク将軍」
ナリタが不愛想に言った。
「帰りに買っていこう。名前はなんだったか」
「カラッドフトルテ」
「おお! そうだった」
「覚えろ、十回目までには」
「味は覚えているのだがな、なじまん響きだ」
「そっちはどうでもいいが、二度と人の城の門を壊すな。こっちは忘れるなよ。帰りにやったら砂漠を引きずり回すぞ、岩が多い所でやる」
カクラクは宣戦布告を聞きつけると、巡回任務を即座に放棄してザメシハに向かった。
ナリタが城を留守にしていたため、問答無用で関城の門を破壊、約三百騎でザメシハの領内になだれこんだ。
「あれは急いでいたと言っている。帰りは急がない」
「せめて一言残していくべきだ」
「門は直る。問題ない」
「そういう問題では」
「きっと後から来た軍も通りやすいと言う」
ずっと仏頂面に見えるナリタと対照的に、カクラクはひょうひょうして、ひたすら菓子を食べている。
ナリタは左軍に配置された北部の騎兵を窺った。明らかにこちらを見ている。
「まだ怒っておるのか? ここの連中は物覚えが良いな」
それを見たカクラクが、頬を膨らませて言った。
「お前のせいだ」
ナリタが太いため息をつき、疲れた様子で言った。
「あれが最善よ。実際、危なかったのだぞ」
「わかっている。だから王命無視も、国境侵犯も問題にはならぬ」
「だいたい、ちゃんと矢文を使っている。確実に伝わっている、問題ない」
「矢文を三百も撃ちこむ奴があるか、攻撃だろうがっ!」
ナリタが少し言葉を荒げたが、カクラクは何食わぬ顔で言う。
「何を言う。矢文は矢文だ。ちゃんとすべてに文を記した。南へ急ぐ、と」
「なら、当てるな」
「急所には当たっていないはずだ」
「十三命中した兵がいたらしいが」
「うちの射手は腕がいい」
「狙っているではないか」
「……確実に届けるためだ」
ナリタは大声で怒鳴ってやろうとしていたが、人目があり、カクラクが越冬のために餌を口詰めこむリスになっているのを見て、無意味だと悟った。
代わりにカクラクの部隊を眺め言う。
「全員が戻っておらんとは」
「森の同朋の国に来たのだ。立ち寄りたい場所もあろう」
カクラクの部隊は、ザメシハの関城の側面の崖を駆けのぼって国境の壁を突破し、攻撃してくる城兵に矢文を撃ちこんだ。狙いは正確で死人は出していない。
その後はひたすら強行軍だ。物資は無かったので、乗騎を休ませる間に狩りをして食料を確保した。
道中では、多くの通行人を蹴りとばし、馬車に衝突し、転倒し、疲労で多くが離脱するも、最速で南まで駆け抜けた。
それでどうにか初戦に間に合わせ、置いてきた部下も後から順次合流した。
しかしまだ、二十四騎が行方不明。どこかで狩りでもしているのだろうとカクラクは思っている。興味もない。
ちなみに、カクラクが横を抜けた関城を、ナリタは強行突破している。
これはザメシハ国からの正式な参戦要請を受諾しての通行にもかかわらず、関城の兵が攻撃してきたからだ。
ナリタ伯は、これをスンディに内応してのザメシハへの反乱として撃滅。
戦闘に参加した兵のすべてを大砂漠鎧蜥蜴の食料にして、道中で骨を吐きながら駆け抜けた。
矢文を受けた兵達は重傷だったので、戦闘に参加しておらず助かっている。
ナリタはこれらの兵に心から謝罪し、金銭、薬を支払ったが、兵達は恐怖するばかりだった。
「また問題になろうぞ」
「ちょっと遊んでいるだけだ。草原でもよくある」
「お前の部隊はどうなっている……まあ、ここまでくれば――」
「ああ、足りなくても、役割は変わらぬ」
「……本軍も丸々足りぬがな」
ナリタが少し苦々しく言った。
「まったくだ。本軍が来れないとはな」
カクラクが気楽に言った。
「完全にしてやられた。草原の疾風も陰った森では、汚泥にまみれるか」
「腹を壊すとは情けない話だ」
「明らかに魔術的な病と聞いているが」
「酒が足りんからだ。ウマの酒も用意しておくべきだった」
「たしかに酒は足りん」
「酒があれば病などは近づけぬ」
「そうかもしれん」
「死ぬにはこれ以上ない機会に、ツキの無い連中よ」
「あれも絞り出した数だがな、廃都の幽鬼王が動く危険が高まる。西の列石は抜かれまいが、汚染は何を呼ぶか知れぬ。危険には違いない。それを無駄にするとは」
「東の幽鬼王に興味はないが、砂漠の狩りの季節には戻らねば」
「帰る算段か? これから戦だというのに」
「無論帰るつもりだが――俺が死んだら、家族に美味いものをたらふく食って死んだと伝えてくれ」
カクラクは食べ終わると、顔に仰々しい笑みを貼り付けた。
「それはさぞ恨み事を垂れられようぞ」
ナリタがかすかに表情を動かして笑う。
「それにここで死ねば復活させられよう」
「二度も祝福はいらぬ」
「わかった。伝えよう」
伝令が走ってくるのが見えた。
「やっと来たか、赤恐鳥が飢えてしまうところだった」
「こっちは肉があれば、不死者でも構わぬが、そっちは難儀だな」
大砂漠鎧蜥蜴は獲物を丸飲みにして溶かすと、骨だけを吐き出す。なんでも食料にでき、腹の中も頑丈と評される。
「こっちは傷んだ肉は食わぬ。鮮血を好むが故に」
「今日は肉が多く手に入る。我がゼスオイも機嫌が良くなろう」
「我がクレプトもな。トカゲの表情はわからぬが」
「……ではまた」
「赤き空がくれし晩にな」
伝令から出陣の命令を受け、二人はそっけなく別れ、自分の部隊に入る。
五、六キロ先には、整列が終わったスンディの途切れない横陣がある。
数が多いにしても長い。厚みより、隙間を埋めることを重視している。
それに向かって左軍最前列の騎兵二千が抑えた速度で前進を開始した。
カクラクは乗騎に乗り、部隊の先頭に出る。
赤恐鳥騎士団が騎兵の後ろに入り、重峰騎士団が続く。その後ろは騎兵、歩兵となる。
スンディ側は動かず待ち受け、距離は約三キロまで詰まった。攻撃は来ない。
前列の騎兵が左右に開き、道を空ける。
「いざ玄の冥神の祝福を賜らん! 駈歩」
カクラクが振り返って叫び、部下たちが歓声で応じた。
赤恐鳥のひだに覆われた目が正面の集団を捉え、加速した。




