第二森人
「アイア! どこだ!」
茂みをゴソゴソとかき分けて、壮年の男性が勢いよく顔を出した。
短髪で髭面、痩せ気味だが日焼けした剛健そうな顔。アイアと同じような服装は、より使い古されている印象があり、やはり肩からは紐で銃を下げている。形状からして実体弾のアサルトライフルだ。
ルキウスからすれば貧弱な装備とはいえ、真っ当な軍用銃に 眼光が鋭くなる。
ルキウスは無自覚に殺気を反射的に叩きつけたが、自分の行いには気づいていない。
「こんにちは、キノコ狩りにはよい日よりですね」
ルキウスは目一杯に作り上げた笑顔で、はきはきとフレンドリーに話しかける。
壮年の男は歩く途中で完全に停止した。踏み出した右足が地面からわずかに浮いた位置で静止して、腕も手も中途半端な位置で固まった。
どうもここの人はよく固まるな、人が馴れ馴れしい土地柄ではなさそうだと、ルキウスは思う。それでも唯一の情報源。この男は逃がせない。
「ひいっ、妖精人様」
男はその顔からは出そうにもない声で悲鳴を上げた。
なんだ? 妖精人は大貴族か、何かの……権力者的存在なのだろうか? まともな態度ではない。
「まあ、おちつい――」
「どうか娘を食べないでください!」
アイアの父親のアゲノ・クローリンは悲壮な叫びを上げた。
「はあっ?」
様々な会話の流れに対応しようと準備していたルキウスだが、完全に予想外な発言に堪らず素っ頓狂な声が出た。
娘のアイアを見ても固まったままだ。
とりあえず、食べちゃうぞー、と言うのがまずい事態であるとルキウスでも理解する。
「まあまあ、落ち着いてください。とりあえず食べないので」
「お父さん、魔物から助けてもらったのよ」
「そ、そうか」
アイアが横たわる魔物を指さす。父親は中腰で固まったままだ。視線だけが、ルキウスと娘を行き来している。
よしよしもっと言え娘のアイアよ、とルキウスは思う。恩を着せて、強制友好接触だ。
「あなた方はこの森で何をしているのですか?」
「俺たちは食べ物を探しておりました。森の外では食料が得られないものでして、仕方なく森に入っているのでして、決して悪、妖精人様の森を荒らしているわけでは……」
森の所有者だと思われている。森林妖精人だからある意味間違いではないが、ルキウスはこの森のことなど知らない。
即時、周辺を粗く探査するが妖精人らしい反応はない。誤解は放置。
「ほう、この近所に住んでいらっしゃる?」
「えっ、いや、まあ、そうですね。村が、いえ、とにかく森の外から来ております」
「なるほど、近くに村があると」
「いえ、村と言いますか、二百人ほどの、いえその、住んでいるともいないとも」
「二百人ほどの村ですね」
この男は自白の達人であるらしい。
「その、そろそろ帰らなければならない時間でして……」
父親はどうにか逃げようと試みる。
「ああ、そうだね、そんな時間だな」
「では失礼いたします、アイア、帰るぞ」
同意が得られたと、父親はそそくさ退散する。娘もそれに続く。
「待ていっ!」ルキウスの鋭い声が飛ぶ。
「ひっ、なんでしょうか、妖精人様」
父親の怯えた声が即座に返る。
「君らは毒物を好んで食べる部類の人間かね?」
「い、いえ、特段そのようなことはござりませんが」
ルキウスはつかつかと歩き、アイアの手籠から白いキノコを取り出す。
「毒キノコだ」
緑野茂にはキノコの知識などない。にもかかわらず、このキノコを知っている。
勝手に知識が追加されている。これは自然に魔力を操れるようになっているのと同じだ。〈植物知識〉のスキルの影響か。
知らないはずの知識が脳内にあるのはかなり異常だが、今はそれを気にせずに便利な知識を利用する。
「これはドクツルタケ、毒キノコだ。キノコの成長状態によって他のキノコに似ている、気を付けないとね」
ルキウスは自分の知らないはずの知識を披露する。
「気を付けなさい、お嬢さん。代わりにこれをあげよう〔究極柿/アルティメットパーシモン〕」
手の中に発生した四つの柿をアイアに手渡しする。
「ありがとう、妖精人さん」
娘にはさほど警戒されていない。助けた甲斐があった。
「どういたしまして。食料が必要なら、あれは食べないのか、毒は無いようだが」
ルキウスは横たわる魔物を顎でしゃくる。
「へ、へえ。しかし今は荷物が多いものでして……」
父親は早く立ち去りたいだけだろう。相当に妖精人が怖いらしい。
「〔動物浮遊/アニマルフローティング〕、効果は長めにしておいた。村までは浮いているだろう」
魔物の死体は浮きあがる。ルキウスは胸の高さで浮遊するそれをそっと押した。死体は空中をゆっくりと無音で滑って父親の元までたどり着いた。
「引っぱって行けばいい、重量は無いだろう」
「そ、それはわざわざありがとうございます、妖精人様」
引きつった顔で父親が言う。
「さようなら、いずれ村へあいさつに伺せてもらいます」
二人は村に向かって歩いていく。ルキウスの声を聞いて父親の歩く速度が上がった。
アイアが振り返ると、そこには誰も居なかった。
ルキウスはカシの木に変化していた。その外観は完全に自然の樹木そのものである。
彼は森での単独行動時、頻繁に木に変化する習慣がある。木への変化は科学的なセンサーで露呈せず、魔法を検出するにも接近する必要がある。とりあえず木になっておけば安心だ。
『ソワラ、そちらは問題ないか?』
一仕事終えたルキウスは、変化したまま生命の木の状況を確認する。
『ルキウス様、突然どうされたのですか? いったい何が?』
『予知によって、森で人間に接触する事に成功した、近くに村があるようだ』
『わかりました、殲滅ですね、すぐに準備いたします』
(なんで殲滅なんだよ!? 物騒すぎだ)
ルキウスは過去のアトラスでの行動を思い返す。
森で銃を装備した個人を発見した場合、即攻撃。銃を装備したパーティーの場合、ちょっと観察して攻撃。銃を装備した複数パーティーの場合、罠を仕掛けた場所に誘引し攻撃。ルキウス討伐軍の場合、ルキウス・アーケインと森を守る愉快な仲間達総出の手厚いお出迎え。
(殲滅しかしていないな……。これはまずいな、アトラスのノリで行動されると困る)
『ソワラよ、私は本来、平和を愛しているのだ。むやみに戦うことはない。それに接触した人々は侵略者ではない。争ってはならぬ』
『はっ、わかりました。偉大なるルキウス様の慈悲に人間達も感謝するでしょう』
『私はしばらくこの辺りを調査してから帰る』
『わかりました。御帰還を待っております』
神っぽくするのは疲れるな、そう感じながらルキウスは通信を終えた。
精神を集中して、新たに魔法で範囲を広めに索敵する。索敵に引っかかるのはアイアや父親と同じような人間と、弱めと推定される魔物だけ。妖精人、その他の人型生命体は一体もいない。人間はアイアの村の住民だろう。皆、森の西方へと向かっている。
(転移直後に視線を感じた気がしたが、気のせいか)
まずはほっと胸をなでおろす、体は木だが。ルキウスの立場からすると森の先住者はいないほうが望ましい。先住民に生命の木の所有権でも主張されたならば争いは不可避だ。
それに何よりも人喰いだという話だ。同族だが意思疎通できるかわからない。それに魔物の生息する森に住むなら、それなりの軍事力を有すると考えられる。
ただし索敵結果からすると、差し当たり先住者と顔を合わせる可能性は低いと思えた。生命の木の近辺の魔物は、この辺りより格段に強力。わざわざ、危険地に居住しないはずだ。
変化を解くと、カシの木は瞬時に縮み人の姿を成してルキウスが現れる。
ルキウスは魔法で直上へ、落ち葉を舞いあげながら飛び立つ。木々の頭を少し飛び越えると、足元に凹凸のある緑に少し黄が混じる絨毯が広がった。生命の木の周囲より木々が低く、辺りは広葉樹が多い。植生が違う。
探査魔法での感覚からすると、東に生命の木があるはずだが見えない。現在地は上空から見渡した時、地平の彼方だった場所だろう。本当に大きな森だ。
だが人々が向かう方向、西方で森は途切れている。その先には黒い荒野が地平まで広がる。この黒、悪い印象。大地が目に入った瞬間になぜか不快さがあった。
自分でもわからない不快さを含みながら、一つの目的を果たしたことを認識する。知る世界は、森と、黒の荒野になった。
さらに森と荒野の境にはアイアの村がある。村に行き、人に接触すれば情報を得られるはずだ。
飛行すれば今すぐにでも行ける。アイアが村に帰るよりも早く着く。
だが今は我慢する。アトラスと同じなら、森の神は、司る領域を出た瞬間に弱体化する。それはほかの神も同じだが、彼は特に領域に依存している。ゆえにルキウスは再び樹木になった、安全のために。