戦争の始まり
女はさらに続ける。
「特に理由は無いのでしょうか?」
コウリルは観察を続け、女の性質を判断しようとするが、平均的な魔術師がまとうオーラしかない。それが逆に怪しい。
人を欺く魔物はそれに特化しているか、すべてが人間を大きく超える。
動いていない魔法使いが、いつでも魔法を発動できるように精神集中して準備をする中、女はしゃべり続ける。
「答える気はないのですか? 本当にそれでいいのですか?」
女は、全員へゆっくり視線を送り、それから一度目を閉じた。
森の焼ける匂いがする静寂が、白豹に経験したことのない圧力をかけ、隊員たちじゃ少しずつ絡みつかれるような異様な感覚を共有していた。
しかし、そのゆるりとまとわりつく圧力は、瞬時にして激烈なものに変わる。
「だあーれのもぉーりにぃぃい」
急に眼を見開いた女の形相は、人と思えぬほど強烈で醜く歪み、憎悪と敵意をあらわにした。甲高い声は耳の奥をひねりあげた。
「ナアァアニィィオオオォォ」
さらに金属をこする音と断末魔の悲鳴が結合したような不協和音が、脳の奥底を貫き、収まらないぶれた耳鳴りが残る。
白豹は全員苦痛に顔を歪め、魔術師は集中をかき回された。
白豹が再び意識を女に集中した時、すでに女は変化していた。
その異形は妖精的であった。
背中に青く輝く美しい半透明のチョウのような羽が現れ、非常に大きく伸びていく。
目は二倍以上に拡大され金色があふれ、まぶたが無くなったせいで異様に開かれ、髪は触手と化し、肌は液体金属のような質感で揺らめいている。
「攻撃開始!」
コウリルがその異様さを危険と判断し、敵の質がわからぬまま攻撃を命令した。
女側の三十人ほどが動き、ほかは警戒。弦の音が連続した。弓使いが矢を放ち、魔術師が再度集中を開始している。さらに周囲を囲い込むように隊員が動く。
矢は的へ向かう。戦技がのった様々な矢が、ただ速く、あるいは大きな曲線を描き、急所、手足へと。
女の手前、やや高い位置で空間が波打つ。空間が雫をこぼし、何かが飛び出し、矢が止まった。
女の前部の空間より突き出た四本の腕、ほぼ手首から先だけで異様な七本指の手。それが全ての矢をつかみ取っていた。
その指は不揃いで、短く太い指から、非常に細長くアイスピックの爪がある指まである。
たわんだ空間の向こうには底知れぬあの手の主がいるのだろうが、その姿は想像することもできない。
これは未知の防御術、もしくは召喚術。
しかし、白豹が攻撃を止めることはない。ありとあらゆる攻撃を防ぐ防御などありはしない。
間髪入れず、酸、炎、雷、水、石、氷、透明の力場の塊、光線が部隊の各所から放たれた。
「飽和攻撃!」
(何もさせずに殺す。あれを自由にさせてはいけない)
コウリルが命令を飛ばした。強者でも、多種多様な属性による同時攻撃は通る。
それは人が魔物に対して用いる基本戦術、名の知れた魔物は最初から人間を力で上回る。しかし、古来より数と知恵を用いて人は対抗してきた。
コウリル自身も、命中すると爆発して火がまとわりつく燃石を投擲した。
空間から突き出した四本の腕は魔法には反応せず、矢だけに反応した。一度空間に引っ込み、別の空間から出現するというやり方で全ての矢だけをつかみ取った。
ただし魔法は素通り。
女は動かない。魔法が当たる。直撃、全員が確信した。小さくはないダメージがあるはずだと。
雷撃や光線が女に直撃し、次いで火球が爆発した。女が火の中に沈み、ほとんど見えなくなったそこに、白豹は軽度の興奮を帯びながらひたすらに攻撃する。
しかし、コウリル、そして視力に優れた隊員の目は、いくつかの魔法が女の寸前で泡が破裂するように消失するのを捉えていた。
(まさか素の魔法抵抗だけ!? 物理現象を伴うものも混じっているぞ、装備の能力か?)
そして全員の魔法が途切れる。
そこに無傷の女が直立し、こちらを不機嫌そうに睨んでいた。
白豹の全員を戸惑わせるに充分な状況、経験したことのない魔法防御力。
しかし退却はない。敵は魔術師、支配を受けると深刻な情報漏れだ。
コウリルは間をおかずに指示を出す。
「温存なし、総攻撃!」
魔術師は高価な触媒を手にし、戦士も能力強化ポーションをすぐに飲み干した。
それを見た女は本性を見せつけるように笑みを浮かべ、強烈な魔力をまとった。
経験したことがない、その分厚さとうごめく質に魔術師達の顔が緊張で硬くなる。
しかし、普段使わない高価な道具を使える隊員は高揚しており、戦意を維持した。
そして、一段上の魔法、戦技の総攻撃が炸裂した。
女の周囲ではさっき以上の大きな爆発起こった。
――だが無傷。
「この程度ですか、よくわかりました、皆さんのことはよくわかりました」
女は自分に言い聞かせるよう早口で言った。
変化したままだが、表情は最初の無表情に戻っている。しかし、すぐにまた敵意を表情に取り戻し、顔の中心にしわを集めた。
「無価値なゴミどもめ、養分にしてやる、今すぐ」
女が言い切ると、無数の青い光弾が女の周囲に現れ滞空した。光弾が重なり合い、その数を数えることもできない。
コウリルはそれを知るにもかかわらず、理解が遅れた。
〔魔法誘導弾/マジックミサイル〕――〔魔法の矢/マジックアロー〕と共に知られる、効果の近い低位魔法。
しかし、魔法誘導弾を修得する者は少ない。これは命中すると炸裂するが、殴りつけた程度の効果しかない。
魔法の矢は突き刺さる。命中箇所によっては通じる。たいていは後者を選ぶ。
「防御!」
コウリルは辛うじて指示を出したが、これだけの数を想定した防御手段は無い。
魔法誘導弾は高い追尾能力があり、何かに当たるまで止まらない。それを理解する者は、光弾目掛けて石を投げたり、風で枯れ葉を舞い上げ壁にしようとする。
確かに枯れ葉一枚でも一個を相殺できる。
しかし焼け石に水だ。
滞空していた光弾が一斉に発射された。矢以上の速度で不規則な曲線軌道を描き、縦横無尽な動きで視界を埋め尽くしながら踊り狂う。
同時に生み出せる攻撃の数はそのまま魔術師の力量、視覚的で極めて明快に突き付けられた差、それでもコウリルの戦意は失われていなかった。
(化け物か)
コウリルは心中で毒ずきながら、瞬時に白猫に変化して体積を縮めた。完全に運で五つの光弾をギリギリかわす。
そしてそれらは彼女が背にしていた木に直撃、木には五つのえぐった後ができた。
一発一発が彼女の知る威力を上回っている。
コウリルはすぐに隊員を確認した。
隊員の多くはなんとか死なずに耐えている。やはり魔法自体の威力は低い。魔法耐性で威力は減退している。
強烈な打撃、爆発を浴び、数名が地に伏したままだが、転がった隊員の多くはポーションを飲み起き上がっていく。
(まだやれる)
「近接物理!」
コウリルが人に戻り、次の命令を飛ばした。 女の両側面から剣を抜いた二十名ほどが斬り込んでいく。
矢はあれで防いでいるのだ。つまり剣が当たればダメージがある。
意味は薄いが、コウリルは後退して大木を壁にする。一、二発なら魔法で防御できるがあの数はどうにもできない。
次に撃たれれば終わりだ。
正面だけを見ていた女が、ちらりと横に視線を送るが、そこに限界まで戦技で強化された矢が飛び、魔法も飛ぶ。
さらに召喚士が、人型で全身に黒い毛を茂らし、毛の無い人間的だが狂暴そうな頭に水牛の角を生やした中型の悪魔、ゴロインを三体召喚した。
足全体の筋肉が盛り上がり、手には長い爪を生やしており、素早く動ける接近戦向きの悪魔だ。
その間にも俊敏な動きで駆けた部下達が、あと一歩の所まで接近、斬りかかろうと剣を振り上げる。
そこを風切り音がして、何か長いものが一瞬で横切った。コウリルにはそうとしか認識できなかった。
そして同時に複数の金属音と鈍い打撃が響く。
斬り込んだ隊員すべてが一斉に後ろに数メートル弾き飛ばされる。
数人は目を開けたままで倒れており、ピクリとも動かない。死んでいる。
女の手が、異様に伸びていた。その手の杖で一気に殴り飛ばされたのだ、
(腕力もか、化け物め。押しきれるか?)
少し手を伸ばすぐらい魔術師なら誰でもできるが、異様な長さだ。それに鞭のようにしなって見えた。
しかし完全に起き上がれないのは四人だけ。被害は近かった者に集中している。
まだ被害は小さい。コウリルは諦めない。
「ひるむな、斬れ! 援護だ」
「やかましい」
女はその長い手の先の杖で、近くで起き上がろうとした部下の頭を杖で殴りつけ粉砕した。
さらに正面から鋭利な爪で襲い掛かったゴロインは、さっきよりは少ないが、十分に大量の〔魔法誘導弾/マジックミサイル〕の集中砲火を至近から受けて消滅した。
さらに再度近づこうとした戦士たちが杖でまたなぎ倒される。
無理ではないか、という考えが白豹を支配し始める。相手が本気で戦っているように見えない。
「ああ、いけません」
女は伸びた手を元に戻すと、思いだしたようにつぶやいた。
「どうでもいいですが、聞くだけ聞いておかなくては」
虚ろな表情の女が瞬時に長く手を伸ばし、倒れていた部下の頭をつかんだ。
部下は悲鳴を上げ、手をなんとかしようともがいたが、伸びた腕は一瞬で縮み、強引に引き寄せられた。
「答えなさい、お前達はどこの誰です?」
「我々は白豹」
なんらかの強制の力だ。
「その白豹の所属は?」
「スンディ魔術王国」
女が続け、部下が答える。
本来なら攻撃のチャンス、誰かが攻撃する場面だが、誰もが沈黙している。
「そう」
隊員の頭をつかんでいた手は瞬時に巨大化し、頭蓋骨は卵を握りつぶしたようにグチャッと弾け、体は放り出された。
それを見るなり、コウリルは狼煙玉をほぼ足元に投げて爆発させた。
ピーという笛の音と共に、青紫の煙が爆発的に湧き出した。
これは退却の合図、少しでも生き残る可能性を上げるために、完全にバラバラになり、四方八方に逃げ散るものだ。
部下達は攻撃の合図に以上に敏感に反応し、一気に逃げ散った。
本来なら情報を奪った相手を放置するなどあってはならない。しかし、防ぎようがない。
そしてあの女の情報を持ち帰る方が優先される。森の外に出れば、もしくは森の中でも大地の魔力の乱れ少ない場所ならば本国と通信可能だ。
現場に残ったのは足止めのために召喚された人間より大きなアリ、巨大蟻、十八匹のだけだ。
ソワラは据わった目で、自分を囲んで進路を塞ごうとしている巨大蟻を見ていた。
アリには、なんの興味もひかない。
その心中は、狂おしいばかりの憎悪に満たされ、同時にそれを抑えようする理性とせめぎあっていた。
それでも、もう駄目だ。
ルキウスから私闘を慎むように言われ、ヴァルファーが触媒を使うなとうるさいので、何とか我慢しようとしていたが、もはや限界だった。
「皆さん、無駄なく肥料にしてさしあげましょうね。〔冥王の水/ウォーターオブプルートー〕」
詠唱が終わると、杖の先から凄まじい勢いで水のような液体が噴き出した。
それは巨大な滝のような噴流、それが十キロ以上先まで噴き出す。
巨大蟻は成す術もなく、流れの中に消えた。
その流れは木に直撃しても反射したりしない。瞬時に液の進行方向にある幹は消滅し、その液をかすかに浴びた幹も、一瞬で溶けて形が崩れる。
雫一滴が木の上に跳んだなら、その雫は木の上から下までに、雫の大きさの細長い穴が空いた。
これは酸である。あらゆる生物を溶かす魔法的酸だ。
ソワラは杖の向きを変え、周囲に水やりするような様子でかけていく。杖が向いた方向が消えていく。
魔法が終了した時、ソワラの前方には何も無くなっていた。黒っぽい大地がひたすら広がっている。枯れ草の一つも無い。一部の岩までが溶け、大地が陥没している場所もあった。
彼女の背中側だけに森が残っている。
酸の猛烈な洪水が全てを溶かしながら数十キロに渡って流れ、すべての火は消え、辺りはすっかり暗くなっていた。
酸系最高レベルの威力と射程を誇る大魔法である。
「……害虫どもめ」
ソワラはつぶやき、すぐにはっとして空を見上げた。
「派手にやりすぎましたか、いや、元々ですか」
ソワラが枝の隙間から見た遠方の空には、魔法で作り出した半透明の目が飛行している。
火事の調査でもしているのだろう。
自分も火を見てここに来たのだ、現地の人間はより気にするはずだ。
姿を現す時から占術妨害処置をしているが、これだけやれば人を送ってくる。
「あの国、今すぐに滅ぼさなければ」
ソワラはそうつぶやくと、その場から転移した。
白豹部隊七十八名、「任務成功、これより帰還する」の通信を最後に通信途絶。
翌日、朝、ルキウスとヴァーラは、急ぎの用で伯爵邸に呼ばれていた。
通された上階にある半円形の部屋に入ると、待っている者が七名があった。
全員見知った顔で、ハンターパーティのリーダー達だ。彼らは部屋に入って右側に用意された椅子に掛けていた。
次に目に入ったのは窓、部屋は東一面が全て窓になっており、そこからは庭園の中心部にある、やや背の高い木の群落がもこっと少し飛び出して見えた。
あれはルキウスが伯爵から依頼されて植えた木だ。
ルキウスとヴァーラは残されていた、窓側の二つの椅子に掛ける。
「我々が最後かな?」
「……多分な、この面々、大事だろう。楽しみだな」
隣で返したのが【石山才腕】のリーダーであるアッキ、つまり、ここで唯一、【常盤の森】より格上になる。
専ら大物狩りを狙う武闘派で、特に人型を得意としている。
仕立ての良い洒落たジャケットを着用した中年の男だ。
扉が開き、セッター・レヌ・ギルヌーセン伯が家人を伴って颯爽と入室した。そして、ハンター達と向かい合う位置にある椅子に掛ける。
「全員、集まっているな」
伯爵が一応は全員を確認した。
「まず諸君にお知らせしよう、本日午前中にスンディ魔術王国が、我らが王国に宣戦布告した」
「本当ですか!?」
多くのハンターが驚きを露わにし、大きな声を出した。
大戦後、一度もなかった大陸東部での戦争、まさに驚天動地の報である
ルキウスは驚かなかった、昨日、ソワラからスンディを滅ぼしてきます、とだけの通信があり、それから、それを止めるターラレンと殴り合いになるという事件があったからだ。
ターラレンの宿の部屋が吹き飛んだらしいが、魔術の実験に失敗したと言って、弁償したら問題無かったとの報告だ。
何らかの事態が進行しているのは理解していた。




