烈火の森
今回のトンムスの戦い方。普段のやり方ではない。
これまでの彼なら監視に留めただろう。
それはここ数年こなした〔密偵/スパイ〕の流儀だ。
そこを変えた今回。これぞ、ルキウス式の奇襲戦法である。
トンムスにとって奇襲とは、足音を殺して忍び寄り急所へ放つ一矢。
しかし、フォレストはそれは最善ではないと言った。
彼は故意に情報を与えて、動き制御する。あるいはより広い表現で、刺激を与え、反射、情報を引き出せると主張したのだ。
――トンムスさん、そりゃあ、たいていは有効だろう、だが確実じゃない。それに足を止めている獣だって急に走り出すことはある、自分以外の要因でな。特定の刺激で行動を誘引するのがより確実だ。それに奇襲しているつもりが、待ち伏せされているかもしれないぞ。それも刺激を与えれば反応でわかる。完璧かって? そりゃあ、百に百じゃあないが、失敗の方向も予測できるし、主導権を取るのは重要だろう。敵が総合力で優越している状況で、後手回ったらお終いだ。先手先手だよ、前に出るんだ。
音声刺激に対する反応時間で、つまり、質問に対する思考時間で何を考えているか絞る。さらに刺激の各種に対する反射の質で、相手の性質を判断する。
さらに相手の性質がわかれば、与える情報で行動を操れる。
精神的奇襲、とトンムスは理解する。相手が多数か、一撃で仕留められない場合は有効。ならばと使えそうな魔道具を買ったのだ。
ここへの途上、煙の匂いの反対方向を監視する不審者は隠密狙撃で仕留めた。
これまでの彼なら、一声掛けて様子を見るぐらいはする場面。
会話で情報を得る。それで充分、あとは慎重に情報を持ち帰る。
しかし、その奥の重要な何かに賭けた。これまでと同じでは駄目だ。これからは密偵の流儀ではない。
斥候を配置した誰かは、斥候からの連絡を前提とした警戒をしているはずだ。
斥候が短時間で完全に抜かれた場合、本体は無防備になる。
火が上がっており、他の誰かが最低限の報告は行うだろうとの目論見もあった。
もしも本体が大人数なら、警戒と迎撃を同時やれるが、本体は八人しかいなかった。この時点で、相手の想定を超えられたと判断、しかけた。
フォレストは言った。敵の想定の上をやらねば、奇襲とは言えないと。
死角からの一撃でも、それが来る前提で敵が警戒しているなら、成功しても奇襲ではないのだと。
そこに彼はやたらと強いこだわりを見せていた。
確かに、未発見の敵に草むらや樹上から急に攻撃される時、ベテランのハンターなら騒がない。いつも通りと、慣れた対応をする。予想された奇襲だ。
ついさっきも見慣れない毒蛇に噛まれたが、即座に上級解毒ポーションを飲み助かった。
攻撃を受けても、それに対処する用意があれば被害は許容範囲。
トンムスが見ている敵が去った方では、地を這って火が広がり、うっすらと煙が立ち込めてた。
「魔術王国絡みは確定だ」
あの呼びかけに対して、ほぼ全員が硬直した。スンディ以外の犯罪組織の反応ではない。疑問の表情が無かった。完全に険しい表情だ。相手が勘違いしたなら、少しは余裕がある表情をする。
そして、悩まねばならぬ理由がある。包囲されるほどの心当たりがあるということだ。
驚くほどにわかりやすい。これなら尋問の必要もない。
もう少しひねった言葉にしておけば、目的にまで迫れたかもしれないが、それを考える余裕は無かった。
フォレストは、生命のありとあらゆる刺激に対する反射運動は本質的に驚きであると言った。一歩歩くたびに、呼吸するたび、全身が驚いているらしい。
生命の基本は刺激に対する反応。一つの考え方としては理解できた。
顔の筋肉の動きのパターンで、思考の種類が分別できるとも言っていた。
トンムスはもう少し詳しく聞いておけばよかったか、と思った。
「これも森で得た知識のかね? 妙に嘘の反応があるが」
トンムスが軽く笑いつぶやく。
彼が人の話で、技術情報を記憶するのは珍しい。
普段なら注視しない項目。ハンターは成果を過剰に吹聴するものだし、逆に本当の技術は隠したりする。
嘘、厳密には誇張による努力の反応が濃いので聞き流す。
しかし、フォレストはそこだけ嘘が少ない。奇妙な性質だったが、彼がきてれつなのは最初からだ。そこはもう気にしないことにしている。
風向きが少し変わり、煙は彼の方には来ていない。瞬間の強風に、彼のマントがはためく。
同時に煙が切れた。揺らめく炎の奥には何もいない。
トンムスはフォレストのことを思い出しながら、周囲を窺っていたが、完全に敵はいないと判断した。
「さっさと調べるか」
連中に仲間がいれば合流して引き返してきてもおかしくない。
また、〔召喚士/サマナー〕がいれば、森で力を発揮する厄介なものを差し向けるだろう。伯爵への報告もあり、帰還を急ぐ状況。
トンムスは屈み、頸動脈への一撃で仕留めた、カニの装飾のある短剣を使っていた男を調べる。
死体は電撃を何度も受け、顔に火傷の黒い線がいっていた。
注意を払い、カバンの中を探ると、薬品の類を多く持っていた。次に懐の中を探る。
「なっ!」
トンムスは手先から肘まで痺れる寒気を感じ、後ろへ飛び退いた。
男がゆっくりと動き出し、半身を起こして、虚ろな目でトンムスを見た。
その目には微かに青い光がちらつき、動くと青い粒子が尾を引いて残る。
「〔動死体/ゾンビ〕、いや、〔呪死体/ワイト〕。邪術の類だろう、魔術王国!」
「オオォォォ」
目の前の呪死体は喉の奥から音を絞り出し、落ちていた短剣を一本拾って立ち上がる。
さらに二十メートル先、魔術師らしい二体も杖を持って、少しふらつき起き上がる。
「肉付きの新鮮な呪死体か」
トンムスが後ずさりして、距離を取りながら方向を変え、三体を視界に入れる。
「アアァァ」
短剣の男が叫んで獣的な動きで飛びかかり、右手全体振り回して短剣で斬りつけてくる。
「鈍い」
トンムスは背の長剣を抜き放つと、剣の腹で短剣を持つ手を打ち払い、胴体に蹴りを入れ勢いを止めると、上段からの一撃で頭部を粉砕した。
目の前の男に先ほどの切れは無かった。二本の短剣で鋭い動きをする男だったが。
さらに火球が二個飛来するのを横目に見て、その身を翻し火球に対して横方向へ駆けだす。
ボウッ、後ろを熱が通り過ぎた。
トンムスは火球が通り過ぎたのを確認すると、長剣を地面に突き立て、取り出した骨船谷の弓から光のリムと弦を作りだした。
弦を引き絞り、鮮やかな手並みで次々と連続で光の矢を放つ。一本、二本、とはずれず刺さった光の矢が、呪死体を飾り付けていく。
二体の呪死体は全身に矢を受け、半ば座りこむように倒れた。それで終わらない。さらに頭部へ追撃を撃ち込んだ。
炎が枯れ葉を伝って広がり、二体は少しずつ火に包まれていく。
トンムスはそれを睨みつけていたが、骨船谷の弓を懐に収め、周囲を警戒した。
不死者化させることで、復活を防ぎ、さらに人間から変質させる。死体からも情報が読めなくなる。情報は渡さない、そういうことだ。
これから情報を得るには〔死霊術師/ネクロマンサー〕が要るが、そんなもの、まともな魔術師はならない。
「トンムスさん! どこです」
遠方からの小さなが声が聞こえ、トンムスはそちらを見た。
かなり遠く、木々の隙間から駆け寄ってくる三人の若い男が小さく見えた。
彼らは二ツ星の【貫く鷹爪】、トンムスが今日、臨時の補助で同行していた。
煙の発生元を確認に行く際、足手まといと判断して置いてきた。
(来るな言ったのに。青いな)
「ここだ、ここにいる」
トンムスが大きな声を出し、手を振った。
「これはいったい!?」
しばらくして、走ってきた貫く鷹爪のリーダーが周囲を見ながら言った。
「茫緑の業毒の一派だ。奴らは中々に質の悪い一派で、森と一体になるべく、集団自殺を試みる。その時はできるだけ多くを巻き込もうとする」
トンムスは始末した男の短剣を拾い、その柄の特殊な印を三人に向けた。
「見ろ、この短剣の印を、これこそ一派のシンボル、よく覚えておくんだ」
「これが茫緑の業毒……初めて見た」
「注意するんだ、まだ大勢いる。罠もあるかもしれない」
「大勢って……」
「二十人ほどいたが、残りは不利と見て逃げた」
トンムスは燃える森に視線を送った。
「流石トンムスさんだ、茫緑の業毒なんて、どうってことないぜ」
「最高だぜ」
「俺はコフテームじゃトンムスさんが最強だと思ってたんすよ」
三人が湧きあがり、明るい声を出した。
「調子に乗るな、奴らなら百人いても驚かない。それに奴らは善良そうな顔で街の至る所に潜んでいる。くれぐれも余計なことを口走るなよ」
トンムスがたしなめた。その言葉に、三人は緊張で表情が硬くなった。
「わかったな?」
「……ええ」
気の無い返事があった。
「ただで飯が食えるとか、美味い酒が飲める秘密の酒場とか、そんなのを言う奴に付いていくんじゃないぞ。美味い話には裏がある。お前達は金に余裕ができた頃だろう、自信を持って気を良くした頃には、色々寄ってくる」
三人は硬直して、黙りこくってしまった。
「まあいい。ここは危険だ。奴らが生贄を探していることだろう。それに火に撒かれる、早く撤退した方がいい。帰りを急ぐぞ」
トンムスは怯える三人に動きをうながし、現場を離れた。斥候が呪死体になっていそうだが、今は無視する。
ゾト・イーテ歴 三一一八年 一二月 二四日
こうして、ザメシハ嚆矢王国とスンディ魔道王国の緒戦が終わった。
コウリルは数刻後、無事に分散していた小隊と、予定していた合流地点で合流を遂げていた。
どの小隊も追手には遭遇しておらず、偶発的に遭遇した数組のハンターを始末しただけ。
ザメシハの大きな動きはまだない。
空の光は無くなりつつあり、遠目に見える真っ赤な炎が際立って輝いている。
空より先に地上に星が出たように思える。
「損害が出たが、成果は予定どおりだ。しかし目撃され、時はないぞ」
コウリルの弁に、部隊員が同意する。
現在地から北北西に重要拠点のコフテームがある。追手が掛かるならそこからだ。
既に西方は大火となっている。さらに北側に火をつけ、それを壁とする。
そして南方に逃げる。真っすぐに南にいけば、森からナテテーム方面に出る。そこから街道を横切り南東に抜ける。
川越えがネックになるが、越えてしまえば、再度悪魔の森に入り、ヌンテッカ山地の裾野を迂回して、スンディのアクシ低地に到達する。
「急いで作業にかかれ、朝までにナテテームを抜ける」
部下達が荷物から火つけのための油や薬品を取り出し、最後の作業に掛かった。
「こんばんは」
小さいにもかかわらずよく通る繊細な声が、白豹の全員の耳に飛びこんだ。
銀髪の若い女。それが一人立っている。コウリルから二十メートル無い距離だ。
非常に整った顔で、とても森には似つかわしくない白いドレスを身に着けている。
しかし、コウリルはその澄ました表情には凍りつく冷たさを感じた。
ヤマモモの巨木が伸ばした枝の下で、女は冬の森の景色から浮き上がって見えた。
(またか! どうやって接近した。魔法か? 追手にしては早すぎる。未知の魔物の可能性もある)
その女は一応は杖らしき物を持っている。
「警戒!」
コウリルの指示で部隊は警戒する。姿を現した女よりも周囲を。
そして訓練通りに魔術師達が混乱、筋力低下、盲目など、発動が視覚的にわかりにくい状態異常を掛ける。これらは正確に放たれれば、回避ができない。
「暖を取るには、過ぎたる火のようですが、これはなんのつもりでしょうか?」
女は平然として首を傾げた。効いていない。
錯乱もしていなければ、知能が低下してもいないだろう。
女はつまらなそうな顔でこっちを眺めているだけだ。
コウリルは軽く表情を歪めた。
やはり魔物かもしれない。多様な状態異常を全て弾くのはおかしい。質問もだ。




