村の様子
ルキウスが初日に助けたラリー・ハイペリオンの村。今では正式にハイペリオン村になった。
粗末だった家は、刈り取ったオオムギを利用した藁葺き屋根の立派な木造家屋になった。この家屋が一定の距離を空けて立ち並び、木の柵には、イバラが追加され、近づくと誰でも絡みつく。
その柵の外には、オオムギの植え付けの終わった畑があり、周囲の森はなんらかの果樹が植わっている。荒野側は村人が行かないので、攻撃型樹木が植えてあり、その外側は幻術や、催眠誘導のルーンがあり、あとは普通の樹木が村を隠すために植えてある。
基本的に、植物は敵味方の区別ができないので、この配置になっている。
あとは例外的に、村の中にもいくつか大きな木があった。
「弾幕がすべてを解決するのだ。これこそ力」
その例外、大きく育った究極柿の木の上で、アイア・クローリンが元気に叫び、その種を木の根元の方へ投げつけた。
「うわあ、早いぞ」
「負けるな。投げ返せ」
種を投げつけられたのは村の男の子たちが、懸命に石を投げ返している。
アイアは木からカキの実をもぎ取ると、大きな一口でかじって、その種を取り出す。
「今の内にあの木に登れ」
木は複数ある。アイアがいるのとは別の木に一人が登ろうとする。狙いはカキの実であった。
「我が神の加護の力、思いしれい」
アイアの投げた種が、木に登ろうとして掛けた手に直撃し、男は転がり落ちた。さらに次々に種を投げつける。
「ぎゃあああ」
「折れた」
「逃げろ」
男の子たちは慌ただしく逃げていく。
潰走だ。今こそ攻め時。二度と来れないようにしてやるのだ。
アイアはカキを口に突っ込んで、種だけ吐き出した。そして、それを背中めがけて投げつける。
しかしそれを邪魔する者がある。大きな折編笠を被った小さな存在、彼の細い木の杖が種を弾いた。その間に男の子は逃げ去った。
「アイアさん、止めなさーい。危ないですから」
邪魔者めと、アイアが種を投げつけたが、これも杖で弾かれた。
「止めなさい」
弱々しい声で言ったのは、ルキウスが村に派遣したコココット。〔土精/ノーム〕で〔農場祭司/ファームドルイド〕など農業系職業がある。
アイアより小柄で、大地につきそうな長髪は様々な緑色が入り混じっており、まれに茶色も混ざっている。顔は女顔で、動きやすい長袖の服を着ている。
彼は生命の木唯一の農業知識の持ち主で、レベルは六百五十だが、緑があれば戦車の二、三は難無く迎撃できる。
「我が神の意を解さぬ愚か者めが」
アイアが偉そうに彼を見下した。
「いつから我が神になったんですか、降りなさーい」
ルキウスはここでも森の奥で鍛えた妖精人という設定だ。
コココットは絶対に神とか言うな、と厳命されている。
「黙れ、こわっぱ」
アイアが一度投げる振りをして投げず、次で投げた。さらに続けて複数の種を同時に投げつけた。
「あぎゃ」
これにコココットが引っ掛かり、二つ目の種が折編笠に直撃した。
「僕が小さいのは〔土精/ノーム〕だからだと言ってるでしょ。ゆるんで伸びろ、〔荒縄/ストローロープ〕」
コココットの腰から一気に伸びた荒縄が、アイアに巻きついて縛る。そして彼女は木から落下した。それをコココットが受け止める。
「我が神って言うなって言ってるでしょ」
「大丈夫、本人にはルキウスさんって言うから」
アイアが先ほどとは打って変わって、かわいらしい顔になった。
「僕が言うからばれますからね」
「大丈夫、全力で黙らせるから」
アイアはコココットの腕の中で、満面の笑みを作った。これにコココットは深いため息をつくしかなかった。
この究極柿の木は、アイアが種を複数まいておいたのが、ルキウスが大魔法を発動した時に急成長したものだ。
家の周りにまいていたので、家を囲む形で成長した木々は、ぎりぎりと家を締め付け、荒い造りの接合部や柱がずれ、一部は折れて、家は完全倒壊してしまった。
そのお詫びに、クローリン家だけルキウスが急ぎで家を造った。
新たな家は、カキの木から少し歩いた場所にある。
ヌマスギの木を巨大に成長させてから変形させて、中に居住空間を確保したものだ。
家の近くには清涼な泉も湧き出させており、これらをアイアは大いに気に入っていた。
他の家は木組み用の加工済木材だけ村に送って、コココットの指示で組み立てさせた。
そのため現在に至るまで、この村にはコココットとルキウスしか接触していない。周囲の防衛装置は村人が知らない間に設置しておいた。
すべてはうまくいっている、そのはずだが、コココットの心労は増えるばかりだった。
「一つぐらい、あげればいいじゃないですか」
コココットがアイアを下ろしながら言った。
「奴らにくれてやる物はない。これは私が神にもらったの。特にゲレラは鼻の形が嫌だから駄目」
アイアは二つの理由を熱弁した。特に後者には熱が入った。
「元々は村では分配していたんでしょう、一回ぐらいあげても。あと鼻の形はかわいそうでしょ」
「時代は変わったの、緑の風が吹いたのよ。お母さんが言ってた。それに実の成る速度が落ちてる。これじゃ、成らなくなってしまいそうじゃない」
「落ちてますか、速度?」
「私は一日百回は確認してるのよ、絶対に落ちてる!」
アイアの凄まじい剣幕に、彼は肯定するしかなかった。
「わかりました。僕が肥料と魔法でなんとかしますよ、でも、ルキウス様がほかにも魔法の木をいっぱい植えたじゃないですかあ。それに普通の作物だって、悪くない出来です。皆さん、喜んでますよ」
「お母さんだってカキがいいって言ってるもん。だからこれが優先なの」
「レイアさんはメロンも食べてますよ、あと、暖かくなったらスイカ作れとまで言ってきます。それに今だって余ってるじゃないですか」
コココットは木々を指差した。木は十本以上あり、実の数は三百以上ある。
「いいえ、余分な分は無いのよ、全部干したら保存できるもの」
(これがルキウス様の言われる文明の発展なのだろうか、発展は必ずしも人を幸せにしないのだ、とおっしゃっていたけど)
「大人も実は気にしてるんですよ、僕だって食べたことないのに」
「じゃあ、コココットさんにだけあげるから、あいつら全部縛りつけておいてよ。あれじゃ、安心して弾幕が張れないの」
(これも文明かな? 単に悪い成長の気もするけど)
「ね? いいでしょ、無理ならこの種を木にしてよ」
「僕はルキウス様みたいになんでもかんでも一瞬で成木にはできませんし、その種を発芽させることもできません。それに孫の種は劣化してますよ」
「我が神はできるのに、なんでできないの。きっと子供だからね」
コココットはずっと子供扱いしてくるアイアに機嫌を悪くした。それで懲らしめてやろうと思った。
「いいですか、アイアさん、カキの木に登ってばかりいるとカキの実になってしまいますよ。そして鳥に突かれて穴だらけです。痛い痛いですよー」
「嘘よ!」
「これが実によくあるあるのあーるあーることなのですよー」
コココットがもっともらしく言う。
「ここには鳥なんて飛んでこないもの。森にいるのは小さいし、鳥だって弾幕の前には無力よ」
「とっても大きな鳥なんです。対空砲も効かない柿食い鳥です。僕にはどうすることもできないのです。ああ、かわいそうなアイアさん、いっぱい穴が空いてしまいました」
コココットが大変気の毒そうな顔をした。
「……そんな鳥、お母さんに料理してもらうから、お母さんはなんでも料理できるの」
少しばかりアイアがひるんで、母親を盾に持ち出した。
「レイアさんにも無理ですから」
「何が無理なのかしら?」
「ひいい」
コココットは、耳元でいきなり聞こえたおっとりした声に驚き、全速で振り向いた。
「何が無理なのかしら」
振り向いた先にはにこにこしたレイアが立っていた。
「なんでもないですとも」
コココットが背筋を限界まで伸ばして答えた。
「そう? 呼ばれたような気がしたのだけど」
「コココットさんがカキになる――」
「アイアさんは力が強くなっているのです、これは大問題なのですよ」
コココットが全力で割り込んだ。
「まあ、元気なのはいいことだわ」
「そうよね、お母さん」
アイアが嬉し気に同意を求めた。
「良いことばかりじゃあありませんよ。あのカキを食べてしばらくは喧嘩は止めてくれないと困りますよ、大怪我しますから」
「大丈夫よ、お母さん。手先を狙っているのよ」
「まあ! それは上手ね」
「褒めないでくださいよ」
母娘の会話はいつもこの調子だ。これが彼を苦しめていた。
「なんで止めないんですか、お母さんでしょう、止めてくださいよ。僕の言うことは聞いてくれない。最終的に死人が出るかも」
「ええー、困るわー」
コココットは懸命に訴えかけたが、レイアは笑顔を浮かべるばかりだ。
「お母さんを困らせないでよ」
アイアが怒って立ち塞がった、これにはどうしようもなかった。
「ええー」
彼はルキウス発案のアイア最強化計画を実行中である。一つ食べれば腹がふくれる魔法の果実を、アイアはいくらでも食べられる。道具利用系の天与能力だと推測されている。
魔法の食べ物は通常の食べ物より経験値が多い。よってカキも多い可能性がある。これを利用しての、ひたすら食べてレベル上げ計画である。
だからといって、村に問題を発生させていいわけではなかった。
(ルキウス様は高揚の効果も増幅しているのでは、と疑っていらっしゃるけど。単に素が出ているだけでは。母親も猫を被ってる気がする)
「食べ物は僕が頑張って増やしますから、食べるのはいいですけど。仲良くやってくれないと困るのです」
コココットがうつむきがちに言った。
「大丈夫よ、きっとなんとかなるわ。信じていればいいことが起きるのよ」
暖簾に腕押しで、まったく話が通じない。
「じゃあ、お母さん。私、弾幕張るから、銃取ってくる」
アイアは話に飽きたのか、走って家に銃を取りに行った。
「子供たちは元気ですね」
コココットの見たほうでは、銃を持って教練場にいく子供たちがいた。アイアはあれが目に入ったのかもしれない。
「そうでしょう、元気が一番だわ」
「加減を覚えて欲しいのですけど」
「まあ! それは難しいわあ」
「……そうですか」
こりゃ駄目だと、匙を投げた。そこにアイアが銃を持って帰ってきた。
「じゃあ、行ってくるから」
「たまにはお父さんの相手もしてあげなさい」
「ええ、だって最近気持ち悪いし、弾幕がすべてを解決するのに、狙って撃てっていうのよ。時代遅れよね」
ルキウスが、弾倉に貼ると一日に一定数の通常弾が勝手に補充される印章を与えている。おかげで子供たちも日々訓練していた。
「お父さんは小隊の狙撃手だったのよ」
「知ってるわよ、でも目視で立射なのよ。狩りだけならそれでもいいけど、戦闘なら狙ってる余裕なんてないわ」
「お父さんはそれでも狙い外さないわよ、本気で当てる気の時だけだけど」
「本気っていつよ。ねえ、お母さんも弾幕を張りに行こうよ、せっかく銃も弾を増えたのよ」
「私は畑仕事にお料理もあるから。食べ物は大事でしょう? アイア。それに射撃は苦手なの」
「お父さんよりは大事」
「そんなことを言っていると……」
コココットが視線を向けた先、木の陰から、夫のアゲノがじとっとした目つきで見ていた。
「とにかく、私は弾幕張ってくるね」
「早く帰ってくるのよ」
アイアは教練場へ走っていった。それをアゲノは悲壮な顔で見送った。そして次にコココットをじっと見てくる。
「せめて、あっちには言ってもらえませんかね、僕を監視するのをやめるように」
「言っても駄目よう、アイアを取られて嫉妬してるのね、かわいいでしょ」
「かわいくは……ないですね」
ごついおっさんがひたすらいじけているのだ。
普通に苦情を言ってくれたほうが助かる。コココットは、ルキウスにそっとしておいてやれ、子供が思いどおりにならないのはしんどいものだ、と言われているが、父親のほうをなんとかするべきでは、との思いがぬぐえない。
「僕はほかにも仕事があって忙しいのです。あんなの相手はしたくないのです」
「ほかって何かしらコココットさん?」
「それは様々な仕事なのです。農業は奥が深いのです」
「そう、余計なことしてないわよね」
「よ、余計なことってなんでしょう?」
コココットは少々怯えながら聞き返した。どうもこの母親は苦手だ。
「さあ、なんでしょう?」
レイアは変わらぬ笑顔で首を傾げた。
「とにかく私は忙しいですから」
「それは大変ねえ」
コココットは逃げ出す様にレイアから離れ、村の外近くまで来て、周囲に誰もいないことを確認してから、生命の木に定時連絡をする。
「一のかかしより楽園」
『こちら、総裁』
「ヴァルファーさん、連絡ですよ」
『コココット、村は順調かね』
「聞いてくださいよ。アイアさんは乱暴だし、母親がなんか怖いし、父親には恨まれてるし、ほかの子どもの機嫌も取らないといけないし、村人間も色々とあるし、ありとあらゆる板挟みですよ」
彼は農業以外にも何かと頼られることが多かった。村長のラリーは優秀だが、魔法的なことが関連するとコココットが仕事をするしかない。そして、今の村で魔法絡みでないことはほぼ無かった。
『簡潔に言いたまえよ』
「アイアさんが例の果実をいっぱい食べて、元気過ぎて困っているのです。なんとかしてくださいよ。あれが根本病巣ですよ」
『……戦力が増えるのはよいことでは? ルキウス様の望みは村人の自立。それに、面識のあるその子のことは気にかけておられる。武力が高まるのは良いことであるし、実験は順調なのだろう』
「他人事だと思って、僕がどれだけ苦労していると――」
『うるさいっ! お前が苦労を語るな』
「ひえ」
とうとつな大声がコココットの鼓膜を叩きのめし、彼は反射的にのけ反った。
『ルキウス様は何も説明せずにいいからいいからで色々とやるし、各国の動きは激しくなるし、馬鹿は暴れるし、村が増えるし、触媒の費用はかさむし、何度言っても報告書の規格が統一されない。こんなもの、戦争だ! 今すぐ戦争した方が楽だ、すべて樹海に沈めてしまえばよいのだあっ!』
止まらない言葉が、次々と滝から流れ落ちるような勢いで続いた。
「ひえええー」
しばらく間が空いた。コココットは知り合いの変貌に恐怖し、杖を握りしめた。
『ごほん、失礼。こっちは人が減って大変なのだ。万事うまくやってくれたまえよ、幸運を祈る』
咳払いの後、いつもの調子に戻り、通信が切られた。
「戦争だ。食料を備蓄しなければ! 作物がすべてを解決するのです」
コココットは強い決意で言って、村の境界――幻術の効力が及ぶ部分を超えて、冬で枯れた森に入った。
少し進んだ彼の足元に、灰色の丸い石ころが固まって七つほど転がっていた。
彼が視線を落とし、木の杖で石ころをつつくと、石ころは少し揺れて短い足が生えた。そして上にこぶができて、それは目になった。真っ白な目が彼を見た。
その石が、カカカカと軽い石を打ち合わせるような音を鳴らすと、ほかの石も立ち上がった。
〔石貝妖精/ドルド・ペキ〕だ。若い苗が好物である。
「幻術があっても、食べ物の気配は見逃してくれないな。もう!」
彼は妖精たちを容赦なく踏みつぶした。こいつらの動きは鈍いが、猛毒の針で刺してくる。村人には危険だ。
「農業は修羅の道なのです。なんでこれまで問題なかったのか不思議です」
この村は変だ。森には獣、魔獣以外にも悪霊や妖精がいる。村人はそれらに対抗する特殊弾を持っていたので、戦闘になれば勝てただろう。
しかし隠れて接近されれば、気付けない。実際に狩りで森に入った村人が死んでいる。だが、村では過去一度も被害が出ていない。
「村付近の汚染を嫌って近づかなかったのかな。でもね」
村人の行動半径は二十キロ以下、襲われた村人はその範囲で死んだということ。そこで獲物を狩るのに成功した相手は村まで来る。実際に森から来た大型の魔獣と何度か戦ったとか。
しかし、村の中に〔石貝妖精/ドルド・ペキ〕みたいな小型の魔物が侵入したことはないという。
「はあ……仕事をしましょ! もっと農地を増やさないと。恵みの礎こしらえん、〔整地/レベリング〕」
この魔法で、土の中から石と残された木の根が地表に浮いてきた。
このような根っこは農地にするには邪魔なので取らねばならい。
「これも妙ですが、切り株というか、切り根です」
出てきた根には比較的大きな物があった。切れ端ではなく、木の幹の部分だけ完全に取り去り、根っこだけを丸ごと地中に残したようなものだ。この根は朽ちておらず、比較的新しい。
しかし、これは村人が切ったものではない。人が切ってこうはならない。
村の境界付近には時々これが埋まっている。これも彼を悩ませる不思議の一つ。過去になんらかの魔物が暴れたのかもしれない。
「……仕事です。仕事です。作物だけが友達です。温室も増やしましょう」
コココットはひたすら仕事に集中してすごしていた。




