庭先
興亡の螺旋
「力加減が難しいな」
ルキウスがつぶやく。ねじっていた鉄線が千切れてしまった。
それなりに力加減に慣れたが、金属に触れていると、感触からもっと硬いはずだとの思い込みがある。
ルキウスは鉄線で、刈り取ったヨシを束にして固定していた。
マメコバチの巣筒をまとめているのだ。
まだ作業中なのに、マメコバチが数匹寄ってきて、ヨシの断面を覗きながらフラフラ飛んでいる。
「気の早い奴らだな」
ルキウスはヨシの束を屋根のある巣の置き場所に置いて、素早く滞空している一匹をふんわりとつかんだ。
そしてゆっくりと手を開くと、手の平でおとなしくしている。
顔を近づけて、手の平に留まっているそれをよく観察した。
ツツハナバチの一種であるハチ、約一センチで毛の生えた体は花粉まみれになっていた。
頭、胸、腹、そして胸部には二対の翅に三対の足、体中に気門、頭は触覚が生え大きな目で愛嬌がある顔だ。
「知ってるハチだ。同種かどうかさておき、地球の虫と基本構造は同一。つまりは地球の長い進化の歴史による成果物。偶然同じ生物が誕生するかといえば、しないだろう。だが人に作れるものではないし、できたとしても、周辺環境はどうなのかという話だ。まあ、アリがいればハチがいるのは当然だ、親戚だから」
このマメコバチは気が付いたら、生命の木の敷地内にいた。つまり、外の悪魔の森から侵入してきたのだ。他にミツバチの巣箱も作った。
彼らに受粉を任せるために、生命の木の各所に巣筒の束がある。
ルキウスが直接植えた特殊植物は無限に実を付けているが、それ以外は普通に受粉させる必要があった。
虫は他にハムシ類が多く見受けられる。ハムシは大抵穀物を食べる害虫の類だが、これがいないと無限に雑草が茂りそうなので、畑だけ保護して放置している。いくらかの意志を与えた植物達は、寄ってきた虫を叩き潰していた。
彼としては、自分が関与せずとも動くシステムが望ましい。今はその加減を探っている。いずれ広範囲を管理する可能性があると考えれば、庭の管理ぐらいできなくては話にならない。
悪魔の森の中心部は、強力な魔物が多く、人間が入れない場所だが、普通のアナウサギ、ネズミ、小虫などは普通に生息する。
小さければどこでも生きられるということだ。魔力が無いので、かえって探知されにくいのかもしれない。小型の魔獣は逆に少なかった。
虫のように知能の低い生物は、幻術の種によっては効きにくく、普通に敷地に入ってくる。逆に誘引物質はよく効くので、排除可能だが、特別危険な毒虫はいないのでそこまでやっていない。
今のところ虫の被害は、サンティーがペットのまねをして、ミツバチの巣に突っ込み被害を被ったぐらいだ。
ルキウスとその友人達はとりあえずやってみる性格で、若い頃は、警察、消防、病院が常用機関であった。
しかし、一般人はそうではないと彼も知っているので問題無いだろうと思っていたが、サンティーもまずやってみる口らしく、展示室の武器を持ち出して適当に使おうとしたり、そこらにある物をなんでも口に入れたりしていた。
来た当初と違い、彼女はここに馴染んで遠慮が無くなってきた。行動力がある分、ドニの娘よりやらかす。
普段ならその驚きを楽しむが、ここでは非常に深刻な事態を招くので、むしろルキウスの方がひやりとさせられていた。
そのサンティーが寄ってきた。
「わざわざ持ってきたのか」
ルキウスが軽くあきれて言った。彼女は包みを持っている。
「いつまでもお前が食べないから」
「まだ数日だろう」
「それもハチだな」
サンティーが飛び回るハチを目で追った。
「これを壊さないでくれよ、こいつに蜂蜜は無いからな。あとハチにもかじりつかないでくれ、生で食べるものではない」
「食べられないこともなかった」
「食べるなよ」
ルキウスが強く念を押した。
生き物だから虫を食べ物と見なすのは正しいが、彼女には調理という概念が薄いので、それを教えなければならない。
「お前はこれを食べるんだ」
サンティーが包みを持った手を伸ばした。
ルキウスはここ数日仕事にかまけ、彼女がお土産に買ってきた飴を受け取っていなかったのだ。
「いいとも、別に逃げていないからな」
ルキウスは琥珀のような飴を口に運んだ。そして口の中で転がす。口に広がるほのかな甘みに、自然と乾いたわらのイメージが浮かんだ。
「麦芽糖だな、蔗糖ではない」
ルキウスはコフテームで甘いものを見ていない。
特に探していないので、見逃しているだけかもしれないが、砂糖を輸入していると誰かから聞いたので、甘味は少ないのだろうと思った。
「美味いか?」
「悪くない。素朴な甘み、飽きない味だ」
ルキウスの答えに、彼女は満足げな笑みを浮かべた。
口に入れてから泡でも吹いて、死んだふりでもしてみようかと思っていたが、目を輝かせる友の期待の大きさに断念した。
「そうだろう。これはここで作れないのか」
「気に入ったか?」
「気に入ったぞ」
「果糖、葡萄糖、蔗糖ばっかりだからな、果糖の甘みしか感じないだろう。飽きたか」
ここの食事では麦芽糖を感じないだろう。白米だけのメニューが出た覚えが無い。他の調味料で打ち消される。
それに果糖は、やって来た思うとすぐに去っていく。口に甘さが残らない。
「まだ飽きるほど食べていない。だいたいそれはなんだ、食べ物か」
サンティーが警戒した表情で、不満気に言った。
「人が生きていくのに必要な物質。炭水化物で甘さの成分だ。果物、と言ってもわからないだろうが、リンゴとかだ。それに入っている。他にも何か魔法的な成分が入っていそうだが」
ルキウスが黄金林檎について、考え事をしながら言った。
食べると能力が上昇する効果、の元は原子からくるものと別の何かだ。体内に吸収されると、一定時間効果を発揮し、終わるときは瞬時に効果が消える。
生物の構造上考えにくい挙動だ。吸収されやすい葡萄糖でも数分は掛かりそうだ。
だが、飲み込んだ瞬間に全ての効果を発揮している。消化していないはずなのに。
魔術的な火の元素を水の元素で相殺できるという考えの方が、よほどに科学的だ。
誰かが、動作を検知して、外部から効果の発動を管理していると考えた方が納得できる。
「生き物も果物もよくわからん。全部同じだろう」
サンティーが退屈そうに言う。
「哲学か」
「それに甘いは甘いだ」
「帝国では糖を合成できないのか、それともしないのか、できそうな気がするが」
ルキウスが考えながら言った。
「甘いのは少ない、辛いのは無い」
「きっと馬鹿が甘いのばかり食べたがるから無いんだ。辛さは栄養にならないからだ。帝国も考えてはいる」
「しかしまずい」
「まずさの原因は合成脂肪だろう、栄養はあるはずだ」
ルキウスは飴を噛み砕いて、次を口に入れた。
「これの材料はイネ科だろう。まあ、作れるさ。でも今植えているのはコムギだな、確かオオムギを使うはず。村に生やしたのはなんだったかな。これを作っているところを見たか?」
ルキウスは周囲を見回した。コムギは収穫が終わって、切り株が畑に並んでいた。またあれを整えて、今日中に植えて、明日収穫だ。
「なんか、鍋で煮てた。ドロドロしていたぞ。店の中から熱気が出てきたのを覚えているな」
「そうか、これは水飴を固めているのだな」
(澱粉は多くの作物にあるはず、なぜオオムギを使うのか? 加熱するなら発酵ではないな、元から含まれている酵素が多いのか、まさか唾を吐きかけてはいないよな)
「ドロドロも食べたぞ、でも固いのが持ち帰りに向いてたからいっぱい買ってきた」
「これは保存用かな、要は澱粉を加水分解しているのだろう」
ルキウスは作業を終えたので、果樹が植わっている方へ歩き、サンティーもそれに付いてくる。
生命の木の周囲は大分開けて、土地はもっぱら畑、果樹園、花畑、薬草園になっていた。他には機械系の設備が増えている。
「何を言ってるのかわからんぞ」
サンティーが後ろから言った。
「帝国では基礎化学はやらないのか」
「科学ならやるけど、後は自分の分野だけだ」
つまり電気関連だけ。その電気も魔法的なもので、彼の知る常識をひねり潰してくるものだ。この様子ではイオンチャネルなどは知らないだろう。
「科学ねえ」
「科学だぞ」
ルキウスは考える余裕ができ、納得できないことが日々増えていた。
納得は重要だ、そしてルキウスは納得するまで実験したくなる類の人間だ。
全自動製作工具を使って、自分で工業製品を設計製作していたので、基本的知識はある。
この惑星の電化製品は中身を空けてみると、彼の見慣れたものより原始的な基盤、回路、電動機、電池、能動素子、蓄電器、集積回路があった。
しかし、それに混じってルーンの刻まれた銅板や、基盤全体に印が描かれていたりする。
これらの作用が混じり合ってることには、少々受け入れがたいものを感じていた。
「あまりやっても仕方ないか、生活の役に立ちそうにない」
話を聞く限り、帝国は一般人がそれらの知識を役立てる環境にない。ただし、機械が多いせいか、工学的な技術の持ち主は多い。
「魔法的効果の判別とかはやるぞ」
「それは科学か?」
「科学だぞ」
魔法が存在しているのだから、それも科学に含めるのは当然か。宇宙を構成する物理法則の一つに違いない。
腹減ったのか、サンティーが歩きながら丸い柑橘類を木からもぎ取って、皮を剥き始めた。そして口に運ぶ。
ルキウスは止めなかった。少しはなんでも口に入れるのを止めるかも、と思ったからだ。
「なんだこれは、苦い」
サンティーが果肉を口に含むなり、まばたきを繰り返し、渋そうな表情で硬直した。
「そいつはベルガモットだ。食べ物じゃない」
「なんで、そんなものを植えたのだっ!」
サンティーが怒った。
「馬鹿が食べた時に面白い顔をするのを見るために植えているのだ。虫も食わない。虫よりは賢くなってもらいたいものだ」
実際は精油を得るためだ。薬作りなどに使える。
「ぐぬぬ、いや、食べられないことはないぞ」
サンティーはむきになり、とんでもなく顔をしかめながらも、ベルガモットの果肉を齧り取っていく。
「よく食べられるな」
ルキウスが苦笑いで、無くなっていく果肉を見ていた。口の中に苦みを感じる気さえする。
彼は料理ができる男だ。これはひとえにサプライズ料理作成のための技術である。セラミックで精密な料理模型を作ったりもできるし、見た目、匂いが同じで、味が違う料理の作成ぐらいは簡単にやる。
しかしサンティーにお料理サプライズはことごとく無効化されていた。
これはこんな味なんだな、としか思われない。
さらに同じ形だと同じ味という発想も無い。これは帝国の固形食が全部似たような形状と色をしているせいだと、ルキウスは考えている。
「ほら食べられたぞ」
サンティーが自慢げに食べきり、やりとげた戦士の笑顔をした。
「苦いのは無理に食べるな。基本的に不快な匂い・味は食べるべきではないものだ。まあ、それの苦みはポリフェノール系だと思うが、薬草園には毒もあるからな。特にジギタリスには口をつけるなよ」
「目を吊り上げて言うなよ。そんなこと言っていたら帝国では生きていけないぞ」
帝国の人間は普段からまずいものを食べているせいか、苦いものでも普通に食べる。
村の人間も、森に住み始めた当初はなんでも口に入れて死人を出していたらしい。
「習慣だな、生命は偉大なり」
慣れれば人間はなんでもできる、ルキウスはこれが適応力だと思った。
「何が?」
「あの食べ物のことだ。あんなもんばかり食っているからそうなるんだ」
「あの……ああそうだ、あの配給、こっち方面の食料事情は本当に悪い。本土には小麦粉ぐらいあるが、こっちじゃ、それすら高いからな」
サンティーは忘れていた味を噛みしめているようだった。
「あれを食べてみたが、コオロギのやつは割と食べれた」
「大きな虫のは当たりなんだ。あとアミノ酸が入っているのは割と美味しい」
「アミノ酸、知ってるじゃないか」
ルキウスは彼女の口からその手の言葉が出て驚いた。
「知らんが特に添加されている奴が美味しい。あれを定期的に食べないと体が悪くなるんだと。でも、ここに来てから食べていないが元気になった」
「そりゃあそうだろうな、直接肉を食べている。とにかく苦い物は食べるな、賢明じゃない。花や葉っぱにも食いついているが幻覚とか見ていないだろうな」
「見てないけど」
「植物は動けない身を守るために毒を持っている。食べられるための存在ではないぞ」
「動いてるけど?」
サンティーの視線の先には、木の上によじ登っていく黄金林檎の木があった。その上には便乗した子猫が見える。
「あれは例外だ。忘れろ。あと、食べてばかりいると太るぞ」
「太って何が悪い?」
サンティーはきょとんとして言った。
「ぶくぶくの体に成りたいのか?」
「お前は成りたくないのか? そう言えば一杯食べてるのに皆太っていないな。これが悪魔の森の呪いか!」
サンティーが重大な真実に行き当たった探偵のように鋭い目をした。
(痩せてる人が多いから、太ってる方がいい価値観か。太ったらレクチンでも食事に混ぜてやろうかね、でもその前に鎮静剤でも盛っておくかな)
「その調子で食べていれば太るだろう。それより、何か聞きたいことはないのか。少しは余裕ができて暇になったんで、時間はある。森の外周で木を植えるのを減らしたせいだが」
ルキウスは価値観が違い過ぎて言っても駄目だろうと、話を変える。彼女は納得していない様子だが、これに乗った。
「お前が忙しい忙しいって言っていた仕事か、なんでやめた?」
「どうも帝国が森の膨張を気にしているようでな。もう少しゆっくりやるさ」
「そうか、そういえば、都市の浮浪者どもで村造るって言っていたな」
「あっちは忙しいな」
「へえ、なんで?」
「時期が少々悪かった、あっちは普通に冬だ。急いで家を建てないといけない。食料にも余裕を持たせなければ、何かあれば生産が止まるしな」
「そういえば冬だったな」
サンティーは心地よい温暖で、緑のあふれ返った周囲を見て言った。
ルキウスは冬でも暖かい異様に関しては、考えるの止めた。
多く考えるより忙しい方が楽とはな。考える葦である、とは言ったものだが、俺は考えるうねうねだよ。人の目的は幸福のはずだが、俺の幸福はどこにあるのやら。答えには大した意味が無い可能性が高いが、それでも考えるべきなのか。
「皆さんの幸福のために頑張ってるんだよ、転じては戦力強化にもなる。時間は掛かるが」
「まあ、餓死者が少し減ってありがたい話だ。わんさか死ぬらしいから。でも死体が減った分、残る人は困るだろうな。死ぬ数は変わらないかも」
「今は何かにつけてテストだ。大きくは動かん」
ルキウスは命の軽いことだ、と思いながら言った。
「あっちは新しい食べ物ができるのか」
「友が期待するようなものは無い。冬でも作物の植え付けにはそう悪くないようで、種まきだけなら素人でもできるから、とにかく保存できる食料を作っている。普通のだ」
「そうなのか、普通がわからん」
「普通は普通だ。あっちはカサンドラに任せたから、あまり戻らないと思うが問題ないか?」
「あんな奴はいらん。そのせいか……人が減ったな。静かになった」
サンティーが周りを見た。追いかけっこするイヌとネコがいるが、他に人影は無い。
「新規の村の他にも仕事はある。ソワラもスンディーにやった、他にも色々と出ている。だがペットは全部いるぞ」
生命の木の人員を減らしたのは、とりあえず森の中心は安全と判断したからだ。
「私もまたどこか行きたいぞ、花子を散歩させる」
「絶対だめだ」
言い切ったルキウスに、彼女は予想もしていなかった、という表情をした。
「なぜだっ! 完璧に任務を成し遂げたというのに」
「街がパニックではないか、他に色々あったからうやむやになっているらしいが。私がやっているように、上手く街に溶け込まねばならん」
「観光大臣だぞ!」
「そっちは罷免する。ペット達の相手をしてやってくれ」
「なぜだ、納得できんぞ」
サンティーがつかみかかったが、ルキウスはそれを無視して、庭の状態確認を進めていった。