帰路
ルキウスがその冷たい肉に挟み込まれた手先から放った効果が、瞬時にフワイ=グワエガの全身を駆け巡る。
まず流れ出る黒い液体が止まった。
ルキウスが頭から被り続けていた流れが絶え、はっきりと見えるようになった肉は急激にしぼむ。その爆縮的な細胞縮小は、いたるところにひび割れを発生させ広げ、縮むことで引っ張り合う各部がねじ曲がっていく。
触手は激しく回転して巻き付きながら絡み合い、最後にはグルグル巻きの触手玉になった。
縮小により空きが生じた、地下深き空洞で、フワイ=グワエガがガクガクと転げ踊る。
次第に色が失われ、白茶け枯れ果てた表皮が、密度によって強度を増す。そこからさらに縮み、干し肉のような質感になっていった。
やがて、半分以下まで縮み上がった塊から、一滴の水分も残らず消滅した。
空洞で揺れる干上がった巨体は、徐々にその動きを止める。
そして外側から、猛烈な速度で薄皮を剥くように次々めくれていく。めくれた薄皮が、どんどん飛び散り、空中で霧散し消滅する。目に見える速さで球体が減っていく。
ルキウスの頭の上から降り注いでいた、荒っぽい紙吹雪のようなそれは、やがて横から吹きつけ、最後には下から噴き上げる噴煙のようになり、止まる。
フワイ=グワエガの肉体は無くなった。静寂が訪れる。
空洞の中には、ルキウスと、一つまみの大きさの長細い種だけがぽつんと残った。それを手に取る。
記憶が確かなら、この無性に育てたくなる性質の種――特に酸性の強い土壌で、多くの植物が腐るほどの水を年中与えて育てたくなって仕方がない――を育てると、再びフワイ=グワエガが受肉するはずだ。
ルキウスはその種を空に投げると、剣で数度斬りつけバラバラにした。
これで、あれが受肉する手段は無くなった。
しかし、滅びてはいない。
あの触手の茂った肉々しい植物、あれでも神の一柱、永久の存在であり滅びないのだ。
神は不滅、ゆえに神。肉を失っても、神々の存在する次元で眠りにつき、何かのきっかけがあれば再び降臨する。
そもそも、あれは《緑の古き神/グレートオールドワン・ヴァーダント》の同系統の格下、系統上は子分のような存在。
「やっと終わったか、ん?」
ルキウスが上方から音を聴き取り、空洞の上を見上げると、いくつか穴が空いていた。
そこにぐったりとした分体が転げ落ちてきた。
「分体は残ったか」
どうやら、上にまで達した長細い穴――おそらくフワイ=グワエガが地上にまで伸ばしていた分体を生み出す管――が消滅してできた穴から転がり落ちたらしい。
アトラスならここで終わりなのだが、とルキウスは思いながら分体を始末した。
「ソワラ、本体は終わった。上の様子は?」
ルキウスは外のソワラに魔法で連絡を取った。
『穴からの発生が無くなりました。都市の守備部隊の対応は安定してきています。混乱が収まり、戦い慣れてきたようです』
「そうか、追加が無くなれば、終結するだろう。支援はここまででよい。ご苦労だったな」
『私は特に苦労しておりません。現在地でお待ちしていますので』
「まだ少し掛かるが」
『お待ちしています』
「そうか」
ルキウスは残り少ない魔力で、土を操作して全ての穴を埋めた。都市が陥没しては困るし、ここの不死者が逃げ出しかねない。
「終わったの?」
よろよろと起き上がったチェリテーラが、近くまで歩いてきた。
「終わったが、あれには多分神性がある。何かの拍子に復活する可能性がある」
「神性って・・・・・・なんの神よ? あれが神だって言うの?」
「また、どこかに現れるかもな」
「神なのにあんなにうねうねしてるのか」
チェリテーラの後ろから、ゆっくり来たディープダークが言った。修復魔法により、弾け飛んだ装備の破片が集合してきているが、まだ肌がかなり見えている。そして、そこに傷は無い。
「うねうねしている神は大勢いるぞ」
好きでうねうねしてないわ、とルキウスが心の中で言いながら答える。
「やあ、終わったね。少し疲れたよ」
「・・・・・・元気そうだな。結構なことだ」
上位の回復魔法無しで即完治する傷ではない。大きな生命力を秘めた人間は、小さな傷でも回復するのに大量のライフポーションが必要になる。
「まあ、なんとかなってなによりだ」
「今度こそここには用が無い。私は帰る」
ルキウスが不審に感じるものを抑えながら言った。
「前にも言ったけど、僕は写真撮って帰るからね。ここの景色も面白くなったし」
ディープダークは大きく空いた土壁の穴を見ている。
「好きにすればいい。邪魔はしないさ」
「今度会ったら、写真を渡すから」
「次に会ったらな。まず会わないと思うが」
ルキウスはそれだけ言い残すと、つかつかと歩き出した。
「さよなら、またね」
背中から掛かった声に、ルキウスは軽く手だけ振って返した。
「え! 私は?」
ぼうっとしていたチェリテーラが、我に返り言った。
「一人で帰れるなら、一人で帰れ」
「連れて来たんだから責任持ちなさい。ちょっと待ちなさいよ!」
チェリテーラが走って追ってくる。
ルキウスは抗議の声を無視して歩調を速めた。
一刻も早くここを去らねばならない。一人で残りたがる者がいるのだから。
人の邪魔はするものじゃない。特に今は魔力も神気もないのだから。
その後、マクレイル作品を一個、担がされる羽目になったが、ルキウスは筋トレにちょうどよいと思うことにして、運んでやった。一応、仕事をしたのだからと。
そして無事にお荷物に別れを告げ、街の外でソワラと合流する。
「ルキウス様、大丈夫ですか」
ソワラがルキウスを恭しく出迎えた。他にはエルディンとカサンドラも。
「ああ、問題無い装備の確認を頼む。何か追跡などの呪詛を受けているかもしれないからな」
ルキウスがディープダークに何か仕掛けられていないか警戒する。その警戒は非常に強いものとなっている。
「指輪が使ったのですか」
ソワラが指輪の宝石が無くなっているのに気が付いた。
「ああ、実戦テストをな。ちょうどよい相手だった」
ルキウスは適当にごまかした。
「そうですか」
ソワラは魔法を使いながら、ルキウスの装備品一つ一つを見ていく。そこに、カサンドラも寄ってきた。
「荒ぶっていた運命の激流は落ち着いたようでございます。主様が本体を討伐された少し後から、一気に収まりました」
「そうか、友は?」
「満足して帰られたようで」
「ならいい、少し目立ったようだが、またここに来ることはない」
ルキウスが火薬の匂いを嗅ぎ取り続ける。
「アルトゥーロも来ていたか、メルメッチは?」
これには樹木に溶け込むように寄りかかったエルディンが答えた。
「アルトゥーロは、街から北の街道の方へ進む敵に弾をばら撒いて帰りました。仕事が忙しいとかで。メルメッチはお腹空いたと言ってすぐに帰りました。何か用事でも?」
「いや、忙しいのに余計な予定を入れてしまったな。お前はどんな調子だ、エルディン。定位置を離れること自体が珍しいじゃないか?」
エルディンは普段、生命の木の最上部の部屋から近づく魔物を狙撃している。
「たまによいものです、ルキウス様。しかし俺には森の方が合っています。特に今回は人が多かったもので」
「主様、このカサンドラ感じ入ってございます。これほどの事態を予測され、対処なさるとは。私の予知ではとても読み切れませんで」
カサンドラが前に出て、少し興奮して言った。
「うむ。少々怪しい気配を感じたもので、足を運んだまで。思いの外、よく事が運んだ」
単純にトラブルの連続だが、話を合わせておくのが無難である。
「特に異常は無いです」
ソワラが作業を終えて言った。
「完全に無いか?」
「それだけ気にするほどの相手ですか?」
ソワラが首をかしげた。
「少々手強い者を見てな。あとで書類にまとめる。まあ、悪い奴じゃないだろう、英雄ともなれば」
英雄、その職業は存在しない。
アトラスで俗にヒーローと呼ばれるのは、クエストで同行することがあるNPC、戦士レテ・ザステルだ。英雄の秘宴を主催するこの男は、アトラス最強のNPCだ。
毎回理由があって同行するが、お前一人で問題解決できるだろうと、全プレイヤーに言われるほどに強い。職業は不明で、どんな武器でも扱い、クエストによっては最高位魔法を連発する。
職業は不明で、なんでもできるので、そのまま英雄と呼ばれるようになった。
(最初から言ってたな、ヒーローだと。本当にヒーローとは。これをどう考えるべきか)
ルキウスはレテ・ザステルが使う多彩なオリジナル技の中に、敵を光らせて倒す技があったのを思い出した。自分が光る技は多くあるが、敵を光らせる攻撃技は他に知らない。それで合っているはずだ。
そして〈七倍返し〉、あのスキルを使う職業も存在しない。あれをやるのはレイドボスの烙印だけだ。
〈七倍返し〉は戦闘中に烙印がしばらく動きを止めた後で放つ。停止したのをこれ幸いと総攻撃を仕掛けると、一発で全滅する羽目になる返し技だ。
そして吸血鬼系最強の存在、状態を切り替え、正・負属性の両方で回復する。
(回復したのは負属性でだろう。そう考えると色々納得できる)
ルキウスは、感覚的に英雄は発生してもおかしくないと思う。しかし烙印が自然発生するとは思えない。
あれの親はアダムとイヴなのだろうか。それとも農耕者としての面から考えてべきか。
(なんで烙印がいる? あれがいると考えると、宗教的にあれを作り出した絶対神がいないとおかしい。しかし、そう考えると烙印が英雄なのだって奇妙だ)
ルキウスはあの〈七倍返し〉を見て、職業以外の能力を考え、英雄を思いあたった。あれが無ければわからなかった。必死に職業がなんなのか考察を続けただろう。
なお〈七十七倍返し〉のスキルは存在しない。
この二つ、どちらも本来プレイヤーが取得できない能力だ。
だが、二四○○年以降に、実装された可能性はある。
アトラスの人気を考えれば、二、三十年は終了しない。ルキウスの知らない仕様はありうる。
しかしそのままだと、ゲームバランス的に異常な強さになる。
《緑の古き神/グレートオールドワン・ヴァーダント》のように限定性も無い。
さらにその取得だって、一対一で緑の古き神を倒すのは地獄の苦行であり、ルキウスは七十三回目で成功した。常人は三回ぐらいで諦めるものだ。
そこを考え、答えに至るための情報は無かった。
なんにせよ、レイドボスと最強NPCの組み合わせ、金輪際関わり合いになりたくない。
「問題無いなら帰るぞ。今回は多岐にわたる成果が得られた」
自分の知識外の圧倒的強者がいるとわかった。それだけで満足な成果だ。
「帰ったようだね、よかった。場合によっては始末せねばならなかった。ヒーローとして、助けを呼ぶものを助けるのに手段は選べないからね」
一人、深い暗闇に残ったディープダークがつぶやく。その手には黒の鍵が握られていた。後でチェリテーラに送ると言ってあるし、実際にそうするつもりだ。しかし、まだこれには用がある。




