リッチ2
ディープダークは力場に押し込むのを止めて後退、床へと落下していく。
「この機械竜は我が人生史上最高、部品数は五百六十三万二千七十五個だ」
機械竜は全身から白い蒸気が一斉に噴き出し、内部の歯車が高速回転させると、長い首を真っすぐにして顔を突き出した。
閉じた口から蒸気が漏れ出る。そして口が開く。
毒ガスと高熱蒸気による複合攻撃――スチームブレスが来る。
ブレスに備え、目の前に防壁を張りながら待ち受ける。
「君の人生はもう終わ――」
ゴウッ!! 耳をつんざく風音。
巨大な機械竜が瞬時に打ち上がった。
ディープダークの目前を通り過ぎ、天井に叩きつけれ、重い金属音が響いた。天井に押し付けられた機械竜から小さな歯車が落ちてくる。
機械竜の腹を、下から発生した爆発的気流が直撃したのだ。
天井で吐き出されたスチームブレスは、天井を伝いトンネルの彼方へ消え去った。
「ほか、はこちらの受け持ちだ」
キメラトラッカーの声が聞こえた。
その姿は見えない。大型の錆金属に埋もれている。
「これは助かるけど」
機械竜は天井に押し付けられ、手足をばたつかせて身動きが取れない。
(風か。キメラトラッカー、これは自分から発射される型の魔法だろう。魔法の発生源を動かせるのは《魔術師/ウィザード》系の最高位ぐらいのはずだけど)
「仕掛けは召喚陣に、自己の防御強化、それに召喚体強化だけか。相変わらず作品に自信があるようだけど」
着地したディープダークがつぶやいた。
ここまで接近すれば罠の大まかな気配が読める。相手は偽装して騙そうとするタイプではなく、数と質で押してくるタイプだ。
変わっていない。そう思った。
そして前傾姿勢で、地を這う疾風のごとく直進。
攻撃的な罠が無いなら、正面突破するまで。斥力力場をかすかな引っ掛かりだけで突き抜け、マクレイルの直前まで迫る。
「これを抜けてくるか! しかしこの壁は抜けまい」
《重力壁/グラヴィティウォール》。
マクレイルを中心に、空間がたわみ、波打つ。
そこにディープダークが全力の拳を叩きこんだ。
「悲しいよ、マクレイル。道を踏み外すなんて。今なら君の難解な魔術理論を不必要にワインの当たり年や、サバランの膨らみ具合に例えたナンセンスな御高説だって半日ぐらいは聞いていられそうなのに」
拳は重力壁に少し押し込んで止まる。そこからさらにじりじりと前進している。
さらに拳から妖しい影が噴出、重力壁に黒い穴が生まれ、徐々に広がる。
「き、貴様、まさか」
頭蓋骨から表情が読み取れそうなほどに、二十三個の骨が精いっぱいに動いた。
「こんな場所にいるから頭まで錆び付いたようじゃないか?それとも骨も腐るのかな」
ディープ―ダークの声は本来の声に戻っている。
「今ならお前にも勝てる。この疲労を知らず、無敵の精神、魔力があれば」
マクレイルの目の光は、目の前の存在を見ているようで見ていない。どこも見えてはいない。
「無敵の精神? 自慢げに見せびらかしたその薄汚れた気配のことかい?」
近くまで来たディープダークは悪の気配をはっきり感じている。いかに隠蔽しようとして隠しきれない。完全に変質している。グリベン・マクレイルは死んだ。
「我が一番なのだ。お前ではない。それを証明できる。フハハハ」
狂ったように笑うマクレイルから黒いオーラが爆発的に放たれ、さらに音と表現できる限界を超えた振動を生み出す音波爆弾が炸裂した。
しかしディープダークはなんともない。
「そんなに悪をまとって、本気で英雄に勝てると?英雄は悪には負けない、だから英雄なんだ」
「勝てる、勝てるとも。我は生を超越したのだ。もう制限は無い」
二人の放つ魔法とオーラが衝突する。幾層もの衝撃波が二人の間で発生して周囲へ拡散していく。
「正しい終焉を迎えたなら、それが目的地。そこで終わりだ」
「何を勝手な! 我は機械の軍団と共に征く。大地を揺らす喝采が我を待っている。世界を我が手に!」
マクレイルの声に応じたのは機械の兵団。
人型機械の集団が二人を囲むように一瞬で出現した。
それらは剣士、弓兵、騎兵、魔術師などを模したデザインで、顔の中央に赤い単眼、全身はよく磨かれた金属だ。
さらにディープダークの両横、至近には二・五メートルの機械騎士。
大兜の奥の単眼が赤く光り、全身鎧的な分厚い装甲に包まれ、大きさ相応の大剣と塔盾を装備している。
「マクレイル・・・・・・ボケ老人が!」
「やれ!」
機械騎士がディープダークを挟撃、振り下ろされた大剣は防御のために上げた両腕、上腕を半分まで斬って止まった、ように見えた。
しかし違う。
剣は腕を覆った影に飲み込まれて固定されている。剣がめり込んでいる先は魔術で造りだした影次元。
そして魔法を解除すれば影次元が消滅、その次元規模の反動で剣は強く押し返され、機械騎士の手からこぼれ、宙を舞う。
そこから、強引に多重の防壁の中を一歩前進。負属性を基本とする防壁の攻撃能力で流石にダメージを受けたが、手を伸ばせば触れられそうな距離まで迫る。
「その様子を見れば、君が外に出されなかった理由はわかる。賢い判断だったね。そして既に射程内だよ」
ディープダークの黒い右足のつま先が光った。その光は一瞬で膝まで広がり、脚を輝かせた。
「させるか」
マクレイルが杖を突くと、機械兵団が主を守ろうと狭い間に割り込んだ。
「ヒーローキィィィィク!」
ディープダークの叫び、右足が振り抜かれる。
本人は知らないが、真の名を〈ディメンジョンキック・グッドクアンタム〉。
善の量子による対消滅攻撃である。
この惑星の存在が――この宇宙の存在が行使しうる極限領域の一つ。
強烈な光と、膨れあがる圧力はルキウスの目をくぎ付けにした。
そもそも量子とは何か?
西暦二四○○年において、量子とは、宇宙を構成する三種類の基本粒子のことである。
重粒子、電子、中性微子などのフェルミ粒子。
ヒッグス粒子、光子、重力子などのボース粒子。
常にスピンのない形で現れ他の量子に埋没する性質上、検出困難で最後、二一○六年に発見された紐子、付属子などのフロール粒子。
さらに一部では第四の基本粒子、宇宙の起源として、自由に増減し、自由に動き、質量がなく、自由な電荷、自由な色荷、自由なスピンを有するアペイロン粒子が唱えられる。
この特定の量子パターンに反応をする粒子は、過去に垣間見られたが、再構築後では未検出とされる。
アトラスのVRギアはフロール粒子系の量子を利用して、脳の電荷などをスキャンしてギア内に構築されたシナプスマップを紐付けして情報をやり取りしている。
これは特に双子間のテレパシー能力を解析し、工業的に再現したものだ。
この系統の技術は理論上、紐子を完全に制御できれば、一光年距離があってもリアルタイム通信が可能であるとされるが、実用化はされていない。
二十一世紀に光子コンピューターから始まった量子コンピューターの実用化、その他の量子技術は、産業の発展には寄与したものの、大きな変化は高度AIの普及ぐらいで、それ以外は従来の延長線上にすぎなかった。
立体映像、人型ロボット、小型化された工業品、分子レベルの医療、便利だが本質的な変革を促す性質ではない。
つまりは生活が便利になっただけ。無限に金を生み出したりはできなかったし、食料、資源、エネルギー。気候変動、各地の紛争、といった大いなる諸問題を解決しなかった。
大きな進展は二十二世紀、フロール粒子の発見により訪れたと推測される赤の季節に、研究が劇的に進んだが、黒の季節の到来により多くの再現性が失われ、最終戦争ですべて失われた。
その後、再構築が進行、超弦理論から発展した跳躍理論が生まれる。
これがタイムトラベルとはいかないが、外宇宙への扉を開く。
フロール粒子は身近なものとなり、さらに外宇宙から流入した新資源が加わり、人類は新たな発展段階に入った。
宗教界は神秘的な現象の科学的証明を期待し、特に魂の類を求めたが、二四○○年時点では、いまだ魂を量子の中に見ない。
これらの経緯をたどった量子の研究だが、感覚的には理解しづらい存在だ。
前提、量子とは因果に縛られない存在である。
つまり、我々の馴染んだ物理法則は通用しない。
代表的な性質として、粒子であり、同時に波である、だ。これは素粒子は観測するまで粒子か波か不明であり、観測されるまで状態が未定とする非決定論、不確定性原理である。
この不確定性原理は有名なシュレーディンガーの猫で批判され、因果の信奉者であるアインシュタインも、神はサイコロを振らないと言った。
ほかにも多くの科学者が感覚的、あるいは宗教的に否定した。
彼らは、バットをフルスイングして、窓ガラスを叩けば必ず割れる、そのほかの結果は無い、という考えから逃れられなかった。
空振りしても割れるとか、何度叩いても割れないとかは論外というわけだ。
しかし事実はより奇妙。ただ不確定であるだけでは済まなかった。
割れると決まっていれば、バットを持たなくても割れる。
さらにバットの性質次第では、百の窓を同時に破壊する。逆にどんな力を込めても割れないと決まっていれば割れない。叩けば増えることすらありえる。
量子の性質は、人からすると特殊にして絶対なのだ。
その中でも特に奇妙な性質を担当する魔法使いがフロール粒子だった。
ここまでは高校レベル。ルキウスでも知っている。
すなわち、ディメンジョンキック・グッドクアンタムとは、特定のシナプスパターンの極小電荷に反応したジェントリアが呼び込んだ、無限粒子にフロール粒子の一種である善粒子が宿り、悪と衝突する物理現象。
つまり一度この攻撃が放たれたなら――過去未来、はたまた惑星外、別次元に逃げようとも、悪が滅びるまで、永久に対消滅が襲いくるのである。
ディープダークがその蹴りを放った瞬間、命中する前からマクレイルが輝き始める。そして機械兵をすり抜けて命中。振り上げた脚が胴体を直撃した。
「なぜ高位魔法を重ねた防壁が簡単に抜ける!? ごがあああ」
防壁は近づけば近づくほど頑丈になるようにしてあった。
敵が魔術師で接近可能ならば、それを倒そうとする者は近距離からの攻撃を試みる。
最後の防壁は飛び抜けて硬くしてあり、最初の防壁を抜いて味を占めて接近してきた強敵を足止めして、そこを召喚した兵で包囲攻撃して確実に潰す戦略だった。
しかしそれは何も無いようにすり抜けられている。
結果が確定しているからだ。悪は善に討たれると。
善粒子はマクレイルを内から砕きながら、全身に次々に穴を空け、所々から光線を撃ち出した。
「悪は必ず滅びる」
「大戦さえ、あれさえなければああぁ、俺の工業デザインが世界をおおお」
腕が弾け飛び杖を落としたマクレイルが、無数の穴からの光線で、光の塊と化しながら、顎が外れそうなほど絶叫した。
その体は粉々に分解され、最後の輝きはまばゆくトンネルの全てを照らした。
「天使にでもなって出直してきなよ」
放射されたエネルギーは破壊現象を生み出し、その後、残った莫大なエネルギーは全てが返るべき場所に去る。
あとには何も残っていない。暗闇が返ってくる。
「終わったかあ? 召喚体は動いてるぞ」
キメラトラッカーが遠くから大声で言った。
錆金属の軍団は動き続け、それは斬られ蹴られ、次々に破壊されている。
一度下された命令を忠実に実行する機械達。動力がある間は動き続けるだろう。
ディープダークは弓兵が放った矢を手で払った。目の前の軍団も動いている。一つ一つが先ほど吸血鬼程度の戦力はある意志無き兵。
「ああ、僕もやるとも」
(作品の形が残るようにしてやるか、動力線だけ切断すれば止まる)
まず近くの機械騎士。たやすく懐に潜り込みその体に触れ、這わせた影で絡めとり動きを止めると同時に、中に影を入れて動力線を寸断。大兜の奥の赤い目が消えた。
主を失った軍団は状況が判断できないのか、動きが鈍く、同じやり方で簡単に停止した。
「最後は竜だ」
ディープダークは飛び上がり、未だ天井でもがく機械竜の中に影を差しいれ、熱を生み出す部品と、大きな歯車を外した。




