虜囚
スミルナ・エンドールは冷たく硬い感触の中で目を覚ました。
闇だ。目を開けても暗い。
横になっていた体を起こす。
肌に当たる冷たい物は石、湿気のある石の上にいる。石畳のような継ぎ目は確認できない。平らな床だ。それに知らない匂い。
「ここは」
「どこかの地下です。どこかは知りませんが」
小さな独り言として出た言葉に、近くから女の声で返答があった。
「なんで・・・・・・」
地下、意味が分からない。相手は誰?
まだスミルナは混乱から抜け出せない。
「どうやら非常に非常に強力な魔道具で眠らされたようで。私も今しがた目覚めたところにて」
「そんなはずは」
睡眠、その手の効果はある程度対策している。それに掛けられたなら抵抗する記憶があるはずだが無い。
ここで初めてスミルナは気付く。剣が無い。父の形見である流星剣ヒターが無い。いや、それどころか、何も着てはいなかった。体を触って確かめる、裸だ。
「ヒター、ヒターは」
必死に暗闇を手探りするが触れるのは床の石、同じような質感の壁に触れた。
普段寝るときも必ず手の届くところにある流星剣ヒター、要の武器であり形見、これより大事な物は無い。それが無い状況に彼女の思考は空白、ひたすら探し続けた。
探し続けていると、暖かい物、人の手に当たった。そこで彼女はやっと探すのを止めた。
「何も無いと思いますよ」
「あなたは確か」
スミルナはようやく声の主に行き当たった。あの盲目の女だ。
「ヒターを、私の剣を知りませんか?」
「捕まえた者に武器を置いておくいわれも無いでしょうね」
「・・・・・・そうね」
ここでスミルナは少し落ち着き、状態を確認する。自分の体に異常は無い。
記憶を探る。捕まったのは人間のはずだ。吸血鬼ではなかった。人攫い、武装した人間を襲うのは不自然ではないか。
そもそも王都に人攫いの組織が存在するという噂を聞いたことが無い。
だがそこを考えている場合か。捕まっているのが現実。
〈支配〉でも使われればもう抵抗はできない。頭が正常な内に逃げるか、敵を撃滅すかしなくては。
「剣を取り戻さなくては、ヒターさえあれば何とかできるかも」
「まず自分の命の心配をするべきだと思いますが」
一貫して平坦な声が返ってくる。
「でも早く逃げないと」
そう言ったとき、扉の開く音と共に、少し光が差し込んだ。
闇に慣れた目はすぐに周囲を認識した。すぐ横ではやはり裸で盲目の女が座っていた。
部屋の三面は壁、残りの一面に鉄格子があり、その向こうは通路だ。その通路の先らしき方向から、揺れる光と複数の足音が近づいてくる。逆側にも通路があるようだが、出口はあちらだろう。
スミルナは近づいてくる足音の方を見て、神経を集中した。
三人の男がやって来た。一人が灯りを持っている。
先頭の短髪で目つきの鋭い男が、手に持ったハンタータグを揺らして見せた。
「スミルナ・エンドールだな」
この男は吸血鬼だ。目が赤い。牙も口から覗いている。
スミルナは目を見ないようにしながらも、睨み返す。
「・・・・・・そうよ」
「くくく。これは思わぬ拾い物、おい、開けろ」
「へい」
こちらは人間の男だ。この男は嫌らしい表情でスミルナの全身を舐めまわすように見ながら、鉄格子の扉の鍵を開けた。
そして吸血鬼がスミルナの手をつかみ、牢の外へ引っ張り出した。
「これで王都を落とす算段が立つ。何なら本当に国を支配するのも夢ではない」
「流石です、デゥラ様」
男に、後ろに控えていた部下も悦に入った表情で笑みを浮かべた。
「吸血鬼なんかに国が支配できるはずないでしょう。」
「ふん、ほれ、こいつを見ろ」
デゥラと呼ばれた男が鼻で笑い、後ろの部下の吸血鬼が持っていた物を引っ掴んで投げた。丸い物はごろごろ不器用に床を転がり、スミルナの足元で止まった。
赤と金色の糸がまとわりついている物体。それは生首だった。
「騎士団長の首よ、俺が殺した」
「嘘よ」
そう言いながらもスミルナはよく生首を見る。
顔は損傷していて正確な判別はできない。しかしどことなく目元は似ている。
軽薄で何も考えていないようだが、腕は確かでハンターになったときも応援してくれたレメリ。
信じたくないが本物かもしれない。底知れぬ不安がこびり付き、動悸を招いた。
「信じずとも現実は変わらんわ、フハハ、これで戦士団長も殺せる」
母の足を引っ張るぐらいなら死んだ方がマシだ。
「せっかくの上玉、それも二人だ。このタイミングで増えたのは大きい。有効的に使ってやる」
スミルナが動く。もうここしかない。
狙いは人間、その腰にある長剣を奪おうと跳びかかる。
しかし、デゥラが簡単にスミルナと標的の間に入り、その首をつかみ壁に押し付けた。
「かはっ」
冷たい手は鉄以上に硬く感じた。
首が締まって息ができない。
「クハハハハハ、剣が無ければ何もできまい。完全に俺の支配下においてやろう。お前なら戦力になるからな、死なない程度に扱ってやろう、感謝するが良い」
デゥラはスミルナに至近で目を合わせた。
精神に介入されるのを感じる。ずっと防ぐなどできない。
このままでは何もできずに終わる。
剣が無いと何もできないのはそのとおりだ。
武器が無いなら、剣が無いなら、どうすればいい?
牙があれば、爪があれば、力があれば戦える。
無ければ作ればいい。魔法使いなら変身ぐらいする。自分は魔法使いではない。
しかし・・・・・・全身から湧き出す確信が体を変化させていく。
薄れた意識には本能だけが残っている。それは余計な思い込みを排除した。
最初からできると知っていたように、これが正しい姿だと言わんばかり素早く強烈な変化だった。
「グオオォ」
スミルナが変わる。望んだ形へ。
その異様、至近で訪れた女の変貌と手の中で膨れ上がる感触に、デゥラはつかんでいた首を放した。
目の前に現れたのは二足歩行するオオカミ、人狼。体は灰色の毛皮で覆われ、手足では鋭利な爪が伸び、全身の筋肉が発達し、特に上体では大きく盛り上がっている。
首を少し曲げて大きなオオカミの顔を下げ、獲物を見る目でデゥラを睨み、軽く口を開きうなる。
体格は元のスミルナより大型化し、デゥラ以上の重量級になった。
「完全に丸腰のはずだぞ、変身などは・・・・・・」
困惑でデゥラは動けない。
スミルナが魔法を使うという情報は無い。
「クオォ」
スミルナが変化した人狼が前に出ながら大きく右手を振りかぶる。
即応、魔法を準備する時間は無い。腕で防御する。
荒っぽく叩きつけるような爪の一撃。
強烈な勢いで爪が腕に刺さったが浅い。吸血鬼の通常攻撃に対する耐性は有効だ。
「そこそこやる」
デゥラが負けじと全力で殴り返す。これは胴体を直撃、獣は遠くの壁へと吹き飛ぶ。
しかし壁に打ちつけられることは無かった。
空中で姿勢を変えて壁を蹴り、天井を蹴り、ボールのように通路を跳ね回り、上方から迫り、デゥラの顔面に勢い任せの蹴りを放つ。
デゥラはその蹴りを両腕で防御して受けたが、衝撃で後方へ押しやられた。
「ヴオオォーン」
直立した狼が全身に力を入れ、その口の奥を見せて吠えた。
狭い地下室内を蠢く咆哮、聞いた人間を恐怖させるに十分な圧力がある。
「糞が」
「デゥラ様!」
「問題無い、少し下がれ」
デゥラは動きを読み、狙いすましたストレート、それは顔面へと向かう。
しかし、獣の直感的回避、スミルナは紙一重で拳をかわし、腕に噛みついた。
骨がバキバキと骨が砕ける音がした。獣は牙を突き立てうなっている。
「があああぁあ」
デゥラが噛まれた腕を振り回し壁に叩きつける。同時に、腕を噛んだ大きな口に蹴りを当て、さらに口をこじ開けるように足に力を込めた。
腕の肉を裂かれながらも、口から強引に腕を引っ張り出す。
「ヴォオオーン」
餌を奪われた獣が怒りをあらわにした。
そこから二人の乱雑な力任せの殴り合いが続く。
おそらく〈生命力吸収〉は効いていない。単純な抵抗ではなく特殊な耐性だろう。
拳を受けた双方が何度ものけ反りよろめく。
その度、双方が再度前へ出て攻撃を繰り出した。
骨と骨がぶつかる音が連続している。
「やりやがる、犬が」
獣は何度も打たれているが弱る様子は無かった。
そしてデゥラも大きなダメージは受けていない。しかし、もし本気で逃げられると、止めきれない可能性がある。
それを考えたデゥラが本気になる。
彼は魔法だけではない。戦技や素手のスキルも当然ある。
〈百連撃〉〈気絶打撃〉〈剛腕〉〈暴撃〉〈双打〉の戦技に、素手攻撃の威力を増すスキル群を発動させる。
デゥラは腰を落とし、両手の拳を顎まで上げ半身でしっかりと構えた。
そこに野生の暴威が襲い掛かる。
手の平を開いた爪を突き立てようとする一撃、デゥラはそれをコンパクトに左手でいなし、瞬時に踏み込み、両腕の内側に低く入ると同時に首に素早く軽い一撃。
これで一瞬動きが止まる。
「らああぁぁ」
さらに胴体への凄まじいジャブの連打、一瞬にして数十の打撃。それはスミルナを体を浮かすように打ち込まれた。そして完全に体が浮く。
「しゃああぁぁ」
渾身のストレート、ゴッ、鈍い音が響く。
突き上げる形でオオカミの顎を完全に捉え、完全に意識を飛ばした。
攻撃を受けて跳ね飛んだスミルナは床を滑りながら元の姿に戻った。
デゥラの力の半分は魔法に割かれている。魔法を準備する余裕の無いゼロ距離の殴り合いならその力を発揮できない。
もしもスミルナが素手の戦闘技術があれば、特に素手の攻撃を魔法の武器と化したり、正のエネルギーをまとう術があったなら勝てたかもしれない。
しかしそうはならなかった。
「化け物が」
デゥラが嫌悪の籠った言葉を吐く。
「犬の血など見たくもない。あの女はお前達にくれてやろう。ただし殺すなよ」
デゥラは後ろの部下を見て言った。
しかし二人の部下はデゥラの方を見たまま目を見開いたまま。
「ッハ」
息をのみ、瞬時に前を振り向けば目の前に女。見下げる距離。
ローブを着て、杖を突き、目を閉じた女が真っすぐに立っていた。
瞬時にデゥラは後ろに一歩下がる。
「そちらの要件は終わったと判断させていただきます。ここより前には進むことはできません。巻き込んだ都合、あまり害されても困りますので。しかしまあ、ハンターのようですから怪我ぐらいは日常の範囲とさせていただきます」
(いつ動いたこの女、いやそれより――)
「服ぐらいはどうにでもなるものです」
デゥラの先手を打つように女は話した。
「ところでこれをご存じないか」
女は黒い棒状の物を手に持ち、掲げた。それには見覚えがあった。
あれは組織から預かった物、とするとこの女も組織の人間。ここの倉庫に置いているはず。
そこまでデゥラが考えたところで女が言う。
「その反応、知っているようで何よりでございます、これで無駄足にならずに済みそうです、いやはや僥倖」
「俺は何も言ってないぜ」