予兆
カサンドラは昨日と同じ目的で街を歩いていた。
メルメッチによる空き家――アンレケ屋とゼート工房の探索は成果をあげなかった。
彼に何も見つけられなかったなら、隠し扉や魔術的仕掛けはまず存在しない。罠の解除失敗はあっても、完全に素通りはありえないからだ。
残りの鍵を盗るには強硬策を講ずる必要があった。残りの花月楼と炭髭は、日がな一日、多くの人の出入りがあるからだ。
花月楼は娼館、夜は当然だが、朝も昼も営業している。
そしてやくざ者の炭髭は情報が少なく、メルメッチが監視中だ。
「メルメッチ、様子はどうだ」
カサンドラが《伝言/メッセージ》で連絡を取った。常時発動の《会話接続/メッセージリンク》は探知を警戒して切ってある。
『常に館の中に五十人はいるね。ごろつきにしては評判が良いようで、近くの子供はここに入りたがってた。でも吸血鬼っぽい奴はいないし、負のエネルギーも無反応。情報じゃあここに数人いるはずなんだけど』
「こっそりとはいかんな?」
『そうだね、誰かに化けた方が無難かな。一人になったところで記憶を覗いてから始末するぐらいはできるけど、誰が誰かわからないから、何日か調査しないと』
単純に人が多いというのは最高の警備だ。少なくとも侵入したことは露呈する。
いくら姿が消せても、人前でタンスを開け、中身をぽいぽいとほっぽり出し、あった物が突如消滅すれば、毎日泥酔して脳を酒漬けにしたまぬけであっても、騒ぎ出すに違いない。
ザメシハ嚆矢王国が吸血鬼を滅ぼしたあとで、国から鍵を拝借する手もあったが、それはためらわれた。国が中途半端に追い込めば行方をくらましてしまう。
加えて今、彼女が見ているものこそが大きな原因だ。
平素ならば、鏡面の如き水面に等しい揺らぎの無い心中。それがさざめいていた。
運命が揺れ動いている。
人はいつも事象の淵を歩いている。
今日も日常を繰り返すのだと思いながら起床しても、同じ日は一度としてない。多くの人間の運命が絡まり合い、複雑な模様を描き、やがて当人にとっては事件と呼ぶべき出来事に遭遇する。
例えば、ただ道を歩いていても馬にはねられ死ぬときもある。逆に、たまたま普段と違う道を行ったのがために難を逃れるときもある。多くの事象は紙一重。
そんな生死の境を気付かぬ間に数え切れないほど行き来している。
ゆえに人の多い街中で運命が激しく揺らぐ者――何かの境目をを見るの珍しくない。
しかし一人や二人ではない。街を行く多くの人々の運命が激しく揺らめている。
カサンドラはぶれた映像を長く見たように少し気分が悪くなった。
(地震のような災害か? 妨害が無ければ、災害程度は予知できるはず、昨日まで無かった。どこかで運命の歯車がかみ合い、流れが切り替わったか!)
彼女の予知でもまったく傾向の読めない何か、大きな何かが起こる。大事が迫るなら、長居は避けるべき。
カサンドラは気がはやったのか、歩く速度が上がった。
「今夜強行する。ここを早く離れるべきだ。それで五個揃わねば諦めろ、撤退だ」
『そんなに悪いのかい? おいらは嵐に濁流を楽しみたいんだけど』
「捜索活動の域を超える」
『ふーん。完全に不明なのがゼート工房の分か、ならそっちの情報を追うよ。取引先のリストは記憶してる』
「諦めが悪い、が。揃うなら越した事はない。夜までに集めた情報で手順を見積もる」
『あいあい』
カサンドラは人を避けるように小道に入った。
周囲の地形を認識して、これは、と思う。そして目を開いた。
始めて見るが知った景色。あの道案内した子供に対する予知で見た景色だ。
「行動の結果には責任を負わねばならぬ、子供であれ」
カサンドラはつぶやくと、再び目を閉じ少し進み、悪と負の残り香を感じ取った。
不吉の気配が濃く漂う場。ここで何か望ましくないことが発生したのは間違いない。そして原因は吸血鬼だろう。とすれば大体の成り行きは見当が付く。
「さらったのは夜ではあるまい。昼に魅了して夜に誘い出す事は可能だが目立つ。この辺りにいくつかの狩り場と拠点がある」
カサンドラは人目につかぬよう物陰に身を隠した。
「《人物位置確定/ロケートパースン》、《人物捜索/サーチパースン》」
魔力を隠蔽しながらも、スキルで最大限に強化された人探しの魔法が発動した。
「生きてはいる・・・・・・が反応無し。阻害されているな」
魔法は正常に発動している。しかし対象の高さも方位も不明。魔法を阻害する設備がある。個人の魔法で自分の追跡をかわせるとは考えにくい、と彼女は考える。
「手順を考えねばな。運が良ければ助かる、悪ければ、それだけのこと。不吉の漂う場を探すとしよう」
あくまでもついでのこと、鍵捜しの一助となるから探すにすぎない。拠点を一個探り当てればそこからたどれる可能性は高い。
サンティーが高級店【星空の小屋】で、おしゃれに一つの皿に盛り付けられた三種類のソースを容赦なく混ぜっ返し、給仕の顔を引きつらせた頃、王都壁外で、レメリが見回りの足を止めた。
角を曲がった所で狭い道が塞がれた。三人の人影がこちらに背を向け並び立っている。
「そこで何をやっているのか?」
レメリの部下が、懐中電灯のように直線状の光を放つ魔道具の棒型照明で照らした。
ローブを着た人影が照らされるとほぼ同時、バッと勢いよく振り向き、走り込んで来る。手には剣。
「迎撃っ!」
レメリの命令に部下三名が即座に剣を抜き、剣と剣がぶつかり、金属音が夜の狭路に響く。敵は精鋭騎士を相手に押し負けていない。荒い剣だが振り回すような一撃は、部下の剣を押し込んでいる。
前の部下の持っていたランプと棒型照明が一つ道に投げ出されている。
「斬り伏せろ。相手が誰かわかってやっているのか?だとしたら」――敵はただの馬鹿か、ザメシハに仇なすものだ。
誰かと勘違いしているとは思えない。
レメリは完全装備で全身鎧で頭にはバイザーを上げた半球裾兜、競り落とした薙槍。夜中に会うのは恐ろしい見た目だ。
「後方を警戒せよ」
レメリ達は六名、さらに付近に十人以上。レメリが中心になり、後方を二人が警戒した。
「後ろも来ます、五人以上」
後ろの部下からも緊迫した声が聞こえたが、レメリの意識はすぐに別に移った。
「攻撃しろ、上か!」
上を見上げれば、二階が一階より突き出しているために狭い空、そこから降ってくる影。
「はっ」
レメリが降ってくる影を、大きく振りかぶった薙槍で引っ掛けるように地面に叩きつけた。
それはランプの横に転がり、男の顔が照らされた。赤い目、そして牙。探していた相手。
「吸血鬼だ!! できるだけ目を見るなよ、お前達、奴らは飛行できる上からも来るぞ、直接接触はさけろ、魔法、能力を使わせるな」
部下達の威勢の良い返事を聞き、レメリが起き上がろうとする男の首を、即座に薙槍で落とした。
パーンと乾いた炸裂音がした。後方の部下が回転式拳銃を発砲したのだ。対不死者用の弾を装填してある。
銃撃を受けた吸血鬼は苦しみ、悶えている。効果はあった。
そしてこの音で広く異常が伝われば、他の騎士、戦士も駆けつけよう。
「逃がすなよ、ここで全て滅ぼすつもりでやれ。久々の報奨だぞ」
レメリは一気に吸血鬼を掃討する好機と見て、部下を鼓舞する。
しかし周囲からも怒声と金属音が聞こえる。ここら一帯で戦闘になっている。
レメリの部下全員が吸血鬼に有効な魔法の武器を持ってはいない。
《魔法武器化/マジック・ウェポン》のポーションはあるが使う暇は無いかもしれない。
この様子なら敵は三十以上はいるだろう。
今度は有利とはいえない状況になった。しかしレメリが焦るほどではない。敵が有利なのは局所的なもの。ここの部下は精鋭、何とか勝負になっている。
吸血鬼は未知の相手だったが、接触さえ避ければ人と大して変わらない。槍を使い、急所を狙うレメリはそう感じた。
部下に苦しい相手なら、自分が全て滅ばすまでと前に寄る。
「ネズミかコウモリのように随分と隠れていたようだな、そのままこそこそとやっていればよかったものを」
レメリは戦闘の中の部下の後ろから槍を突きこむ。鮮やかな連続突きが次々に吸血鬼の頭部を正面からとらえ、立て続けに滅ぼした。
前の三人が倒れた後には、さらに多くの吸血鬼が控え、完全に道を封鎖している。壁に張り付いている者も数人見受けられた。
「この程度か」
後ろの吸血鬼はあまり近寄ってこない。屋根の上から矢を放ってきていて後ろの二名は盾で受けていた。
(後ろに下がるか?しかし後ろの道の方が広い、数は敵の方が多い、不利になる。少し粘れば増援が来るだろう)
前方では短髪で目つきの鋭い若い軽装の男が集団の一番後ろに立ち、悠々とかまえていた。しかし鋭い目は真っすぐにレメリを見据えている。
その立ち振る舞いから、この集団の指揮官と見て警戒する。
「魅了・・・・・・支配か?どっちにしても効かんよ、対策があるに決まっているだろう、立場的にな。そうでなくても惚れ薬だとか使ってくる女も居るんだぜ。俺の心は易々と盗れんよ」
軽装の男が何やら指示らしきものを発すると前方の集団が前進し、戦闘が苛烈になる。それでもレメリの槍は的確で素早い突きを放ち続け、確実にダメージを与え敵を後退させた。彼の突きを受ける、かわすことは吸血鬼にもできず、
このまま凌げば良いだろう、そうレメリが思った時、横合いから急に影が襲い掛かった。文字通り壁に張り付いていた人型の影が、壁からはがれて立ち上がり、騎士の一人に抱き着いたのだ。
レメリが即座に反応、影を薙槍の刃で両断。霞を斬るような手応えだった。人型の影は黒い霧となって散った。
「影もいるぞ!気を付けろ、崩されるなよ」
「影の中にいると見えませんよ」
「落ちてるランプから離れるな」
その隙にまた押し寄せた集団に素早い連続突きで牽制して遠くに追いやる。
立て直したと安心するレメリ、しかしぞっとする驚愕。最後尾の男の姿が無い。
「いない!?」
最後尾の男は常に視界に入れて警戒していた。その目つきから確実に何かやると直感したからだ。
瞬時に目が激しく動き、視界の全て確認するがいない。そして後方から圧力。
後ろは部下、敵はいない。
しかし、レメリはためらわずに身をよじりながら、槍を器用に回転させ、全力で後方を打とうとした。
「チッ!」という舌打ちを聞いた瞬間爆発。槍の柄に急な衝撃を感じ、膨れ上がる炎が視界を覆い、加わった衝撃で槍に引っ張られ壁に打ちつけられた。体は焦げたが大した怪我ではない。
衝突に耐え、前を見たレメリの目に飛び込んで来たのは、後ろの部下があの男に顔面を殴られるところだった。ただの打撃ではない。パンチが当たった瞬間、拳が爆発した。
瞬時に広がった煌々とした赤い爆発は一メートル以上になり闇を照らした。
顔が破壊された騎士は爆発による加速で頭から地面に打ちつけられ痙攣している。
さらに男は俊敏な動きでもう一人の後ろの兵に全力の蹴りを放つ。胴体に直撃した蹴りは鎧を叩き割り、騎士を完全に叩きのめした。
(瞬間移動! 隠密ではない)
男のやっていることが魔法によるものなのは見てすぐにわかった。
「やってくれた!」
レメリが戦技をのせて放った突きが男の脇を大きくえぐったが、男は全力で後ろに跳び、レメリの槍の射程から逃れた。もう少し深ければ心臓を潰せたが、仕損じた。相手はそれだけ速かった。
(魔法使いにしては速すぎるぞ、こいつは厳しいな)
後ろ側の吸血鬼の群れに合流した男は獰猛な笑みを浮かべている。
これで完全に陣形は崩された。
デゥラ・カンコーネの職業《魔拳闘士/マジックボクサー》、それは拳に魔法を準備、殴りつけて発動させられる魔法使いであり、格闘家である。
吸血鬼の腕力と接触からの〈生命力吸収〉、人間より多い魔力を活かし、接近時に攻撃を受けるリスクを〈高速治癒〉で補う。潜伏生活により、大きな武器を所持しにくい問題も解決している。
彼の向こう見ずな性格に似合わぬ合理的な職業選択だ。もっとも魔法の才、格闘の才の両方を持つ者は少ない。
ただし、魔法を使うにはそれ相当の精神集中を要する。つまり魔法を準備、格闘、また離れて魔法を準備の戦法になる。魔法を無しなら純粋な格闘系の方が強い。
結果として判断ミス。無理してでも回転式拳銃で牽制させていれば魔法は使えなかっただろう。
しかし杖もローブも無い魔法使いらしからぬ姿を、魔法を主に使うと判断するのは不可能だ。