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第二十四話 遠回しと、自戒

 近くにあるスーパーは、田舎のわりには大きなところだ。 都会にあっても違和感がなさそうなそこは、この辺りの主婦の心強い味方となっている。 とは言っても、さすがに平日のお昼過ぎともなれば客の数はまばらである。


 そんなスーパーに入り、私は比島さんから渡されたメモを見た。


「牛乳、氷、ナッツ系の菓子……なんでもいい。 朱理さんはプリンでしたよね」


「そだよー。 冬木さんの買い出し、なんかおつまみっぽいね」


 ひょいとメモを覗き込み、朱理さんは言う。 言われてみれば、主婦の買い物というより朱理さんの言葉が近いかもしれない。 まぁ、全て夜のジャズバーで使うものだと思うけれど。 そうなればおつまみ系になるのは当然のことかもしれない。


「ていうか字が超綺麗だね……横にあたしの字を並べたら、見るに耐えないよ」


 朱理さんは言いつつ、自らも持ってきたメモを取り出す。 そこに書かれているのは可愛らしい丸まった文字で、メモの大きさのわりには小さな字で書かれた「プリン」という文字だった。 汚い字とはとても呼べず、どちらかと言えば女の子らしい字というのが正しいだろう。


「く、ふふっ」


「なんで笑うのさー! そんな汚い? あたしの字ってそこまでかな!?」


「あ、いえ……ふふ、そうではなくて。 下に成瀬君の注意書きがあったので」


「へ? ……あーほんとだ、全くおにいは口うるさいんだから」


 言いながら朱里さんは頬を膨らませる。 そこには、成瀬君の字で「余計なものは買わないように」と付け加えられていた。 それがなんだか面白く、私は思わず笑ってしまう。 同時に、成瀬君と朱理さんの仲の良さというものが垣間見え、少しだけ羨ましく思った。


「成瀬君は、意外としっかりしていますからね」


「……そうかな? いや、そうかも。 最初、冬木さんのこと凄く気にしてたし……もちろん、おにいが嘘が見抜けるってのはあるかもだけど」


「そうでなかったとしても、成瀬君はきっと私に関わってきたと思います。 なんとなく、ですけど」


 本当に、ただなんとなくそう思っただけだ。 確証なんてなく、或いは希望的観測に過ぎないかもしれない。 しかし、私の知る成瀬君であればそうなのだと思う。 知り合って一ヶ月と少し、友達になってその半分。 たったそれだけの期間で、人のことを知ったというのはおこがましいかもしれないが。 それでも、思うだけならタダ。 幸いなことに、私の思考が誰かに聞かれることはない。


『もしかして、冬木さんっておにいに惚れてるのかな?』


 ……はい?


「惚れてません」


「わ、聞こえた!? ふぃービビったぁ……」


「良いですか、朱里さん。 私は成瀬君に好意はもちろん抱いています。 ですが、それはあくまでも友達として、友人としてのものですし、何より成瀬君には恩があるんです。 だから、贔屓目で見ることもあるでしょう。 他の人たちから見るよりも、成瀬君のことを過大評価している面もあるかもしれません。 ですが、それは決して異性としての好意ではなく、別の好意でしかありません。 朱里さんのその思考は勘違いです」


「……あ、あはは。 うん、分かったよ。 分かったから、冬木さん落ち着いて……」


「第一、人の顔を見て「間抜けな顔」と表現するような人は好きではありません。 他にも、いくら今の形で収まったと言えど、私が何度も「関わるな」と言ったのに関わってきたり、私が笑ってしまうのを良いことにくだらない駄洒落を口走ったり、そういうところも好きではありません。 むしろ、好きという感情より嫌いという感情の方が大きくてですね」


「すいませんでした!! ……おにいが言っていた言葉の意味が理解できてきた」


 朱里さんは頭を下げ、精一杯の声で言う。 それを受けた私はようやく我に返り、自分が必死に否定したことが少々恥ずかしくなった。 その原因たる朱里さんから目を逸らし、とりあえずはこの流れを断ち切るべく言葉を紡ぐ。


「……買い物、しましょうか」


 が、その声は思いの外小さく、そして思いの外変な声になってしまっていた。




「ジャズバーって、どんなものなの? あたし少し興味あるかも!」


 その後、気を取り直した私たちは買い物を続けていた。 買い物カゴを置いたカートの中には、牛乳、ナッツ系のお菓子、プリン、スナック菓子がいくつかと入っている。 成瀬君の注意書きはどうやら気にされていない様子だ。


「私も詳しくは知りませんが……比島さんが一人で演奏しているときもあれば、仲間の方とセッションしていることもありますね。 お客さんはあまり居ないようですけど……」


「おおー、どんな人たち!? 比島さんは少し怖いーっておにい言ってたけど、他の人たちはどうなんだろ?」


「確かに比島さんは怖いかもしれませんね。 他の人たちは……あ、その前に比島さんのメインはドラムなんですけど、一人のときはギターでやっているんです。 それで、たまに来る友達の方は三人ほど居て、それぞれピアノ、ベース、ギターの方たちですね。 私もあまり知りませんが、ベースの人は好きじゃないです」


「ハッキリ言うんだね……。 嫌な人なの?」


 若干驚いたように朱里さんは言う。 そのベースの人に関しては、苦手なタイプの人なのだ。 というのも、お調子者で度々セクハラまがいの発言を私にしてくるからである。 思考を聞くこともあるが、大体その思考と発言が一致している辺り、思ったことは口に出さないと気が済まない、そんなタイプの人だ。


「ベースの人は田村(たむら)さんと言うんですが、失礼な人です」


 少し小太りで、表情がコロコロと変わる男の人、というのが田村さんだ。 学校外で関して言えば、私がもっとも苦手としている人でもある。


「……うん、なんとなく伝わったかも。 冬木さんのムスっとした顔珍しいから」


「そこまで怒ってはいませんが……とにかく、苦手です。 でも、演奏は好きです」


「おお、今の発言かっこいい! 人としては嫌いだけど演奏は好き……あたしもいつか使ってみたいなぁ」


「そうでしょうか? とは言っても、私もいつも自室の窓を開けて、聴いているだけですが」


「そうなの?」


「はい」


 いつも、演奏の時間は決まっている。 気が乗れば長い間演奏しているが、気が乗らないときは時間も短い。 微かに聴こえる音から私はそれを聴いていて、比島さんがソロで演奏しているときも聴いている。 そんな遠回しに聴いているだけで、生の演奏というのを間近で聴いたことはない。 こっそりと隠れるように、いつも聴いているのだ。


 そんな聴き方でも、比島さんの気分が乗っているときと乗っていないときの判断はできるようになっていた。 リズムや曲調が乱れることが多いときは、演奏もすぐに終わることが多い。 逆にリズムも曲調も全く乱れていないときは、とことんまで演奏している。 今更ながら、そんなところから比島さんの性格というのも読み取れてくる。


「なんだか、冬木さんって自分の世界がしっかりとあるよね。 カッコイイなぁ」


「自分の世界、ですか」


 その言葉は少しだけ、心に引っかかる。 朱里さんと別れ、家についても尚その引っ掛かりは消えなかった。




 自分の世界がしっかりとある。 朱里さんは、その言葉を褒め言葉として言ったのだろう。 そのくらいは私にも分かり、理解できる意味だ。 だけど、果たして私の世界というのはしっかりとしているものなのだろうか。


 ベッドに寝転がり、照明に手を重ねてみた。 指の間から溢れる光が眩しく、手が少し透けて見えた気がした。 しかしそこには何もない。 私の中身は、空っぽだ。


 自分のことを省みてみれば、私の性格というのを私は理解しているつもりだ。 小さな自分の世界に居る、小さな自分。 そんな私は物事の重大性というのを甘く見る傾向が強い。 いや、正確に言えば分かっていて見過ごす、というものになるのだろうか。


 一見して些細な出来事だったとしても、時間が経てばそれらは大きな負債となって伸し掛かる。 例えば私が今まで、親しい人を作らなかったことだってそうだ。 その件では、私が半ばそれを続けることに対して意地になっていた面もある。 もちろん、私は私を守るためにそうしていたのだけれど……結果として、それは私の人間関係というのを壊滅的な状態にまで追いやってしまっていた。 成瀬君が居なければ、私は今も一人で居ただろう。 大勢に嫌われている、というのに変わりはないが。


 比島さんとの関係も、それに当たる。 私が何か行動を起こしていれば、比島さんは普通に接してくれただろう。 しかし、私は勝手に諦め勝手に決めつけ、そして何もしなかった。 問題の後回し、それが私という人間の悪い癖というもの。 分かっていても、それに触れるのが怖くて放ってしまう。 いつか、それは別の形となって私に襲い掛かると分かっていてもだ。


「……でも」


 どうにもできないこともまた、ある。 そして自分でどうにかしなければいけないこともあるはずだ。 ついこの間、私が長峰さんに言われたこともそれに当たる。 私のことは私が責任を持つべきで、このことに関しては成瀬君を巻き込むわけにはいかない。 それこそ、成瀬君には全くの無関係なことだからだ。


 話せば、きっと成瀬君は私に手を貸すだろう。 心優しい彼のことだから、それは想像できる。 だから私は話さない、話せない。 かと言って自分からその問題をどうにかしようとも、思わない。 結局私にできることは、いつか襲い掛かってくるだろう問題を見て見ぬ振りをするだけだ。 そうして結局痛い目を見るのは自分だというのに、今の束の間のひとときが良ければそれで良いと思ってしまう。


 小さな世界の、小さな自分。 私の世界は今いるこの部屋程度の大きさが精々だろう。 この部屋と違うのは物が何もないこと。 私は、今まで生きてきた証という物を一切持っていない。 何か思い入れのある物というのが、何もない。


 少し、この引っ掛かりの正体に近づいた。 違和感とも違うこの感覚。 朱里さんから「自分の世界がある」と言われたときから、ずっと引っかかっているこの気持ちは。


 ――――――――寂しさだ。

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