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第二十話 嬉しさと、嬉しさと

「いやぁすっかり遅くなっちまったな。 けど、収穫はあったって感じか」


「そうですね。 成瀬君は、普段は図書館などには行かないんですか?」


 丁度五時、私と成瀬君はある程度集め終わった資料をノートへと写し、並んで帰路に就く。 私の家は歩いて十分ほどだが、成瀬君の家は私の家から更に三十分ほど歩かなければならない。 家に着くのは丁度六時くらいだろうか、と無駄な考えをしながらの帰り道。


 別にその会話自体に意味はない。 私が質問をしているのも、ただ単に成瀬君の私生活に興味があるわけでもない。 プライベートな質問をすれば、もしかしたら成瀬君は嫌悪感を抱くかもしれないと、そう思って。


 だが、それはあまりにも無意味なものだった。 成瀬君は嫌がるどころか、むしろ楽しそうに私の質問に答えていく。 趣味がないから、という在り来りな答えが私の心に落ちていく。


 それはどれだけ素晴らしいことなのだろう。 どれだけ羨むべきことなのだろう。 私とは違う、成瀬君は私のように独りでいるけれど、私とは違う。 私には何もなく、人を怖がり怯えているだけのちっぽけな存在に過ぎない。


 だけど、成瀬君はよりによって私相手でも平気そうな顔をしていた。 私の悪い噂など、私の陰口など、聞く場面はこの一週間という短い間でたくさんあったはずなのに。 それなのに成瀬君は私に対して変わらない思考を持ち続けている。


 羨ましいと、素直に言葉にした。 成瀬君は少し驚いたように私を見ると、慌てて「そんな大層なものではない」と、否定した。


 それから少し、歩く。 ほんの少し、数十歩。


『今日は楽しかったな』


 やっぱり、そうなのか。 成瀬君はいくら言われても、いくら避けられても、真正面から関わるなと言われても、それでも心の中でそう思っているのか。 変わらず、変わりない、最初から成瀬君はずっとそうだった。


 最初は、いつもと同じパターンだと思った。 私に声を掛ける人は居ないわけではない。 私を知らない人は、私が独りなのを憐れんで声をかけてくる。 だが、数日もすればその人もまた、敵となる。 私、冬木空という人間がどういう人間なのかを知るからだ。


 正確に言えば、それは私が独りで居るために作り上げている冬木空に過ぎない。 本当の私は――――――――本当の私は? 本当の私とは、なんだ。


 冬木空は、どんな人物でどんな者なのか。 私は、それも忘れてしまっていた。 それに気付くと、途端に周りが怖くなった。 自分が、怖くなった。


 人が怖い。 それを、目の前に居た成瀬君に伝えた。 私自身が言う、私自身の言葉。 それを聞いた成瀬君は、少しだけ目を細めて真剣に聞いているように見えた。 今まで散々酷いことを言ったというのに、どのような分際でそんな言葉を私は漏らしているのだろうか。 しかし成瀬君は一切文句を言わず、文句を思わず、私の言葉に耳を傾けている。


「成瀬君、昨日の話は覚えていますか」


「昨日の話?」


 私は言うと、成瀬君に背中を向ける。 なんとなく、ではない。 一方的に言葉を浴びせる、私らしいやり方だったと思う。 言うだけ言って、好きなだけ言葉を口にして、言われた人の言葉は聞かないで。 いつもの私だった。


「化けの皮を剥がすという話です。 覚えていますか」


「あー、そういやあったなそんなの。 もう済んだんだし、教えてくれよ。 どういう意味だったんだ?」


 ダメだった。 私がいくらやろうと、いくら言おうと、成瀬君の化けの皮は剥がれない。 それも今になって思う、無理もないことだったと。


 だって、成瀬君にはそんなものがなかったから。 きっとこの人は、私がどのような言葉を口にしようと同じことを思い続けるのだと。


 今ここで話を切ってしまうのは簡単なこと。 明日も変わらず、成瀬君は私に話しかけ続け、私は私で適当に相手をして、そんな日々がだらだらと続いて終わるだろう。 これから先、最低でも一年間はクラス委員会である以上、私と成瀬君はそんな関係になるだろう。


 ……それで良いのか。 それで終わってしまって、本当に良いのか。 私は今まで会ったことのないような人に会えても尚、変わらない冬木空で居続けるのか。


 私は、弱い。 ここでもしも強い人であったなら、軽く言葉を口に出来ているだろう。 それが私にはできない、たった少しの言葉を伝えるだけでも、数十秒にも近い時が流れている。


 その間、成瀬君は何も言わずに待っていた。 後ろを振り向いて、誰も居なかったら気が楽になりそうだ。 でも、成瀬君の気配は未だに感じる。


「私は、成瀬君の本性を暴こうとしました」


「本性……って」


 怖い。 怖い、怖い、怖い。 こんな感情は、生まれて初めてだった。 言葉を口にするだけで、どう思われるかと考えてしまう。 どんな反応をされるのかと、怯えてしまう。 それは些細なことだったけれど、私にはあまりにも大きい変化で、私が一番驚いていたことでもある。


 怖いと思ってしまうということは、私はもしかしたら。


「でも、あなたはそれが本性なんですね。 私がいくら否定しようと、私がいくら拒絶しようと、私がいくら敵視しようと、あなたは私を敵だと思わない」


「敵って……俺とお前が、か? 同じクラスじゃねえか、それも同じ委員会だし、今日だって一緒にこうして仕事をしてるわけだろ?」


 成瀬君の声色は、少しだけだったけれど沈んでいた。 私の口にした「敵」という言葉にショックを受けているようにも聞こえた。


 ああ、違う。 そうではない、ショックを受けているのだ。 成瀬修一という人間は、私に対してもそう思ってくれる人なのだ。


『……冬木の敵って、俺はそんなこと思ってない』


 違う。 違う、違うんだ。 私も、私もそれは一緒で―――――――――成瀬君のことを敵だなんて。


「違いますッ! 私も成瀬君のことを敵だなんて……!」


 私は振り向いて、成瀬君に向けてそう言った。 理解し難いことだったが、私は泣いていた。 いつの間にか、いつからだったかも分からない。 分からない内に涙は私の瞳から溢れていて、頬を伝って地面へと零れ落ちていて。


 私は今、一体どんな顔をしているんだろう。 成瀬君は、私のどんな顔を見ているんだろう。 そして、こんなにつまらなく最悪な人間の言葉を……どのような気持ちで聞いているのだろう。


 ようやく、私は成瀬修一という人のことを知った気がした。 本当に、本当に本当に本当に、この人は……馬鹿なんだ、私に構って、私のことをどうにかしようとしか考えていない、大馬鹿なんだ。 そして、そんな彼を拒絶し続けている私は。


 私は――――――――大馬鹿だ。


 一つ、分かったことがある。 成瀬君と一ヶ月近く過ごし、分かったことがある。


 私は人の思考を聞けても、人の心を聞いているわけではないということ。 その人がそのとき、何を感じ何を抱いているのかまでは、分からないということ。


 喜んでいるのか、悲しんでいるのか、楽しんでいるのか、落ち込んでいるのか。 それらは、私には分からない感情だ。 私が聞けない感情だ。 私が逃げ続けてきた、感情だ。


 それから。


 それから、私は成瀬君に全てを話した。 私の秘密、私が人の思考を聞けるということを。 これを最後にしようと、これ以上私に近寄って欲しくないと、成瀬君は素晴らしい人だから、私に構う必要なんてないと、私は頭がおかしい人間だと、そう思って欲しかった。


 でも、やっぱり成瀬君は成瀬君で、そんな馬鹿げた話を聞いても、一切私のことを非難することはなかったんだ。


『やっと会えた』


 そう、確かに成瀬君の思考が聞こえてきたから。 そして、その思考は私を混乱させるには十分過ぎる思考だった。


 成瀬君の思考からは、色々なものが流れてくる。 成瀬君が、私とは違うけれど同じような力を持っていること。


 人の嘘を視ることができること。


 私のように不規則ではなく、嘘全てが視えること。


 ……その力で、人が怖くなったこと。


 そして、成瀬君が沢山傷付いたこと。


 そのとき、成瀬君は自分でも気付いていなかったと思う。 成瀬君の過去が少しだけ、音として私の耳に聞こえたことを。 だから私は彼を必要とした、成瀬君であれば一緒にいられると、そう思った。


 本当に、本当に信じられないことだ。 成瀬君が笑ったように、私も思わず笑ってしまいそうになるほどには、信じられないことだった。


 でも、成瀬君の思考全てがそれを肯定している。 そして、私に会えて嬉しいという思考もまた、されている。


 この瞬間、この時に思考を聞けていたのは……。


 ……癪だけど。 こればかりは仕方ない。 別に、たった一回だからと言って喜んだりはしない。 たった一回、それも飛び切り最高の一回だったけれど、喜びはしない。


 代わりに、もしも私にこの力を与えた人が見ているならば。


 ありがとうと、そう伝えようと思った。

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