消えかけた火
2026年最初の更新です
ぼんやりとした意識の中で、リーゼは仰向けのまま浮遊感を覚えていた。
おぼろげな視界の中で、それに輪をかけてぼんやりとした光景しか見えない。手足を動かしても、どこにも接地する感触は無い。下には落ちない、かと言って上へも行けない、ただただ浮いている感覚しか彼女には無かった。ここは何処なのか、自分は何をしているのか、それすら分からない――気味の悪さすら覚え始める。
しかし、この不可思議な状態の中でも『眩しい』という感触を彼女は掴んでいた。
この眩しさは何なのか――リーゼは僅かに残っている意識を振り絞り光源を探す。
それは彼女のすぐ近くにあった。首の周りに眩い光を放っている源があると、彼女は悟った。自由に動く手で、リーゼは首元を触る。何か丸いものがひもで繋がっている――そんな感触だった。
そこで、リーゼの視界は真っ黒に染まった。
突然失われた光に動揺したリーゼの意識は俄かに鮮明になった。彼女の視界に映ったのは、先ほどとは打って変わって土がむき出しになっている無機質な天井だった。そこに埋め込まれた光源用のマイアスが、彼女の真下を照らしている。リーゼは、簡易的な寝床に寝かされていた。
――ここは……?
リーゼの意識がはっきりしてくるにつれて、彼女を強烈な口渇と鋭い全身の痛みが襲った。彼女は顔を顰めて呻くことしかできず、体を起こそうにも節々が軋むように痛む。それに耐えながら時間をかけて上半身を起こしたリーゼは、あることに気が付いた。
自身の首に、何かがぶら下がっている――目を覚ます前に触った感覚と、それは酷似していた。
それを持ちあげて確認しようとした矢先、リーゼの寝床の前にあった木製の扉が開いた。リーゼは肩をびくつかせてそちらに注目する。
そこから現れた人物は、リーゼにとって信じられないものだった。
水が入っているコップを持って部屋の中に入ってきたのは、傭兵団『貪食の黒狗』のミアータだった。怯えきった表情をしているリーゼを、ミアータは目を丸くして凝視している。
「……どうして」
掠れ切った声を振り絞るリーゼに、安堵した面持ちでミアータはコップをリーゼに差し出す。
「どうしてって訊きたいのは私たちよ。ほら、まずは水飲んで! 何日も目を覚まさなくてとっても心配したんだから」
ミアータの顔とコップを交互に見たリーゼはそれを受け取り、水を一気に飲み干した。冷たいという感覚が体の中を下っていく。リーゼは深く息をつくと、改めてミアータの方に向き直る。頭の整理が追い付いていないと言いたげな表情のリーゼにミアータは困惑しているが、腰を下ろしリーゼと相対する。
「……えーと、まず、私から簡単に説明させてもらうね。あんたはフラックスの外でどういうわけか倒れてた。それを私たちが拾って、フラックスの近くの私たちの隠れ家に保護したってわけ」
簡潔に状況の説明を受けたリーゼは目を丸くしながらこくりと頷く。
「それで? どうしてあんたはこんなにボロボロになって倒れてたの? それに今は綺麗にしたけど……手が血だらけだったよ。一体何があったわけ?」
ミアータの言葉で、リーゼは両手を開いてそれらを見つめる。リーゼは自身に、そして『白銀の弓矢』に何があったのかを思い出した。
すると、ネオンの血で赤く濡れた手がフラッシュバックした。
ネオンが殺された。
ネオンを守れなかった。
その事実が、リーゼの脳内を満たした。
「あ……あ……」
リーゼの息が途端に荒くなり、胸をぎゅっと押さえ蹲る。ミアータは過呼吸じみた息遣いをし始めたリーゼの姿に狼狽えたが、すぐに正気に戻りリーゼの肩を強く掴む。
「どうしたの!? 落ち着いて!」
「いやあぁっ! いやああああぁぁっ」
リーゼの意識をどうにかしてこちら側に向けようと、錯乱状態の彼女の肩をミアータは強く揺さぶる。リーゼの身に尋常ではないことが起きたことを察したミアータは後悔しながらも、ようやく目線を彼女の方に向けたリーゼの瞳をじっと見つめる。目の周りを涙で濡らしたリーゼの瞳を見たミアータは、胸をチクリと刺されたような感覚を覚えた。
するとリーゼは何かに気が付いたのか、自身の首元のほうに視線を落とした。それにつられてミアータもリーゼの首元にぶら下がっているものを見つめる。
「これは……」
消え入るように小さい声で呟いたリーゼは、すぐに顔をクシャリと歪ませた。
「なんで……ネオン君の首飾りが……!?」
リーゼは、自身に起こったことに理解が追い付いていなかった。ネオンがかけていた首飾りが、何故か自身にかけられていたのだ。触った感触からして、紐の結び目は無い。外そうとしても首から取ることはできず、硬すぎて紐を引きちぎることもできない。何十個も連なる白く光る珠同士が接触し、この場には似つかわしくない透き通った音を立てるばかりだ。
首飾りから手を離したリーゼの瞳から、ボロボロと涙が流れ始めた。ネオンを喪い、残ったのは彼が命を失う原因となった呪いのような首飾りのみ。どうすることもできないという思いで、彼女の頭は満たされていた。
抜け殻同然のリーゼを前に、ミアータは何も言うことができなかった。重苦しい空気が流れる中、ミアータはリーゼの肩から手を離すことしかできなかった。
そこで、木製の扉が三回ノックされた。
「大丈夫か? 叫び声が聞こえたが」
扉の向こうから、『貪食の黒狗』の団長であるライトの声が聞こえてきた。
「……うん、大丈夫」
「話したいことがある。入ってもいいか?」
ライトの言葉に、ミアータは思わずリーゼの方を見た。リーゼは固まったまま扉を凝視するだけで反応は無い。
「……大丈夫。リーゼ、服は着てるし」
「そうか。入るぞ」
扉が開かれ、黒ずくめのライトが姿を現す。その大男の影が、二人を覆った。
「団長。話って?」
「単刀直入に言おう。首都が壊滅状態に陥っている」
ライトの言葉に、ミアータは絶句しリーゼは唇を真一文字に引き結んだ。
「ヴェルデが首都の偵察に行った。首都の周りには兵士の死体が何十人と山積みにされてて、中も酷い有様だそうだ」
「そんなこと……一体誰がやったの!?」
「今のところ分からない。ただそれを放っておけば俺たちもじきに危なくなるのは確かだ」
狼狽しているミアータの横では、リーゼが肩を震わせていた。きっとミラたち『ソウル舞踏団』が暴れているのだろう――彼女の心の傷が刺激されていく。
すると、誰かが走ってくる足音が聞こえてきたかと思うと、ライトのすぐ後ろにヴェルデが現れた。
「団長! 首都がかなり危ない」
「また何か分かったのか?」
ヴェルデの顔には、明らかに焦りが見えていた。彼の額から冷汗が流れている。
「随分前に土でできた人形どもが国中のマイアスの研究施設を襲った事件があったじゃない? あれと同じことが起こってるの」
「……首都をあの人形どもが襲っているということか?」
「そう。国軍の兵士はだいぶ削られてる。中央議会まで手が伸びるのも時間の問題ね。はっきり言って、今は国に登録しているほとんど全ての傭兵にをかき集めないと覆せない戦力差になってるわ」
土の人形――その言葉もまた、リーゼの心の傷を刺激した。生まれ故郷である『ジン』が土の人形に破壊され尽くし、自身は何もできなかったことが脳裏に去来する。今の状況も相まって、彼女は己の無力感に押し潰されていた。項垂れた格好は、まるでそれが重くのしかかっているかのようだった。
「分かった。戦闘の準備を急げ。首都が陥落すれば俺たちも危ない。首都に乗り込んで、人形どもとそれを操っている奴らを排除する。今はお尋ね者の俺たちを攻撃する余裕は国軍に無いだろう」
「団長ならそう言うと思ったわぁ。私とビストはもう準備を済ませてる」
ヴェルデがニヤリと笑うと、出撃するためにライトたちのもとを離れた。
「俺たちもすぐに出るぞ」
「分かった!」
ミアータも覚悟を決め、その場から立ち上がる。
「それに……リーゼ」
ライトに名前を呼ばれるとは思っていなかったリーゼは、ゆっくりと頭を上げ暗澹とした目を彼に向ける。
「戦える傭兵は一人でも多くいた方がいい。起きたばかりのところ悪いが、お前もついてきてくれ」
その言葉に、リーゼは耳を疑き目を見開く。ミアータも驚きの目をライトに向ける。
「……私は」
リーゼがポツリと呟くと、ライトとミアータがそちらに注目する。
「私は……戦えない……。皆……死んじゃう……」
リーゼからは、戦う気力はもはや失われていた。心も体も、無力感に縛り付けられていた。自分がそこに行って何になるというのか、また人が死ぬところを見る羽目になるだけではないか――そのような思いが靄のように彼女の周りを覆っている。
しかし、ライトは意に介していないそぶりでため息をついた。
「そうか。お前の仲間のザウバーや白髪の剣士は今死にもの狂いで戦っているだろうな。そいつらを見捨てるのか?」
その挑発じみた言葉を聞いたリーゼの心の奥底に、小さな火がともった。
彼女は悲しみのあまり、ザウバーやコウのことに思考を割くことができていなかった。土人形に向かって必死になって銃を乱射しているザウバーや、いつもの無表情で土人形を切り刻んでいるコウを、リーゼは容易に想像することができた。二人がこの非常時に決死の思いで事態に対処しているであろうことは、リーゼが一番よく分かっていた。
彼女は仲間の安否を案じることができなかったことを心底恥じるとともに、目の色を変えて軋む身体に鞭をうちながら立ち上がろうとした。
小さな火は、徐々に大きくなっていく。
「分かった……私にはまだザウバーとコウがいた。もう二度と……仲間を死なせたくない!」
過ちを繰り返したくはない。もう二度と――リーゼは息を切らしながら立ち上がった。
「その意気だ。後悔するのはそのあとにいつでもできる。それとミアータ」
「何?」
「リーゼに何か食わせてやれ。こいつは何も食べてないまま寝てただろう」
ライトの言葉を聞き、ミアータは笑みを浮かべて頷いた。
パンとスープで腹ごしらえをしたリーゼは、『貪食の黒狗』とともに首都を目指した。リーゼの目に、もはや迷いは無かった。




