報いを与える時
ジェイが『人間装具』を盾にして逃げ出している最中、地上で彼の帰りを待っているオールズたちは不安を覚えていた。すぐに戻るはずのジェイが一向に戻ってこないからである。彼らが待機している馬車の中の空気は陰鬱なものになっていた。
「……遅い、いくらなんでも。何か事故に巻き込まれたのか……?」
「いかがいたしましょうか」
鎧を着た護衛の兵士が臆することなくオールズに尋ねる。
「どうするべきか……。あともう少し待ってみることにしよう」
「かしこまりました」
オールズたちは、ひとまずここに留まるという選択肢を取った。不気味なほど静まり返っている特別刑務所の門の前で、警戒は緩んでいない。
すると、馬車の外で警備をしていたオールズの護衛の兵士が、遠目から妙なものを発見した。
人影が近づいてきている。
「オールズ様、妙な輩が近づいてきます! お逃げください!」
兵士の警告で、オールズの周りの空気が厳戒なものへと瞬時に変わる。鎧兵士たちは馬車を守るバリケードのような陣形を敷き、装具である長い砲身の銃を構える。陣形が整うと、馬車は動き出しその場を離れようとする。
オールズたちに近づく人物は、真っ黒なフード付きのマントを羽織っており、顔は完全に隠れている。そしてさらに異質さをもたらしているのは、その人物が真っ白な背表紙の本を持っていることだ。
フードを被った者は、多数の銃口を突き付けられているのにもかかわらず、本のページをパラパラとめくりながら兵士たちのもとへと近づいていく。その異様な雰囲気に兵士たちは引鉄を引くことを躊躇するものの、段々近寄ってくるさまを見て頭を切り替えた。
「撃て! 容赦するな!」
陣形の真ん中にいる兵士の合図で、銃口からマイアの弾が放たれた。しかし、信じられないことに、マイアの銃弾はそのことごとくがマントに弾かれてしまっていた。それでも兵士たちは諦めずに銃を撃ち込んでいく。
すると、フードを被った者がページをめくる手を止め、とあるページの上に手のひらをかざした。
その直後、真っ白な本は粒子状に霧散し、新たな形状になっていく。その光景を、兵士たちは困惑しながら見つめることしかできなかった。
形作られたのは、一本の槍。本と同じく真っ白なそれは、フードを被った者と同じくらいの長さを誇る。その人物が槍を構えると、周囲は異様なまでの殺気に包まれた。兵士たちはその空気に呑まれ、体を動かすことができないでいる。
構えられた槍は、兵士たちの陣形の中心に向かって突かれた。轟音を立てながら、突風が巻き起こる。
その瞬間、兵士たち全員が鎧をズタズタに引き裂かれながら吹き飛ばされた。鎧越しに肉体まで引き裂かれたようで、噴き出した血が霧のように宙を舞う。
絶命した兵士たちが力なく落下していくのと同時に、突風によってフードがめくれ上がる。
その正体は、コルベッタ本人であった。その瞳の奥は、今まで他人に見せたことのないくらいの闇を宿していた。
コルベッタは槍を携えたまま、オールズを乗せた馬車に向かって疾風のように突き進み始めた――その速度は常人はおろか、脚をマイアで強化した並の傭兵や軍人ですら凌駕する。彼は馬車に追い付くとそのまま飛び跳ね、馬車を追い抜く形で着地した。その姿に驚愕するオールズたち。御者に至っては悲鳴を上げて馬を止めようと綱を引く。
しかし、遅かった。コルベッタは槍を構え、馬車に向かって横に薙ぐ。その軌跡は放出されたマイアによって白く描かれ、コルベッタの眼前にいた馬と御者はその余波で血の霧と化した。巨大な馬車の本体も巻き起こった突風によって粉々になり、その中にいたオールズはそれらとともに吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
仰向けになって動かなくなったオールズに向かって、コルベッタはゆっくりと歩き出す。そしてコルベッタはオールズを見下ろせるほどに近づいた。コルベッタの影が翳されると、オールズは異変を感じて息も絶え絶えに目を開ける。
そしてその目にはすぐに恐怖が宿った。
「……お……お前は、まさか――」
「この顔を忘れたとは言わせねえぞ」
「ベラード・スティール……!」
コルベッタの真の名前――ベラード・スティールという名を口にしたオールズは顔面蒼白になりながら後ずさろうとする。しかし、わずかに脚を動かそうとしただけで身体に激痛が走り、そこに縫い付けられたかのように動くことができない。
「怖いか? まあそうだよな。これからお前は殺されるんだから……あの時のリーンとララと同じ気持ちになっても当然か」
ぶつぶつと独り言のようにオールズに語り掛けるベラード。その無表情とは対照的なおぞましいほどの邪気を、周囲の空気に孕ませている。オールズはその迫力に気圧され、口をパクパクさせるだけで何も言うことができない。
真っ白な槍の刃先が、オールズの心臓がある位置の真上に掲げられる。オールズは目を見開き、悲鳴を振り絞る。
しかし、ベラードは歯牙にもかけず力を込めてオールズの心臓に槍を突き立てた。口から大量に血を噴き出すと、オールズはピクリとも動かなくなった。
オールズが死んだことを確認したベラードは槍を抜き、無表情で死体を見下ろしている。その間に槍はマイアの粒子となり、再び白い本に再構成された。そしてベラードを覆っていたフード付きのマントも黒い粒子となり、本の表紙に吸い込まれる。
表紙が黒くなる――そしてそれは、ベラードの書斎の本棚の最上段にあった黒い本そのものとなった。
本を閉じたベラードは、再び特別刑務所の方へと歩き出した。その顔に笑みは無く、瞳からも感情を窺い知ることはできなかった。
ジェイが特別刑務所から抜け出し地上へ出てきたのは、オールズが死んですぐのことだった。
彼は目の前の光景に困惑し足を止めていた。『人間装具』の容器である白い箱を残し、馬車が消えていたのだから。消えたオールズや護衛の兵士たちを探すため、彼は焦燥しながら刑務所の門を出ようとする。
その時、ジェイは背後からただならぬ殺気を感じ足を止めた。遠くまで離れているはずなのに、後ろから近づいてくる足音が彼の耳にはっきりと入ってくる。
ブロウが階段を上がり、地上へ姿を現したのである。彼の持っている純白の双剣が、陽光に照らされ神々しく輝いた。
ジェイは振り返り、ブロウの姿を見て悟った――『人間装具』はこの純粋装具の前では使い物にならなかったと。途端に彼の心拍数と呼吸数が跳ね上がる。
ほぼ丸腰で命の危機を感じているのに、逃げなければならないのに、ジェイの足は動かなかった。ブロウの殺気にあてられ、気圧されている。その間にも、ブロウはにじり寄っており、着々と二人の距離が縮まっていく。
「……やめろ。被検体の分際で……私に盾突くのか」
『俺は『過ち』を正すだけだ。お前も、この国も』
ブロウの放った『過ち』という言葉がジェイの頭に不気味に響き、彼の眉が上がる。
「過ち……だと!? 違う! お前たち被検体は、我が国の尊い犠牲となる――」
ジェイの虚勢を張った叫びは、ブロウによって中断させられた。
ブロウはまるで瞬間移動したかのごとくジェイの眼前にまで移動し、彼の首を掴んでそのまま地面に叩きつけた。後頭部を強打したジェイの視界は一瞬真っ白になったが、すぐにブロウの頭部を覆う兜を映し出した。
ジェイはブロウの手を引き剝がすために両腕に力を込めたが、まるで微動だにしない。死の恐怖に怯えながら目を限界まで見開き、身体をくねらせ、足を必死にばたつかせる。パニックのあまり装着している手袋型の装具を発動させることすら頭から抜け落ちている。
すると、ブロウの身体がほのかに白く光り始めた。言葉にならない声を喚き立てているジェイを見下ろしているブロウの目が、兜越しに白く輝く。
「俺たちの仲間と同じ痛みを味わえ」
刹那、ジェイの身体が白い炎に包まれた。ブロウがジェイの首から手を離すと、ジェイはこの世のものとは思えないほどのおぞましい叫び声を上げながらのたうち回り始めた。身体を地面に激しく擦りつけ転がっても、白い炎は消える様子を見せない。対照的に、ブロウはこの様子を微動だにせず見つめているだけである。その死にゆく様をじっくりと目に焼き付けているかのように、彼の目線はジェイの方に向いていた。
ジェイの動きや声が段々と弱弱しくなり、それから動かなくなるまではすぐだった。彼はマイアの炎に全身を焼かれて事切れた。
それを確認したブロウは、まだ燃えているジェイの亡骸を思い切り踏みつけた。そこに肉や骨の硬い感触は無く、燃え尽きた炭のようにいとも簡単に崩れてしまった。ブロウはそれでも執拗に踏みつけ続け、ついに原型が残っているのはジェイが付けいてた手袋型の装具だけとなった。
ジェイを殺害したブロウは、その場で立ち尽くしていた。そこに、一人の人影が姿を現す――オールズを殺害したベラードだった。
『ベラード、終わらせたようだな』
「あんたの復讐も終わったようだな」
『いや……終わってない』
ベラードはブロウの言葉に頷いた。彼の様子だとその場にジェイだったものが転がっていることが確認できるが、ブロウにはまだ何か思惑があるようだ。
「終わってない……か。そうだな。行くとこまで行くつもりだったな」
『俺たちを壊したこの国を、俺たちが壊す。最初にそう言ったはずだ。最後まで付き合ってもらうぞ』
「……ああ。リーンとララの敵をとった時点で、もう戻れないことは分かってたさ。やらせてもらう」
ベラードは意を決したかのように言ったが、瞳の奥は暗いままだ。
『さっきモナとクオーレに指示を出した。踊り子と奴が確保した『人間装具』は一緒にここに来る』
ブロウはそう言って踵を返し、特別刑務所へと足を進め始めた。彼の後を追い、ベラードも歩みを進めた。
オールズの死体が発見され兵糧部が大混乱に包まれるのに、時間はかからなかった。