ゼノでの休息
ザウバーはまず、馬車を彼らの住処へと走らせた。ルシディティへ向かうための準備をするためである。三人はそこで替えの衣類とお金などをかばんに入れて準備を済ませた。
三人の準備が整い、馬車は目的地に向かって進み始めた。リーゼは前をしっかりと向き、馬車に身を任せていた。
三人が出発してから二日経ち、馬車は『ゼノ』へと到着した。到着した時、街は夕暮れで朱く染まっていた。三人は空いている宿を探し、街の中では中程度の大きさの宿を見つけることができた。馬車も宿に馬繋場があり、そこに停めておくことができた。
その宿で、リーゼは男二人とは別の部屋に宿泊することになった。何かあった時のために部屋は隣同士にしているが、流石に男二人と一緒の部屋はまずいだろうというザウバーの配慮がある。
「ねえ、ザウバー」
リーゼは花柄のワンピースに着替え、ザウバーたちの部屋にいた。楽し気に身体を揺らして笑顔を見せる彼女に、銃の手入れの途中だったザウバーは怪訝な顔を向ける。
「……どうしたんだ?」
「折角だから、この街を観光してみない? 出発は明日でしょ?」
「……観光?」
そう言った後、ザウバーはため息をついた。リーゼが頬を膨らまして彼を見る。
「俺たちは仕事の途中なんだぞ。仕事が終わってからでもいいだろう」
「それはそうだけど……ダメ?」
「だからといってダメっていう理由は無いが……」
手入れした銃をホルスターにしまいながら、ザウバーが困りがちに返答する。するとリーゼは、コウが自身を見つめていることに気が付いた。
「コウ? どうしたの?」
「観光、って、何?」
腕利きの剣士とは思えないあどけない声。コウが興味を示した様子を察し、リーゼはにやりと笑みを浮かべた。
「この街を見て回ることだよ。色々なところを回ったり、色々なものを見たりするの! 楽しそうでしょ?」
嬉しそうに、諭すようにコウに話しかけるリーゼを見て、ザウバーは半ば呆れるようにため息をついた。彼女に対して、コウは俯いて考える素振りをするのみである。
「どう? 行きたい?」
リーゼに催促されるように声をかけられ、コウは頭を上げた。
「……行く」
コウの返事が思いもよらなかったのか、ザウバーは目を丸くしてコウの方を向く。リーゼも暫く驚いたような表情でコウを見ていた。二人とも、彼が街をふらつきたいと思っていたとは思わなかったのである。
事態をようやく理解したリーゼは満面の笑みを浮かべてザウバーを見る。
「コウが行くって! 私とコウで行ってもいい?」
「おいおい、待て待て……。お前たち二人じゃ不安すぎるから、俺も同行させてもらうぞ。別に観光のために行くわけじゃないからな!」
「本当? ありがとう!」
リーゼは天にも昇るような嬉しさを感じていた。小さい村出身の彼女にとって、大きな街を観光することは憧れに近かった。それが叶おうとしているので、彼女は二人に感謝している。
装備を整えたザウバーとコウとともに、リーゼはゼノの観光に出発した。
石畳の歩道を歩きながら、三人はゼノの街並みを見ている。とりわけ熱心なのはリーゼで、石造りの大きな建物が並ぶ通りを目を輝かせながら観察している。ザウバーはそんな彼女の腕を引っ張りながらはぐれないようにするのに集中していた。コウには彼が事前に横並びになって歩くように言い聞かせているので特に何も注意をしていない。
暫く歩くと、何やら巨大なドーム状の建物の前で人混みができている光景が見えた。リーゼは興味津々にそちらを見つめ、彼女の歩く足が速くなる。
近づいてみると、そこは劇場だった。看板には行われているショウが書かれていた――『ソウル舞踏団 舞踏ショウ』。
「面白そう……」
「『ソウル舞踏団』、か。聞いたことがないな。行ってみるか?」
ザウバーが言うと、リーゼは目を丸くした。観光に消極的だった彼が言うとは思っていなかったのである。
「どうした? 行かないか?」
「えっ? も、勿論行きたい!」
人が多いのでチケットが売り切れるのではないかという不安がリーゼにはあったが、彼女の不安は三人とも無事にチケットを買えたことで解消された。
劇場の中は広く、およそ五〇〇人は入ることができそうな広さとなっている。開演前なのか、明かりは非常口以外は消えている。三人は劇場の後部の席に座り、開演を待った。
暫くすると、紫色の裾長のドレスを着た長髪の女性が舞台の真ん中まで歩いてきた。その女性はきらびやかな装飾が施された仮面を付けており――猫をかたどった仮面である――、恭しく一礼をすると妖艶な笑みを浮かべた。
「皆様、お待たせいたしました。ただ今より、我々『ソウル舞踏団』のショウを始めさせていただきます。心ゆくまでお楽しみ下さい」
女性が舞台袖まで下がると、観客から拍手が巻き起こる。リーゼは期待の眼差しを舞台へと向けていた。
そして、ショウは始まった。
先程の女性が弦楽器を持って舞台の上手へと移動したかと思うと、燃えるような赤色の裾長のドレスを着た女性と純白の裾長のドレスを着た女性の二人が舞台に現れた。どちらも目元を隠すような仮面を付けており、きらびやかな装飾が舞台のライトから発される光を反射する。
赤いドレスを着た女性は蝶をかたどった仮面を付け、白いドレスの女性は紫色のドレスの女性と同じく猫をかたどった仮面を付けている。観客は二人の女性が現れただけで歓声を上げた。
そして、本格的なショウが幕を開ける。
弦楽器が情熱的にかき鳴らされ、二人の女性が激しく踊る。手を握り合って互いに見つめ合い妖艶な雰囲気を醸し出すこともあれば、まるで決闘しているような激しいぶつかり合いを表現することもあった。
激しいばかりではない。弦楽器が悲し気に奏でられると、さざ波のような穏やかな踊りや悲恋の劇を行っているような表現も見られた。彼女らの一挙手一投足に会場が湧きたったと言っても過言ではなかった。
踊り子は、赤のドレスを着た女性以外は入れ替わったり途中から加わったりして見る者を飽きさせなかった。ドレスの色がそれぞれ異なるので、リーゼ達は合計で何人出てきたのかを数えるのが容易だった――このショウでは楽器演奏の女性を含めて六人が現れた――。
観客は時間を忘れてショウを楽しんだ。終わるころには皆が名残惜しそうに拍手をしており、リーゼやザウバーも例外ではなかった。
リーゼ達は劇場を出ると、そこから少し離れたところで立ち話をしていた。
「すごく楽しかった! 私、初めて観たけど、とても素敵だったね!」
「初めて観る舞踏団だったが……こんな人達がいたなんてな……」
リーゼとザウバーの間では、先程の『ソウル舞踏団』の話で持ちきりだった。コウがそれを何気なく見つめている。
「ちょっと、あなたたち」
ふと、三人の背後から女性の声が聞こえてきた。三人が振り返ると、リーゼとザウバーは絶句した。
そこには、先程の舞踏団で踊っていた赤いドレスを着た女性が立っていた。仮面はつけたままで、口元には艶めかしい笑みを浮かべている。
リーゼは女性を観察するように見つめた。身長はリーゼの顔の位置が首元にくるほどの高さで、ウェーブのかかっている黒い髪は胸の下辺りまで伸びているほど長く、暗くても肌は白いと分かる。くびれが大きい胸で強調されている。
「……何でしょうか?」
「今日は来てくれてありがとうね。そこの貴女、可愛い服着てるから気になっちゃった」
女性が、リーゼに向かって微笑んだ。リーゼはいきなり着ている服を褒められ、何も言うことができずに赤面する。
すると、コウが女性のことを見つめていることにザウバーが気付いた。彼がコウを見てにやりと笑う。
「お前でも、きれいなお姉さんには興味があるんだな」
「……」
コウは何も答えず、驚いたような顔をして女性を見つめるのみである。それに気が付いたリーゼは彼に向かって睨むような視線を向けた。
「何よ。コウはスタイルがいいお姉さんが好みなの? どうせ私は貧弱な身体ですよーだ」
「確かに」
「ちょっと! どういう意味!?」
ザウバーが笑って言ったツッコミにもリーゼは激しく反応した。彼女は身体のこと――特に胸があまり大きくないことを気にしており、目の前の女性のようなドレスから溢れんばかりのものに憧れを抱いている。
「あなたたち、面白いわね」
「すみません……お見苦しいところをお見せしてしまい……」
「大丈夫よ。ところで、あなたたちはどこから来たの?」
女性に訊かれ、リーゼは言葉に詰まった。傭兵であることは知られたくないからである。すると、ザウバーがリーゼの前に出る。
「自分たちは『ジン』という村から来ました」
「へえ、そうなの。ジンにはまだ行ったことがないから、今度そこで開いてみようかしら」
くすくすと笑いながら女性が返すと、リーゼは内心で胸を撫で下ろした。
「姐さん、ミラの姐さん! こんなところにいたんスか」
すると、もう一人の女性の声が聞こえた。三人が其方に目をやると、紫色の裾長のドレスを着た女性が駆け寄ってくるのが見えた。
「あら、ごめんなさい。私はこれで失礼するわね」
ミラと呼ばれた女性は、紫色のドレスを着た女性に小言を言われながら三人のもとを立ち去った。リーゼとザウバーはそれを呆気に取られて見つめているのみである。対してコウは未だにミラに視線を送っていた。それに気が付いたリーゼは、コウの頭を小突く。
「コウ、行くよ」
明らかに不機嫌な声でコウを呼んだリーゼは、ザウバーとともに宿へと足を運んだ。彼女は彼と、ミラの話で盛り上がっていた。
コウはリーゼとともに歩き出したが、時折ミラがいるかどうか確認するかのように振り向いた。
何度も、何度も――。
翌日、朝早くからリーゼ達は宿を出て馬車に乗りこんだ。ゼノを出て、ルシディティへと再び進む。雲一つない晴れ渡った空の下、三人は再び気を引き締めて前を見ていた。
その馬車を、建物の陰と人混みに隠れて見ている人物がいた。その人物はマントで覆われており、それに付いているフードを被って顔を隠している。
それは静かに笑みを浮かべた。不可思議な感触を与え得る、妖艶な笑みだった。