闘争からの逃走
お待たせいたしました。今年の更新はこれで最後です。
時は、ポールたち国軍がザウバーたちを発見する前まで遡る。
ネオンが死んだ――その事実に直面してしまったリーゼは、彼の亡骸に寄り添ってただただ泣き続けることしかできなかった。涙は拭おうとしてもとめどなく流れてくる。彼女の脳内はネオンのことと彼を守ることができなかったという自身の無力感で掻き回されており、周りのことを考える余裕などなかった。
リーゼの本来の目的である村の復興という事項すらも、今の彼女の頭からは抜け落ちていた。実際に彼女の脚はもう動けないとばかりに地に付いたままであり、自力で動くことはかなわないといった様子だ。
村のために進み続ける意志も、仲間を守る自負も、何もかもへし折られてしまった。
そんなリーゼには、彼女に近づいてくる音が聞こえていなかった。
幾人もの足音が、リーゼがうずくまっている路地裏まで響く――ポール率いる軍隊の隊列がフィル議員殺害の犯人を追っている足音だった。
「ポール隊長……あれは?」
辺りを警戒しながら進んでいた兵士の一人が、路地裏で小さくなっているリーゼを目ざとく見つけた。その兵士の言葉にポールは足を止め、それと同時に隊列の動きも止まる。ポールが路地裏に足を踏み入れると、その姿を見て思わず足を止めた。
「この子は……、いや、この傭兵は……」
ポールが呟くように独り言ちる。彼はその後ろ姿だけでも見覚えがあった――ノヴァ・デイトンの討伐を行った女傭兵だということに、彼はすぐ気付く。ポールは他の兵士たちを制止させた後、リーゼに向かって恐る恐る近づいた。
「……一体どうした? 何が――」
ポールに声をかけられて、リーゼはようやく彼らの存在に気が付いた。リーゼは顔を上げて振り向き、泣き腫らした目をポールに向けたのち凍り付いた。彼女の表情はすぐに怯えのそれに切り替わった。
ポールもまた、目の前の光景に絶句した。血だらけの両手の女傭兵、そしてその横でピクリともせず横たわっている少年を見てしまったのだから。
「……あの時の女傭兵だな。この状況は何だ? 何があったのか説明してくれないか?」
絞り出すようにして言葉を紡ぐポールに対して、リーゼは物言わず彼を凝視するばかりである。
互いに混乱しているが、その中でもポールは冷静さを取り戻しつつあった。この尋常ではない状況は、もしかすると今起こっているフィル議員の殺害事件と関係しているかもしれないと頭を切り替えようとしている。
ポールが考えを巡らせていると、突如リーゼが動き始めた。まるで臆病な野生動物がヒトに見つかったときのように、その場から後ずさりし始める。
「お……おい! 動くな!」
リーゼは憔悴しきった表情で後ずさりしたかと思うとすぐに立ち上がり、一目散に駆け出した。ポールの後方で待機していた兵士たちが思わず携行していた武器に手を回そうとするが、そうしているうちにリーゼの姿は消えてしまっていた。あまりにも一瞬過ぎる出来事に兵士たちは立ち尽くすばかりであったが、そんな中ポールは倒れているネオンへと近付き、彼の死亡を確認する。一人の少年の死に目をつむるポールはまるで黙禱しているかのようである。しかし彼はすぐに元の表情に切り替え、待機していた兵士たちへと向き直る。
「……ここに倒れている少年だが、残念ながら既に息が止まっている。そのうえ出血多量で助かる見込みは無い。だが……私情を挟んでしまい申し訳ないが、この子は保護したい。そこでだが、誰か二人はこの子を医療部まで運んでくれないか?」
ポールが呼びかけるとすぐに、隊の中の二人が志願してネオンを運んでいった。そしてそれを確認したポールは残りの兵士たちを引き連れ、再びフィル議員殺害の犯人の追跡を再開した。
路地裏から抜け出したリーゼは、ただ走っていた。
ポールたち国軍の隊列を見たリーゼは、まるで本能が呼び覚まされたかのようにその場から退くことを選んでいた。何故ネオンを置いて自分だけ逃げ出したのかは、彼女自身すら頭の中の整理がつかず分からないでいた。
息を切らす音が、昼間なのにもかかわらず街中で目立つ。それでもリーゼは足を止めずただただ走っている。彼女のいく先は、逃げ出した『ソウル舞踏団』を追うことすらしていない。純粋な逃避だった。
リーゼはそのまま走り続け、ついに首都の外まで出ようとしていた。国軍の封鎖が間に合っていなかったためか、彼女は尋常でない距離を走って首都を脱出した。
ネオンの首飾りの一粒を入れたポケットを光らせながら。