それぞれのけじめ
中央政府の議員がよりにもよって政府内で殺害されたという未曾有の大事件、さらに首都の市場を中心に大規模な崩壊が起こっている――これらことで政府や国軍が黙っているはずがなかった。
首都に残って『貪食の黒狗』の動きを探っていたポールは、『貪食の黒狗』関連の雑務や議員の殺害の現場検証を他の軍人に任せ、数百人の隊を率いて首都の市場へと進んでいた。さらに彼は進軍する前に、軍に対して犯人が首都から逃げられないように首都の封じ込めを提案した。すぐに封じ込めの指示は出るだろうと予測し、ポールは軍を率いて進み始めた。
ポールは顔面蒼白になりながら、爆発が起こった市場へと急行した。一体何が起きているのか、誰が何のために起こしたのかも分からないまま、彼らは突き進む。
「……止まれ」
市場があったところまであと少しというところで、ポールは後続の軍に足を止めるように指示した。彼は目の前の光景に息を呑み、恐怖で全身が震えていた。彼の後ろで待機している兵士たちはどよめき、後ずさろうとしている者までいる。
ポールたちが見たものは、天高く上がる火柱と氷山のような氷の塊だった。彼らがいるところからでもそれらははっきりと見えている。並大抵のマイアでは生成できない代物であることを彼らは察し、本能的に退避することを第一に考えた。
「……ここを一刻も早く離れよう。我々はまだこの首都にいるであろうフィル議員殺害の犯人を全力で追跡することにする」
絞り出すようにして出したポールの言葉に、その場の兵士全員が従った。彼らはすぐにこの場から退避し、議員を殺害した犯人の確保に切り替えた。
――何なんだ、あれは……! この世のものじゃない!
ポールは手が震えるのを抑えながら、犯人の捜索を開始した。あそこは自分たちが近づいていい場所ではないということを、彼は確信していた。
コウの様子の変化を察知し倉庫から脱出したザウバーは、突風のような速さで屋根伝いに『ソウル舞踏団』の生き残りを追跡していた。『ネオ・ソウル』が巻き起こした大爆発に気を取られて少しの間足を止めてしまったものの、コウが生きていることを信じてすぐに追跡を再開した。
ザウバーがしばらく進んでいると、彼の眼下に逃げるようにして走っている複数人の女性が見えた。彼女らは特徴的な色のドレスを着ており、その衣装に似つかわしくない凶器を所持している。
間違いない、奴らだ――ザウバーは確信すると、彼は屋根を蹴る力を強め、舞踏団を先回りできるように速度を速める。無論、彼の両手には二挺の拳銃が握られており、いつでも彼女らを攻撃できるように準備がなされている。
しかし、屋根伝いに猛烈な速さで迫ってくるザウバーの気配に気付かないほど彼女らは鈍くなかった。
「もう追いついてきた……!」
一番先に気づいてザウバーを見上げたのは、クロスボウを持っているプティだった。彼女はすぐに得物を構え、マイアで生成されたボルトをザウバーめがけて放つ。風を切るような音を立ててボルトがザウバーに向かうが、彼はそれが放たれるのを予期していたようで、いとも簡単に躱してしまった。それでもプティは諦めずにクロスボウを乱射し、ザウバーを仕留めようと躍起になる。
しかし、ザウバーはそれらをするすると躱し、あまつさえ反撃としてマイアの弾丸を発射してくる。光弾は身体を貫く前に破裂し、ジグザグの光となって襲い掛かる。
「危ない!」
甲高い声を上げたのはリオだった。彼女は弾丸が破裂するやいなや髪留めを光らせ、自身らの目の前に透明な壁を生成した。ジグザグの光はその壁に阻まれ、四人を足止めすることはかなわなかった。
――なるほど。倉庫の前に張られてた壁はこいつが創ったのか。
ザウバーはリオの特徴を把握しつつ、プティが放つクロスボウのボルトを躱しながら四人を追い抜かした。
「先回りされた……!?」
プティが呟くように漏らした直後、四人の進路上の石畳が穿たれた。四人が思わず立ち止まると、彼女らの目の前で光弾が破裂し光の粒子が展開された――ザウバーが防御用の弾で四人を足止めしたのである。四人はその壁を回り込もうとしたが、その前に壁は光の粒子となって霧散し、それが晴れた先には二挺の拳銃をこちらに突き付けているザウバーの姿があった。
ザウバーが銃口と鋭い眼光で威圧する中、舞踏団の四人は躊躇うことなく各々の得物を構えてザウバーとの睨み合いが始まる。特にミゼは、四人の中でも特段の殺意を向けている。
「あんただけで私たち四人相手にするんスか?」
大鎌を携えたトーリアが笑みを浮かべながらザウバーに問いかける。煽られるような形で問いかけられたザウバーだったが、彼は表情を変えずに銃口を突き付け続けている。
「そうだが、お前たちを殺すつもりはない。だが逃がすつもりもない」
「へえ、生け捕りにするってことっスね。生憎、捕まるつもりはないっスよ」
「お前たちにそのつもりがなくても、俺はお前たちを捕まえる」
ザウバーは強い口調できっぱりと言い切ったが、トーリアの笑みは崩れない。
その横で、クロスボウを構えているプティの指が動いた。
「なめるな!」
マイアでできたボルトがクロスボウから射出され、ザウバーの胸を貫かんと襲い掛かる。それでもザウバーはプティの攻撃を予期していたかのように銃の引き金を引き、光弾を発射した。その弾はボルトの先端と衝突し、ボルトが霧散すると同時に妨害用のジグザグの光が四人を包み込むように伸び始める。
「当たらないよっ」
すぐさまリオが透明な壁を作り出し、妨害用の光を遮断する。その一連の流れを、プティは苦虫を噛み潰したような表情で見届けることしかできなかった。トーリアもまたその場から動くことができず武器を構えることしかできていない。不用意に飛び出して攻撃を空振りしようものなら、ジグザグの光に襲われてどうなるか分かったものではないからである。
「なかなかやるっスね。流石は『白銀の弓矢』」
トーリアの顔からは笑みが消えていた。真正面から向かっては勝てないと悟ったからである。
「お前たちは絶対に逃がさない。捕まえて、まとめて軍に突き出してやる」
「でも、私たちは団長に言われた通り逃げなきゃならない。たとえあんたを殺してでも」
「逃がさないと言ってるだろ」
プティが絞り出すように言った言葉に、ザウバーは唸るような低い声で返した。その気迫に、リオが無意識のうちに身震いする。
「任務は失敗したが、俺にまだできることはある。任務の『後始末』はさせてもらう」
ザウバーは、この任務が仕組まれた偽物のものだったが、任務を受理したからにはそれを正式なものとして考えており、依頼主を殺され傭兵団の仲間に致命傷を負わされたことを酷く悔いていた。傭兵としてあってはならないことを犯してしまい、もしザウバーたち四人が無事に生き延びたとしても『白銀の弓矢』の解散の可能性が彼の頭に過っていた。
それでも、彼はこの失敗に対するけじめをどうしてもつけようとしていた。議員殺しの首謀者のミゼ含む、自分たちを嵌めた『ソウル舞踏団』の一員である四人を捕らえて軍に連行し彼女らの目的を吐かせる――それで失敗のすべてを償えるわけではないとザウバーは考えていたが、今自身ができる最大限のことを行おうと動き出そうとしている。
すると、ここでミゼが一歩踏み出した。トーリア、プティ、リオは目を丸くしてミゼを見ながら立ち尽くしているだけだ。
――動き出したか!
すぐさまザウバーがミゼに向かって銃口を突き付けた。
しかし、彼が引き金を引こうとしたその時、ミゼの耳飾りが白く光り出した。彼女は銃口を突き付けられているのにもかかわらず、唇を真一文字に引き締めて石畳の上に手をかざす。
引き金が引かれ、二発の光弾がミゼに襲い掛かる。ザウバーが放ったものは二発とも妨害用の弾で、これが両方とも命中すればいくら手練れとはいえしばらくは動けなくなるだろう。
危ない、とトーリアら三人が叫びそうになった次の瞬間、それは起こった。
ミゼが手をかざした場所から、マイアの粒子をまとった衝撃波が巻き起こったのだ。
その威力は凄まじく、いとも簡単にザウバーの妨害用の弾丸を消し去り、轟音を上げながら道路の石畳をことごとく剥がし、周りの建物の壁に深い傷を穿っている。ザウバーはそれに呑み込まれそうになったが、防御用の弾を何発も発射して後退しながら凌いでいる。不意に襲い掛かってきた衝撃波によって、ザウバーの意識は完全にそちらに向かっていた。
ミゼの後ろで、トーリアたちは呆然としながらそれを見ていた。すると、ミゼが決死の表情で後ろを振り返る。
「早く逃げて! 奴は私がやりますわ!」
「え!? でも――」
「大丈夫ですわ! 奴を殺して私も必ず追いつきます! だから……姿が見えなくなってるうちに貴女たちだけでも早く逃げて!」
衝撃波を出し続け玉のような汗を額から浮かべながら、声が枯れんばかりに叫ぶミゼ。彼女の声に最初に応えたのはプティだった。リオとトーリアの手を掴んで頷き、逃亡を促す。
「プティ!? ミゼを置いて行っちゃっていいの?」
「そうっスよ! 私たち全員が団長に『逃げて』って言われたのに……」
二人の言葉を聞き、プティは心底悔しがっている表情を見せる。
「確かにミゼを置いていくわけにはいかない。でも……あの子には何か考えがあってあの傭兵を足止めしているのかもしれない。ここはミゼを信じて、私たちだけでも逃げ延びるしかない」
絞り出すような声でプティが二人を説得すると、二人は泣きそうな顔になりながらそれに応じた。
「……絶対に帰ってくるんスよ、ミゼ!」
「ここでお別れはやだよ。だから……待ってるからね、ミゼ」
トーリアとリオはそう言い残し、後ろ髪を引かれる思いでプティに追随してその場を離れた。彼女らの姿が建物の群に紛れて見えなくなるのを確認した後、ミゼは衝撃波を出すのを止めた。膨大な量のマイアを使ったせいで、彼女は片膝をつきながら肩で息をしている。
マイアの嵐が過ぎ去った時、ザウバーの眼前に映る光景には一人しかいなかった。先ほどの攻撃の間に残りの三人に逃げられたことを彼は悟り歯嚙みした。
衝撃波が過ぎ去ったところは、石畳がめくれ上がり茶色い地面が露出している。周りの建物も損傷は激しく――吹き上げられた道路の石畳が突き刺さっているものもある――、犠牲者がいないのが不思議なほどの惨状だった。
「……やられたか」
苦し気に呟くザウバーを見て、ミゼは呼吸を整えながらほくそ笑む。
「これで、舞台は整いましたわね」
「……どういうつもりだ?」
ザウバーがミゼを睨みつけながら尋ねると、彼女は笑みを崩さずに耳飾りを光らせる。
「私の『殺し屋』としてのけじめをつけますわ。私と一緒に踊りましょう?」
「……やっぱりただの踊り子の集団じゃなかったか、お前たちは」
「いいえ、私たちは『ソウル舞踏団』。ただの踊り子の集団ですわ。でも、殺し屋でもありますのよ」
含みのある言葉を紡ぎながら、ミゼは右手の周りに白い粒子を集める。それと同時に、ザウバーが彼女に銃口を突き付ける。
ミゼもまた、けじめをつけようとしていた。
彼女は依頼主とその秘書を完全に抹殺しようとしたが、ザウバーに阻まれてしまった。そのことをミラは笑って許し、トーリアたちは『しくじった』彼女を責めずに受け入れたが、ミゼの心中は穏やかではなかった。秘書は保護され、彼女は騒ぎをミラの想定よりも早い時期に大きくしてしまった。
しかし、秘書を殺せなくても、その場にいたザウバーは殺すことができる――騒ぎを大きくするのを早めてしまったことへの償いとして、ミゼは目撃者の一人であるザウバーを今度こそ殺害することを決めた。
これが『ソウル舞踏団』の生き残りに対する償いになると信じて。
「今度は殺して差し上げますわ、『白銀の弓矢』」
「ほざけ。お前だけでも捕まえてやる」
ミゼが右手に集めた白い粒子が凝縮し、三つの球体に変化していく。それを放つ瞬間を、ザウバーは今か今かと固唾を呑んで銃を構える。
ミゼが、右腕を横に薙いだ。
三つの白い球体がザウバーに向かっていくが、彼はそれらを的確に撃ち抜いた。
三つの球体が破裂し、あたりを煙が包み込む。そこをミゼは、右手にマイアの粒子をまとわせ突っ切っていく。
「死になさい!」
「やられるか!」
ミゼの右手は、一瞬でザウバーの眼前まで迫っていた。
ザウバーが至近距離でミゼの右手に弾丸を放つと、二人を爆発が包み込んだ。