新たな依頼
リーゼら三人は、兵糧部が用意した馬車に乗って中央政府へと進んだ。中央政府に着くと三人は兵糧部ではなく議事堂へと招かれた。高鳴る胸を抑え、リーゼは政府の人間だと思われる男について行く。
議事堂の中をしばらく歩くと、先導していた男がとある部屋の前で止まった。その表札には『休憩室』と書かれている。
「失礼いたします」
男が扉をゆっくりと開けると、がらんとした休憩室に白髪の老人が一人ソファに座っている光景が三人に見えた。男は鼠色を基調にした議会用の服を着ており、ところどころに金色の装飾が施されている。胸のポケットには、議員である証である金色のバッジが付けられている。一目で高い階級の人間だということがリーゼには分かった。その黒い瞳には、只者ではないオーラを彼女は感じ取った。
中に入ると、案内役の男が退室して休憩室の扉を閉めた。そのせいでリーゼがますます息苦しさを感じる。
「お久しぶりです、ジェラルドさん」
ザウバーが、彼の一団を呼び出した男――ジェラルド・ワイガードに恭しく一礼をする。それを見たジェラルドが微笑んで三人を見つめる。
「いつもいつもすまないね。『白銀の弓矢』。……おや?」
ジェラルドが視線をリーゼに集中させた。彼にとって彼女は今まで見たことが無いのだからまじまじと見るのは当然ではあるが、リーゼはその視線で目を白黒させて固まってしまった。背筋をピンと伸ばし、怯えるような目つきでジェラルドを凝視する。
「この子は……ジンのことを話してくれた子かね?」
ジェラルドがザウバーに向き直って問うた。
「はい。この子は故郷のために自ら傭兵になりたいと言って我々に付いてきました。どうかよろしくお願いします」
ザウバーの紹介に、リーゼは驚くばかりだった。同時に恥ずかしさがこみ上げてきて、顔が真っ赤になってしまう。
「ほら、自己紹介を」
「は、はいっ!」
リーゼが叫び、彼女の身体が電気ショックでも受けたかのように跳ねる。
「わ……私は、リーゼ・カールトンと言います! つい最近この『白銀の弓矢』に入った傭兵です! ど、どうぞ、よろしくお願いいたしますっ!」
「そうか……。故郷のために傭兵になったのか。頑張りたまえ。期待しているよ」
「期待……っ!? は、はいっ! ありがとうございますっ……!」
リーゼは完全にパニックになってしまい、顔を真っ赤にして返事をした。その様子をザウバーに横目で見られて苦笑され、リーゼがそれに気付いて縮こまる。それが可笑しかったのか、ジェラルドが笑って場の空気が和らいだ。
しかし、空気はすぐに引き締まった。ジェラルドが笑みを湛えながらも姿勢を正し、ザウバーの方を見る。
「さて、『白銀の弓矢』。君たちを呼んだ理由は……解っているね?」
「任務でしょうか」
「その通りだ」
ジェラルドが真面目な表情に戻ると、リーゼも引き締まる。
「三日ほど前、『ルシディティ』という町の近くの山道で、人が獣に襲われた事件があった。被害に遭った人達は大勢いて、酷い怪我を負っている。近隣の市に駐留している兵士を向かわせたが……」
話しているうちに、ジェラルドは神妙な顔つきになっていた。余程この件に煩わされているようだ。
「……その兵士たちも、獣をある程度は駆除したが重傷を負う者が続出した。弾を撃ち込んでも簡単には死なず、叫び声のようなものを上げて突撃してくるそうだ」
そこまで言って、ジェラルドはため息をつく。リーゼは胸騒ぎを覚え始めた。
「そして一番厄介なことだと報告されたことが……、暴れている獣は駆除しても駆除してもどんどん湧き続ける、ということだ」
「湧き続ける?」
「そうだ。まるで次々と生産されていくようにな」
リーゼは背筋が凍るような感覚を覚えた。一般の民衆はおろか鍛えられた兵士たちも怪我を負ってしまうほどの相手を自分たちが相手取ることを想像したからである。それも、いつ終わるか分からない襲撃の波を耐えながら、である。
リーゼの心配をよそに、話は着々と進行していく。
「そこで、君たちを呼んだわけだ。君たちには獣の駆除と、それが湧いた原因を突き止めてほしい。これ以上負傷者を増やしたくはないのでね」
「かしこまりました。引き受けさせていただきます」
「成功報酬は一人一〇〇万アールだ。それだけ重要な任務だということを理解してくれ」
ジェラルドの口から発せられた金額に、リーゼは心臓が口から飛び出そうなほど驚いた。あまりに驚いてしまったので、彼女は目を見開いてジェラルドを見つめる。彼はリーゼの方を見ずにザウバーに淡々と説明しているので、彼女の驚いた顔は見られることは無かった。
「私の方で馬車を用意した。それに乗ってルシディティへと向かってくれ。ここからルシディティへは結構な時間がかかるから、途中で『ゼノ』を経由して君たちの身体と馬を休ませるといい」
「ありがとうございます。ありがたく使わせていただきます」
『ゼノ』とは、シューメルの都市の名前である。大きめの都市なので、宿や馬を休ませる場所が豊富にある。
「それでは、頼んだよ」
ジェラルドの言葉に、三人は肯定の返事をした。
三人が外に出ると、既に馬車が用意されていた。三人はすぐにそこに乗り込んだ。
馬車が動きだすと、リーゼは緊張した面持ちで俯いた。傭兵になってたったの一か月でこのような大仕事が舞い込んでくるとは想定していなかった。どうやって生き残ろうか、どうやって暴れている獣を倒そうか――彼女の頭の中で、様々な懸念が渦巻いている。自然と拳を握っており、掌に爪が食い込む感触を覚えている。
「……不安か?」
突然、ザウバーがリーゼに声をかけた。彼女は目を丸くして顔を上げて、ザウバーの方を見つめる。
「……うん。正直言って、すごく不安」
「だろうな。気持ちは分かる」
ザウバーはリーゼに向かって微笑みを向けていた。彼女はそれに釘付けになる。
「あまり気負うな。大丈夫、俺たちの傍にいれば、大怪我はしない。保証する」
「え? う、うん……、分かった」
ザウバーに声をかけられたことで、リーゼは心中で安堵した。自然と笑みがこぼれてくる。拳もいつの間にか解けていた。
信頼できる仲間がいることは、今の未熟な彼女にとって何よりも大きいことだった。装具を使いこなすザウバーと剣の名手であるコウがいれば大丈夫だと思い始めることができるようになった。
「私……足手まといにならないように頑張るから」
「ああ。でも、あまり無理はするなよ」
リーゼは笑顔で頷いた。
「まずは家に向かおう。長旅の準備だ」
「うん、分かった!」
リーゼがにこやかに返事をする。彼女の不安はザウバーの言葉で隠れていた。
馬車は三人を乗せて、目的地へと走り始めた。