倉庫での乱闘
「……何故あなたがここにいるんですの?」
ザウバーが銃口を向けている中で、ミゼは彼の登場が予想外だと言わんばかりの顔をしていた。ザウバーがフィルに尋ねたいことがあり会議室まで戻ってくるとは微塵も考えていなかったからである。
しかしザウバーは彼女の質問には答えず、銃口を光らせてマイアの光弾を乱射した。廊下という制限された空間の中で、床を這っている秘書に光弾が当たることなくミゼの目の前で弾が破裂する。彼女の前には幾重にも張られたマイアの壁が立ちふさがり、ザウバーは敵が動けない間に秘書を回収し、ミゼから彼を遠ざけた。
「何があった!?」
「せ……先生が……あの、ミゼという女に……」
秘書の身体は震えっぱなしで、全身に力が入っていない。彼の様子と言葉から、フィルはすでに救えない状況であることをザウバーは察し、心臓が締め付けられるような感触を覚えた。依頼主を死なせてしまうとは――彼は悔やんでも悔やみきれていなかったが、まずはフィルの秘書の命だけでも救おうと彼を背負い、廊下を駆け出した。
さらにザウバーは、ミゼがこちらに追いついてくる前に、廊下を封鎖するようにしてマイアの防壁を何重にも張り巡らせた。その甲斐あってか、二人はなんとか兵糧部の出入口の前まで逃げることができた。
その直後、何かが爆発したような轟音が響き渡り、ほどなくして外にいた民衆の悲鳴が聞こえ始めた。兵糧部の出入口で守衛をしていた二人の兵士が現場へ向かおうとするが、ザウバーは彼らを呼び止める。
「ちょっと待ってくれ。この男を保護してほしい」
「なぜだ!? 何が起きている!?」
「兵糧部の小会議室でフィル・キャマー議員がミゼと名乗った女に殺された。犯人はここにいるフィル議員の秘書も殺そうとしたが、俺が女を妨害してここまで連れてきた。さっきの爆発音は恐らく、その女がこの建物から逃げようとして出されたものだろう」
ザウバーが早口で説明するが、守衛の男たちは理解できずに互いに顔を見合わせるだけである。
「とにかく! すぐに増援を要請してくれ! 議員が殺されたんだぞ! 俺は議員を殺した女を追う!」
ザウバーが呆然としていた守衛たちを威圧すると、彼らは弾かれたように動き出した。一人はすぐさま兵舎に向かって走り出し、もう一人はフィルの秘書を安全な場所まで避難させ始めた。その様子を見届けたザウバーは安心する暇もなく外に出て、被害の状況を確認し始める。
会議室があるところから、煙が上がっていた。その周りには瓦礫が散乱しており、ミゼが放った攻撃の威力が相当なものであることをザウバーは察した。しかし、彼女はザウバーのもとには来ていない。彼は考えを巡らせながら、ミゼを追うために兵糧部から出た。
――まずはリーゼたちと合流するか……。
ザウバーが行き先を決め、その方向――市場の近くにある青い屋根の建物がある方向――へ視線を向けた。
そこを見た途端、彼は絶句した。
「なんで……そこからも煙が上がってるんだ!?」
ザウバーはパニックになりそうになりながらも、現在の状況から今起こっている可能性のあることを推測し始める。彼はすぐにフィルの殺害と青い屋根の建物での異変がほぼ同時に起こったことに着目し、すぐにその建物の方へと走り出した。
――奴は、青い屋根の建物で起こってることにも関わってるはずだ。ただの偶然じゃないはず……!
ザウバーは、混乱している民衆をかき分けるようにして進んでいく。
「リーゼ、コウ、ネオン君……無事でいてくれよ……!」
青い屋根の倉庫の中で、リーゼたち三人は大混乱に陥っていた。黒いフードの人物を見つけたと思った矢先に天井が崩れ、そこから四人の女性たちがいきなり現れてこちらに襲い掛かってきたのだから無理もない。その上、その四人はネオンを狙うようにして飛び出してきた。幸いその奇襲は辛うじて避けることができたが、女性たちはなおも果敢に攻め立ててくる。
「その子供を大人しく渡せっス!」
音楽に乗って踊っているかのようなステップでリーゼに近づくのは、大鎌を持った紫色のドレスを着た女性である。刃渡りは長く、リーゼのファルシオンの攻撃が届かないところから鎌の斬撃が飛んでくる。リーゼは紫ドレスの女性の隙を窺いつつ、残りの女性の動向にも気を配りながらネオンを守るという動きをこなさなければならなくなった。彼女の額からは既に大粒の汗が流れている。
ふと、リーゼは倉庫の出入り口の方を向いた。隙を見て逃げ出し、ザウバーと合流しようと考えたのである。
しかし、彼女の考えは見事に打ち砕かれた。
「何、これ……」
唖然としながらリーゼが見たものは、出入り口をふさぐようにして張られたマイアの壁であった。その前には、白ドレスの女性が不敵な笑みを浮かべながら立ち塞がっている。彼女の髪飾りが白く光っており、この壁は彼女が作り出したものだとリーゼには容易に察することができた。
「余所見してる余裕なんてあるんスかぁ!?」
紫ドレスの女性がリーゼを煽りながら大鎌を横に薙いだ。リーゼはネオンを後ろに下げマイアを足に張り、その力を利用して跳躍して攻撃を避け、落下しながら紫ドレスの女性の頭上にファルシオンを振り下ろす。彼女の一撃は紫ドレスの女性に鎌の持ち手をうまく利用されてガードされたが、今まで笑みを浮かべていた彼女の顔が歪む。
「ネオン君から離れて!」
リーゼは攻撃を防がれても間髪入れずに刃を横に薙ぐ。紫ドレスの女性はその一撃を後退して避けるが、リーゼは彼女に食い下がる。紫ドレスの女性はリーゼの剣戟をかわしたり大鎌で受け止めたりして後退するが、ついに倉庫の柱を背にしてしまった。
「これで!」
リーゼは敵が左右の方向に逃げられないように、ジグザグに動いて相手の動きをけん制しながら近づく。ついに相手の胴体を捉えた――リーゼがそう感じ、敵を袈裟斬りにしようとファルシオンを振り下ろす。
しかし、リーゼが放った一撃は敵には当たらなかった。
彼女の攻撃は、見えない壁に阻まれていた。斬撃が壁に当たった瞬間白い火花が飛び散り、リーゼとネオンの身体が弾かれる。
「リオ、危なかったっス! 助かったっスー!」
「いやいや~、あたしにはこれしかできないから~、油断しないで頑張ってね~トーリア~」
トーリアと呼ばれた紫ドレスの女性が心底安堵したような様子で、リーゼとネオンから一旦距離をとる。彼女の礼に、リオと呼ばれた白ドレスの女性が甲高い声で返す。
――このリオって女の人が壁を張ったんだな……。厄介な……。
リーゼが苦虫を噛み潰したような顔でリオを睨むが、すぐにトーリアに視線を戻す。彼女らのチームワークは厄介で、コウと分断されているこの状況ならなおさらだ――それでもリーゼはファルシオンを握る力を強くし、戦う姿勢を崩さない。
――……待てよ? トーリア? リオ?
戦闘中にもかからわず、ふとリーゼの頭に今戦っている女性の名前がよぎった。そして、彼女はその出処をすぐに思い出し、信じられないといった風に目を見開いてトーリアを凝視した。
「……まさか、貴女たち――」
「棒立ちとは、随分と余裕っスねぇ!」
トーリアの鎌が、リーゼのファルシオンとぶつかり合って鋭利な金属音を立てる。ネオンを守りながらの攻防が、再び始まった。
一方で、コウは鞭をふるう灰色ドレスの女性とクロスボウを構えた青ドレスの女性を同時に相手にしていたが、涼しい顔で二人の攻撃を凌いでいた。灰色ドレスの女性が繰り出す鞭の連撃は倉庫の床を抉り赤熱させるほどの威力を持っており、青ドレスの女性はクロスボウからマイアの粒子でできたボルトを射出して遠距離からコウを攻めている。コウは彼女らに近づくことはできていないものの、二人の波状攻撃を難なくいなしていた――鞭での連撃はブロードソードの刃を使って弾き返し、クロスボウによる遠距離攻撃はマイアのボルトをすべて切り伏せることで対処している。
寧ろ彼はその二人に注意を集中させることよりも、リーゼたちと後ろで控えている黒いフードの人物に頻繁に視線を向けることを優先させているように見える。二人に隙ができれば、一人でネオンを守っているリーゼに加勢しようと常に彼女に気を配っているかのような視線移動だ。一方で、黒いフードの人物には牽制するように鋭い視線を向けている――まるでその人物に恐怖しているかのように。
するとその所作に気付いたのか、女性二人の攻撃が苛烈になり始めた。灰色ドレスの女性が振るっている鞭は空気を切り裂く音を出しながらコウを襲い、青ドレスの女性のクロスボウから放たれる連撃はより密度を増す。
「ここから先はいかせないよ!」
「……邪魔。あっちに行かせて」
男顔負けの気迫を見せる灰色ドレスの女性の攻撃を避けながら、コウは目線でリーゼたちの方を示す。
「大人しく通すと思って!?」
青ドレスの女性が、突如上方に向けてクロスボウを撃ち出した。マイアの粒子でできたボルトが放物線を描いて頂点に達した途端、一本のボルトが十本に分裂してコウに向かって降り注いだ。ボルトは広範囲に広がっており、その上灰色ドレスの女性の連撃がしつこくその場に拘束されている。
このままではボルトの雨に打たれてしまうが、コウは上を見て剣を構えるだけだ。注意がこちらから逸れたと判断した灰色ドレスの女性は口角を上げ、鞭を握りなおす。
「もらった!」
灰色ドレスの女性が、コウの左脇腹に向かって鞭をしならせる。このままではマイアで強化された鞭の尾でコウが焼き切られる――そう思われた。
しかし、灰色ドレスの女性が勝利を確信した瞬間、彼女の身体は鞭ごと吹き飛んでいた。
コウが目にも留まらぬ速さでブロードソードを突き上げると、彼の身体を中心に衝撃波が発生し、周りのもの全てを吹き飛ばした。コウに向かっていったボルトの雨はバラバラに散り、虚空で霧散していく。その様子を、青ドレスの女性はおろか、彼らとは離れて戦闘していたリーゼやネオン、トーリアやリオすらも動きを止めて見つめていた。
「……くそっ」
「シリオン、大丈夫!?」
「大丈夫大丈夫。ちょっと吹っ飛ばされただけ。だけど――」
シリオンと呼ばれた灰色ドレスの女性が体勢を立て直し、鞭を拾いなおす。
「団長の言ってた通り、コイツめちゃめちゃ強いよ。アタシたちの攻撃がまるで通らない」
「……確かに、理不尽なくらい強いわね。でも弱気になったらダメ」
「プティの言う通り。なんとかして団長の手を借りずにコイツを倒さなきゃ」
張り詰めた空気の中、コウとシリオン、そしてプティと呼ばれた青ドレスの女性は互いに動かない。シリオンとプティは二人がかりであるにもかかわらずコウに押されていることを悟ったが、彼女らの目から諦めの色は見えない。
ジリ、とコウが床を踏みしめた。それと同時にシリオンとプティが武器をコウの方に向ける。再び両陣営の間に火花が散り始めた。
すると、コウがぽっかりと空いた天井を見上げたと思うと、後退してシリオンとプティから距離をとった。逃げようとするコウをプティが狙撃しようとした瞬間、何者かがシリオンとプティの前に降り立った。その闖入者の出現に、リーゼたちの視線もそちらに向けられる。
そこには、焦燥感に駆られたような顔をしているミゼが立っていた。
「ミゼ! 早かったね~!」
リオが歓喜の声を上げるが、ミゼの表情は晴れない。彼女はリオに返事をせず、すぐに黒いフードの人物のところまで駆け寄った。
すると、ミゼが黒いフードの人物に耳打ちをした。それに対してその人物は一回頷いて何かを話すと、ミゼは胸の憑き物が落ちたような顔をして頭を下げた。そして、先ほどとは打って変わって真剣な表情になってイヤリングを光らせ、真っ先にコウの方へと近づいていく。
「加勢しますわ!」
「ミゼ! アタシが鞭で拘束するからあんたはその隙に斬って!」
「分かりましたわ!」
ミゼの手からは既にロングソードのようなマイアの刃が伸びていた。
シリオンは鞭の尾にマイアを張らず、そのままの状態でコウの右腕めがけて振り回した。彼女の鞭はコウの右腕にうまく絡みつき、彼の攻撃を制限する。目論見通りにことが進み、ミゼが笑みを浮かべて腕を振り上げる。
刹那、彼女らの背後で爆発音が轟いた。爆発したのは倉庫の出入り口の周りの壁で、その近くにいたリオが素っ頓狂な悲鳴を上げながら吹き飛ばされる。
「リオ!」
トーリアは戦闘そっちのけで倒れている彼女のもとに駆け寄るが、砂埃の向こうから数発の光弾が飛び込んできた。トーリアはそれに反応することができ、大鎌を振るってそれらをかき消すと、倒れているリオを担いで後退する。
シリオンは、それに完全に気を取られていた。その隙を見計らい、コウが自身の右腕に絡んでいる鞭を左手で掴み、此方に引き寄せるように引っ張った。シリオンは釣られた魚のようにコウのもとに引っ張られ、その途中で棒立ちになっていたミゼと衝突、両者とも地に伏せてしまった。その二人にコウはブロードソードを振るおうとしたが、プティが雄たけびを上げながらクロスボウを乱射したため、ボルトをかき消しながらそこから退避した。
「……なんで倉庫の扉にマイアの壁が張ってあった?」
トーリアが大鎌を振るったことで砂埃がかき消されると、ザウバーが肩で息をしながら出てきた。その姿を見たリーゼとネオンの表情が一気に明るくなる。
「ザウバー!」
リーゼが安堵してザウバーの名前を呼ぶが、彼は切迫したような顔でリーゼたちを見るだけだ。
「リーゼ、コウ、ネオン君。大変なことになった」
「……どういう事?」
「依頼主が殺された。あの緑色のドレスのミゼって女にな」
そう言ってザウバーは、背中をさすりながら起き上がろうとしているミゼに銃口を向けた。リーゼは彼の言葉を聞いて凍り付いた。彼の言ったことが信じられず、視線すら動かない。
「フィル議員殺害の件は兵糧部にすでに報告した。あとはこいつらを無力化して軍部に突き出し、事の詳細を吐かせる。もうそろそろ、この倉庫に軍も来るだろう」
リーゼは混乱しておりザウバーの言ったことを理解するのに時間がかかったが、一旦理解すると再びファルシオンを構え、ネオンをかばうように位置取りをする。
すると、黒いフードの人物が手を一回叩いた。それを合図にして、ドレスの女性五人がその人物の前まで後退する。
「あの少年はともかく、あっちのお嬢ちゃんがここまで強くなってるのは予想外だったわね」
リーゼやザウバーには聞き覚えのある声。その声を聞いて、二人は絶句して動きを止めた。
黒いフードの人物が歩き出すと、シリオンら五人の女性が道を開ける。その人物が歩きながら、もう必要ないとばかりにフード付きのマントを脱ぎ棄てた。
そこから姿を現したのは、赤いドレスを着た女性――『ソウル舞踏団』団長、ミラだった。