奪われたカバン
中央政府の兵糧部に到着したリーゼたちは、フィルの秘書と名乗った男に先導されて会議室まで案内された。薄暗い廊下を歩く中、リーゼたちは進み続ける。
一行が会議室の扉まで辿り着くと、秘書が扉をノックした。
「誰だね」
「フィル先生、『白銀の弓矢』をご案内いたしました」
「おお、そうか。入ってくれ」
扉の向こうから、フィルらしき男性の機嫌のよさそうな声が飛んできた。
「かしこまりました。失礼いたします」
秘書が扉を開け、先に中に入る。リーゼとザウバー、そしてネオンは、失礼いたします、と一声かけた後に会議室へと入った――コウは無言だった――。会議室はこじんまりとしており、木製の長机が四つと椅子が十数脚置かれているだけの簡素なものとなっている。
扉の正面に、黒色の議会用の服を着た薄毛のふくよかな男性が座っているのが見えた。彼こそ今回リーゼたちに依頼をしたフィル・キャマーである。フィルはリーゼたちを目にして口角を上げるが、リーゼたちはにこりともせずフィルを見つめるだけである。初めて依頼される相手にはまだ心を許すことができていないのだ。
「そんなに硬くならずに、そこに座りたまえ」
「分かりました」
ザウバーが言うと、リーゼたちはフィルと向かい合うようにして椅子に腰を下ろした。それを確認した秘書は、フィルの傍まで寄る。
「さて……君たちを呼んだ理由は言うまでもない。頼みごとをお願いしたいのだ」
「頼みごと、とは何でしょうか?」
ザウバーが尋ねると、それまで笑みを浮かべていたフィルの表情が一気に神妙なものになった。
「妻のカバンが何者かに強奪された。その犯人を突き止めて、大事なカバンを取り戻してほしいのだ」
フィルが深刻そうに依頼内容を話し始めると、彼は目の前に置かれた四つ折りになっている厚紙――中央政府の議事堂を中心とした首都の地図を開いた。
「昨日の夜、妻はここでカバンを強奪されたそうだ」
フィルはそう言って、議事堂の西にある市場の近くの細い路地を指さした。リーゼたちはその場所を食い入るように見つめている。
「暗かったうえ黒いフードをかぶっていたから、カバンを奪った奴は男か女かは分からなかったそうだ。妻は一生懸命そいつを追いかけたが――」
すると、フィルが指をさらに地図の西側に移動させた。彼の指先は、地図に描かれている市場がある道を伝っている。
「この辺りにある青い屋根の建物に、カバンを奪った奴は入っていったそうだ。夜だから周りには誰もおらず、妻はその建物に一人で入る勇気が無かったので、泣く泣く諦めたそうだ……」
「青い屋根、ですか……」
ザウバーがつぶやくように返すと、フィルが頷いた。
「奪われたカバンは、妻の一番のお気に入りなんだ。もう妻の悲しむ顔は見たくない。頼む、妻の大切なものを取り戻してくれ!」
フィルに懇願されたリーゼたち。リーゼはザウバーと顔を見合わせるが、彼女らの腹積もりは決まっていた。
「かしこまりました。その任務、お引き受けいたします」
ザウバーがはっきりと言うと、フィルの表情はつい先ほどから一転して明るい表情になった。
「おお、ありがとう! 本当にありがとう! では成功したときの報酬は一人五〇万アールと、『ソウル舞踏団』の公演のチケットにしよう」
「『ソウル舞踏団』?」
リーゼはその名前に聞き覚えがあった。彼女らが観光目的でゼノをまわった際、劇場でその舞踏団のショウを観たからである。ザウバーも同じくその名前に反応し、リーゼとともに驚いている。
「私はその舞踏団が非常に好きでね、彼女らに出資してるのだよ。団長のミラ、紫ドレスのトーリア、灰色ドレスのシリオン、緑ドレスのミゼ、青ドレスのプティ、白ドレスのリオ……誰もが可憐な容姿で、そこから想像できないほどの熱情的で甘美な踊りや演奏……! 五年前に私が彼女たちの舞踏を見てから、私は惚れ込んでしまった! それ以来、彼女たちの活躍を応援しようと個人的に支援しているのだよ」
鼻息荒く『ソウル舞踏団』の魅力を語るフィルを、リーゼたちは呆気にとられながら見つめることしかできなかった。その話題になると目の前が見えなくなったかのように喋り続けており、困惑しているリーゼたちの様子などどこ吹く風という調子である。
「先生」
「おお、……失礼」
秘書に一声かけられると、フィルは我に返って咳払いを一つした。
「すまない、話を戻そう。報酬はこれでいいかね?」
「分かりました。では五〇万アールと『ソウル舞踏団』の公演のチケットが成功報酬という方向でよろしくお願いいたします」
ザウバーが報酬を了承すると、フィルが頷いた。
「決まりだな。頼んだぞ、傭兵の諸君」
「かしこまりました。必ずや、任務を成功させてみせます」
ザウバーが力強く宣言すると、リーゼはそれに追随して強く頷いた。リーゼの頭の中は、完全に任務のモードに切り替わっていた。
兵糧部を出たリーゼたちは、早速中央政府の西側にある市場まで進んでいた。午後の市場は商人の威勢のいい声と市民の活気で賑わっており、人をかき分けながら四人は進む。
市場まで来てすぐに、リーゼたちはフィルの妻がカバンを奪われたとされる細い路地に辿り着いた。そこは昼でも人通りがあまり無く、夜になると一層静まり返ることは想像に難くなかった。
「ここで奪われたんだね……」
リーゼが独り言ちるが、ザウバーは反応しない。彼は顔を曇らせてそこに立ち尽くしている。
「どうしたの?」
ザウバーの様子が変であることに気が付いたリーゼが、彼に尋ねる。
「……もしかしたら、犯人はもう青い屋根の建物にはいないかもしれない」
「どういうこと?」
「夜に奪われたとしたら、犯人はフィル議員の奥さんが諦めた時点で闇に紛れてここから逃げた可能性も考えられるだろ? ……フィル議員に奥さんが持ってたカバンの特徴を訊いておくべきだった」
ばつが悪そうに頭を掻くザウバーの言葉をきき、リーゼは納得してこくこくと頷いた。
「どうする?」
「……とりあえず、俺はフィル議員のところに戻ってカバンの特徴を訊いてくる。リーゼたちは先に青い屋根の建物の中を調べてくれ。もし敵が襲ってきても、リーゼとコウの力ならよほどのことが無い限り大丈夫だろう」
「うん、分かった!」
リーゼが返すと、ザウバーは兵糧部に戻るために踵を返した。
「気をつけろよ、リーゼ、コウ、ネオン君」
「ザウバーも気を付けてね」
リーゼの言葉に、ザウバーは微笑んで頷いた。そしてザウバーは来た道を走って戻り始めた。
ザウバーが行ってしまうと、残された三人は市場の近くの青い屋根の建物を探すために再び進み始めた。
リーゼたちが市場の道に沿って進んでいると、目標の建物は程なくして見つかった。
その建物は、大きな倉庫だった。赤茶色のレンガ造りの建物で、屋根のレンガが青く塗装されている。金属製の扉は閉ざされているが、鍵はかかっていない。
何の変哲もない古びた倉庫であるが、リーゼはその扉の前に立っているだけで緊張して胸騒ぎを覚えていた。扉を開けたら相手がなりふり構わず襲ってくるかもしれない――リーゼはそう考えながらファルシオンの持ち手に右手を添えて待機していた。
すると、リーゼの横にコウが立った。リーゼが思わずコウの方を見る。
「……開ける?」
コウは何も気にしていないような顔で、扉を指さしながらリーゼに尋ねた。リーゼは彼の態度に内心呆れつつも、仲間に声をかけてもらったことによって少しだけ肩の荷が降りたような感触を覚えていた。リーゼがコウに力強く頷く。
「うん、行こう!」
次に、リーゼはネオンの方を向いて彼の手を握った。ネオンは驚いた顔でリーゼの真剣な表情を見つめる。
「ネオン君は、私のそばを絶対に離れないでね! 私が絶対にネオン君を守るから!」
リーゼの真剣な気持ちに応えるように、ネオンは意を決したような表情でリーゼを見つめて頷いた。
「はい!」
リーゼは互いの気持ちを確かめ合うようにネオンと見つめあった後、扉の方を向いた。
リーゼとコウが、扉を押す。重厚感のある音を立てながら、扉が徐々に開いていく。
扉が完全に開け放たれたとき、三人は倉庫の中へと踏み出していった。




