最終段階
会議が終わり、ジェイはすぐに馬車を手配し『フラックス特別刑務所』に向かっていた。彼は馬車を降りて刑務所の入り口に立っている衛兵たちに身分証を見せると、巨大な門を開かせて護衛とともに中へと入っていった。
刑務所の所長らはすでに入り口で待機しており、恭しく礼をするとすぐに刑務所の奥へと案内しようとした。しかしジェイはそれを手で制止する。所長は一層緊張した面持ちでジェイの顔を凝視し始めた。
「所長。少し頼みがある」
「はっ。何でしょうか」
「ここに入っている囚人の名簿を見せてくれ。彼らの健康状態を記録したものも一緒にな」
ジェイの頼みに、所長は迅速に対応した。彼についてきた刑務官に名簿を取って来させると、ジェイの手元にはすぐに彼の望むものが手に入った。
手に入った名簿と記録表に目を通したジェイはニヤリと笑い、所長の方に向き直った。
「では……ためしにこの二人を連れて来て、私の護衛に引き渡してくれ。私は先にあそこに向かう」
「かしこまりました!」
所長はジェイの言う通り、ジェイの護衛を数人引き連れて鍵束を持ちながら監房へと入っていった。それを確認したジェイは満足そうにして、残りの護衛とともに刑務所の奥へと消えていった。
刑務所の地下深くへと、ジェイたちは進んでいく。湿気が多く生臭い空気が充満しているが、涼しい顔をして奥へと歩いていく。古びた地下牢が並ぶ仄暗い道を進んでいき、彼らはあの扉の前に到着した。
独特な形の穴に鍵の役割を持つ石をはめ、ジェイは扉を開けた。扉が完全に開くと、彼らは先へ進もうとした。
すると、入り口の方から男の声のようなものが響き始めた。さらに、複数人が歩いているような足音も聞こえ始める。
「……連れてきたか。案外早いな」
ジェイが独り言ちると、彼はすぐに扉の先へと進んだ。護衛たちも追随する。
大部屋に着くと、ジェイたちは慣れた手つきで鎧を着用していく。この先に待ち受けている尋常ではない量のマイアから身を守るためのものだ。
すると、足音が近くなってきた。鎧を装着したジェイたちは来た道の方を見る。
「ここはどこだ!?」
「なんだよここはっ。なんで何も答えねえんだよ!」
そこには、護衛によって後頭部に銃を突き付けられている二人の囚人がいた。両手は手錠で拘束されており、徹底的に抵抗できないようになっている。両方とも護衛たちに負けず劣らず屈強な体躯だが、一人は禿げ頭で口にひげをたくわえた壮年の男で、もう一人は短い金髪で色白の若い男性である。
「ご苦労だった。そこにある鎧を付けてくれ。こいつらの護衛はここにいる兵士が行う」
ジェイが指示すると、囚人を連れてきた護衛は二人の監視をジェイについていた護衛と交代して鎧を装着した。
「……おい、俺たちはどうなるんだ」
禿げ頭の囚人がジェイに尋ねるが、ジェイは答えを返さない。その代わりに、囚人の後頭部に銃口が強く押し当てられた。二人は恐怖で口を開くことができなくなった。
囚人以外が鎧を身に纏うと、彼らは再び進み始めた。強烈なマイアが立ち込めるが、鎧を身に纏ったジェイたちはお構いなしに歩き続ける。対して囚人二人は、マイアに晒されているからか顔を顰め気分が悪そうな様子である。
そして、一行は例の部屋へとたどり着いた。しかし鉄格子の前に着いてもジェイはボタンを押して灯りを点けず、その右横のボタンを押した。
すると、ボタンが取り付けられているところが右へスライドし、ぽっかりと穴が空いた。ジェイはその中へ手を突っ込み、あるものを取り出してそこを閉めた。
「準備はできてるな?」
「勿論でございます。そのためにここにいた被検体は刑務所の職員に処分させました。あれは今頃最終処分場で息絶えているでしょう」
「思っていたより仕事が早いな。あの被験体は十年頑張ってくれたが、必要な情報はすべて取り終えた。もう用済みだ」
ジェイと彼の護衛の話を横で聞いていた二人の囚人は、その場に流れている不穏な雰囲気をひしひしと感じ取っていた。今から自分たちが何をされるのかは分からないが、何か良くないことを行われることだけは予想している。しかし、彼らはそこから逃げることができないので、戦々恐々としながら立ち尽くすことしかできない。
すべての準備を終えたジェイは、ボタンを押して灯りを点けた。
彼らの目の前には鉄格子が映るが、その向こうにはもぬけの殻となった牢獄しかなかった。レノが見た全身に管が挿入されている不気味な男はそこにはいない。そこには鉄製の椅子が二つ用意されているだけである。椅子の後ろの壁からは、先端に針のついた管がまるで植物のように何十本も垂れ下がっている。
牢の中に入ると、ジェイの護衛たちが囚人二人を強制的に椅子に座らせた。椅子に座った二人の囚人は拘束具によって背もたれに胴体を固定され、完全に身動きが取れなくなった。
「い……一体何をしやがるんだ!?」
短髪の囚人が恐怖に染まった表情で叫ぶが、兵士たちは囚人二人に銃口を突きつけるだけである。銃口が二人の眉間に当たったところで、囚人は動きを止めて黙ってしまった。
囚人が大人しくなったことを確認すると、ジェイは先ほど牢の外で取り出したものを彼らに見せつけた。
刃物のように鋭く尖ったいくつかの真っ白な石の破片と思しきものを、二人はまじまじと見つめる。
「これは……何だ?」
短髪の囚人が恐る恐る尋ねる。
「これはとあるところで十年前に採れたマイアスだ。使いやすいように加工してある」
先ほどとは打って変わってすらすらと答えたジェイに違和感を覚えながらも、囚人二人は頷く。
「こいつを、どうしようってんだ……?」
「こうするんだ」
ジェイがそう言った直後、彼の白い鎧に返り血がふりかかった。
彼は尖ったマイアスの一つを、禿げ頭の囚人の頸に突き刺していた。呻き声を上げながら体を仰け反らせる禿げ頭の囚人を、もう片方の囚人は呆然と見つめることしかできていない。
そして事態を把握した短髪の囚人は、悲鳴を上げてその場で暴れ始めた。彼はその場で椅子をがたがたと揺らして抵抗するが、すぐに兵士数人に銃口を目の前に突きつけられる。
「暴れるな。大人しくこいつを見ていろ」
「ふ、ふざけるな! なんなんだよこれはっ!?」
短髪の囚人は命の危機を感じ、ジェイの声を聞いても必死になって拘束を解こうと身をよじって逃れようとする。倒れた囚人の頸からは出血し続けており、白目をむいて痙攣している。マイアスの破片は深々と突き刺さっており、もし抜けばその場で噴水のように血が噴き出すだろう。
すると、禿げ頭の囚人の頸部から光が漏れ始めた。それを見た短髪の囚人は暴れるのをやめてその光を凝視し始める。
「……一体何が起こってやがる……?」
震える声で短髪の囚人がつぶやくと、漏れ出している光が一層強くなり始めた。それに比例するように禿げ頭の囚人の痙攣は強くなり、ジェイたちは彼から距離をとり始める。
すると、禿げ頭の囚人が周りに反響するような雄たけびを上げた。
その瞬間、光が彼を包み込んだ。あまりの光量にジェイは視界を腕で覆い、短髪の囚人は目を強くつむる。
数秒後、光が収まった。禿げ頭の囚人はその場でぐったりとした様子で項垂れている。ジェイたちはその様子を見つめるだけだ。
しかし、禿げ頭の囚人の身体には変化が現れていた――頸からの出血が止まっており、マイアスを突き刺されたところはあたかもはじめから突き刺されていなかったかのように無傷の状態になっている。
「気分はどうだ?」
ジェイが項垂れたまま動かない囚人に語りかけると、囚人は頭を上げて困惑した表情でジェイを見つめる。それを見た短髪の囚人は唖然として見つめるだけで、暴れようとはしない。
「あんた……、俺に何をした?」
「お前には最高の力をくれてやった。ありがたく思え」
「力って――」
言いかけた途端、禿げ頭の囚人の身体がにわかに白く光り始めた。禿げ頭の囚人は目を見開いて、己の身体に起こっていることに困惑している。
「な……なんだこりゃ!?」
「落ち着け。力を感じるだろう? 力が湧き上がってくるのが分かるだろう?」
男の身体から、マイアの白い粒子が漏れ出している。その量はその場の全員が視ることができるほどのもので、禿げ頭の囚人は呆気にとられながら空気中にふわふわと浮き上がる粒子をまじまじと見つめている。
「確かに身体からすげえ力が湧いてくるんだが……俺は一体どうなっちまうんだ?」
「そうだろう? 今からこの力を制御するために少し付き合ってもらう。それが済めば、その力は完全にお前のものだ」
「わ、分かっ――」
ジェイたちに大人しく従おうとしたその時、禿げ頭の囚人が目を見開いて呻き始めた。
それを見た護衛たちがすぐに動き出し、壁に垂れ下がっている管の束をつかみ、慣れた手つきでそのうちの一本を取り出す。
「やれ」
「はっ!」
ジェイが号令をかけると、護衛の一人が敬礼をし、管の先端に付いている針を禿げ頭の囚人の首の後ろに向けた。
そしてその針は、囚人の首に突き刺さった。囚人は目を見開いて叫び声をあげるが、護衛たちは躊躇いもせずに一本ずつ管をつかんでは定められた箇所に管を挿し込んでいく。その度に囚人の悲痛な叫び声が響き渡り床に鮮血が降り注ぐが、ジェイや彼の護衛たちは流れ作業のように淡々と遂行する。短髪の囚人は恐怖で身体を震わせ、目を強く瞑りながらこの惨状から目を背けている。
全ての管が挿入された後に広がっていたのは、常人が直視できないような悲惨な光景だった。禿げ頭の囚人の身体は血まみれで、床には椅子を伝って血が滴り落ちている。息は荒く、激痛に悶絶しているのか顔には大粒の汗が何滴も浮かんでいる。
しかし、管が挿し込まれているところからは出血が確認されていない。そこは傷がふさがっており、針を呑み込んでいるような状態になっている。
「身体に溜まった余計なマイアを抜き、必要であれば新たなマイアを注入するための管を挿した。この状態で力を制御してもらう。少しの間この状態で過ごせば、お前たちのもとに素晴らしい力が舞い込んでくるはずだ」
ジェイが説明したが、禿げ頭の囚人は虚ろな目で項垂れているだけで何も反応しない。その代わり、彼につながれた管がにわかに白く光り始めた。その光景に、短髪の囚人は釘付けになる。
「これが……さっき言ってた――」
「ああ、余分なマイアを抜いている状態だ。溜め込みすぎると身体が耐え切れず崩壊してしまうからな」
平然と言い放たれたジェイの言葉に、短髪の囚人は戦慄して閉口した。まるで実際にその光景を見てきたかのように自信をもった言い方だったからだ。
「今のところは安定しているな」
「はい。これも被検体を何体も使って実験してきたおかげでありますな」
「彼らの犠牲が無ければこのような方法を確立することはできなかった。あとはこのマイアと身体の相性次第だろう。そこだけは我々にはどうにもならん」
ぐったりとしている禿げ頭の囚人を見ながら、ジェイと護衛が話している。その話の内容を耳に入れた短髪の囚人は身が凍る思いでジェイの方を凝視する。
「あ……相性って――」
話しかけられたジェイは、まだ使っていないマイアスの欠片を見せびらかす。
「特別に教えてやろう。さっきこいつに刺したマイアスは特殊な環境から採られたものだ。それに適合しなかった場合、身体が拒絶反応を起こして崩壊するかもしれない」
「は!? なんだよそれ――」
「もう遅い」
冷酷に言い放つと、ジェイはマイアスの欠片を短髪の囚人の頸に突き刺した。短い悲鳴を上げた後、短髪の囚人は黙ってしまった。囚人の頸から激しく流血する中で、ジェイは実験室と化した牢獄を出ようと歩を進め始める。
「私はここを出る。色々と忙しいのでな。身体が光り始めたらさっきと同じように管を決められた場所に挿せ。その後の経過観察はお前たちに任せる。明日もまた様子を見にいくから、報告はそのときでいい」
「かしこまりました!」
背筋を正して敬礼しながら、護衛はジェイを見送る。ジェイは振り返ることなく、牢獄を後にした。
大部屋で鎧を外したジェイには、笑みが張り付いていた。
実験は最終段階に入った。試しに刑務所から健康な被検体二体を調達したところ、今のところはどちらともマイアスに拒絶反応を示さなかった。このまま上手くいけば、理想の兵器を創り出すことができる――ジェイの胸は早くも高鳴っていた。
――これさえ上手くいけば、純粋装具を構成しているマイアを使った兵器を量産することができる。父上も大層喜ぶだろう……!
ジェイはついに、感情を鎮めることができずにクツクツと笑い始めた。
――あとはレノの装具を使って、私の意のままに操ることができれば……!
彼の計画は、着々と進行している。
はずだった。
『フラックス特別刑務所』の地下深く――ジェイたちが実験を行っていた牢獄よりも深いところにある、常闇の穴。ジェイの研究に携わっている者たちから最終処分場と呼ばれているこの穴の底に、それはいた。
以前まで例の部屋で椅子に固定させられ管に繋がれていた男が、仰向けになって遺棄されている。彼の下敷きになっているのは、十数人分の骸だ。どれも年数の経ったものばかりで、虫すらたかっていない。
ぴくり、と、彼の指が僅かに動いた。その直後、かすかに吐息が漏れる音が聞こえる。
男は、ジェイたちの予想に反してまだ生きていた。
――……ようやく、俺も動けるようになった。
すると、男の身体から白く光る粒子が無数に漏れ出てきた。それらは尋常ではない熱量を持っており、漏れた先から彼の下敷きになっている骸を焼き焦がす。そして骸を燃料にして白い炎が上がり始めた。
白い炎が男を包み込むのに、時間はかからなかった。炎の中で、男は野獣の咆哮のような声にならない叫び声を上げ続ける。
すると、男の周りで変化が起きた。
すっかり黒焦げになって砕けてしまった骸の破片が、彼の体を覆い始めたのだ。まるで彼を保護するかのように頭の頂点からつま先までを分厚く覆う。
骸の欠片が男を完全に包み込むと、彼は咆哮をやめてゆっくりと立ち上がった。白い炎の中から出てくるさまは神々しく映るが、彼を覆っている骸の鎧は異形そのものだった。竜の頭部をかたどった頭、所々に苦悶の表情を浮かべた顔がかたどられている胴体、そして刃物のように刺々しい突起が生えている四肢――まるで骸が恨みを晴らしているかのようなおぞましい姿となって現れている。
――十年ぶりに動くが……大丈夫そうだ。注入されたマイアのおかげか。
手を結んで開いたり首を左右に振ったりといった動作をした後、禍々しい鎧をまとった男がゆっくりと歩きだした。ギシギシと軋んだ音を立てているが、歩行に問題は見られない。
――……あの忌々しい純粋装具を、取りに行くとするか。
男は足に白い粒子をまとわせると、軽々と跳躍して深淵を抜け出してみせた。
最後まで残った被検体――ブロウ・クライスは、自身の目的のためにゆっくりと動き始めた。




