墓参り
二つの傭兵団にまんまと逃げられたアバンたち国軍は、そこで立ち止まってはいなかった。
傭兵団を取り逃したことを心底悔やんでいるアバンをシルビアとポールが宥めながら、その三人は兵士を何人か引き連れてデイトン邸の内部を綿密に調べていた。既にデイトン邸の外では大量の兵士が現場の検証のために歩き回っており、ノヴァの遺体は既に運び出されていた。ノヴァが振るっていた短剣はアバンたちの指示で絶対に触れてはいけないことになっており、兵士たちは指示通りにそれを放置している。
アバンたちはノヴァの寝室の中にいた。長年使われていないような部屋はほこりまみれで、彼らは部屋の隅々まで探し回ったが、短剣の手掛かりとなるものは見つからなかった。異質なものは床に散らばった額縁の破片と思われるものだけで、それを確認したアバンたちは部屋を出た。
「アバン隊長! シルビア隊長! ポール隊長!」
すると部屋を出た直後、階下から三人を呼ぶ兵士の声が聞こえた。何事かと思い三人が急ぐと、あるところに兵士が固まっている。三人がそこに到達すると、兵士たちが道を空ける。
「これは……」
アバンが思わず呟いた。彼の視線の先には、地下に続く階段があった。
「この下に何かがあるかもしれない。我々三人が下に降りる。お前たちはここに残って捜索を続けてくれ」
兵士はアバンの指示に従って敬礼した。それを見た三人は階段を使って下に降り始める。
薄暗い中で階段を踏み外さないように注意して進み、三人は地下室の扉の前に辿り着いた――といっても扉は開けっ放しになっており、そこから人工的な光が差している。なので、部屋の中の光景が三人の目に容易に入り込んでいた。
「……なんだこれは」
ポールが目を見開いて呟く。アバンとシルビアも目の前の光景を見て言葉を失っていた。
彼らの視線の先には、巨大な実験器具が所狭しと置かれていた。人は誰もおらず、だだっ広い空間を光源である剥き出しのマイアスが照らしているだけである。三人は床に無造作に敷かれている配線につまづかないように気を付けながら施設内を歩き始めた。
「これだけ広い空間が地下に広がっていたとは……」
辺りを見回しながらシルビアが独り言ちる。これだけ巨大な施設であの短剣一本を造っていたのかと考えることは三人にとって難しかった。
「これだけ広いと我々だけでは大変だろう。外にいるのも含めて兵士たちを何十人か呼んでくる」
「お願いします」
ポールが増援を呼びに来た道を戻ると、シルビアとアバンはそれ以上進むことなく立ち尽くした。ポールが兵士たちを連れてきてから現場を調べようと考えたからである。
すると、アバンの表情が曇り始めた。それに対してシルビアはうんざりすることなく、彼を宥めるような視線を向けた。
「もう引きずらなくてもいいだろう、アバン」
「しかし……傭兵団は消息不明、肝心のノヴァもあの女傭兵に倒された。これでは国軍の面目丸つぶれではないか」
「それでも、この施設を調べたら何かが分かるかもしれない。これは傭兵たちが知り得ないことだ。それに――」
言いかけて、シルビアは微笑みながら彼の手を包むように握った。アバンはぽかんとした表情でそれを見つめるだけである。
「私たちはこうして生きてる。生き延びてノヴァや『貪食の黒狗』の悪行を上層部に伝えることができるだけでもいいと思うのだ」
「シルビア殿……」
よくよく考えれば、化け物じみた強さの傭兵やノヴァの猛攻から生き延びたのはそれだけで奇跡に近い。アバンは次第にそう思うことができるようになった。
「……そうだな。生きていただけで儲けものなのかもしれない」
アバンはシルビアを見つめ返して微笑みを返した。それが嬉しかったのかシルビアが目を細める。その表情を見たアバンは次第に胸の辺りが温かくなっていくのを感じる。
すると、二人の耳に足音が聞こえ始めた。乾いた足音が幾重にもわたって聞こえてくる。ポールが多くの兵士を引き連れているからである。シルビアとアバンは互いに手を離し、少しだけ距離を取る。
「これで人手は足りるだろう。さあ、調べるぞ!」
ポールがアバンとシルビア、そして後ろで固まっている兵士たちに号令をかけると、全員が肯定の返事をポールに返した。
ノヴァが遺した施設の調査が、ようやく本格的に始まった。
「あの……。この人、誰?」
自身のところに向かってくるコルベッタを注視しながら、リーゼはザウバーに尋ねた。
「リーゼの装具はダンに造ってもらったんだろ? 彼の師匠だよ」
「そうなんだ……!」
ザウバーに耳打ちされると、リーゼは納得して頷きながらコルベッタを見つめる。これで彼女の中に彼に対する警戒心はなくなった。
そしてコルベッタが四人のもとにたどり着くと、リーゼは彼の大きさに目を見張った。ザウバーよりも長身で、身体は大樹のように分厚い。更に彼女は、その分厚さが筋肉によってできていることを感じ取った。
「ザウバーとコウじゃねえか。こんなに泥だらけになって、任務の帰りか?」
砕けた調子でコルベッタがザウバーに話しかけるが、話しかけられたザウバーは未だに驚いた表情を隠せないでいる。
「……そうですけど、どうして貴方がここに?」
「ちょっとやることがあるんでね、このまま外出禁止で動けないとダンが心配するからさ。だから無理矢理抜け出してきた」
「抜け出してきたって……。そんな無茶苦茶な……」
天を仰ぎながら半ば呆れて呟くザウバーを尻目に、コルベッタはリーゼと彼女が背負っているネオンに気が付いた。特に彼はネオンに注目しており、ずっとそちらに視線が向かっている。
「ザウバー。このお嬢ちゃんと子供は?」
「あ、コルベッタさんにはまだ紹介してませんでしたね。最近うちの傭兵団に入った二人です」
ザウバーが言うと、リーゼはコルベッタに笑顔を見せた。
「初めまして。私、リーゼ・カールトンといいます。この子はネオンっていうんです。よろしくお願いします」
「おおそうか。俺はコルベッタ・モリソン。フラックスの外れで鍛冶屋やってるんだ」
「ダンさんのお師匠さんですよね? 私、ダンさんに装具を造ってもらったんです」
リーゼの言葉を聞き、コルベッタは驚いたような表情をした。
「ほお、あいつが……。ちょっと見せてくれねえか?」
「はい。このファルシオンです」
リーゼは二つ返事でコルベッタにファルシオンを見せた。壮絶な戦いを潜り抜けたのにもかかわらず、彼女の装具は輝きを保っている。
コルベッタがファルシオンを手に取って鑑定するように見つめ始める。外形を一通り見ると、彼はリーゼに装具を返した。
「……まだ細かいところに粗があるが、アイツにしちゃ良い仕事してるな」
「そうなんですか! ダンさんが聞いたらきっと喜びますね!」
コルベッタの評価を聞き、リーゼはまるで自分が褒められたかのように嬉しくなった。彼女は渡された装具を大事そうにしまう。
「……ところで、やることって何ですか?」
外出禁止令を破ってまで何をしたいのか――ザウバーはそれが気になりコルベッタに尋ねた。尋ねられると、コルベッタは目を細めて笑う。
「今からリーンとララに会いに行く。お前らもついて来ていいぞ」
リーゼたち四人はコルベッタの誘いに乗って彼についていくことにした。目的地であった馬繋場を通り過ぎても長い時間歩く。
すると、リーゼたちから見て左側に物々しい灰色の門のような建造物が見えた。何やらどんよりとした気分が伝わってくる。その雰囲気をリーゼたちは訝しんだが、コルベッタがいる手前口には出すことができなかった。いつの間にか、コルベッタは真剣な表情で門を見つめていた。
「この門をくぐってあと少し歩くと……リーンとララに会える」
門の前に辿り着いたリーゼたち。コルベッタが門を開けて、得体のしれない敷地の中へと入る。
舗装されていない道を進み少し経つと、開けたところが見えてきた。リーゼたちの眼前には、数多の古びた石柱が等間隔で立っている光景が入ってきた。
そこでようやく、リーゼたちは今どこにいるのかを把握した。
「まさかここって――」
リーゼの震えた声を聞き、コルベッタが頷く。
「ああ。共同墓地だ」
リーゼとザウバーは目を見開いてコルベッタを凝視し立ち止まる。それを見たコルベッタは苦笑しながらリーゼたちに合わせて立ち止まった。
「そんなに驚くなよ。さ、会いに行こう」
リーゼとザウバーは衝撃を隠せないまま頷き、コルベッタに先導される形で再び歩き始めた。
コルベッタはまるで導かれているかのように正確にリーンとララが眠っている墓の前に辿り着いた。周りの墓石とほぼ同じくらいの大きさで、異なるところは刻まれている故人の名前くらいである。リーゼたちも墓と向かい合う。
すると、墓に刻まれている名前に目線を合わせるようにコルベッタが中腰になった。リーゼたちの位置からはコルベッタの表情を窺い知ることはできなかったが、リーゼは後ろ姿だけで彼が寂しさを紛らわしていることを感じ取った。
墓には三行にわたってこのように刻まれている――『リーン・スティール ララ・スティール 安らかに眠れ』
「寂しいだろうけど、また一年後に来るからな」
コルベッタが刻まれている名前を指で優しくなぞりながら墓に語りかける。その顔は柔和な笑みを湛えている。
「ごめんな。今年は少しごたごたしてて花束は持ってこれなかった。代わりといってはなんだが……」
するとコルベッタは、リーンとララに語りかけながら胸のポケットをいじり始めた。そこから何かを取り出すと、彼はそれを墓の前に供えた。
彼が出したのは、黄色い花弁を持つ二輪の花だった。茎はくたくたになっているが、花びらの色は褪せておらず、殺風景な墓地に微かな彩りを添えている。
花を供えると、コルベッタは立ち上がって手を組み祈り始めた。それを見てザウバーとコウは真似をして手を組み、墓に祈りをささげる。リーゼはネオンをおぶっており両腕が塞がっているので、彼女なりの代替案として目を閉じて黙とうをささげていた。
祈りと黙とうの時間は短かったが、リーゼたちの中では長い時間が経ったように感じていた。コルベッタが祈りを解くと、ザウバーとコウも彼に続いて解く。リーゼはザウバーに肩を叩かれてようやく目を開けた。
祈りを終えたコルベッタは微笑みながら墓を見つめていた。しかし、その瞳の奥には安穏とは程遠い感情が渦巻いていた。
「リーンは俺の妻で、ララは俺とリーンの娘だ」
墓地を出る道中、コルベッタは亡くなった二人についてリーゼたちに説明していた。その話をリーゼとザウバーは興味深そうに聴いている。
「ララは今でも生きてれば一八歳だ。学校での成績は優秀だったから、順調に進めば進学して首都で好きなことを学んでいただろうな」
「俺と同い年ですか……」
ザウバーがポロリとこぼした言葉にリーゼは目を丸くして彼の方を見る。
「私と二歳しか違わなかったの?」
「お前は一六歳か。もっと若いかと思ってたよ」
「どういう意味? 子供っぽいってバカにしてるの?」
リーゼが憮然とした表情でザウバーに詰め寄るが、当の彼はコルベッタとともに笑って彼女のことは気にしていない。
「リーンはもともと俺の考古学仲間でね。度々鉱山での発掘調査で一緒になって、仲良くなって、俺たちが二十二の頃に卒業して、それと同時に結婚したわけだ」
「コルベッタさんは元々学者さんだったんですか?」
「そんな大層なもんじゃない。首都の学校で学んでて、そうしたらたまたま鉱山の発掘調査を俺たちのチームが任されたんだよ」
リーゼが頷くと、コルベッタが再び話を続ける。
「それから二年後にララが生まれた。俺は国に発掘調査員として雇われてそこでしばらく働いていたから家族を食わせるのに難はなかった」
「そんなに幸せだったのに……どうして――」
リーゼは悲し気な表情でコルベッタに問うた。すると彼の表情がにわかに無くなり、リーゼは唇を真一文字に結んで困惑する。
「リーンとララは……八年前に事故で死んだ。俺はそれを見てることしかできなかった」
コルベッタが出している雰囲気にリーゼとザウバーは完全に呑みこまれ、それ以上の質問をすることができなかった――訊きたいという気持ちが吹き飛んでしまったからである。これ以上詮索すればどうなるのか分かったものではないと彼女らは心の奥底で感じ取っていた。
唖然としているリーゼとザウバーの表情を見て、コルベッタは慌てて苦笑した。
「そんなに驚くなよ。……それから俺は発掘調査員を辞めて、今までのマイアスの知識を活かして装具専門の鍛冶屋を始めたってわけだ。今は俺についてくるような物好きな弟子もいるから充実してるよ」
リーゼとザウバーは我に返り、コルベッタに頷いた。しかしその動作はぎこちなく、未だに先程の衝撃を隠せていない――一体何が起きたのか、どのような事故だったのかといったことは尋ねたくても彼女らにはできなかった。
すると、先程通り過ぎた馬繋場が見えてきた。それを見たリーゼはホッとしたような気持ちに包まれた。
「じゃあ、俺は宿に戻る。かなり怒られるかもしれねえけどな。お前らはここで馬車借りて首都に戻るんだろ?」
「はい。コルベッタさん、俺たちにコルベッタさんにとって辛い話を聴かせていただきありがとうございました」
ザウバーが申し訳なさそうに言うが、コルベッタはさも気にしていないという風に目を細めて笑っている。
「いいってことよ。それじゃ、気をつけてな」
「はい。コルベッタさんも帰るときはお気を付けて」
コルベッタは頷くと、四人に手を振って馬繋場を通り過ぎた。ザウバーとコウは手を振り返し、リーゼは笑顔で見送り、その後馬宿に入っていった。
その後リーゼたちは馬車を借り、行きのときに使った馬車を停めているフォルスまで遠回りの道を使って向かい始めた。
『白銀の弓矢』のアイドでの『後始末』は、これにて終了した。